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20/26

20、真夜中の晩餐会


 レドが来ない。


 毎晩欠かさず訪れていた悪魔が、今日はまだ来ていない。別におかしくはないだろう。そういう日だってある。


 でも、と私は気になった。明日も来ると、別れ際に悪魔は私に言った。彼は気紛れだけど、交わした約束は絶対に違えない。


 何か、あったのだろうか。


 一度気になり始めると、居ても立っても居られず、私は寝台を降りていた。部屋をそっと抜け出し、外へ行こうと階段を下りていく。


「どこへ行くの、お姉さま」


 蝋燭の光に照らされて浮かび上がったのは妹の姿で、義母ではなかったことにほっとする。


「マーガレット。まだ起きていたの?」

「ええ。少し考え事をしていて」

「でも……」


 妹は正装をしていた。パーティーからの帰りかと思ったが、妹は違うと否定する。


「これから大切なお客様をもてなすの」

「お客様? でも……」


 もう真夜中も過ぎた、こんな時間に? と困惑する私をよそに、妹はええそうよと笑う。


「ねぇ、それよりお姉さま」


 近寄って妹は私の腕を掴んだ。小さな手に込められた意外な力強さに驚く。


「マーガレット?」


 化粧をしていても、よく見れば妹の顔は今にも倒れてしまいそうなほど蒼白であった。


「どうしたの、マーガレット。あなた、顔が真っ青よ」

「どこに、行くつもりだったの?」


 教えて、と繰り返す妹。私は答えに窮した。悪魔を探しに行こうとした。そんなこと、言えるはずがない。そもそもどうして突然そんなことを尋ねるのか。


「教えてくれないの?」

「マーガレット、私は……」


 どう説明しようかと必死に考えていると、妹は突然笑い始めた。普段お淑やかに微笑む妹からは考えられない笑い方だった。


 ぎょっとする私を気にもとめず、妹はしばし狂ったように笑い続けた。暗い部屋に響き渡る妹の笑い声は決して小さな音ではない。誰か一人くらい起きてきてもいいはずだが、不思議と誰も来ない。


「ふふ。ねえ、お姉さま。お姉さまが探しているのは、あの男でしょう?」


 ようやく笑いがおさまった妹が私の顔を覗き込みながら確かめた。


「あの男って、誰のことかしら……」

「隠してもだめよ」


 私の一瞬の動揺を妹は見逃さなかった。何もかも全部わかっているんだから、と妹は口元を歪める。


「このところ毎晩二人で会っているのでしょう? それをお姉さまは楽しいと、そう思っているのでしょう?」

「マーガレット、落ち着いて。どこでそんなことを聞いたの?」

「あら、認めるの?」


 先ほどとは打って変わって、妹は嬉しそうにはしゃいだ様子を見せた。まるで酔っ払っているかのような急変ぶりに、私はただ困惑するしかない。


「お姉さまがあの男と仲良くしていらっしゃると、スピアが教えてくれたの」

「スピアが?」


 そんな馬鹿な。レドと会っているのは、真夜中で、会うのもいつも二人きりだ。


「どうして彼が……」


 まさかあの日一緒に飛んだ姿を見られてしまったのだろうか。それとも……


「そんなこと、どうでもいいじゃない」


 妹は私の手を取ると、行きましょうと微笑んだ。


「どこへ行くの?」

「その男を交えてパーティーをするの」




「――やあ。待っていたよ」


 私たちを出迎えてくれたのは、同じように正装したスピアだった。


「彼ももう少しで来ると思うよ」


 部屋の中はテーブルの中央に置いてある燭台の光で明るかった。私と妹、スピアの他には誰もいない。


「さあさあ。遠慮せずに座って」


 スピアに椅子を引いてもらい、私は促されるままに座った。テーブルには妹のお気に入りの料理が山のように置いてある。


「きみの好きなものがわからなかったから、マーガレットの好きなものを用意したんだ」

「スピア。これはいったいどういうことなんですか」


 説明して欲しい。

 けれどスピアは微笑むだけだ。


「まあまあ。細かいことはいいじゃないか。ほら、楽しもうよ」


 何かがおかしい。そう思っていても、スピアに言われると逆らう気持ちがスッと消え失せてしまう。


 ――そう。そんなことどうでもいい。楽しいことが一番大事。


「お姉さま。いただきましょう」


 違う。もう食べる必要はない。お腹なんか空いていない。夕食だってきちんと食べた。


「いいから、いいから。ほら、食べなよ」


 スピアが肉を切り分け、皿によそってくれた。


「どうしたの? 食べないの?」


 青い目が、私を見つめる。――彼に給仕係のようなことをさせてしまった。申し訳ないという罪悪感。ここまでしてもらったからには食べないと、いけない。許されない。彼に逆らうことは、できない。


「……そうですね。せっかくですもの。頂きますわ」


 ゆっくりと、私はナイフとフォークを手にしていた。どうぞ、と促され、機械的に口の中へ運ぶ私を、スピアも妹も満足そうに眺めている。


「どう? お姉さま」

「ええ、とっても美味しいわ」

「よかった」


 どの料理もとても美味しくて、間にスピアが話してくれる会話も面白い。スピアは笑った。妹も笑っている。二人ともとっても楽しそうで、私も嬉しい。楽しい、と思う。


「お姉さま。さっきは誰に会いに行こうとなされていたの?」

「え、誰だったかしら……」

「忘れてしまったのかい?」

「ええ、そう、みたい。たぶん、寝付けないから少し夜風に当たろうと思っただけよ」

「あら、そうだったの。心配して損したわ」

「ふふ。ごめんなさいね」


 先ほどまで何を考えていたか、焦っていたのか、どうでもよくなってくるほど。頭がぼんやりとしてきて、水の中を漂っているような、お酒に酔ってしまったような、ふわふわした気持ちだった。頭がはっきりしなくて、気持ち悪いようで、ひどく気分がいい。


「お姉さまは、ずっと私と一緒にいて下さると約束して下さったものね」


 ね、お姉さま?


 とても大事なことを忘れている気がしたが、後でもいい気がしてきた。忘れてしまうくらいだから、さほど大切なことではない。


 ――本当に?


「お姉さま?」


 こめかみを押さえた私に、どうしたの? と妹が心配した様子で立ちあがった。私は大丈夫と微笑んで見せようとする。


「少し、頭が痛くなっただけ、それだけだから、心配しない――」


 りんごだ。私の目にりんごが映った。何でもない、ただのりんごが。誰だって一度は食べたことがあるはずだ。もちろん私だってある。


 いつ? はっきりとは思い出せないけど、そう昔ではない。最近? 一人で……ううん。誰かと一緒だった……亡くなったお母様? 違う。お父様だった気もする。新しいお義母様か、妹……いいえ、違う。


 文句ばっかり言っていた誰か。仏頂面で、おいしいと言ってくれた誰か。おまえも食べろと言ってくれた誰か。初めて人と食べるのが楽しいと思った誰か。


 枕元にこっそりと置いていった――


「レド」


 どうして。霧がかかっていたような頭の中が、突然ぱっと開けた。


 そうだ。私はレドを探しに行く途中だった。とても大切な用事だったのに、どうして忘れてしまっていたのだろう。どうして呑気に食事なんてしていたのだろう。やるべきことが、聞くべきことが、たくさんあるのに。


 頭を振り、妹へと目を向けた。


「レドは、どこにいるの?」


 妹は答えなかった。いや、答えられない、といった感じであった。


「あーあ。やっぱりだめだったね」


 代わりに答えたのは、妹の隣の席に座る美しい婚約者。


「それでどうするの、マーガレット」


 スピアの青い目が、妖しく輝いた。




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