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昭和の妻よ 大志を抱け   作者: 大門めぐみ
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昭の妻よ大志を抱け 【後編】

【後編】

第四幕 リアリティー


恋敵(こいがたき)

@目撃Ⅱ

夫の会社では、二十人ほどの従業員を抱え、その中に夫の親友も働いていた。男性が多い職場で、桂木恵子はバツイチと言えども、マドンナのような存在だった。愛くるしい瞳と長い黒髪。

(こんな可愛い女性に愛されて主人も幸せだな)と思える、妻ではない第三者としての私も存在していた。

そんな彼女を放っておかなかったのは、夫だけでなく新田君という彼女より十二歳も年下の若い従業員だった。体格の良い真面目な青年であった。九州から上京して、夫の親友に誘われこの会社に入社したようだが、中年女性の多い小さな枠の中で、桂木恵子が気になる存在になるのは当然のことだった。 

そしていつしか、この若い青年が桂木恵子の新しい恋人となったのだ。この事はある日、偶然にも、大門真一の知れるところとなった。

 

大門真一が仕事で、代々木公園の前を車で走行していると、桂木恵子と社員の新田君が歩いているのが目に飛び込んできた。二人のデート現場を目撃してしまったのだ。

この広い東京で何百万人の群衆の中から、二人の姿をその目に飛び込ませたのだ。

〈見るべくして見た光景〉きっと天の計らいだ・・・これは、偶然ではなく必然なのかもしれない。

 夫は、桂木恵子に自分以外にも恋人の存在があることを知ってしまったのだ。

 慌てて車を乗り捨て、ふたりを公園の中まで追い駆けると、そこには自分の知る桂木恵子とは違う可愛い女の姿があった。新田君と手を組み、絡み合いながら、笑いながら、楽しげに歩いている姿を見つけたのだ。誰が見ても二人が恋人同志である事を認識できるほど、仲睦まじい様子だった。大門真一は怒りを押えるのに必死だった。

樹の影より二人を眺めながら、怒りの頂点を噛み締めていた。

「あの野郎、殺してやりたい」と。

帰宅すると興奮した表情で、今日、目撃したことを妻である私に報告してくれた。

「桂木さんが代々木公園で新田と歩いてたんだ。追っかけて行ったんだけど、新田の頭をトンカチでぶん殴ってやりたかった!」と、私に怒りをぶちまけた。

「あなたが何も介入できることじゃないし、それで良かったんじゃない」と言うと

「良くない!とんでもない奴だ」

(とんでもない奴はお前だ!)と言ってやりたかった。

 普通の人だったらこれで諦めるのだが、ナルシストとでも言うべき夫は違っていた。

 彼女が(自分との結婚は無理だから、仕方ないから彼を選んだ)とでも思ったのだろうか、一歩も身を引かなかった。


人間は、欲しいものがあると本能を剥き出しにし、争ってでも奪ったり、体に悪いと分かっていても、タバコを止められなかたり、つい暴飲暴食などをしてしまう。

 浮気もこの本能にコントロールされて、どうにも止める事ができないのかもしれない。


@プライド

 夕暮れ時、まな板に当たる包丁の音が心地よく響かせていると、またも突然桂木恵子からの電話が入った。

「桂木ですけど、ご主人がアパートに来て困っているんです。何とかしてくれませんか?」と。

「何とかですって!追い返せばいいじゃないですか」

「いくら帰るように言っても帰らないんです。部屋から出て行ってくれないんです」

今まで好きなようにラブコールを送ってきて、私を悩ませたのに、今度は

「悪さをしているから、主人を引取りに来てくれ」と言うのだ。

まるで私が保護者のようではないか。

籠城している夫の説得に桂木恵子のアパートへ止も終えず行くこととなった。

私は(もう終わりが近いな)と感じながら、また身重の体でバイクに乗り、夜道を桂木恵子のアパートへと向かった。彼女は寒そうに腕を組みながら、アパートの外階段に立っていた。

私を見つけると、

「社長が部屋の中に居て困っているんです。『帰って』と言っても出て行ってくれないんですよ」

と、懇願するように言った。

 彼女が罪の意識から付き合いを辞めようとしているのか、もう心が大門真一から離れ、新しい恋人にあるのかは解らなかったが、終幕を迎えていることだけは確かに感じられた。

 私は階段を上がり彼女の部屋のドアを叩いた。

 ドアを開け部屋の中を覗くと、夫が部屋の真中に座っていた。

「お父さん! 私だけど帰りましょう!」

 夫は、ドアの隙間から声を掛ける私の姿を見つけると、

「何だお前は!」と怒鳴りながら、私の方へ向かって出て来た。

 夫は、再び

「お前は誰だ!」と今度は拳を振り上げながら、お腹の大きな私に殴りかかってきたのである。

「お父さん止めて下さい!」

 私は咄嗟にしゃがみ込み、体でお腹を防御した。

「止めなさいよ!」

 桂木恵子も夫の腕を掴み叫んだ。

 何で私が怒鳴られなければならないのだ。自分の悪事が露呈した時のどうしようもない男のプライドが、自分の過ちを認めず暴力に転化するのか!妻と愛人に自分の情けない姿を見られ、怒ることしかできなかったのかもしれないが、許しがたい行動だった。人を傷つける暴力は、男として人間として最低の行為である。

ドラマであれば、これがクライマックスなのだが続きがあった・・・


この騒動を知った新恋人の新田君が、そんな夫の態度に怒り、我が家に乗り込んで来たのだ。

「社長、話しがあるんですが!」

 夫はダイニングキッチンで食事をしているところだった。

「話す事なんかないよ!」

と部屋に上がって来る新田君に、夫はまともに相手をしなかった。食事を切り上げ二階へ上がろうとすると、新田君は夫を追いかけ階段を駈け上がっていった。

二階には子供達を寝かせていた。慌てて私は二人を追い掛けた。

「おい聞けよ! 何やってんだよ!」と新田君が声を荒げた。もはや上司ではなくなっていた。

階段を上がりきった狭い踊り場でふたりは掴み合いとなった。新田君は夫の胸倉を掴み、抵抗する夫の顔を肘で抑え込んだ。

ドンドンと壁に背中を打ち付けながら男の戦いを始めた。私に変わって復讐をしてくれている彼に微かながら喜びを感じながらも、

(階段から転げ落ちたらどちらかが死んでしまうかもしれない)そんな恐怖に、腕で壁に抑えつけてられている夫との間に入りこみ、私は新田君の腕を掴んだ。

「止めて!お願いだから止めて!」

廊下の横の和室には二人の子供が布団の上ですやすやと寝ていた。

この取っ組み合う二人が子供の上に圧し掛かるのではないか、とさらに恐怖を感じ、

「子供の上に乗ったら死んじゃうでしょ!」と小さい声ながら必死で叫んだ。

 夫は私の声を聞き冷静になったのだろうか、

「分かった。下に行こう」

と、言うと静かに階段を下りていった。わずか二、三分ぐらいの出来事だったが、その時すでに二人とも鼻血を出していたのだった。

〈男の嫉妬は殺人に繋がる〉と聞いたことがあるが、本当にその通りだと思った。

〈ひとりの女を奪い合う男同志の戦い〉

 まるでドラマの様だが、その主人公は妻の私ではなかったのだ。



*味方

@孤独からの脱出

 何もかも、全てが悲しくなった。

 この重圧から逃れる為に、初めてこの事をある人に打ち明けることを決意した。

 夫の帰らない夜、私と夫の共通の知人である女性に泣きながら電話をし、すべてを話した。

「え!あの大門さん!」

「はい、会社の女の人と浮気していて、子供も産んでいいとか言ってるそうです」

「本当!大門さんが浮気してるの? やあー信じられない!」

 それほど普段の夫を知っている人には、信じがたい事であった。

「今行くから待ってて!」

 夜中だというのに私の落胆ぶりを心配し直ぐに飛んできてくれた。

先日、親友の美咲が私に告白をしたように、今度は私が何故か、母でも美咲でもない知人の年配の婦人に電話をした。


「こんばんは! 大門さん上がりますよ。」

と、真夜中の玄関に立ち、小声で声をかけると、居間に泣き顔で座り込む私を見つけ上がって来た。私の前に座り、話を聞いてくれた。

その婦人に全てを話すと

「いつからなの?」

「二年ぐらい前からです」

「そんな前から、でも絶対に離婚だけは口にしちゃだめよ!」

 と、私を包むように諭してくれた。

我慢してきた私の貯蔵庫は満杯となり、悲鳴をあげながらすべてを吐き出した。

「浮気じゃなくて、本気だって言っているんです。相手にも子供がいて、新しい恋人も出来ているのに別れようとしないんです。だから、私も二人が本気なら別れてもいいかなと思っているんですけど、子供の為にも我慢するしかないかと思って・・・・・・二年間我慢してきました。だけど、もう限界です。」

泣きながら、夫の不祥事を暴露した。

婦人は話しを聞くと、

「二年間続いた事は、二年で解決させると思わなきゃだめよ!」と言った。

(そんなに長いこと掛けていられない!)と心の中で叫んだが、事実、解決するまでに、二年の歳月が掛かる事となった。

婦人は子供の事や、これから生まれてくる赤ん坊の事等、全てを考えてのアドバイスだった。私は初めて自分の見方を作ったことで、心の重荷が軽くなったような気がした。義母や義父、そして実家の母や兄弟にも内緒にしていたことである。誰にも話すことなど出来なかった。他人だからこそ言える妙だが、この婦人の存在がなかったら、私はどうなっていたか分からない。自分でも気が付かないうちに、苦しみは肥大していたのだった。

                                             

 問題は絡み合い、なかなかきっぱりと解決の時はやって来なかった。

「今日は帰らないから!」

 と、夫は携帯からまたしても濁りのある声で電話をしてきた。もちろん彼女と会うためである。受話器の後ろに彼女が立っている姿が想像できた。

 私の目の前には、義母と義父がいた。

「わかりました」とそれだけ言った。

 夫はさらに

「彼女と一緒だから、じゃあね!」

 と、当て付けがましく付け加えた。夫の声はまるで悪魔のような声に聴こえた。

 いつも激怒しない物分りの良い女房に対しての苛立ちだったのかもしれない。私は

普段から、主人が自分にとって不快だと感じることをしても、怒ったりしなかった。

我慢することが染み付いていたのかもしれないし、(これは修行だ)とも思っていたのかもしれない。(重箱の隅を突つくような事を言っては、男が駄目になる)とも思っていた。もしかしたら、いい奥様だと思われたくて、〈山之内一豊の妻〉を演じるつもりだったのかもしれない。しかし、それらのすべてが裏目に出た。


@妊婦の家出

私は長く続く攻防戦に疲れ、夫にリベンジするつもりで突然に家出を決意した。

行く先は熱海。別に理由はなかったが、新幹線に乗って喜ぶ息子の顔が見たかったのかもしれない。普通なら実家へ帰るのだろうが、家から五分というあまりにも近い距離であった事と、母には言いづらかった。

私は旅行の仕度をするため大きなバックに子供達の下着や服を詰め込んだ。義母は私の旅行支度を見て、

「どこ行くんだい!」と聞いた。

「ちょっと、旅行に行って来ます」

「いつ帰ってくるの!」

 長年生きているこの二人に、私たちの身辺に起きているいざこざに気が付かないわけがなかった。老いた義母には酷な話しであったが、異変を観じた義父が、

「めぐみ、何処行くんだ?」

と尋ねてきた。その優しい声にどっと涙が溢れてきて止まらなかった。

「どしたんだ!言ってみろ!」と、声を掛けてくれた。

「真一さんに彼女が居るんです。別れてくれないんです」

「ほんとか!俺だってそんなことはしなかったぞ。あの野郎!酷い奴だ!ぶったたいてやる!」

と、嫁の話を疑おうともせずに私に同情してくれた。

 義父は夫が子供の頃、酒乱で手がつけられない人だったようだが、家族を守る為に必死で農作業をやってきた。義母も早朝から朝食の仕度に起き、日中は義父と共に農作業に出て、夕方には夕飯の仕度に家路に急ぎ、寝るのはいつも真夜中であったという。食事も粗末なものしか口にできず、夏には畑で採れたナスの味噌汁にナスの漬物、それにナスの炒めものだった。水道もない為、川から毎日水を運び入れ生活水に使っていたと言う。天井には穴が開いていて、布団に寝ながら月が見えたそうだ。

そして義母は「子供たちにお菓子ひとつ買ってあげられなかった」と、よくこぼしていた。

(苦労を沢山してきたこのふたりに少しでも楽をさせてあげよう)と思っていたのにとんでもない事を知らせてしまった。

 しかし、義父も以前より夫の帰りが遅いのを観て(女性の存在があるのでは)と密かに疑惑を抱いていたようであった。

 それ以上、義父は何も聞かなかったし、私も何も言えなかった。


 荷物をまとめると、ふたりの子供を両手に連れて、その日の内に家を出た。

子供達には、この異変に気づかれないように気を使った。

「今日は新幹線乗るんだよ!お兄ちゃんも初めてだね!海も見れるよ!」

 重い気持ちを振り払うように楽しげに話した。

「ママ、新幹線って、すっごく早いんでしょ!」

 まだ幼稚園の息子は楽しげに問いかけた。

「そうだよ、シューって走っていくんだよ!何が見えるかな、楽しみだね」

 胸のところがキューンと締め付けられた。

「ねえねえママ!かおちゃんジュース飲むよ!」

二番目の娘が自分の存在を主張してきた。

彼女は、これから産まれる子供とお兄ちゃん狭間で、いつも置き去りにされている悲しみを感じていた。日常の煩雑な家事や、義母の面倒で私の心象から埋没してしまう自分の存在を、良い子になる事で主張した。

「いいよ!かおちゃんの好きなものいっぱい買ってあげるよ!」

 と、言いつつも子供達に贅沢をさせなかった。ジュースも一缶を別けて飲ませた。体にも良くないし、残したりして食べ物を粗末にして欲しくなかった。


東京駅に着くと切符を手にし、新幹線の車両に乗り込み熱海へ向かった。車中、ボックス席の中には小さな二人の子供と、お腹の大きな母親の三人。人目にはどんな風に映ったのだろうか。

愚図ることもないとても大人しい子供たちであったが、行き先の検討がつかず、

「ねえママ!まだ着かないの!」を連発された。

何処へ行くのか充てのない旅だったのだが、近場にして正解だと思った。


宿の予約もせずに、熱海駅に到着すると改札口の直ぐ傍にある観光案内所に飛び込んだ。今日泊まれる宿を何としても探さなければならなかった。小さな観光案内所に入ると、カウンターの中にいる男性に相談をした。

「あの、今日泊まれるところは有りますか?」

「ご家族四名様ですか?」

「いえ、子供二人と大人一人です」

「・・・・・・・・」

二人の幼子を連れた妊婦を見て、受付の人はどう思ったのだろうか。しばらくすると、駅から歩いても行ける有名なホテルを紹介してくれた。身重にとっては距離があるのでタクシーを止めて、紹介してもらったホテルへ向かった。

広いロビーのフロントに着くと、カウンターの中に数人のホテルマンが、他のお客さんの相手をしながらもチラチラと私達に向かう視線を感じた。

「観光案内所で紹介してもらった大門です」

私はこの時どんな顔をしていたのだろうか。

「お待たせしました。こちらがお部屋のカギです」

渡された部屋の鍵は低層階にある、とても狭い納戸のような部屋だった。

きっと〈親子心中〉でもすると思ったのだろうか。いつもは使われていないであろう狭い部屋で、窓からの視界も最悪だった。実際どの位の広さだったのか解らないが、三畳位の部屋に感じた。ふたりの子供を部屋に置き、ロビーの公衆電話から先日の婦人に連絡をとった。

「大門です。先日はありがとうございました。今、家を出て熱海にいます」

婦人は驚いたようではあったが、私が心中をするような人間でないことをよく知っていたので、この突飛な行動にも理解を示してくれたようだ。

「実家のお母さんに知らせてもいい?」

「ええ。何も言ってないのでお願いします」

「分かった。また電話して!約束よ!」

 この時初めて、この浮気騒動の詳細が実家の母や兄弟の耳にも入る事となった。

 母には言い辛く自分から電話もできなかった。

 女手ひとつで四人の子供を育ててくれた母にも、この結婚で良かったと思わせたかったのに、またも心配を掛けてしまった。

 

 熱海へ来て二日目には、子供達を連れて砂浜へ行った。

ここの砂浜は人工で増設され、道との境は壁で仕切られ、その上には車道があった。 その壁には熱海の景観とは不吊り合いな、カラフルで派手なイラストが描かれていた。

もしかしたら、この上の道路から、

「おーい、めぐみ、拓くん、かおちゃん、お父さんが迎えに来たよ!」

と、(夫が手を振って立っているのではないか)と何度も後ろを振り向いた。

それとも(、桂木恵子とふたりで私の家出を嘲笑っているのだろうか)とも妄想をした。


海辺には、降り注ぐ太陽の下、ビキニを着た女の子達が笑い声を立てながらはしゃいでいる。こんなにも楽しげな光景の中で、私の周りだけシーンとした冷たい空気が取り囲んでいた。海の匂いせず、波の音も聞こえず、どんなに素敵な景色を見ても、美味しい物を食べても、悲しくて切なくて、暗い孤独の中にいた。

 子供たちには悟られまいと楽しげにしていたつもりだったが、なんとなく砂遊びをしている子供の姿が寂しげに見えた。

この熱海に五日間滞在したが、覚えているのはこの風景だけで、後は何をしていたのか全く思い出せない。



*時の流れ

@訪問者

五日ぶりに家に帰ると、義母が玄関まで駆け寄ってきた。

「ああ!良かった!じいちゃん、めぐみらが帰ってきたよ!ああ、良かった良かった、帰ってきたくれたよー」

涙声で義母は喜んで私たちの帰宅を迎えてくれた。その狼狽ぶりに改めて心配を掛けてしまっていた事に気づかされた。部屋に上がり、我が家のキッチンに入ると、床の白いフローリングや、シンクがキラキラと眩しく目に飛び込んできた。たった五日間だけ主婦を放棄したのに、この空間が懐かしく愛しく新鮮に感じた。子供たちは、旅行から帰って来て、それぞれ思い思いの日常に戻り部屋の中で戯れていた。

夕方、夫が帰宅すると、

「あちこち探したよ」と、ただそれだけ言うと二階に上がってしまい、それ以上何も言わなかった。桂木恵子のことは全く何も触れず、詫びの言葉もなかった。


非日常から引き戻されると、又毎日の家事は休み無く続き、思索だけに深けさせてはくれなかった。

朝起きて、自分の身支度もままならぬ間に朝食の仕度、洗濯、ゴミだし、子供の着替え、お手洗いの世話、それが終れば、幼稚園の仕度、食事の後片付け、おばあちゃんの世話、洗濯干し、布団干し、食べ溢しの掃除、午後になっても延々と続く家事仕事に私の気持ちは、紛らわされていたのかもしれない。 


 そんな家事の最中に鳴る電話の相手は、またしても桂木恵子だった。

「奥さんお話があるんですけど」

「何ですか?」

 今度は何だというのだろうか。彼女は坦々とした声で話した。

「そちらに伺いたいんですが……」

 家には義父と義母と子供がいたが、

「どうぞ」と言った。不安よりも(この事態を面白がっているのだろうか)私は冷静に彼女の来訪を待った。それから三十分ほどで彼女が玄関のベルを鳴らした。

 ドアを開けると小さな体だが、そこからは、しっかりとした意思が感じられるほど凛とした佇まいだった。彼女を六畳の居間に通した。隣には義父たちがいたが、桂木恵子を私の友人だと思ったようだ。座卓を挟み、向かい合わせに座る私と彼女の間には、以外にも敵愾心はなかった。

「あの・・・すみませんでした。私、ご主人と別れたいんですが・・・」

「そうなの」と人事のように答えた。やっと、このドラマの終焉が見えてきたのだ。

「本当にご迷惑をお掛けしました」

「主人はあなたがここへ来る事を知っているの?」

「いいえ、知らないと思います」

彼女は言い辛そうに続けた。

「今、新田くんと付き合っているし、今後どうなるかは解かりませんが、ご主人とは別れますので・・・」

今、こんな勝手な事を言っているのも、あの夜の訪問も、電話も、目の前にいる女の仕業であったが、憎しみはなかった。元より彼女に対し、憎しみなどなかったのかもしれない。むしろ、夫を関して親しくなった仲間のような気がして来た。

私の中にあったものは、夫の〈裏切り行為への怒り〉と、〈私以上に愛する人が居た悲しみ〉だけだった。

そして、何とか取り返そうとしている自分を観て、(私は、こんなにも主人の事を愛していたのだろうか)と意外に思ったりもした。


夫が帰宅すると、彼女が家に来た事に触れた。

「今日彼女が家に来たわよ!」

「何って言ってきたんだ?」

「別れたいって、言っていましたよ」

夫は憮然とした顔をして黙り込んでいた。

私は、それ以上何も伝えなかった。夫は、被害者ではないはずなのにまるで自分が彼女から被害を被ったような顔だ。私には詫びの言葉一つを口にすることもないのだ。


この一連の出来事は、一緒に会社で働いている夫の親友にも知れるところなり、ある日の午後、突然に親友の誠ちゃんと新田君と桂木恵子の三人が我が家を訪れてきた。

その時玄関に出た私の足はガクガクと震えていた。お腹には三人目の子供がいるのに、この半年間この子に何度も恐い思いをさせてしまった。

しかし、この時の訪問は少し違っていた。

「こんにちは。真ちゃんいる?」と、親友らしい問い掛けにほっとした思いで出迎えた。

「ええ、二階に居ます」

「お父さん、誠ちゃんが皆さんといらしたけど・・・・・・」

二階にいる夫に、声を掛けた。

「社長、失礼します!」

新田君の声から、強い意志を持って我が家にやって来た事が伝わった。

三人は、夫のいる二階へと上がって行った。私は、恐さと同時に、長かった騒動がこれで終ってほしいと願いを込めた。

急いでお茶の用意をし、二階へ上がって行くと、四人が真剣に話をしていた。

「めぐちゃんもそこに座って!」

と、誠ちゃんに促がされ、夫から離れた場所に正座した。

押し黙った夫に、

「親友の僕と桂木さんと、どっちを取るんだ!」

と、誠ちゃんは男らしく、大門真一に結論を迫った。その真剣な言葉に対し、私は感謝した。

「桂木恵子を取る」と、この後に及んで言われるのではないかと、内心冷っとしたが、

「お前を取るよ!」と夫は誠ちゃんに向かって言った。

〈年貢の納め時〉と思ったのか、幕を引く決意を固めていたようだ。

〈夫と妻〉と、その〈夫の愛人〉と、〈愛人の恋人〉と、〈夫の親友〉との話し合いなど、そうざらにない光景である。

帰り際の玄関で桂木恵子が頭を下げ誤った。

「奥さん、本当に申し訳ありませんでした!」

「はい、お元気で、幸せになってください」と素直にそう言えた。

 その時、微塵も恨みなど残っていなかった。私の人生に何かを投げ掛けたこの人に、本当に幸せになって欲しかった。


@過去の記憶 

今、あの時の記憶を辿ってみても、その後、夫と何を話したか、その断片さえ見つからないのだ。

 夫婦間の修復の為に、毎日必死で生きていた筈なのに、三人目の子供の陣痛が始まり出産のために、夜中に車を走らせてもらった所まで記憶が飛んでいた。


面白いもので記憶していないことは、自分の人生に起こらなかった事となってしまう。思い出として記憶に残っている事といえば生きている内の百分の一ぐらいかもしれない。八十歳まで生きたとしても、人生の三分の一は睡眠をしているのだから、動いている時間は約二十七年間となる。

この中から乳幼児期や、老年期の痴呆になっている時間や昼寝をしている時間を引くと二十五年あまりが意識の中の人生となり、しかも、この内で記憶に残っている時間はフラッシュを浴びたような一瞬、一瞬だけだ。

私自身の過去の記憶を辿っても、幼稚園の時、自転車ごとドブに落ちそうになった時、友達の洋服を掴んで道づれにしてしまった事。

小学校の時、友達の持っている絵の具の綺麗な藤紫がとても羨ましく、彼女の絵具箱を覗いていた事。

中学の時、前に座っている男の子から、(好きだ)と書いたメモを渡され、驚きのあまりに急に冷たい態度をとった事。もちろんこれだけではないが、あまりにも記憶が少ない。

そして、三十才から三十三才に起こった浮気騒動の断片的記憶が私の人生となって

記憶に残る。夫の中にはこの一連の出来事はどんな記憶として残っているのだろうか。

深く刻まれた感情の刻印は、その瞬間だけで前後のストーリーは消されているが、

もしかしたら、事実と相違した記憶を自分の中に収めてしまっているのかもしれない。人が死ぬ時には、走馬灯のように忘れていた過去の記憶が映し出されるというが、その時に人生の総決算を、自分自身でするのかもしれない。

そして、峻烈な法則に貫かれているのだ。

この浮気騒動も四年間の時間を費やしたが、今となっては一塊の過去の記憶でしかない。どんな辛いことでも長くは続かないのだ。


第一子目、二十八時間三十分後に、三千五百三十四キロの頭の大きな男子。

第二子目、主人が入院中、五時間後に三千六百九十五キロの大きな女子が生まれた。

そしてこの日、三人目にして初めて夫と一緒に車で病院へと向う事となった。

暗い夜道を走る車の中で私はふと過去の記憶が蘇えった。闇の中に光るネオンを見つめ、過去の出来事を懐かしく思い返した。

浮気をされていた日々の出来事と、過去の二人の出産時の苦しみが脳裏を掠めた。

心の安らぎとは反対に、助手席に座る私の足はガクガクと震えてきたのだ。

〈嫌な記憶は直ぐに忘れる〉というのが私の特技なのだが、この土壇場になって出産時のあの苦しみを思い起こしてしまった。

「わぁー、足が震えてる!あー恐いな!」

と、隣に居る夫に訴えた。

 三人目を産む母親らしからぬ言動だったが、正直な気持ちだ。この闇夜を走る車の中に居る夫は嘗ての夫ではなかった。黙っていても私への心配と愛情が観じとれた。

それから四時間後の午前三時九分、第三子は産声を上げた。

 真っ黒な髪の毛をした金太郎のような女の子だった。

 

初夏とはいえ寒々とした分娩台の上で産後、暫らくの間安静にさせられるのだが、この日、分娩室の窓は開け放たれていて、涼しい風が、産着一枚で寝ている私の体の上を微いで行った。

 この時、この事が私の体を後々まで苦しめる要因になるとは全く気が付かなかった。

其れからと言うもの、私は腰痛と戦う毎日が始まってしまったのだ。立ち仕事は一時間として遣っていられなかった。腰痛ベルトとも親しくなった。青山にある有名なカイロプラッテックでもオーダーメイドのギブスを作ったり、針、接骨医、大きな病院の整形外科、マッサージ、お灸とあらゆるものを試したが一向に良くならなかった。この頃には、歩くのにも儘ならず、晴れた日でも傘を杖に通院をした。こんな苦しみも、愛されない暗闇より遥かに明るい出来事だった。


ある日、嘗て私と夫を結びつける要因となったフォークソングへの集会に誘ってくれた友人が、腰痛体操を教えてくれた。

私は(これしかない!)と閃き、毎日寝ながらその腰痛体操を続けると、これが効果覿面で、(今までの苦労と医療費は何だったのだろう)と思う程、一気に快復をしたのだった。

〈自然治癒力〉という言葉を聞くが、真さに医師に泣きついていた弱い私が、自分で治そうと変化した時、腰痛は治ったのだ。



第五幕 チェーン


*チェンジ

@お水の世界

 腰痛との戦いには勝ったものの、更なる人生の課題を、また夫から与えられたのだった。三人目の子供が二才に成る頃、次なる運命の訪問者が我が家へと遣ってきた。近隣の二十代の息子さんだった。

「おじさん何か仕事ないですかね!」

「店でもやってみるか!お店作ってあげるからそこの店長をやったら」

私は二人の会話を横で聞いていて耳を疑った。

簡単に物でも買うように、(一軒、スナックの店を君のために開こう)と言うのである。夫は既に紳士服店の傍ら二軒のクラブを所持しており、もう一軒、店を出すことなど簡単であったのかもしれないが、あまりにも安易な決定に、私は飽きれてしまった。

そしてその後、この決定が私の人生にも大きな影響を与えたのだった。

貸し店舗捜しから始まり、看板のデザインを担当するなどオープンまで関わる事となったが、それはそれで楽しかった。店舗も決まり、バブル時の突貫工事によるリフォームとなったのだが、依頼をした工務店からは、

「この時期、やってもらえるだけ有難いと思わなくちゃ!」などと暴言を吐かれた。

世間のすべてが、驕りの蔓延する時代であった。

年末間近にやっとオープンに漕ぎ着け、開店祝いには主人の仕事関係者が沢山訪れた。

初めて夫の背景の大きさに驚くと共に、私だけ置いきぼりにされていた思いがした。私の知らない時間の中で主人が生きていたことを、改めて思い知らされたのだ。

数分前まで、家事をこなして来た家から、精一杯お洒落をして開店祝いに駆けつけたのだが、そこへ来ている女性達を見回すと洗練された生活臭を感じさせない人ばかりだった。

(あ!みんな綺麗!)蛙が初めて海を見るような心境だった。

華やかな席の中で、自身の小ささと、家事にくたびれた姿に惨めさをも感じた。

毎日の育児に加え、食事の仕度と片付け、掃除洗濯、義母や義父の世話。

一日を二十六時間にしても間に合う量ではなかった。

そして主婦業は汚物処理業でもあった。食べ残しの片付け、洗濯の汚れ落し、生ごみの処理、オムツ換え、部屋のゴミ集め、トイレ掃除。

自分では綺麗でいたいと思ってもそうはさせてくれなかった。

私は精一杯の笑顔で来客に挨拶をして回ったが、夫にとっては隠したい存在だったのかもしれない。

私の潜在意識の中で

(いつか綺麗に着飾り注目されたい)と願ったのであろうか。このオープンから数年後、意外にも自身がこの店に立つ羽目になるのだった。


子供はまだ七才、四才、二才の時、この店を任せていた青年は、親戚の家業を手伝わなければならなくなり、店長職を辞退してきた。いつも何かがあると、私にお鉢が回って来た。まさかカラオケスナックの店長役が、この私に廻ってこようとは夢にも思っていなかった。

夫はお願いするでもなく、

「めぐみ、店をやってみないか」

「子供はどうするの?」

「ばあちゃんも元気になったんだから、見てて貰えばいいだろ」

私は何で引き受けたのだろう。いつの日か心の奥深くで、

(私も綺麗に着飾りたい)と思ったことが実現してしまったのだろうか。


そして、素人の水商売が始まったのだった。

「いらっしゃいませ。何をお飲みになりますか」

このぐらいのことなら一日で慣れもしたのだが、お客さんの応対にはどぎまぎする毎日であった。

「ママ、バーボンキープして」

「はい」とは言ったものの、

「ねえ、バーボンってなあに?」と、

店の女の子に尋ねる有様だった。

お酒には恨みがあったので種類などにも関心がなかったし、洋酒はウイスキーかワインぐらいしか覚えがなかった。

そして、下ネタ好きのお客さんからは、うんざりするほど、えげつない話を聞かされた。来店し、酔い始めたら下ネタが始まる。そこまでは我慢できたが、私の太ももや胸をギュッと鷲掴みにした時は、思わず平手打ちをしてしまった。

「バシッ」と、いい音がした。

「何だ、この店は!まるでNHKみたいな店だな!」と、毒づかれたのだが、

(酔っ払いにしてはなかなか面白い事を言うな)と関心をしたものだった。

時にはニッカボッカのお兄さん達が、まるで土佐犬のように睨み合いを続け、すわ取っ組み合いという時に、私が顔の間に割って座ったこともあった。

常連客はこんな例外を除くとみんな良い人たちばかりだった。

東大卒のバツイチさんや、離婚騒動中のカメラマン、独身の壮年芸術家、「あの店ならいい」と奥さんに公認を貰っている二人ずれの銀行マン、カラフルな色のニッカボッカを履いたジャニーズ系の青年達、職業不詳のオタクぽいバイク青年、いつも「思い出まくら」の歌をリクエストする中小企業の常務さん、おせんべい好きの和菓子屋の檀那、ベートンベンが好きなイケメン君。こんな人たちがこの店を愛してくれた。カラオケがあったせいか、若者から年配の人まで幅広い層のお客さんが来てくれた。

スタッフといえば小太りの女性チーフと、ニキビだらけの芸人の卵、デビ夫人のようなホステス初経験の婦人、それに尾崎豊の熱狂ファンの沖縄女性、幽霊に怯える東大生等であった。

それに加え主婦の私がママだというのだから、

「この店はお化け屋敷かよ!」と

お客さんに毒づかれてしまうのも無理はなかった。歌にしても童謡唱歌と懐メロぐら

いしか、まともに唄えなかった私であったが、この店でかなりの曲をこなせるまでになった。しかし、こんな素人がやっている店が儲かる筈もなかった。


援軍として夫がいつの頃からか面倒を見ていた、台湾生まれの美人姉妹をアルバイトとしてこの店で雇う事となったのだが、これがまた一騒動の種となった。

夫は彼女たちの父君と大学卒業迄、面倒をみることを約束していたらしいのだが、そんな事も初耳だった。国籍に関係なく女は誰でも自分が一番注目される存在でありたいと思う故か、

「ママがお客さんからチヤホヤされるのが気に入らない」と姉の方が不満を唱え始めたのだった。私は家事が本業なのだからそんな事はどうでもよかった。早速、前の店長が残していったクリーニングされた白のワイシャツに黒のズボン、そしてエンジの蝶ネクタイを着けて厨房に入った。それでも、少しでもお客さんが私の方に興味を持つと焼き餅を焼かれたのだ。

(なんでオーナーの奥さんが従業員にこんなに遠慮しなければならないのよ!)と思ったが、経営を考えれば、彼女達は重要な存在だった。

焼餅はこれだけではなかった。何度となく自宅から電話がかかって来たのだ。

「ママ電話ですよ。社長からです」

「もしもし、何なの」

「今日は何時に帰るの?」

「私はホステスをしているのよ! お客さんに迷惑だから用もないのに、毎日電話するのは止めて頂戴!」

怒鳴ることはなかったのだが、無償に腹が立った。与えられた仕事を精一杯やる事が私の生きる道。そう思っていたからホステスにも成りきったのだが、決して主人の心を満たすことではなかった。

義母からも、ミニスカートを履いて出勤する私に、

「そだいな格好して、なんだい!」と、子供を預ける際に、時折、水を差される事もあった。家事と育児と両親の世話だけで十分なのに、それに加えホステスまで遣る事になったのだが、これだけでもまだ済まなかった。


@赤の他人

いつ、どう決まったのかは定かではないが、義姉が同居する事となったのだ。

これだけでも大事件なのに、義姉は精神的に病んでいるというのである。

(二才と四才と八才の子供に加え、義母、義父の世話がいるのに夫はいったい何を考えているのだろうか?)と、怒りにも似た感情と邪推が渦巻いた。

(もしかしたら、美貌を持った素敵な義姉なのかもしれない。そんな女を同居させて家庭でニヤニヤ眺めながら楽しもうとでもいうのか?)

しかし、初めて見た義姉は、一目で精神を患っていることが分かる動きをした。太った体を重たそうに歩き、小刻みに手と唇を震わせていた。顔も浮腫んでいた。まるで想像と反していたのだ。

(決まってしまったのなら前向きに考えるしかない)と自分を諌め、義姉と一緒に生活する時のことを頭のなかでシュミレーションしてみた。

(一緒に買い物に行ったり、台所に仲良く立っておしゃべりしながら食事も作れる。それに子供の面倒や義母や義父の面倒だって看て貰えるかもしれない!)こんな楽しい想像を巡らしたのだが、すぐにことごとく打ち破られた。

義姉との、一緒の買い物も、お料理も一度として叶うことはなく、それどころか、義姉の洗濯まで増える始末だった。義姉は仕事探しに一日中外に出て行った。もちろん雇ってくれる会社など何処にもなかった。


以前にもこんなことがあった。

私が二人目の出産後、一か月も経過しないで寝ていたある夜、隣の部屋から、こんな会話が聞こえてきた。

「お孫さんは家で引き取りますから、おばあちゃん安心して下さい」と。

私は話の全容がその言葉だけで理解できたのだが、その孫とやらを面倒みるのも結局、私なのである。

「頭おかしいんじゃないの!いい加減にしてよ」と、

赤ん坊を抱えながら隣の部屋から、金切り声を上げた。両親のいない孫が罪を犯し、その事でお婆さんから相談を受けていたらしい。頼まれたら嫌とは言えぬ夫である。きっと本気であったのだろうが、産後の体も元通りになっていないのに、こんな大変なことを私は受け入れることなどできなかった。

暗い部屋の中、新生児を抱き、布団の上で(この私はいったいどうなるのよ)と、泣きたい気持ちでいっぱいだった。

夫曰く(夫が犯罪者だったら妻も犯罪者なのだ!)つまり〈運命共同体であり、夫という大木に咲く花が妻だ〉とでも言っているのだが、到底納得ができなかった。

結局、我が家にその孫は遣って来なかった。


義姉は期限なしで一緒に生活する事となった。この義姉も、正確に言うと義兄と正式離婚をしていて、私達とは赤の他人となっていた。義兄が、義姉の意思が希薄な時に勝手に離婚手続きをとってしまい、夫婦の縁を切っていた。

夫は(義姉がかわいそうだ)と今回の決意をしたようだ。兄の罪も〈自分の事〉として捉えていたのだったのだが、これで義姉が加わり、子供三人に病弱の義母と大酒飲みの義父の、総勢八人家族となった。

夫の次なる計画は、職がない義姉に、夜だけ営業していたスナックを昼にもオープンし、喫茶店としてそこで働いて貰うというものだった。厨房内なら。義姉でもできるであろうことは私にも分かったが、それだけでは、営業は開始できない。細かなリテールは夫にはなかった。

これで喫茶店のオープンに向けて、ランチタイムのメニュー作成、仕入れ等、フル回転の毎日が、私に続いたのだ。

義姉はコーヒーメーカーの講習会に参加し、厨房の仕事をマスターしていった。大学を出ていたので、学習に対しては何も問題はなかった。

私は、河童橋までランチに出す食器を購入しに、子供を連れて向かった。蓋の付いた重箱が欲しかったのだ。

(このお弁当箱の片隅にドライアイスを入れて、お客さんが開けた時にスモッグが出てきて驚かす!)などという他愛もないアイデアを考えていたのだが、スタッフに却下されてしまった。私は、面白い事が大好きであった。抹茶ドリンクや健康ジュースなど変わったメニューを色々と考案したのだが、時期尚早だったのかあまり売れなかった。毎日のランチメニューも作成し、近くの八百屋へも子供を自転車に乗せて仕入れにも出かけた。

つかの間の空き時間に、我が家で昼寝をすれば、

「お母さん!ご飯まだ!」と、

義母が私の寝る二階にまで起こしに来たられた時には、些か大声で泣きたかった。

(私は今、思い出作りをしているんだ)そんな観を深めながら間断なき家事闘争を続けた。

この先どんな展開が待っているのか想像もつかずにいたが、義姉との奇妙な生活はあっさりと一年で終ってしまった。故郷の北海道で実母と一緒に暮らすこととなったのだ。実家は銘家の為、精神の病んだ娘を故郷へ戻したくなかったと聞いたが、哀れに思ったのだろうか、娘を呼び寄せた。義姉は、荷物をまとめて飛び立って行った。

そして、五年間付き合った酒好きの義父とも、この間に突然の別れをしたのだった。

お酒と心中をしてしまったのだ。


@引越し

妻、母、嫁、ホステスのひとり四役を二年ぐらい演じた頃、引越しの話が我が家に持ち上がった。このころ、夫は自営から会社組織への参画をしていたのだが、その仕事関係での転居話であった。

些か夫も一大事と思ったのか、時々この話を私達に打診してきた。ここで私が

「絶対いやよ!新築して七年しか経ってないのにとんでもない!」と、大反対すれば実行されなかったのかもしれないが、私は少なからず心の何所かで引越しを望んでいた。この場所が気に入らない訳でもないのに、変化を好む性格なのか、安住の地である筈の新居でさえ移る事に恐れはなかった。

しかし義母は、

「引っ越すなら独りで行きな!」と、当然反対の意を唱えた。

やっと田舎暮しから別れを告げこの地に慣れたのに、新たな土地へ行くことなどこの義母には酷なことであった。それでも引越しは決定事項となり、転居先の家を見学しに行った。ビルの立ち並ぶ合間に、古い民家があった。

「ここだよ」

「えー・・凄い家だね」

暖炉のある大きな家だったが、かなり古びていた。

「会社でリフォームしてくれるから大丈夫」と、夫は満足げに言った。


そして一か月後、この家のリフォームの立会いに出かけて行った時の事だった。

いつもなら夕方になるとシャワーを浴び、気合を入れて夜の出勤に行くのだったが、この日は、とうとう体が悲鳴をあげた。ものすごい頭痛に襲われ工事中の絨毯の上に倒れ込んでしまったのだ。今までに経験した事のないほど頭が割れるように痛かった。幸い息子と一緒だったのでタクシーで病院まで搬送して貰ったのだが、医師から髄膜炎との診断を受け二~三週間入院することとなった。疲労している体に菌が入りそれが骨髄に達したらしい。

「ともかく栄養をつけて休養をするしかありません」

と医師から宣告され、毎日、朝から晩まで良くこんなに寝られるというほど眠った。お見舞いには夫の仕事関係者から、お店のお客さんまで多くの人が花束を持って遣って来てくれたのだが、見舞客の中に、大きな百合の花束を持ってきてくれた常連さんがいて、私のベットの周りはさながら祭壇のようになってしまった。まるで白雪姫にでもなったようにこの中で三週間眠り続けた。

(これはひょっとすると天の恵みだったのかもしれない)

きっと暴走する私にブレーキを掛けたのだ。


長男が小四、長女が小一、次女が幼稚園の夏、やっと引越しを敢行した。クラスメイトと別れる事が子供たちにとって一番の試練であったようで、次女が引っ越しの荷物を積んだ車が走り出した時、

「朝顔ー」と、

泣き声で私に訴えた。学校で育てていた朝顔の鉢が、玄関先に置いてきぼりになっていた。彼女のこの地を離れる寂しさが伝わって来た。

「新しい処に行けば、もっといっぱい友達が増えるよ」と、教訓めいた言葉で大人の勝手をカモフラージュした。


引越し先は池袋。築四十年の一軒家をリフォームした綺麗ではあったが、先住民たちが私達家族を悩ましたのだった。

引っ越しが終わり、段ボールの合間で食事をしていると、居間をチョロチョロと横切っていく何かが目に入って。紛れも無く灰色のネズミだ。

「きゃあー!!」

ありったけの悲鳴にネズミも驚いたようで「びくっ!」と飛び上がったように見えた。

その後、ネズミ戦争がヒッチコックの映画のように続いたのだ。

ネズミ捕りを仕掛け、一匹のネズミが捕まると仕返しをしてきた。恐ろしいほどネズミ達の意思を観じた。

まず、最初にやられたのはアンテナ線だった。チェストの裏に引いたアンテナ線が齧られていた。次に、ネズミ捕りに犠牲者が出ると電話線を齧られた。退治のプロに相談し、毒団子を仕掛けてみても、全く見向きもせず、テーブルの上に置いてあった、遠足用のパンまで齧られた。家具を動かしたり、アルミホイルを鴨居の穴に詰めたり、毎日ネズミ退治に頭をひねった。

次なる施策は毒団子の置く場所を変え、庭の巣穴近くに置いたのだが、名案と思ったこの策が、なんと我が家に犠牲者を出てしまったのだった。   

招かざる客として我が家へやって来た子犬が、十三年目にして毒団子を食べて数日後には死んでしまったのだった。賢い愛犬が、こんなピンク色をした変な物を食べるとは思っても見なかった。ふらふらとし出した愛犬はガレージの隅に倒れ、もうお終いである事を私たちに悟らせる姿だった。息を引き取る時、子供たち三人と大泣きをしながら手を合わせたのだが、愛犬の目からも大粒の涙が流れていた。白い布の中に子供たちと一緒に愛犬の体を持ち上げると、硬直した体が死というものを私達に実感させた。

こんな騒動が有りはしたものの、

(ネズミが居間を横切る新居。こんな家も、今時なかなかあるまい)と、

悪戯でお茶目な気持ちがこの家での生活を支えていった。


スナックも転居先からでは通うことが出来ず、人任せにした所為か、大きな赤字を出して人手に渡すこととなってしまった。

私もひとつの幕を下ろしたような感じを受けた。



*闇夜の国から

@ありがとう

ここ池袋へ引越をしてから一年あまり経った夏、義母の体調が悪くなり、近所の入院施設を持つ小さな病院に行ったところ、担当医に呼ばれ病室に入ると、なんと以前私が髄膜炎になった時お世話になった医師だった。ここは、私が入院していた病院から一時間以上も離れている病院だというのに仰天した。これも偶然ではなく必然なのだろうか。


その後、入退院を繰り返していた義母が八十年の人生に幕を降ろした。

我が家に来てから十年の歳月を一緒に暮らした人であったが(もっと愛すべき人であった)と今になると想う。実母の時もそうだったが(何故もっと、いろんな所へ連れて行ったり、美味しいものを食べさせたり出来なかったんだろう)と。限りある命を実感できない愚かさを、今の私も繰り返している。


 実母との別れは思ってもいない程早く来た。寝たきりで我が家にやって来た義母が、一番先に亡くなってしまうだろうと誰しもが思っていたのに、順番は全く違っていた。

ある日、母は足元がふら付き、路上で転んでしまったというのだ。膝と頭を打ち入院検査をすることになった。様子を見に実家へ行くと、ちょうど入院の準備をしているところだった。母は、心細そうに、

「転んでお凸をぶつけちゃって、ちょっと病院へ行って来るわ」

 この言葉を最後に、母が外を歩く姿を、二度と見ることができなかった。

(大した事はないだろう)との推測は裏切られた。

母の体は、長年の苦労の蓄積で悲鳴を上げ、〈過労、膠原病、腎不全、低血圧、栄養失調〉と、驚くべき診察結果が知らされた。看病のために、四人兄弟が代わる代わる病院を訪れたのだが、母の容態は一行に善くならず、一ヶ月もするとお腹に水が溜まりパンパンに膨らんでいった。母は幻想とも現実とも見分けがつかないのか、

「この方はどなた?」などと、誰もいない壁を指して、私に気味の悪い質問をした。

「え!誰の事?」

「今、部屋にいらした女性よ…」母は病室の入り口に目をやり、(くう)を見てそう言った。

(実の世界と、影の世界が本当にあるのかも?)と、坦々とした母の言葉に困惑しながら(もう死後の世界と交信しているのかもしれない)と思った。

それでも、この時はまだ、医療の力を信じていだ。

 そして私が看護当番の日、病室のベットにショッキングな母の姿を見た。母の両腕が白い綿紐でベットの手すりに縛られていたのだ。

「何で縛ってあるんですか?」と、看護婦さんに胸の詰まる思いで尋ねると、

「鼻に入れてあるチューブを取ってしまうんですよ」と、さらりと返答された。

酸素吸入のためのチューブを、何度言っても手で取り払ってしまうと、言うのだ。

「かわいそうです。こんなのかわいそうです。もっとちゃんと看護してください!」と、こんな言葉さえ言うことはできず、

「そうですか・・・」と、

喉まで出てきた抗議の言葉を飲み込んだ。

看ていても、可愛そうで仕方がなかった。

「ねえ、解いて!」と、母は縛ってある手を私に見せた。

 堪り兼ねて紐を解くと、直ぐに手でチューブを引き抜いてしまった。もう、ここに居る母は昔の母ではなくなっていた。

大正生れでありながらも高女まで学び、タイプ、書道、編物、洋裁、和裁、着付け、セールスと、何でもこなす才女であった。働き詰めで、女手一つで四人の子供を育て、我家も二度に及び建て替えてくれた。ついこの前まで、しっかりとした言動で家事もきちっと自分でやっていたのに、突然の変り様だった。ベットに横たわる母は、

「ぞうさん!ぞうさんよ!」と、言って、(くう)を眺め、手をバタバタとさせた。

 目にも白く幕が架かり、私の顔に焦点を合わすこともできなかった。

私はこの時初めて(もうだめなのかもしれない)と。

胸の奥に過去から蓄積された大きな津波が、音もなく押し寄せた。満杯に溢れたしょっぱい塩水は、顔のいたるところから吹き出た。

「お母さん!ごめんね」

 再び縛られた腕を正視することも出来ず、いそいそと母の傍を離れ、逃げ帰って来たのだった。

 その日の夜、病院から「母危篤」の連絡が入った。兄弟四人全員が駈け付け、母の周りを囲み最後まで改善を祈った。

「耳はまだ聞こえるから話かけよう」と兄が言った。

「お母さん、お母さん、まだ早いよ。めぐみだよ」

「めぐみが一番お母さんっ子だったから」と二番目の姉が言った言葉に、姉としての寂しさを感じた。

(なんでこんなに早く死ななきゃ成らないの)そんな思いで一杯だったが、母は「さよなら」も言わずに私たちの前から去って逝った。もっと、もっと、母にすべきことがあったはず。

もう、何もできない。母の成仏を祈ることだけ。

「お母さんごめんね。女手一つで私たちを育ててくれてありがとう、本当にありがとう。また私たちの周りに生まれて来てね」

 寒い日に母の告別式があった。


 この日に、なんと母の死を何も知らずに、遠くから二組の訪門客があった。

「久しぶりなので、おばさんはどうしているかと想い寄ってみたんです。まさかお葬式の日だったなんて!」と、その夫婦は驚きの言葉と共に涙ぐんでいた。本当にこんなことってあるのだ。

(虫の知らせ)だったのか、何年も会っていなかった人が母に会いに急に訪問してきたのだ。そして、もう一人の壮年も、

「昔お世話になったので、寄ってみたのですが残念です!でも、僕を呼んでくれたんですね・・・。」「おばさん、ありがとね」

 こんな遠くの人々をも引き寄せ、別れの挨拶をしに来てもらう母は、何と偉大なのだろうか。私達は、母の生き様を魅せられた思いがした。名誉も地位もない一婦人の葬儀なのに三百人以上の弔問客があったのだ。

(あなたの優しい姿がこの世から消えてしまうなんて!この悲しみを何に例えたらいいのだろう)大地を失う悲しさは、しばらくの間余韻を残した。


 そして、私たち夫婦の間で親と呼べたのは、同居している義母一人となったのだが、その義母も去っていった。私は午後の面会時間になると、義母の病室を殆ど毎日訪れた。病室の人たちは、足繁く通う私を、実の娘だと思ったようだが、嫁としての義務感、そして人としてのプライドがそうさせたのかもしれない。

 付き添い婦さんからは、

「おばあちゃん、夕べ大変だったんですよ!」

こんな愚痴をよく溢されたのだが、その日の声は神妙だった。

「中のものが全部出ちゃって、寝巻きからシーツまで大変でした」と、報告を受けた。

 この意味する所が、始めは分からなかったのだが、多くの人を看取っている人たちの知悉で、〈終焉〉を意味する〈知らせ〉である事が、私にはその夜に理解できた。

 饐えた臭いの病室を背に、

「じゃ、ばあちゃんまた来るからね」と、

出口で振りかえる先に潤んだ目でじっと見つめる義母がいた。義母は私のことをお母さんと呼んでいたが、最後に、

「お母さん、ありがとう」と、

語り掛けられているような気がした。やはり、その日の夜中、義母は他界した。親族が来るまで病院の個室で二人きりの時を過ごした。

(一生懸命に看病をしてあげられなかったこと)、(もっと楽しい思いをさせてあげられなかったこと)等、義母の枕元で詫びた。

「でも、私は生まれ変わりを信じているから!またきっと何所かで会おうね!ありがとう、また会う日まで!」と、語りかけた。


@生まれ変わり

人生の中で「絶対死ぬまで君を離さない」とか「絶対失敗しない」等と、確信をもって生きていても、自分自身がいつかこの世から百%の確率で、消えて居なくなるという事実を実感している人は皆無なのかもしれない。「諸行無常」といように、自然界のすべてが生まれては、日々変化をし消滅していても、自分がこの世から居なくなる事を頭では納得しても、信じたくはない。  


以前、友人と「人は生まれ変わるか」という事について口論をした事がある。

友人曰く「脳も体も有機質はすべて燃やせば灰となりガスとなって、私という存在はゼロ、無となる」という。

化学的には、これが正解なのかもしれないが、私は脳や体をコントロールする自身が永遠に存在すると思っている。何かの法則で再び形を持った命として、前回に生きた自分の〈生きざまの清算〉をこの世に引きずりながら、又生まれて来るのだ。

私は〈生まれ変わり〉を信じている。

産まれてきた赤ちゃんがすぐに〈おっぱいを吸う〉という、この一つの行動をとってみても、何処かで学習した記憶が蘇ってくるからに違いないと。

海亀が孵化した途端、方向を誤らず海へ行進して行くのも、地球の磁力だけでは説明がつかない。遺伝子の中に過去の記憶と共に、そこに過去の自分がいるのだと思う。この法則は、全く平等で〈自分自身でした事は自分自身で責任をとる〉という厳格な理に貫かれている。このことをどう捉えるかによって、今の生き方が大きく変わってくるのだ。

今だけの一回限りの人生であれば、人々は身勝手に生き、人の事より自分の事を優先に行動し、その結果として争いや犯罪が蔓延し地球は滅びへと向ってしまう。

 自分本意な生き方は、怒りを増幅し、人の能力を半減させ、自身や他人を不幸に陥れ、生きる喜びをもぎ取る。

夫婦喧嘩も同じで、いがみ合えば苦労を倍増し、労わり合えば苦労を半減させる事ができるはずだった。


@悲しい自由

子供達もみんな学校給食を受けるようになり、介護もなくなり、長い一日が私の自由となった。

(私は自由)

その感を深くしてから三年位の間、私はカルチャーセンター通いをして遊んだ。

今まで蓄積されていたものが、噴出するかのようにお稽古事に明け暮れる毎日となった。夫は稼ぐ人、私は使う人の典型的なパターンとして文化教養と称し、沢山のお稽古事を慣行していった。その他、区のボランティア活動まで社員のように努めていた。この金銭的にも、時間にも余裕のある人生に満足をしていた。

(今まで一生懸命遣って来たご褒美で、この悦な時間を貰っているんだ)と思っていたがタイムリミットがまた来たようだ。天はそんな私を放って置かなかった。


発端は、銀行との貸借争いに負け、我が家を捕られ、私が働かざる負えない窮地に立たされたのだった。よくある話だが、バブル時には必要もないのに銀行より融資を頼まれ、ある日返済を求められ窮地に立たされるという事例だ。

返済を廻り、今までの判例でも1%の勝ち目しかない銀行との戦いに挑んでしまったのだ。私達は勝訴を確信したが判決は正反対となった。

私達は法廷で誓って嘘は言わなかった。

しかし、銀行員は裁判官から諌められるほど小さな声で心を振るわせながら嘘の発言をしていた。この銀行員は、きっと上司の命令によって発言したのだろうが、一生自分自身に裁かれる立場で人生を送らなければ成らないのだ。心の自由こそ本当の勝利なのに・・・。

結果として私たちは、前に住んでいた家を捕られ、経済的にも大変な改革を迫られた。学費、ローン、食費、税金等々、毎月大変な額の支出をその後も余儀無くされ、切り詰められるものはぎりぎりまで節約したが、毎日の生活が恐ろしい程不安になっていった。 

これに伴い、夫は今までのキャリアを捨てて配送業の仕事を探してきたのだった。これには理解し難かったが、きっと(今すぐお金を稼がなくては)との責任感がそうさせたのだと思う。朝から真夜中まで働き詰めであった。日に日に老人のようになってゆく夫を見るのは耐えがたかった。私も見かねて配送の手伝いをしに行ったのだが、全身に蕁麻疹が出るほど抵抗を感じた。


浮気騒動にも耐え、両親の面倒も看て、ホステスまでやり一生懸命生きて来たのに。何でまたこんな苦労をするのだろうか。「人間万事塞翁が馬」というが、どんな運命が待っているのか、予測が付かない。やっと浮気騒動に決着がつき人生を楽しもうという時に、またしても問題を夫が運んできた。

「天は乗り越えられない難を与えない」というが、こんな難題を乗り越えられるのであろうか。私には余りある大きさだ。

それからというもの、家計を支える為に、真夜中まで一緒に仕事もした。帰りは熱い銭湯に寄り、疲れを解さなければ、明日は体が動かないという限界まで働いた。

辛いとか苦しいとか言う前に働かなければならなかった。過去を振り向いて嘆いてみても前には進まないのだから(働いて働いて働き抜くしかない)と心に決め重い体を引きずった。ヘトヘトの体で見上げた夜空には、光々と輝く満月があった。その澄んだ金色に輝く月に向かって

(絶対このままでは終わらないから!)と、晩年の成功を誓った。


そしてもう一つの困難は、ある金銭貸借の仲立ちをして、返済の矛先が夫に向き、追われる身となったのだ。私は何度も、家に訪れる先方の社長とお会いし、ただただ謝罪した。法律的に保証義務はないのだが、頭を下げるべきだと思った。

夫が帰らない夜が何日も続き、先が見えずたまらなく恐ろしくなり、寒くもないのに寝ていると自身の体の震えで目が覚めた。明日が見えない不安は日に日に募って行った。その時、

(家族のホームレスは確か見たことないよね)と、そんな思いが過った。


心凍えるようなある日、見知らぬ男性から電話が入った。

「ご主人が交通事故に遭われまして、いま病院に居ます」

(またか)

私は慌てて病院に駆けつけると、夫は待合室の椅子に座り、加害者と一緒に談笑をしていたのだった。私の心配とは裏腹で良かったという思いと、あまりにあっ気らかんとしている光景に腹も立った。

幸い入院する事もなく擦り傷で済んだのだが、衝突の瞬間、頭を打ち、普通なら即死状態のところを免れたという大事故だったのだ。この数か月、〈事故〉という言葉を何度聴いただろうか。夫は疲労も重なり、自動車事故を何回となく起こしていたのだ。

ある時は足を捻りギブスをするほどの重症だったのだが、生活の為に次の日から松葉杖を付きながら仕事に出て行った事もあった。

(もう今度事故になったら死ぬ)と想った時、夫に転職を勧める事を決意した。

私はこの男の営業力を信じていた。(何を売っても売れる男だ)と思っている。

「もっとあなたにあった仕事があると思うのよ。このままでは死んでしまうよ。社会に役立つ仕事が臨みだったでしょ。きっとあなたを雇う会社があるはずよ・・・」

と、言ってみた。途轍もなく頑固かと思うと、時に素直に私の言う事を聞くことがあるのだ。

夫は次の日から、就職活動を始め、今まで遣ってきた仕事とは全く別の仕事に就職先を決めた。沢山の応募者の中から夫が選ばれたのは良かったのだが、入ってみたら、経理内容が赤字の会社で、夫は火中の栗を拾いに行ったという結末となった。

倒産直前には、無給でも働いていた。家計は緊迫し一日の食費を切り詰めることでしかセーブの仕様がなかった。それでも精一杯を旨とする性格は、ここで培ったノウハウを見事に後の仕事に生かしていった。

数ヵ月の間、夫の無給が続いたのだが、国民金融公庫から借金をして、学費とローンを捻出し、その後どこをどう切り抜けたのか記憶にない程、必死に生きる毎日だった。なのに、これでもか、これでもかと難問が私達家族を襲った。

(一山越えるとまた一山。いつになったら大草原に辿り着くの。幾つ山を越えたら安穏は遣ってくるの。死ぬ前の五年間の人生が幸せなら、それで人は幸せなのかもしれない。でも、今その結果が見えなくて暗闇の恐怖を感じています。もうそろそろいいんじゃないですか!)

この世に人間の運命をコントロールできる存在があるのなら切にそう願いたかった。私はこのままではローンとのイタチゴッコで、終焉を見ることは出来ないと思い、夫に独立を勧めたのだった。危険な賭けではあったが、この男の力を信じていた。


その後、沢山の難問をクリアし、やっと名ばかりの小さな会社を設立することができたのだった。昔から望んでいた社会に役立つ環境保全の仕事を手がけている。これが最後の仕事として大成功してくれるよう祈らずにはいられない。

(自由に成る事は、決して時間を持つことでも、一人に成る事でもなく、強き自分を作る事にあるのだ)と一連の出来事から練磨された私の結論であった。



*リベンジ

 @籠の鳥

私は、家計を助けるため仕事を探す事と成った。

すでに会社を辞めてから二十年の歳月が経っていたのだが、この就職活動で私に何ができるだろうかと考えるより先に、就職には年齢が障害となる事を思い知らされた。  

求人広告の年齢制限は私の年齢より遥かに下だった。

私は家より五百メートル以内の勤め先を何故か探した。これ以上の距離は、その時の私にとって〈家〉から遠すぎたのだ。

家の斜め前にあるクリーニング店の募集広告を見て、電話を入れてみた。

「もしもし、求人募集を見たのですが」と結婚後、初めての就職活動を始めた。

「週何日働けますか?四・五日ぐらいは働いてもらいたいのですが!」

との店主の質問に、

「三日ぐらいではだめですか?」

と答えた。返事はNOであった。

私の中心はあくまでこの家にあった。家を守る事が二十年間、私の仕事だったのだから、頭も体も自然と家から離れなかった。

次に電話をしたのは、三軒隣りの企画制作の事務所だった。

「失礼ですがお幾つですか?」

「四十六です」

「ああ…うちは若い人を求めているので申し訳有りませんが…」

(若い人より良く働くし、発想だって負けないくらいユニークだし、人生経験も豊富で、あらゆることに対処できるのに)そんな自負が、受話器の中に虚しく響いた。


通勤時間三十分ぐらい当たり前の事なのに、〈この家の中〉だけが私の世界になっているほど、私は小さく生きていた。

次に電話をしたのは、駅前の喫茶店だ。独身の頃に喫茶店のアルバイトをやっていた事があるので接客には自身があった。

「九時から八時までのシフト制ですが、夜は大丈夫ですか?」

との店主の質問に対し、

「済みません。夜は家の事があるので五時頃迄ではダメですか?・・・」

少しでも時間が有ったら、家の用事をしたかった。あんなに嫌で嫌で仕方ない家事が私の心を捉えた。

「あの、お幾つですか?」

「四十六です」

 店主は間髪を入れず、

「すいません!三十五才ぐらい迄の方を募集していますので・・・」と、断られた。この十歳の差の意味するところは、おそらく容姿や記憶力が問題なのだろうが、今だってお客様の十人十色のオーダーを記憶する自信があった。

 家庭、子持ちであれば雇用人としても、使いづらいのは確かであるが、どんなに仕事ができるかよりも先に、この頃はまだ年令を優先されたのだ。

このどうにも変え様のない年齢だけで、千ある求人が十ぐらいに狭まってしまうのだった。

応募範囲を今度は隣の駅まで広げた。一番の目的は家計を支えることだが、(自分は何をしたいのか?)理想を頭の中で今一度、整理してみた。

(座って仕事が出来て、綺麗な仕事内容で、電話受けや制作に取り組める、家から遠くない職場。できれば隣駅の駅ビル内!)低次元の理想だったが、引き寄せる為に焦点を定めると、驚いたことに、まったく的中の勤務先を射止めることができたのだ。

隣の駅ビルにある特許事務所で、秘書兼、事務員兼、制作兼、雑用といった、何でもやらなければならない職場であった。

(私ならできる!)との思いと、(私にできるだろうか?)との思いが交差した。

それと言うのも、夫と知り合ってから働くといえばいつもの夫の手伝いばかりだったからだ。服の販売、経理と、すべて大門真一の仕事に関わるもので、私は社長夫人として誰からも文句を言われることのないポジションで、社員からすれば〈裸の大様〉だったのかもしれない。

結婚してから、始めて夫と関わりのない、この望み通りの職場で、精一杯働いて生活費を稼ぐことが私の課題だったのだが、それ以上の事をこの会社で学ばせて貰った。働くということに対して未熟な私は、ここの女社長に鍛えられた。

毎日、社長の気分で右往左往しなければならなかったが、社長の親戚の同僚が、

「あなたが一番長続きしているわよ」と一言。

初出勤から半月位で、褒めて貰っているようで嬉しかったが、正直驚いた。

「やっぱりそうですか・・・」

社長の気性の強さに、短い人では2日目、長くても1週間で辞めていったそうだ。

それからは、その言葉が身に染みて分かる出来事が次から次へと起きた。

すべて、人の所為、物の所為にして、自身の反省など微塵もなかった女社長を相手に、溜息交じりではあったがステップアップした私の人生が始まった。

ある日、応接室のソファーからお尻が滑り落ちた時など、よっぽど恥ずかしかったのか、

「このソファーがいけないのよ、買い替えなくちゃだめね」とソファーを買い替えさせるよう指示をしてきた。私はカタログを取り寄せ、何の支障もないソファーの買い替えの手配などもした。そして、この社長の浮気相手の連絡役にもなっていた。

ご主人は金の太いネックレスをして、一見裏社会の人に見えた。浮気相手の男性はそれに反し、優しい面立ちをしていた。国庫の役員をしていたためバレたら大変なことになるのは私にも分かった。電話でのやり取りでは済まない事を私に仕事として頼んできたのだ。どこの夫婦も、男と女が結婚し一生その人だけを愛する純愛などあり得ないのかもしれない。


ローン返済や借金返済請求の恐怖の中、私は二年間この職場へ自転車で通い続けた。ヒステリックな女社長の子守にも疲れたが、もっと理想の仕事ができるのではないかと思うほど、私は成長していた。

しかし、自分でも不可解に思うほど、家から遠い職場には行きたくなった。行動半径三キロという狭い範囲の職場を探した。私は狭い篭の中からでも鳴き続けることにした。

きっと外界から色んな鳥たちが遣って来て、私を外へと導き出すその時が来るまで、鳴きながら待つ事にした。

A「何でそんな狭い篭の中に入ってるの?」

B「だって雨に濡れないし、毎日、餌をくれるし・・・」

A「外へ出てごらんよ。楽しいことが一杯あるよ」

B「恐くないの?カラスや見知らぬ人間がいじめてくるでしょ!」

きっと、籠の中の鳥と、外界の鳥が話したらこんな会話をするのだろうか。 

私の篭は、「家庭」だった。



@麻畝の性

その後、さらに理想の仕事を引き寄せられるよう、また新たな妄想をしてみた。

(家から三〇分以内の職場、一流企業、奇麗なオフィース、高収入、VIPを相手にする仕事)こんな贅沢な理想を掲げ、新聞折り込みの求人広告を隅から隅まで眺めた。

これに近い求人広告を見つけのだが、一つだけ私が意としない項目があった。

「営業職」

営業は私にとって初めての挑戦であったが、その他は理想のキーワードに全て当て填まるものだった。

(自分が変われば人生は変わる)意を決死て面接に行くことにした。

そして、この富裕層を対象にする営業職に採用され、また私の人生のハンドルを切ることになった。入社してから、(私には営業の才能があるのかもしれない)と思うほど、楽しく成績も上げ、六か月目にしてトップセールスウーマンとなった。

年を重ねていくと、仕事を得ることさえ難しくなってくるが、人に認められ、健康で働けることのありがたさが段々と分かってきた。会社でも、家族でも、社会でも、誰かの役に立って、お金を稼いで行けることが、ただ安穏と空しい毎日を何もすることなく暮らすより、ずっと価値のある生き方なのだと実感した。

この半生は、誰かの所為でなく、「因果応報」私の所為なのだ。簡単な言葉では、「類は友を呼ぶ」と云う諺があるが、同じ魂のレベルとでも云うべき人と縁を持つ。私は迷い続けて、結果、自分の判断で夫「大門真一」を選んだのだ。

時代が時代なら、政略結婚という個人の意思を無視した結婚を押し付けられもしたが、私は、「ジェットコースターのような人生」を自分で選択し、自分の足でそれに乗ったのだ。乗り換えもいいかもしれない。ただ、自分が変わっていなければ、選ぶのはまた同じような乗り物なのだ。


私は、あんな事があっても、本気で離婚手続きをしようと思った事は無かった。

〈篭の中の空間を愛する故か〉、〈主人に対する情の故か〉、はたまた〈子供たちの  為か〉、〈未だ且て、素敵な男性に巡り逢えていないのか〉は分らないが、何十億人の人間の中から出会い、夫婦となった〈一期一会〉にきっと意味があるのだとも思っている。

夫は浮気について、

「自分自身でも、どうにも止めようがなかった」と自戒していたが、男と女の間には理性や信念、ましてや道徳では解決のつかない〈生き物〉としての奥深い性があるのかもしれない。左利きを右利きに直すことさえ、簡単にはいかない。

自分の言動や癖や行動も、コントロールできない繰り替えされた(さが)が命に染み付いて、時を得て出現してしまうのだろうか。

次か次へと押し寄せる事件に、生きること自体への恐怖を感じることもあったが、苦労や悩みなどない人生なんて在り得ないのだ。

冬があればこそ、春の暖かさや、花の美しさに感動し、野球でも、抜きつ抜かれつの激戦の末、九回裏の逆転ホームランで勝利する。こんな手に汗握るゲームが面白い。

辛いことの来襲は、幸せになるためのプロセスなのだ。


私の半生にも、沢山の苦しみの中にも、沢山の幸せが散りばめてあった。更なる人生の高見に向かって生きるには、幾つからでも遅くない。

(夢を具体的に揚げ、それを紙に書き留める。そして成功を何度もイメージし、確信する)このイメージトレーニングを続けた。

人は意志の趣くままの人生を歩むことができるというが、強い意志がこれを可能にするのだろうか。私は、今まで何ひとつ自分自身で切り開く事の出来ない、夫に寄り掛かりの生き方をしてきたように思う。  

私の半生の大概の出来事は、夫の生き方に関わっている事を改めて感じさせられた。知らず知らずのうちに、麻の茎に絡みついた蔦のように、気が付いたら同じ方向へと、伸ばされていたのだ。決して麻のように、天に向かって真っすぐとは伸びてはいなかったが、紆余曲折を味わいながら成長してきたと思う。

破天荒な夫に仕え〈妻〉として生きていくことが、この人生に与えられた課題なのだろうか。女は夫という伴侶によって自身の生き方にも影響を受けるが、そうゆう伴侶を選択したのも偶然でなく自分の生き様なのだ。

夫婦という対の人間関係こそ、お互いの汚濁を、時には罵り合いながらも練磨していくという、人間構築に必要な相棒なのかもしれない。抗っていた魂が住む私の脳は、やっと未来への希望に溢れている。

混迷する世の中で、私とは比べ物にもならないほど大変な人生を懸命に生きている人は沢山いるけど、この人生は私だけが味わったこと。

私は、今まであった我家での騒動を決して無駄にしないとの思いで、今後の人生のリベンジを計画した。

自分史を本として出版する。歌を作り、世に出す。絶対に心から幸せだったといえる人生の結末にする。



@未来予想図

 私が七十歳の時、沖縄に別荘を購入した。ここには、コバルトブルーの海と、宝石を散りばめた夜空、豊富なフルーツに食材、そして、優しい人々。あらゆる事が生活習慣にマッチしていた。家も中古住宅ではあったがリフォームをし、壁は黄色に近いクリーム色に塗り替え、庭には石畳の緩やかなカーブを描いた小道を造った。室内の家具は現地で揃え、まるでタイの王室のような部屋になり、爽やかな風が通り抜けた。

何でこんな余裕が出来たのかといえば、私の作詞による印税がそれを成したのだった。それが現実のものとなったのは、私があるコンテストへ自作の詩を応募したのが切掛けだった。不意に思い付いた作詞が賞を取り、それが街に躍り出たのだ。

CDは二曲のカップリングで発売したのだが、メインの曲「自由な空」でなく、カップリングで裏面とでもいうべき「シルバーレディー」という曲が予想に反してヒットをしてしまった。詩の内容はこうだった。


【シルバーレディー】


道に咲いてる タンポポが

アスファルトを 突き抜けて

誰も見てない 夜中でも

天を目指して 伸びていた

信じられない パワーです

シルバーレディー シルバーレディー


もしもし私 騙してる

素敵な声の お兄さん 

あんたの後ろ 老婆(ばあ)さんが

立って見ている 笑ってる

信じられない 事件です

シルバーレイディー シルバーレイディー


幾つも山を 越えたけど

今が一番 綺麗だね

この世に無駄な ものはない

行き先なんか 分からない

信じられない 人生よ 

シルバーレイディー シルバーレイディー




【自由な空】


優しさって とても罪なの

裏切りの あの日の涙 

鏡に映らない 貴方の姿  

鳥のように 自由に泳いでいくのね

大きな空は 私の中に

自由な空は 私の中に


幸せって 不意に訪れる 

夢のような あの日の涙  

廻り来る季節に 抱きしめられて

鳥のように 自由に泳いでゆくのよ    

輝く世界 私の中に

煌めく世界 私の中に


大きな空は 私の中に

自由な空は 私の中に


何万と作り出される歌は、時の力を得てひとりでに躍り出ることもあれば、プロジェクトを組み戦略的に創られることもある。

私の歌は前者であったが、自分でも信じられないほどの結果を生んだ。

この歌を唄ったのは三人組の女性で、名も知られていない歌手であったが心に響く歌声であった。某レコード会社からこの歌は出され、三十万枚を超えるヒットを出したのは、発売されてから一年が経った時の事だった。

結果的にこの歌のヒットにより私は自由の身となった。

生活スタイルの選択の自由、余暇の自由、そして、伴侶を選ぶ自由さえ得た。


私は晩年、こんなふうに自身の未来予想図を描いている。


屋根の下の小さな空間に押し潰されることなく、

妻よ大志を抱け!


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