第7話
「左翼、密集陣形! 凌げ!! 第二波終了と同時に連弩隊前へ! 当てようと思うな! 届けばいい!」
「ガンバック将軍! ギアン小隊が敵・雷撃魔法で半壊、撤退を要請しています!」
「許可する! 弓兵隊、避雷矢を一斉射! 並行して術師隊は支援砲撃開始!!」
戦局は混戦になりつつあった。流体船団は大部隊を動員して侵攻してきていたが、その戦略はいたってシンプルな「正面突破」の一語に尽きた。兵の練度はお世辞にも高いとは言えず、また混成部隊であるが故に実力も連携もバラバラという有り様。
それでもなお力づくで攻め込んでくるのは、ひとえに彼らが捨て駒に過ぎないからである。
勝者となるか死体となるか。そのどちらか以外に帰途につく方法を持たないのが、流体船団という集団に取り込まれた者たちの現実なのだった。
そんな命懸けの――いや命を顧みない猛進に対し、ヒースワート北東将軍・ガンバックはよく耐えていた。
もともと防衛戦に長じたこの男はその腕を全力で振るい、気を抜けばすぐにでも食い破られそうな戦線をかろうじて維持している。だが数の上では完全に不利なヒースワート軍に反撃の目はない。日没まで粘って戦闘の終結を待ち、それを繰り返すことで敵の消耗を誘う。そうやって今まで敵の侵攻を遅らせてきたのだ。
しかしそれも――
(あとどれだけ保つ……? どれだけ保ってくれる!?)
「しょ……将軍!!」
「次はどこだ!?」
「そ、それが……」
兵は困惑した顔で言葉を切る。いつもなら不明瞭な報告を叱責するところだが、その表情が何よりも明確に今の状況を物語っていた。
「……何?」
いつの間にか流体船団の兵たちが攻撃をやめ、戦線をやや下げていた。撤退するわけではないようだが、矢も魔法も飛んでこない。こちらの様子をうかがうように整列したまま動かなかった。
いや、一人だけ動く者がいた。居並ぶ兵の中からふらふらと歩み出たそいつは鎧ではなく漆黒のローブに身を包んでいる。それ自体は魔導兵なら珍しくもない姿だが、大抵の場合ローブの下に軽量の鎧を着込んでいるものだ。しかしこの男にその気配はなく、またこちらを警戒するでもない気楽な様子で両軍の間に立った。軽薄で厭らしい笑みを浮かべながら声を上げる。
「あんたが指揮官かい?」
「……ああ、そうだ」
(こいつは……まさか)
「あ~。アンタがアレか、ガンバック将軍さんか? 聞いてるぜ。こういう守るヤり方が得意なんだって? アンタのおかげで予定が随分ズレたってお偉いさんがお冠だったからなァ」
胸から下げた首飾りをいじりながらにやにやと笑う。光をほとんど反射しない黒曜石のようなその八面体を、ガンバックは知っていた。
「貴様は!?」
「ずいぶんと手間取らされたもんなァ。この俺様が出張らされるくらいによォ」
男が唇の端を吊り上げる。愉悦の情を隠す気などさらさらない、といった目で天を見上げた。
「ここらでよぉ!! 遅れを取り戻したらイイよなぁ!? そりゃあ俺の手柄だもんなぁ!? 宗主様も褒めて下さるよなあ!!」
「やはり、黒巨獣の!」
「出ろォ!! 黒巨獣・『ガロース』!!」
男が漆黒の八面体の先端を指に突き刺す。流れ出た血を艶のない石が吸い込んだ瞬間、音のない爆発とともに闇が溢れ出した。
骸が転がる戦場に長い影が伸びる。人と同じ五体を持つそれは、しかし獣の顔と尾を持つ紛れもない異形の巨人であった。
「陣形を崩すな!! 一丸で防げ! 負傷者は最優先で下げろ!」
ガンバックは枯れかけた声を必死で張り上げ指示を飛ばし続けていた。既に自身も含め無傷の兵は一人も残っていないが、それでも動けるものたちが集まって列を成す。ゆうに人の十倍を超える巨体を相手に持ちこたえていること自体が本来はありえない離れ業なのだが、巨獣が腕を一振りするたびに立っている兵の数は目に見えて減っていった。
「術師隊! 動ける者は火砲支援! 巨獣の目を狙え!!」
檄に応じた術師が火炎呪文を唱え巨獣の顔を焼く。しかし深紅の炎が散った後には、スス一つ付いてなかった。
「ムぅダだよぉ! 見りゃ分かるだろ!? これが俺の! これが流体船団!! これがお前らの最期!!」
術師の男が巨体の後方で奇声を上げる。首飾りが鈍く妖しい輝きを放つたび、巨獣が暴れてヒースワートの兵士たちを蹴散らしていく。人形のように宙を舞う部下の姿を見て、壮年の将軍は己の無力に唇を噛んだ。
「おのれ……おのれ!!」
「んん? ああ〜、あんまり焦らすのも悪いよなァ。わりィ、わりィ。俺ってば空気読めなくてよォ。ちゃーんとアンタも潰してやるから安心しなって」
そう言うと巨獣が手にした棍棒を振り上げ、投げ付けた。
――戦線から離れようとしていた負傷兵たちへ。
地を揺らす轟音とともに大地が爆発する。飛び散ったものが土なのか人なのか、もはやそれすら見分けがつかなかった。
「貴様ーーーーーッ!!!」
「ヒャッハァーーーーー!! そうそうそれだよそれそれ!! 負け犬はワンワン吠えねェとなア!?」
(もはやこれまで……! 王よ、姫様、申し訳ございませぬ。この身命、今ここで使い果たさせていただきます!)
ガンバックが手にした巨盾を投げ捨てる。腰の剣を抜き払い正眼に構え、一瞬だけ目を伏せる。意を決して踏み出そうとしたその時、再び大地が揺れた。
「ぬっ……!?」
「なんだァ……?」
黒巨獣の攻撃ではない。術師の男も怪訝な顔で辺りを見回している。先ほどまでの殺戮の轟音に比べると振動は少しだけ軽く、また規則的なものだった。
それはまるで――
「足音……?」
敵味方を問わず、この場にいるすべての者が聞き入るように動きを止めていた。
なぜならその音が、少しずつ大きくなっていたからだ。
なぜならばその足音が、少しずつ近づいてきていたからだ。
「これは……馬鹿な、城のほうから……?」
ガンバックが漏らしたつぶやきに兵士たちがはっと気付く。確かにこの足音は背後から、ヒースワートの方角から響いてきていた。兵たちの中にざわめきが波のように広がり――糸を切るように散った。
敵味方を問わず、この場にいるすべての者が息をのむ。
なぜならば――戦場を見下ろす崖の上に、巨大な騎士が姿を現したからだ。