14、神父へのお願い
「それで、話というのはいったいなんだ?」
二人きりになると、神父は単刀直入に聞いた。初対面の時に見せた丁寧さは、そこにはもうなかった。どこか怒っているようにも見えるのは、気のせいだろうか。
「これが私の素だ。聖職者というのは、内面だけでなく外面までこうあるべきだという理想を求められるからな」
「大変なんですね」
ああ、とにこりともしない顔で神父は頷いた。
「それから、きみにバケツの水を浴びせられたせいでもある」
私はさっそく本題に入ることにした。
「あの、レドが悪魔……に取り憑かれた人間だということは、両親には話してはいないのですか」
「ああ。不用意に怖がらせてはいけないと、極力話さないようにしている」
なるほど。極力話さないように……
――恐らくその男は、悪魔に取り憑かれているのです。
――お前が悪魔だな!
――目の前にいるのは悪魔だ!
「私は出会ったその日に伝えられたんですが」
「……あの時はすぐに悪魔を追い出すことができると思ったからだ。きみがバケツの水を浴びせなければな」
じとっとした目で神父は言った。どうやらそうとう根に持っているみたいだ。
「……まあ、それはいい。それで話というのは何だろうか。ああ、いや、そんなのは決まっているな。あの人間に取り憑いている悪魔を追い払って欲しいというのだろう。案ずるな。私がいるからには、必ずあの悪魔を――」
「いいえ。その必要はありません」
聞き分けのない娘を叱る父親のように神父はしかめっ面をした。
「きみは私のことを何か誤解していないか? 私はあの人間を傷つけようとしているのではなく、元の人間に戻そうとしているのであって――」
「レドは悪魔に取り憑かれた人間ではありません」
は? という表情をした後、すぐに「馬鹿なことを言うな」と神父は鼻で笑った。
「そんなはずはない。他は騙せても、私は誤魔化されないぞ。やつは間違いなく、他の人間とは違う」
レドは完璧に人間の姿をしている。私にはそう見えるが、やはりわかる人にはわかるのだろうか。悪魔退治の専門家、を名乗るだけのことはあるみたいだ。
「ええ、あなたのおっしゃるとおり、レドは普通の人間ではありません。なにせ悪魔そのものですから」
神父は目を見開き、絶句した。
「悪魔そのもの、だと?」
「はい」
神父はじっと私を見つめた。その目は、どこか非難するような険しいものがあった。
「失礼だが、きみが悪魔を召喚する術を知っているというのは本当か?」
「ええ、知識としては知っております」
「実際に召喚したことは?」
「いいえ、ありません」
少なくとも私は。神父は本当か? と疑わしそうな目で、真実かどうか見極めている。
「そもそも、悪魔を召喚するなど、絶対にしてはならないことなのです」
悪魔は狡猾で、嘘をつく。願いは叶えてくれるけど、対価に魂を望む。よほどの覚悟がない限り、悪魔を召喚してはいけない。
魔導書を初めて渡された時、一番最初に母にきつく言われたことだ。
「……まあ、今はそういうことにしておこう。口ではどうとでも言い繕うことができるしな」
それに、と今や神父の顔はなぜか生き生きと輝いている。
「やつが本物の悪魔だというなら、手加減する必要は一切ない」
そうか、と神父は謎が解けた顔をした。
「きみが伝えたかったことはこれだな? あの悪魔を容赦なく地獄へ送り返せと、そう伝えたかったんだな?」
「違います」
なに? と神父の片眉が上がる。
「ではどうしてわざわざ二人で話す機会を要求したりしたんだ」
「あなたがレドのことを誤解なさっているようでしたから、それを訂正しようと思ったのです」
意味がわからない、と今度は眉間に皺が寄せられた。こうしてみると、意外と表情豊かな人だなと思う。
「あなたはレドのことを悪逆非道だとおっしゃいましたが、それは違うと言いにきたんです」
「だがやつは、悪魔だぞ」
「悪魔だろうがなんだろうが関係ありません」
きっぱりと言い切った私に、神父はポカンとする。
「彼は優しい悪魔です。たしかに言葉づかいが乱暴で、短気な所もありますが、困っている時には手を差し伸べてくれる優しさも、きちんと持ち合わせています」
「いや、きみはあの悪魔に騙されて……」
「人を無暗に傷つけたりもしません。嫌がることも。そうするのはそれ相応の理由があるからです。レドは……」
私は神父の目を真っ直ぐと見つめて言った。
「レドはあなたの思うような悪魔ではありません。それだけは誓って言えます」
あの日言えなかったことを、私はようやく神父に伝えることができた。神父は口を薄く開いて、信じられないように私を見ていたが、やがて深くため息をつき、やれやれと疲れたように頭を振った。
「なるほど。あなたはたしかに優しい人だ。私よりもよほど聖職者に向いている。なにせ悪魔にすら慈悲深い心を持ち合わせているからな。それとも、幼い頃から悪魔を召喚しているおかげで情が湧きやすいのか?」
神父からすれば、悪魔は悪そのもの。いわば自分たちの敵。そんな存在を擁護する私は、気が触れた女にでも見えるのだろう。
「悪魔を退治しないで欲しい。ここに置いてやって欲しい。きみが言いたいことは、つまりはそういうことだろう?」
「前者は否定しませんが、後者は無理だと思います」
両親にレドのことがばれた以上、この屋敷に置いてやることは難しいだろう。義母の性格からしても、レドと衝突する可能性は大いにあり得る。
レドのことを考えるならば、もうここにはいない方がいい。
――本当にそれでいいの?
その声を無視して、私は顔を上げた。
「あなたにはレドを傷つけないで欲しい。それだけをお願いしたいのです」
神父は理解し難いという顔で私を見ていた。
「きみは自分が何を言っているのかわかっているのか。悪魔を……」
言いかけていた言葉を切り、神父はハッとしたように辺りを見まわした。
「クロード神父?」
「いや、何でもない」
神父は何かを考えるように黙り込んだ。そしてなぜか突然立ち上がった。私もつられて立ち上がる。
「きみがそんなに悪魔を庇うのは、もしかしたら悪魔が憑りついているせいかもしれない」
一体何を言いだすのだろうか。
「クロード神父。私はいたって正気です」
「悪魔に憑りつかれた人間は、みなそう言うんだ」
こちらに近づいて来る神父から逃げようとするも、いつの間にか壁に追い詰められてしまった。壁に手を添え、ゆっくりと神父は私に覆いかぶさってくる。
「大丈夫。怖いことは何もない。きみは私に身を委ねてくれればいい」
ゆっくりとその顔が近づいてきて――ふわりと神父の身体が浮き上がった。
「おい。何勝手にミシェルに触れようとしてんだよ」
「レド」
どうしてここに。黒い翼を広げた悪魔姿のレドが、神父の首根っこを掴んで浮かんでいた。苦虫を噛み潰したような、とても不機嫌な顔である。対して神父は自分の置かれている状況も気にせず、ニヤリとほくそ笑む。それは実にいい笑みであった。
「ふっ。出たな悪魔。まんまと私の罠に引っかかって」
「クロード神父はレドの存在に気づいていたんですか?」
「ああ。うっすらとだがな。気配がした」
なるほど。
「つまり先ほどの行動は、すべてレドをおびき寄せるための演技だったんですね」
「ああ、ご名答だ」
「って、なに納得してんだ。馬鹿!」
ぽいっと神父を床に投げ出すと、レドは目を吊り上げて私を叱り始めた。
「あれほど言ったのに、おまえは毎回、毎回、本当に……コイツが本気で襲いかかっていたら、どうするつもりだったんだ!?」
床にうつぶせになっていた神父ががばりと顔を上げた。
「私はそんなことはしない!」
「うるせえ! 俺をおびき出すためだったとしても、ダメなもんはダメだろ!」
レドの最もな正論に、うぐっと神父は口をつぐむ。まあまあ、と私はレドをなだめた。
「大丈夫ですよ、レド。あと少し顔が近づいてきたら頭突きしようと思っていましたから」
そして相手が怯んだ所で急所を狙う予定だった。
「きみはそんなことしようと考えていたのか……」
神父は少し怯えた目で私を見上げたが、正当防衛である。
「はあ……おまえらといると疲れるわ」
レドがぐったりとした様子で人間の姿へ戻った。
「それより、レドはどうしてここに?」
「朝からおまえの様子がおかしかったら、こっそり後をつけてきたんだよ」
悪びれた様子もなく、レドは堂々と言った。私がやや呆れた目で見ると、悪魔はふんとそっぽを向いた。
「案の定危険な目にあいやがって……というか、なんでこんな男と二人きりで会ってんだよ」
「おい、こんな男とはどういう意味だ!」
神父が素早く異議を唱えたが、レドは無視した。
「まさか、俺をコイツに引き渡すつもりじゃねえだろうな」
私は違いますよ、と安心させるように微笑んだ。
「じゃあ、なんでのこのこやってきやがったんだよ」
私を呼びだしたのは両親で、それを拒むことはできない。というのもあるが、一番の理由は――
「クロード神父があなたのことを誤解なさっているようでしたから、話をしようと思っただけです」
ですよね、と神父に同意を求める。彼は複雑そうな表情を浮かべたが、その通りだと頷いていくれた。
「彼女はお前みたいな悪魔でも信じているみたいだからな」
レドはそれを聞き、私の顔を見た。私は少し照れくさくなり、目を逸らす。レドは先ほどの不機嫌さもどこにいったのか、私との距離をつめ、食い入るように見つめてきた。
「ミシェル。こいつが言ったこと、本当なのか?」
「ええ、本当です」
「なんて言ったんだ?」
「少し言葉づかいが乱暴で、短気な所もありますが、困っている時には手を差し伸べてくれる優しい悪魔ですって……」
レドはふうんと答えた。ふうんって……。
「他には?」
……なんでこんなことを彼は聞くのだろう。
「他には、えっと、クロード神父が思うような悪魔ではないです、くらいでしょうか」
「おまえは?」
「え?」
顔を上げると、驚くほど近くにレドの顔があった。
「おまえは俺のこと、どう思っているんだ?」
――なあ、ミシェル。
自分の名を呼ぶレドの声が、どこか熱っぽく聞こえ、私はなぜかひどく忙しない気持ちになった。
「レドのこと……」
「教えてくれ、ミシェル」
いつものぶっきらぼうな調子と違って、まるで以前妹に話しかけるみたいな、けれどそれよりもずっと甘く優しい声。
レドは何と言って欲しいのだろう。
答えは、たった一つの気がした。
「私は、レドのこと――」
「おい! 私をおいて仲良さげな雰囲気を出すな!」
神父の声で、私ははっと我に返った。レドがはあとため息をつき、忌々しそうに後ろを振り返る。
「お前なあ……空気読めよ」
「何が空気だ。悪魔のくせに、一丁前に口だけは達者だな」
神父はもう立ち上がっていた。
「お前はやはり彼女のような善人を誑かす悪魔だ。ここで地獄に送り返してやる!」
「おう。やれるもんならやってみろよ。お前みたいな軟弱男、人間の姿でもやれるぜ」
挑発するようにレドが笑うと、一気に殺伐とした空気となった。そして私が止める間もなく、男二人の取っ組み合いが始まってしまった。
二人とも体格のいい男性だ。どしんばたんと、派手な音を立てて、部屋を揺らしていく。当然この騒ぎを聞きつけ、廊下からばたばたと人がやってくる音がした。
あ、と考える間もなく、扉は開かれ、目を剥いた両親が現れる。
「ミシェル! これはいったいどういうことなの!?」
義母の金切り声に、私はただ肩を竦めることしかできなかった。
「どうしてその二人は床で暴れまわっているの!? それにこの男……あなたが連れ込んだという男性ではないの! どうしてこんな所にいるの!?」
答えなさいミシェル! という悲鳴じみた怒り。隣の父も、今度ばかりは難しい顔をして説明を求めている。
「えっと、これはですね……」
こうして神父との話し合いは、両親の説教と共に強制終了したのだった。




