第5話
巨像の脇にしつらえられた階段を上り、その頭部を目指す。数十メートルはありそうな巨体だったが、思いのほか早く到着した。感覚的には2、3階程度しか上っていないだろうか。どうやら階段自体に魔法がかけられているようだ。
「こちらです、救国主様」
ティアリアルがファルテノンの首元に手をかざすと、音もなく装甲が開いて中の空間が見えた。中はぼんやりと光っている。下まではけっこうな高さがあるようだったが、迷わず飛び込むティアリアルの後を追うようにカイトも飛び降りた。
「ッ……と……おお、これは……!」
内部は思ったより広いが、操縦席のようなものは何もない。ただ床に2つの魔方陣が描かれている。それぞれ違う文様で、左のものは少し小さく直径2メートルくらいだろうか。
「その上にお立ち下さい、救国主様。伝承によればそれで……ファルテノンは目覚めます」
「ここに……」
一歩踏み出したところで不意に足が止まる。
このわずか数十分程度の間に人生がひっくり返った。いや、今も転げ続けていて、目が回って右も左も分からないままとんでもないところまで来てしまっている。もう10年ほど早ければここまで来て踏みとどまったりはしなかったのだろうが――
もう一歩前に出て、もし何も起こらなかったら。
無事動き出したとして、その足で向かうのは人と人とが血を流し合う鉄火場で。
そこまで踏み込んで、俺は――
「ふんっ!」
床を蹴り付けるように力強く歩を進める。そこはもう魔方陣の中心だ。
悩まず突っ込めるほど子どもじゃないつもりだが、酒を飲めるようになった程度で大人になれた気もしない。
俺が呼ばれたことに意味があるのなら、まずはここから始まるのだろう。やるべきことはシンプルだ。
助けを求める手を取ればいい。
「ああっ……!!」
変化はすぐに起こった。
魔方陣が輝き天井まで光の柱が伸びる。そこから、そして足下からも光の輪が現れ、回りながらカイトの腰辺りまでやってくると2つの輪は重なりあい、実体化した。金属質のその表面には細かい文字らしきものが刻まれている。魔方陣の文様に似ている気がしたが、詳しく眺める前に次の変化が起こった。壁面も同じように光り出したのだ。同時に、もう一つの魔方陣も輝きを放つ。
「聞こえます……ファルテノンの鼓動が……。救国主様、貴方は確かに希望の門を開く『鍵』でありました!」
ティアリアルはまた感極まっているようだった。ただ一瞬だけ目を伏せて、カイトにも聞こえない小さな声で一言だけつぶやいた。
「……ご覧下さい、お母様」
そしてためらいなく、揺らぎなく、それが当然と言うように円の中心へと静かに踏み出した。
まずは同じ反応が起きる。魔方陣が輝いて光の柱がティアリアルを囲み、文様の刻まれた輪が現れる。
その直後重々しい振動が守護神を、神殿を揺らした。天井から、壁から、砂埃が降ってきて静謐な空気を濁していた。
なぜそれが分かったかと言えば、薄く光っていた壁面が外の様子を映し出していたからだ。
「おおッ! 外の映像か!? メインカメラ視点じゃなくて直接目視タイプか!!」
「救国主様! 救国主様はファルテノンの機能をご存知なのですか!?」
「こちらの常識なので気にしないで下さい!」
さらりと流し改めて手元を見る。揺れたのでリングを掴んでいたのだが、もう光ったりすることはなかった。表面をなぞってみても何も起こらないし、操縦桿やボタンのようなものも見当たらない。手動操縦ではなさそうだ。
(まぁそれだと困るしな。今すぐ動かせないと……さてどうする?)
「参りましょう救国主様! 今こそ奴らを、流体船団を退ける時です!」
鼻息も荒く――どうもこの王女は犬のような仕草が多い――逸るティアリアル。その意思に応えるかのようにファルテノンが身じろぎを始めていた。
「立つ……のか? いけるんだな、ファルテノン!!」
虚空を見上げ、叫ぶ。次の瞬間、ひときわ大きな衝撃とともに全身に強い重力を感じた。エレベーターが上昇する時の、あるいは旅客機が離陸する時の感覚。巨人が今、大地に立ったのだ。
……神殿を吹き飛ばしながら。