第六話 文化祭(前編)
文化祭当日は晴天だった。晴れ渡る空に秋の澄んだ風が心地よい。
打って変わって二年B組は教室棟の中でも中心よりにあり、人の熱気で蒸し暑く感じるほどである。
教室の入口の上には黒い板に赤い文字で『お化け屋敷』と描かれた看板が飾られていた。
その下に設置した受付には健臣と拓也が座っている。
そこを通りかかった二人の女の子が声をかけてきた。
「拓也のクラス、お化け屋敷なの?」
その女の子は並んで座る健臣には見向きもせずに拓也だけに視線が向いている。
健臣は居心地が悪そうに身じろぎをした。
拓也が爽やかな笑みを浮かべて言う。
「そうだよ。寄って行きなよ」
「拓也がそう言うなら寄ってこうかなぁ」
「じゃ、そこの列に並んでくれる?」
拓也が立ち上がって列の最後尾に誘導すると、女の子たちがきゃっきゃと歓喜の声を上げる。
「拓也の客寄せ効果は絶大だな」
健臣がぼそっと呟いた。先程からこの調子だ。
女の子が続々と列に並んでいく。
すると人気のある出し物なのかと一般のお客や男の子たちも列に並んだ。
気がつけば長い列が出来上がっている。
教室の中から野太い叫び声がした。先程入った男子生徒だろう。
戻ってきた拓也が教室の扉を眺めながら言った。
「悠里と真子ちゃんのやる気が伝わってくるね」
「でもまだリタイアしないで出てきた客いないよ。このままだと脱出賞の駄菓子があまる」
「いいんじゃない? あまったら俺たちで食べればいいんだよ」
「それでいいのか?」
健臣が傍らにある箱を眺めた。そこにはこんもりと盛られた駄菓子が置かれている。
黒い目張りが貼られた出口側の扉から二人の男子生徒が出てきた。
二人とも顔が真っ青だ。拓也が列に並んでいる客に声をかける。
「次の方どうぞ」
今度の客は三人のがたいのいい男子生徒だ。勝気な笑みを浮かべて健臣たちの前に立っている。
健臣は説明をはじめた。
「お化け屋敷内では携帯電話の使用はしないでください。リタイアせずに脱出できた方には脱出賞として駄菓子をプレゼントしています」
「駄菓子かよ」
男子のひとりが口元に笑みを浮かべて言う。
「こんなの余裕だぜ」
そう笑いながら言ってお化け屋敷に入って行った。
健臣と拓也が笑みを浮かべて「いってらっしゃい」と言って三人の男子の背中に手を振った。
中は黒いダンボールでしっかりと目張りがされて一本道になっている。真っ暗だった。
どこからか虫の音が聞こえてくる。
そこにふっと明かりが灯り、向こうから誰かが歩いてくる。
白い着物を着た背の低い女の子だ。手には提灯を持っていた。
肩につくくらいの黒髪を揺らして近寄ってくる。
――小橋かおるだ。制服を着ていないと小柄なかおるは小学生くらいに見える。
「珍しい。こんなところで旅の方に出会うなんて。この道は危険です。それでも行くと言うのなら、どうぞお気をつけて」
かおるはにっこり微笑んで道を開けた。三人の男子のひとりが歩き出す。
「楽勝だぜ」
男子の声が静かな室内に響いた。
「次の獲物がきたわね」
悠里がにやりと笑いながら呟く。
その隣で直が「しっ」と自分の口元に指を当てた。
男子たちが進むと白いものが二つ、ふっと現れたかと思うと目の前でゆらゆらと揺れている。
白い布で作ったお化けだ。男子たちはそれを避けながら歩く。
道は室内をくねくねと曲がっているようだ。
角を曲がってすぐ、目張りのされたダンボールの向こう側からガサガサと音がしてカラスの鳴き声がした。
男子のひとりが思わずびくりと肩を揺らす。そして渇いた笑いを零した。
さらに進むと今度は上からなにかが落ちて来た。
男子のひとりが思わずそれを手に取る。よく見ると男の頭部のようだった。声を上げて慌てて放り投げた。その反動で宙でぶらんぶらんと揺れている。
「なにびびってんだよ。張りぼてに決まってんじゃん」
「分かってる! ちょっと驚いただけだろ」
男子が強がったように言った。すると目の前にまたふっと明かりが灯る。
「旅の方」
女の子の声だ。三人の男子がはっとしたようにその少女を見る。
「え、さっき入口に……」
男子のひとりがそう言うと、かおるが首をかしげた。そして宙に浮く首に触れる。
「またひとり被害者が……。ここより先は『首狩り女』の縄張り。引き返すのが身の為です。あたしの忠告を聞いても行くと言うのなら、どうぞお進みください」
かおるが道を開けた。男たちが息を飲む。
「『首狩り女』?」
男たちは首をかしげながら歩き出す。
角を曲がるとゴールの扉が見えた。ほっと胸を撫で下ろす。
するとなにかを引きずる音がした。ずるずると言う音が辺りに響き渡る。
男子たちは思わず立ち止って辺りを見回した。
すると目の前に黒いローブを身に纏った人が現われる。
フードを深く被っていて顔は見えない。女なのか男なのかさえ分からなかった。
左手には大きな鎌を持ち、右手には生首を引きずっている。生首から生えた長い髪をわしづかんでいた。
そして三人の男子に気がついたようにこちらをゆっくりと向く。
フードに隠れているはずなのに光る瞳を見たような気がした。それは獲物を見定めた時の獣のような目だった。
すっと鎌を構える。
「みぃつけた……」
女の声。だけど少し低めの声でゆっくり言った。
男子たちはひっと声を上げる。逃げようときびすを返した。
しかしその先には白い着物を着た女が立っていた。
手に持った提灯はかおると同じものだが、かおるではなかった。
背は幾分か高く、髪が長かった。
――森野真子だ。うつむいていた顔をゆっくりと上げる。
顔は無表情だった。左目を隠すように包帯が巻かれている。
「ねぇ、知らない?」
真子が小さな声だけれどよく響く声で言った。男たちは思わず聞き返した。
「な、なにを?」
「ねぇ、知らない?」
真子は繰り返した。
その時、ひとりの男子の足になにかが当たった。
どこからか転がってきたなにか。男子が拾う。白い、なにか。
「私の左目、知らない?」
真子が首をかしげて聞いた。
白いなにかを持つ男子の手が震える。
そして手の中にあるものをもう一度よく見た。手の中でそれと目があった。声を上げて放り投げる。他の男子もそれを見て叫び声を上げた。
真子は男子が放り投げたよく弾む『眼球』を手に取る。
「あなたたちが私の左目を持っていたのね」
「ち、ちがっ!」
男子たちが一歩下がる。
背後に首狩り女こと豊川悠里がいることを思い出した男子のひとりがばっと振り返った。
悠里は怯える男子たちを見ていた。
もう悠里の仕事は終えていたので道の端に寄り、フードを取っている。
振り返った男子を「なによ」と言わんばかりの瞳で睨みつけた。
「ぎゃー!」
三人の男子の声が室内に木霊し、その場にへなへなと座り込んでしまった。
悠里は彼らに近寄り、顔を覗き込む。
真子も傍まで近づいて提灯で辺りを照らした。
男子たちは泡を吹いて失神している。
「なんでわたしを見て倒れるのよ。ただ立ってただけじゃない」
悠里がぼそっと愚痴った。
直が近くの張りぼてから顔を出す。
先程、『眼球』こと目が描かれたスーパーボールを転がしたのは彼だった。
手には予備のスーパーボールが入った袋を持っている。
偽物と分かっていても気持ち悪かった。
直が倒れている男子たちを見て言う。
「どうすんだよ、これ」
男子たちの横でしゃがんでいる悠里が直を振り返った。
「とりあえず埋めとく?」
「埋めないであげて」
直が顔を青ざめさせて言った。
かおるが隠れていた暖簾の向こう側から現れた。
提灯を持って駆けてくる。そして男子たちを見た。苦笑を浮かべる。
「悠里ちゃんと真子ちゃんのタッグ、やめた方がいいかな? みんなリタイアしちゃうもん」
直が張りぼての中から出てきた。男子の肩を叩く。
「うーん」と唸ったが目覚める気配はない。
「大丈夫じゃなさそうですね。圭一、健臣呼んで」
張りぼての中から圭一が「おう」と言った。
ごそごそと物音がする。そして入口の方の扉が開いた音がした。
「どうした?」
健臣の声だ。
「お客さん、倒れちゃったぁ」
圭一の緊張感のかけらもない声がする。健臣が間をおいてから聞き返す。
「……なんだって?」
少しして出口の方の扉を叩く音がする。
「入るよ。お化けは隠れてる?」
拓也の声だ。
それぞれ元の隠れていた場所へ行く。
真子とかおるは暖簾の向こう側に、悠里と直は張りぼての裏側だ。
「いいよー」
直が叫んだ。
扉が開く音がして辺りに明かりが差す。悠里は目を細めた。
拓也と健臣の声がする。
「ああ……。気絶してるよ」
「どうする? とりあえず担ぎ出す?」
悠里と直は身を縮めて外に姿が見えないように隠れた。
二人が隠れる張りぼては出口付近にある。背は低く、幅も狭い。
暗闇の中では問題ないが、光が差すと見えないように隠れるには少し狭かった。
「ちょっと。もっとそっちに行ってよ」
「無理。俺もう潰れてる」
張りぼての中で悠里と直はごそごそと暴れていた。
「そこのお化けたち、声が漏れてるよ」
拓也の柔らかい口調の注意が飛んできた。
隠れているので拓也の顔は見えないが、あのニヒルな笑顔を浮かべている時の声だ。
悠里と直が押し黙る。
少し間をおいてから小声で話しはじめた。
「わざわざこっちに隠れなくてもよかったのよね。真子たちと一緒に暖簾の向こう――入口の方に隠れればよかった」
「おっしゃるとおりです」
直も同意した。
暖簾の先は入口のドアの前に繋がっている。
あちら側なら広いし、出口の扉から見える恐れもなく悠々としていられたはずだ。
二人はため息をついた。
張りぼての向こう側では健臣と拓也が男子を連れだす物音がする。
その音を聞きながら悠里と直はじっと静かに待った。
物音が漏れてここに人が隠れていることがばれたら元も子もない。
悠里が物音を立てないように身じろぎする。
壁側にいる直が「いたっ」と声を上げた。
「ごめん、踏んだ?」
「お、俺の右足が下敷きに……」
悠里が慌ててどこうと体を起こす。直が悠里の腕を引いた。
「頭を上げたら見えるだろ」
「じゃあ、どうしろっていうのよ」
「……悠里、怒んないでね」
悠里が「え?」と言うのと同時に、悠里の肩を抱き寄せた。
悠里は驚いて声を上げそうになるのを必死に堪える。
直が壁に背を預けて座り直し、そのまま悠里を抱えるようにして座っている。
悠里は直にしがみつくような体勢になった。
悠里の顔が赤くなり、恥ずかしさのあまり口をぱくぱくとさせる。
「ふう。こっちの方が楽だろ」
対して直は自信満々に言った。
悠里が顔を上げて小声で怒り狂う。
「あんたね、なにやってんのよ!」
「だから『怒んないでね』って言ったじゃん」
「言えばいいって問題じゃないわよ!」
「ごめん、ごめん。ちょっと我慢して」
直が笑みを浮かべながら言った。
ついでに少し下にある悠里の頭を宥めるように撫でる。
「ばか」
ふいっと直から視線を逸らして呟いた。悠里の顔がどんどんと熱くなる。
直は気にした様子もなく、首を伸ばして外の気配を探る。
まだ明るいのでドアは開いているようだ。
「それにしても時間かかってんなぁ。大丈夫かな」
「知らない!」
「機嫌悪いなぁ。そんなに嫌?」
直が顔を近づけて悠里の様子を伺う。
悠里が逸らしていた顔を上げた。
どちらかが少しでも顔を動かせば唇が触れてしまいそうな距離。
悠里の胸がどきっと高鳴った。
――そして唇が触れた。
「ごめんっ」
直が顔を逸らし、口元を腕で覆う。
悠里は驚いた顔のまま固まった。
直は口元を隠しているのでどういう表情をしているのかは分からない。
けれど唇が触れた瞬間、直が驚いたように目を見開いたのは分かった。
「ねぇ、直……」
「あ、気がつきました? よかった」
悠里の声に被って健臣の声がした。
そしてドアが閉まった。辺りはまた暗闇になる。
話しかけるタイミングを失ってしまった。
悠里は直から少しだけ離れて座る。
その頬は未だ冷めずに朱に染まっていた。
――ねぇ、直。今、動いたのはどっちだった?




