西東京大会五回戦 (VS明王大附属5)
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球場がざわめいている。
七回終了、残りわずか二回で、得点は1対0。
リードしているのは、優勝候補筆頭の明王大附属ではなく、創部したての緑陵の方だ。
あとアウトむっつ。
どんな不格好でも、ラッキーでも、アウトを取ってしまえば、ジャイアントキリングが完成する。
しかし、その道程がとてつもなく厳しいのは、チームの誰もが予感していた。
安田の投球数は、すでに140球。
明王の強力打線に対し、丁寧に低めを突き続けてきた結果だが、やはり疲れてきている。
完投能力がないわけではないのだが、技巧派の哀しさで後半に息切れすることが、今までも多々見られた。
七回裏の攻撃が数分で終わってしまったのも、地味に痛かった。
安田はほとんど休む間もなく、投球を始めることになる。
さらに、明王の打線も4巡目に突入。安田の変幻自在の投球にも、いい加減目が慣れてきただろう。
現に、さっきの七回表の攻撃で、1番の間宮さんはヒット、2番の坂本さんもアウトになったがヒット性の当たりだった。
この回は、明王の誇るクリーンアップトリオと、いきなりの対決だ。
今までみづほの守備に痛い目に遭ってきた明王打線だが、緑陵の守備の強い所もわずかな綻びも、見えてはいるだろう。レベルの高い打者なら、ヒットゾーンも分かっている筈だ。
こちらとしては、可能な限りヒットゾーンに打球を飛ばさないよう、配球や守備位置に細心の注意を払うことになる。
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3番の吉見さんは、不運な当たりもあったが、今日はノーヒット。
今まではアウトロー一辺倒の配球だったが、今回はインローに球を集めてきた。
吉見さんは、インローもあまり得意ではないから、いい攻めだと思う――球が上ずらなければ。
ただ、前半ほどのボールのキレがないのか、ファウルで粘られた。
そして七球め、わずかに高めに浮いたインコースのカーブを打たれる。
打球は内野のわずかなヒットゾーン――三遊間を真っぷたつに破っていった。
続く4番の真田さん。正直、投げるべき球が思いつかない。
再度マウンドに内野手が集合し、少し遅れて伝令の竹本もやって来た。
「配球のイメージ、ある?」
みづほの問いに根来が応える。
「相手に焦りがないわけじゃないと思うんだ。打ち気を誘ってボール球を打たせようと思う」
「そうね。フォアボールも覚悟しとく、てことでOK?」
「ああ、OKだ」
全員が竹本を見つめた。
「監督からは何かある?」
「ん……まだこっちが有利なのを忘れずに。追い詰められてるのは明王の方なんだ、ってさ」
「そうか」
そうだよな。実力は明らかにあっちが上なんだから、気持ちで優位に立たないと、全部負けてしまう。
「あと、真田は5割打者だけど、二回に一回は凡退してるんだから、そういうつもりで投げろって」
うん――そういう事にしておこう。
「安田」
「ん?」
「頑張れよ。お前、凄いピッチャーだよ」
竹本が一言、言い添えた。
「ああ、ありがとう」
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試合再開。
真田さんに対して、明王バッテリーは難しそうな低めのコース――当然ボール球――を突いてきた。
真田さんはピクリとも動かない。この人に焦りとか、プレッシャーとかはないのだろうか。
ボール、ボールと来て、三球め。
インコースの厳しいとこを、速いボールで攻める。これにも反応しない。
3ボールナッシング。
四球め。外角いっぱいにツーシームを投げたその時、真田さんのバットが反応した。
ファーストストライクを振り抜く、と予め決めていたかのようだった。
カキーン。
右中間にボールは高く舞い上がった。
その瞬間、音も時間も、止まったような気がした。
打球はおおきな弧を描いて、スタンドに消えていった。
逆転の2ラン。
「おおおおおっ!!」
真田さんが眼を見開き、両手で握り拳を作って、雄叫びを上げながらダイヤモンドを一周する。
――この人も、心の中に熱いもんを隠してたんだ。
安田がこの試合初めて打たれた長打が、痛恨の逆転弾となった。
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兄貴は初球だった。
鼻を今までになくピクピクさせて打席に立った兄貴は、アウトローに逃げていくスライダーをもの凄いスイングで捉えたかと思うと、次の瞬間には蒼空に溶けていった。
ボールを目で追うことしか出来なかった。
ピンポン玉のように軽々と飛ばされた打球は、ライトスタンドのいちばん奥に突き刺さった。
真田さんとは対照的に、兄貴は打った後は、淡々とゆっくりとグラウンドを回った。
1対3。これで2点のビハインド。安田、頑張れ。
その後も安田は、ビシッと後続を断つ、というわけには行かなかった。
球数は150球を越えて、相手は全国レベルの実力。コントロールが甘くなった球を執拗に狙ってきた。
1アウト一二塁から強い当たりがサードに飛ぶ。
幸い度会の真正面。確実にキャッチし、二塁のみづほに送球。
みづほは無駄のない動きで一塁に投げ、ダブルプレー完成。なんとかチェンジに漕ぎ着けた。
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「安田、指見せろ」
ベンチに戻るなり、打席の準備をしようとしている安田の腕を、根来が掴んだ。
「やっぱり……監督、見てください」
「――安田くん、この指で投げてたのか? いったい、いつから?」
見ると、安田の左中指のマメが潰れて、皮膚がごっそり削げ落ちていた。
野球の投手が作るマメはどっちかと言うと胼胝、つまりタコに近く、それが大きくなるとボールに指が引っ掛かり、安田の場合はボールがよく変化するようになる。
その指の硬い部分が、丸ごと取れてしまった状態になっていた。これだと、投げたボールは血だらけになっていただろう。
「ホームランの時は大丈夫でした。最後の三球くらいでやられました――監督、あと1イニングです。人差し指と薬指で投げてみせます」
「……」
「監督っ! 投げさせてくださいっ!!」
いつも温厚かつ冷静な、安田の大声は珍しかった。
やり取りが長くなったせいで、審判の人がベンチを覗きに来る。
「どうしましたか?」
「投手の負傷です。治療時間をお願いします――それと、代打をお願いします」
「かんとくーっ!!」
安田が慟哭の叫び声を上げた。
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「竹本、行って来い」
「ああ、やってやんよ。なんたって俺は秘密兵器だかんな」
ニコリともせずに竹本がヘルメットを被る。
折角のデビューだが、エースの負傷という状況が状況だけに、歓べる雰囲気ではない。
実は、竹本のバッティングは悪くない。
ただ今回は、もっと大事な仕事――最終回のマウンドが、竹本を待っている。
だからネクストのみづほも、アドバイスを送ることはしなかった。
安田の事があって円陣を組む、つまりみづほの分析を聴くことが出来なかったのは、痛い。
しかし、みづほが打席で、何らかのヒントをくれる可能性はあった。
まだ試合が終わったわけじゃない。
「集中していこう」
「ああ」
思わず口を衝いて出た言葉に、松元が反応した。
竹本はあっさり三振、1アウト。交代後からの四者連続三振に、明王スタンドは湧いた。
ベンチに戻る竹本を、根来が待ち構えている。
「竹本、肩を作ろう」
「ああ」
準備をしながら竹本がずっと呟いてた。
「俺は天才だ、俺は凄い、あんなん抑えて当たり前……」
稚拙なイメトレだが、今の竹本には必要だろう。
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みづほが打席に立つ。
河原さんは外いっぱいのストレートから入っていった。見送り、ストライク。
テンポよく第二球、またストレートだ。
みづほは多分意図的に、タイミングを早めて打った。三塁線にファウル。
三球め、フォークが来た。見送り、先日の分析どおり、ボール。
四球めも同じような球が来たが、みづほはカットした。
「今の、フォークじゃないな。多分ツーシーム系」
フォークと違わないように見えたが、みづほは見破っている。
ならば、変化のタイミングが違うのか、それともボールの回転か。
五球め、再び外いっぱいにストレート。
みづほのバットが捉える。綺麗に流し打った打球はライト前に落ちた。
「球種は、今んとこ三種類――行けそうかな」
松元と顔を見合わせる。
「行ってみるさ! カーブはあまり使ってなかったよな、こないだも」
そう言うと松元は、ヘルメットを被りバットを取ってネクストに向かった。
俺たちの導き出した結論としては、河原さんはストレートのキレと縦の変化で勝負をする投手。
変化球はフォークが主だが、もうひとつ変化量の異なるツーシーム系のボールがある。
ストレートに振り負けないことと、変化球の見極めが必要だろう、と考えた。
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志田はフォークを見ようとして、ツーシームに引っ掛かった。
ストライク、見逃し三振。
2アウト一塁、3番の松元が左打席に立つ。俺はネクストに控えて、松元の打席を観察した。
初球、インコースにストレート、見送りストライク。
右打者のアウトコース、左打者のインコース。
河原さんは、そこのコースのコントロールが得意のようだ。
となると、勝負球はアウトコースのストレート、またはフォーク。
俺は直球が得意と思われてるだろうし、事実その通り。
となると、フォークで空振りを狙いに来る公算が高い。そしてそれを逆算した配球――よし、イメージがだんだん出来てきた。
カキーン。
「松元、行けえっ!」
フォークの見送りに業を煮やした河原さんの投げた、インコースのストレートを、松元が弾き返した。
ライト前ヒット、スタートを切っていたみづほは三塁へ。
2アウト一三塁、まだ行けるぞ。
「いいか、アウトコースにストレートが来るから、それを狙い打て」
ネクストにやって来た野口にそれだけ言い残すと、気合いを入れて打席に臨んだ。




