第一章9 「街でカネなし」
朝焼けの余韻がまだ残った青空を見上げながら、ここは本当に異世界なのだなぁ、とぼんやり思う今日このごろ。超常的な力が日常で使われているとは……。
「まさか、魔法を使えないとは思わなかった……」
呆れた声が背後から聞こえてくる。ジトッとした視線を後ろから感じながら振り返ると、家から出てきたフィオネさんと目があった。
魔法を使えない。そもそも魔法ってなに? という無知な、この世界の常識では考えられない人間だと知られたからだ。故に彼女は驚き、最初に言っといてくれ的な感じで呆れてしまっている。
きちんと異なる世界から来たと説明する時に魔法は存在しないと言っておくべきだった……。そのせいで、フィオネさんだけでなくジルさんも魔法が使えて当たり前という『この世界』の常識で捉え、俺が普通に魔法を使えると思い込んでいたらしい。
「仕方ないじゃないですか、……違う世界から来たんですし」
「そんなこと言われてもねぇ……」
昨日は、異世界から来た人間などというぶっ飛んだ話題のせいで魔法関係の話はしていなかった。おそらく、この世界ではあって当たり前の魔法が地球では存在していない、なんて発想には思い至っていなかったのだろう。
まあ、この件に関しては全面的に俺が悪い。聞くべきことを聞けていなかった自分の落ち度だ。
ネリスに魔法のことで驚かされた後。とりあえず、ネリスの出した水で手を洗わせてもらい、食事を取った。その最中に、フィオネさんへ魔法のことを知らない使えないことを話したのだ。
最初は疑われ、冗談言わないでよ、と引きつった顔で言っていたが……。俺が気合いを込めて「はぁっ!」とか「ふぅっ!」とか恥ずかしいかけ声と共に水や火を出せないことを証明した。すると、彼女は頭を抱え盛大なため息をつき、しばらくしてがっくりと項垂れてしまったのだ。
おそらく、魔法が使えないことによってどれだけ生活に支障が出るのかを考えてしまったのだろう。それを考えると、俺もため息をつきたくなる。
水や火は生きて行く上で必要不可欠なモノ。この世界ではそれを魔法で生み出し、暮らしている。つまり、ライフラインに直結しているのが魔法なのだ。
そんな日常生活で必要な生命線を使えない。その事実がどれだけ大変かつ面倒なことか……。どんな人だって分かるだろうさ。これがどれだけ重要なことなのか、言葉にせずとも理解できる。
なんとも微妙な雰囲気の中、食事を終え、とりあえず買い物に行こうと、今現在に至る。
ちなみに、ジルフィーナさんは仕事で、ネリスは遊びに行った。
「……まあ、これから覚えていきますよ」
「……不安だわ」
「……誰でも使えるなら、俺にも出来るようになる、はず……。たぶん……」
食事中にそう言っていたはずだ。魔法は誰でも使えるはずなんだけど、と。……その常識が俺に当てはまるかは分からないが。
というか、その常識を抜きにしても魔法を使えるイメージが湧かない。あんな不可思議で漫画的な力を、こんな俺が本当に使えるようになるのだろうか?
「これまで一度も魔法を使ったことがないんでしょう? なら、魔力の感覚もないはず」
魔力。MPみたいなもんだろうな。数字とか、パラメーターという形でなら想像出来る。今は何も感じないけど。
……そもそも、魔力が俺の体の中に存在しているのかさえ分からないんだが。
なんか、とっても不安です。
「あの、俺に魔力ってあるんですかね?」
「……どういうこと?」
「いや、自分で言うのも何ですけど、俺って非常識な存在じゃないですか。だから、フィオネさんたちみたいに、ちゃんと魔力があるか不安になって……」
「……ちょっと、手貸して」
「あ、はい」
言われた通り、右手を差し出す。すると、フィオネさんが俺の手を両手で包み込んでしまった!
固まるというのはまさにこのこと。心臓が徐々に脈動を強め、手から熱が伝わってくる。その熱に浮かされたように顔が少し熱くなってしまう。心はソワソワと落ち着きがなくなっていく。
俺のド緊張などなんのその、フィオネさんは目を瞑って何かに集中し始めた。一体何をしているのか全く分からない。それを考察している余裕もない。
俺の神経は自然と、右手から伝わる感触を全力で脳へ伝えてくるようになる。
ああ、女の子の手ってこんなに柔らかいんだ……。ていうか、スベスベしてる。気持ちいいなぁ……。
(……はっ!? 俺はなんて気持ち悪いことを考えてるんだ!?)
いくら少し気になる異性だからって、少しどころか超気にしている異性だからって、これはあまりにもキモい。いくらなんでも女性に免疫なさ過ぎだ! 放置してたら犯罪に走ってしまう可能性を考慮してしまうくらいにはヤバい!
(いいか俺! 冷静になるんだ!)
フィオネさんのことだ。この行動にも何か意味があるはず。
今の話の流れからしておそらく、魔力が俺の体に存在しているかどうかを確認しているのだろう。うん。そしてそのためには、直接肌を触れ合わせる必要があったのだ。きっと。
よし、オーケー。俺は冷静になった。クールガイだ。もう大丈夫。
これであんなキモいことは思わずに……。
「ーーはい。もういいよ」
フィオネさんの温もりが離れてゆく。
いやまあ、分かるんだけどね? 心も落ち着きを取り戻していくけども。……ちょっぴり寂しい。
「大丈夫。ちゃんと魔力の感覚は感じたし、きちんと魔膜も張ってある」
「ママク……?」
謎単語が増えた。ママク? ……マスク?
「魔力の膜。誰しもが心身を守るために無意識に体を覆っている魔法の障壁のこと」
「へぇ……」
分かったような、分からなかったような。皮膚みたいなものだろうか。
「私が探った限りだけど、ナオヤは魔力量が多いと思う。……たぶん、普通の比じゃないわね」
……正直、そんなことを言われてもピンとこない。普通じゃないってなんだ? 曖昧すぎる。
「具体的にはどれくらい?」
「さあ? 私はぼんやりそう感じただけだし」
普通の比じゃない、か。嬉しいような、嬉しくないような。というか、なんで俺の体にそんな魔力量? とやらがあるんだろう。
……まさか、俺が異世界転移したことに関係してるとか? 可能性はなくはない。まあ、仮にそうだったとしても、証明する手段はないが。
「けどいい? そのことで調子に乗らないこと。どれだけ魔力が多くても、それを扱える技量と賢さがなければ意味ないんだから」
フィオネさんはそう言って、さっさと歩き出した。
……なぜだろう、少しイラついているような雰囲気を一瞬感じた気がする。それに、心なしか歩くのが速いような……。
そもそも、調子に乗ることなんて出来ない。魔力だとか魔力量のより具体的な知識を知らないんだから。他の人とどれだけ違うのかもわからないし……。
いや、読み方でなんとなく察することは出来るけど。それだけでは限界がある。
「置いて行くわよー!」
「あ、今行きます!」
……出来ればもう少し詳しい事を知りたいが。今は難しそうだ。何故か彼女、苛立っているように感じるから。怒らせたくない。
フィオネさんの忠告通り、人より少し魔力が多いくらいの認識にしておくことにする。魔法関係の知識は、またいずれ聞こう。
***
フィオネさんと共に、先ほどまでとは違い石造りの建物が軒を並べる街へと下りてきた。
「おお……!」
森と自然に囲まれた住宅地より人が多く、様々な人が歩いている。
ジルフィーナさんたちのように尖り耳のエルフは勿論、ケモ耳と尻尾を生やした獣人っぽい見た目の人たちも歩いていた。
それに、もの凄く厳つい顔をしたどこからどうみてもオッサンな人がネリス並みに背が低いという謎に満ちた人物までいる。あれは小人、と言っていいのかどうか分からないが、それに近しい何かだろう。エルフのように種族名称的なのがあるかもしれない。
そして、馬車に乗った商人っぽい人が、護衛だと思われる武装した集団と話し込んでいた。
剣や盾、鎧を平然と装備して街を歩いている様は、俺にとっては異様だ。しかし、誰も気に留めた様子はない。
これが、ファンタジー世界では普通の光景なのだろう。びっくりだ。
「ちょっと、キョロキョロし過ぎよ」
「あ、すみません……」
さっさと歩き出すフィオネさんの横に駆け寄る。近過ぎず遠過ぎない距離を見定め、歩調を合わせて歩く。そこでふと思う。
(ちょっと待てよ……。この状況ってまるでデートしてるみたいじゃないか?)
一度そう考えてしまうと、どこからどう見てもデートとしか思えなくなっていく。……なんだか、楽しくなってきたぞ。
実際は違うのは理解しているが……、こう、楽しい気持ちでいたいし? 未だに薄暗い俺の気分も少しは良くなる気がする。
「あの、これからどんなお店に行くんですか?」
「まずは古着屋ね。その後は街を軽く案内するから、その時に必要なものを買っていくわ。あと、欲しいものがあったら言って」
「え、いいんですか?」
「値段が高くなければ」
欲しいもの、欲しいもの……? 思いつかない。そもそも、この世界に何があるのか知らないんだから仕方ないか。というか、フィオネさんに買ってもらうばかりじゃデートとは言えないんじゃないの? ここは男の俺が払うべきで……。
(ええっと、財布は……)
ズボンのポケットに触れる。何にもない。後ろポケットに手を突っ込む。……何にもない。
そして、俺は重大な事実を思い出す。
……俺、お金も財布も持ってなかったわ。