春待ちの雛鳥たち2
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「来年度の入部予定者のことだよね? 別に隠すようなもんじゃないし、卒業して少ししたら、こっちに挨拶に来る予定になってるよ」
大屋監督は、推薦枠で野球部に来る選手を訊きに来た俺と安田を監督室に招き入れ、ソファに座らせた。
「まだ人数少ないし、推薦枠は目いっぱい五人使ったよ。千秋シニアからは、船田くんに福富くんが来る」
「――船田に福富っすか! それは心強いな」
「うん」
安田と顔を見合わせて肯く。
船田も福富も、俺たちの代のシニアで、二年生ながらレギュラーだったヤツらだ。
船田が二番、福富が五番を打っていた。
今年はふたりとも、シニアの中心選手になってるだろう。
「浅野は元気にしてましたか?」
安田が遠慮がちに問う。やはりひとつ下の、右の本格派投手だ。
「浅野くんがエースだったね。欲しい人材だったけど、通学が大変なので泣く泣く見送った」
確か自宅が遠いんだよな、浅野。
「軟式野球部からは、三人。投手の西井くんと捕手の君波くん、内野手の梶本くん。どんな選手かは、敢えて言わない。君たちの眼で確かめてくれ」
「はい、ありがとうございました」
何にしても最低五人は入部するわけで、練習にもチーム編成にも、余裕が生まれる。
来年度に向かって楽しみが増えた。
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バレンタインデーの早朝、いつもより早く我が家のインターホンが鳴った。
「みづほちゃんかな」
さっきからそわそわしてた親父が、急いで玄関に向かう。
「いやあ、みづほちゃん、いつもありがとう! おーい、母さーん、ちひろー」
親父の野太い声に反応して玄関に行くと、毎年のことながら、みづほがチョコの箱を持ってニコニコしていた。
「これは、お母さんの分。そんで……はいっ、ちーちゃん」
可愛いコーティングの、同じくらいの大きさだが、ひとつひとつ違う箱に入ったチョコを、それぞれ渡された。
「まぁまぁ、悪いわねぇ、私の分まで」
「サンキュ」
みづほは、既に靴を脱いでいる。
この後、我が家の居間で、お袋の作ったホットチョコレートを飲むのが、毎年の習慣になっていた。
ホットチョコが出来るまで、少しの間だけ居間でくつろぐ。
「カイ兄ちゃんには、球団宛てで送ったの」
「えっ、兄貴にもあげてるの?!」
「毎年贈ってるよう――ちーちゃんには言ってなかったっけ」
兄貴は既にプロ野球選手、北海道フロンティアーズの一員だ。
学校には卒業式を除いて、もう行かない。
一軍か二軍かは知らないが、今頃はキャンプ地で猛練習してるだろう。
「はい、お待たせ」
湯気の立ったマグカップが、テーブルの上に配られる。
「わぁ、いただきまぁす」
両手でマグカップを持ちながら、少しずつホットチョコレートを啜るみづほ。
「……体、あったまるね」
「うん」
真冬の自転車通学に、これは正直ありがたい。
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バレンタインデーの日、クラスでは、俺は普通の男子高校生だった。
ということは、つまり「何もない」ということだ。
H組の野球部の連中を見る限り、他のヤツらも無風っぽかったけど、度会辺りはどうだろう。あいつ、結構モテるもんな。
練習前、部室でそれとなく訊いてみた。
「こんだけ貰ったよ」
度会の鞄からは10個近くのチョコが出てきた。
「おー……やっぱ凄いなあ、お前」
「いや、限りなく義理に近いチョコだよ、全部。世話になったお礼とか、そんな感じで貰ったから」
「馬鹿ねえ。女の子って、そういう『渡す理由』が必要なのよ」
横から青柳さんが、にゅっと首を突っ込んで来た。
「おっ、結構貰ったねー。ねっ、1個ちょうだい?」
無邪気に赤川さんがおねだりする。
「んーと――それなら、これあげるよ?」
みづほが苦笑いしながら、鞄からチョコをふたつ取り出した。
「一年の女子から貰ったの。ファンです、って……どう解釈すればいい?」
「ほほう、本気チョコですなあこれは――普通の恋愛表現と考えていいんじゃない?」
「やだぁ紫苑ったら。あたしどう接すればいいのよ」
「みづほの自由よ? フッてもいいし、女同士付き合ってもいいし」
青柳さんのニヤニヤ攻撃にたじろぐみづほは可愛かった。
「ね、これおいひい」
赤川さんは我関せず、ゲットしたみづほのチョコを頬張っている。
「なんだなんだ、男どもが揃いも揃って、みづほちゃんにも完敗かよっ」
「つーことは、竹本お前もゼロだな?」
「ぐっ」
笑顔を引っ込める竹本。どうやら投げたブーメランが刺さった模様だ。
「そう言う秋山もゼロなんだろ?」
練習場に向かいながら、口を尖らせて竹本が訊ねてくる。
「ああ。今朝みづほに貰っただけだよ」
「みづほちゃんから? そりゃ充分だ」
練習の最後に、何を思ったかサンタ帽を被った両マネから、監督にチョコが贈呈された。
後ろにみづほも控えて、三人で手渡す。
「監督ー。あたしたち女子一同から愛の印でーす」
「いやあ、ありがとう」
大照れの大屋監督。
次いで水谷先生、そして俺たちひとりひとりにもチョコが手渡される。
「義理なんかじゃないわよー。みんな愛してるからねっ」
そう言う赤川さんから貰った包みには、銀紙でくるまれたハート型のちっちゃいチョコが、みっつ入っていた。
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もうすぐ三月、チーム結成から一年を迎えようとしている。
「今日はあったかいよね」
「そうだね、ボールの掛かりもいい感じ」
週末のお昼時には、外での練習もほとんど苦にならない。
水谷先生が作ってくれた冬場のトレーニングメニューは、完璧に近かった。
というより完璧だったのだろう――要は、俺たちが如何に正しく施行し、プレーにどう活かすかに掛かっている。
「きゃ」
キャッチボールで俺からのボールを受けて、みづほが短い悲鳴を上げた。
「ちーちゃん、肩強くなってるよ」
「え、そう? 嬉しいな」
トレーニングの効果が顕れてるようで、何よりだった。
「やっぱ男子って凄いな。トレーニングしただけ、みんな伸びてるもん。体も一回り大きくなってるよね――あたしだけだよ、ほとんど変わってないの」
男子は、俺たちの年頃が伸び盛り。
逆に、ここで伸びないと選手として終わってしまうから、誰もが必死で頑張った。
「みづほだって、足が速くなったじゃん」
「100m走で0秒2だけ、ね。走法を矯正した結果よ、力が伸びたわけじゃない」
平均12秒2かよ。陸上部の山本監督が猛プッシュしてくるわけだ。
「竹本くんとか、フォームが夏と全然違うじゃない、足腰が安定してて。ストレートは140㎞/hコンスタントに越えるし、いいピッチャーになったよね」
成長という意味では、特筆すべきは確かに竹本だった。
今やカーブも完璧にマスターし、実戦を待つばかりの状態だ。
「みんな、あたしを追い越して遠くに行っちゃう――こっちは必死について行かなくっちゃ」
いや、まだみづほに追いついてる選手はいないと思う。
体力的には、とうの昔にみづほを上回っているが、卓越した観察眼や判断の的確さ、動作の流麗さで、みづほと同年代で肩を並べる選手を、俺はまだ見たことがない。
結局、みづほの抱いている危機感は、みづほにしか分からない種類のものだろう。
俺からは何もアドバイスできない。
「――みづほは、いいセカンドだよ。野球選手として俺は尊敬してる」
そう言うのが精いっぱいだった。
「ありがと」
みづほは微笑んで、スッと俺にボールを返す。例の、肘から先だけで投げるフォーム。
パシーンと乾いた音が、グラブに響いた。
オリジナルのスナップスローは、完成の域に近づいているようだ。
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球春到来は、間もなく。
三月初旬には推薦組の五人が顔見せにやって来て、春休みから練習に加わる。
四月一日から、春季東京大会。上位校は夏のシード権を得る。
秋季大会で本戦出場した緑陵は、三月末に行われる一次予選は免除され、本戦からの登場となる。
それまでに全体練習と練習試合を重ね、冬に貯め続けた力の成果を見せつけたい。
ベスト64に終わった秋の悔しさをぶつけて、少しでも上に行きたい。
チームの士気は徐々にではあるが上がっていった。
そんな中、あの出来事が起きた。
他人にとっては取るに足らないことだし、それが起きなくても結果は一緒だったかもしれない。
それでもそれは、みづほと俺にとっては、大きなターニングポイントとなった。
我が家を巻き込んだその出来事は、夜もすっかり更けた時刻、親父の声で始まった。
「母さん、千尋。今から遠野ん家に行くぞ」




