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俺と隣の席の魔女シリーズ  作者: 冬木ゆあ
第一章 俺と隣の席の魔女

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第九話 こころのありか(前編)

 来週から憂鬱な期末テストが始まる。そんな日の昼休みのことだった。

 健臣、直、拓也の三人が健臣の席でいつものように昼食をとっていた。


「俺、やばい。なにがやばいって、全教科」


 突然、直が青い顔で告白した。パンを握る手がぶるぶると震えている。


「直は中間テストの結果もやばかったもんな」

「そう言う健臣は二年に上がってから調子いいよね」


 拓也は爽やかな笑みを浮かべている。直が恨めしそうに健臣を見た。


「テスト前は俺と一緒にやばいって騒いでた仲なのに……」


 健臣はぐっと胸を張る。


「今の俺には腕のいい先生がいるからな」

「松岡先生?」

「ううん。真子」


 拓也の問いに健臣は首を横に振る。直と拓也が隣の席を見た。

 真子は少し前から悠里と一緒に教室で昼食をとるようになり、直と拓也にも慣れたようだ。

 二人が視線を向けても、もう怯えるようなことはない。

 しかし悠里は違った。切れ長の瞳が『なに見てんのよ?』と言わんばかりに直と拓也を威嚇している。


「真子ちゃんは健臣の腕のいい先生なんだって?」


 拓也はそんな悠里を気にした様子もなく爽やかな笑みを浮かべて真子に尋ねた。

 その横では直が悠里の視線に怯えている。顔がわずかに青い。

 直の拓也を見る視線が「どうしてこいつ平然としてられるの?」と言っていた。

 健臣が鼻高々に言った。


「真子の教え方は上手いよ。この俺でも理解できるもん」

「まじ? 俺にも教えて下さい!」

「真子! 勉強教えて!」


 直と悠里が身を乗り出して真子に言った。そして二人は顔を見合わせる。

 直の顔は嬉しそうだ。


「豊川さんもテストやばいの?」

「あんたと一緒にしないでよ」


 対して、悠里は嫌そうな顔で直を見る。

 直の心がぽっきりと折れた音がした。直はしゅんとした様子で椅子に座る。


「私はいいけど。いつ?」

「今日は?」


 悠里が少し考えてから答えた。真子が首を横に振る。


「今日は買い物行かなきゃいけない。金曜日は?」

「空いてる!」


 悠里が満面の笑みを浮かべた。真子はうつむいている直に顔を向ける。


「直くんは?」


 直がゆっくりと顔を上げる。瞳にわずかな希望が宿った。


「え? 俺もいいの?」

「真子がいいって言うなら、いいんじゃないの?」


 直の心を折った張本人である悠里は、肘をつきながら興味なさそうに言った。

 直の表情がみるみる明るくなっていく。満面の笑みで言った。


「ありがとう! みんな、今日から真子ちゃんのこと『神様』って呼ぼうぜ!」

「やめて」


 真子が真顔で返した。以前の真子なら怯えた顔で引いているところだ。

 健臣は真子の成長ぶりに感心した。



 勉強会当日の金曜日。

 健臣たちは学校からそのまま真子の住む松岡の家に向かう。

 勉強会の場所としてファミレスという話も出たが、真子と悠里が嫌がった。人が多いところでは集中できないそうだ。

 そこで学校から一番近いということで松岡の家になった。

 先日、健臣がそのことを話すと、松岡は「いいよ」と軽い返事をくれたのだ。


 真子は家の前で鍵を出そうと鞄を探っている。


「『松岡』って書いてある」

「『森野』の字がひどいわね」


 直と悠里が表札を見ながらぼそっと呟いた。

 その横で真子は鞄を探る手を止める。


「鍵を忘れた」


 真子がみんなを振り返り、真顔で言った。

 直と悠里が戸惑った顔を浮かべ、拓也は苦笑した。

 健臣が鞄の中から鍵を取り出す。


「俺が持ってるから大丈夫」

「なんで?」


 直、拓也、悠里の三人が怪訝そうに健臣を見た。

 健臣は慌てて弁明する。


「先生からもらったの!」


 健臣が鍵を開け、玄関のドアを開ける。直が驚いたように言った。


「おお! 健臣んちと同じ造りだ!」

「同じマンションだからな」


 健臣はおかしそうに笑う。

 室内はむわっとした熱気が籠っていた。

 真子はまずリビングのカーテンと窓を開ける。すると風が通って、少しばかり涼しくなったような気がした。

 健臣は慣れたように冷蔵庫から麦茶を取り出す。

 食器棚を覗くとグラスが四つしかなかった。

 リビングにいる真子に聞く。


「真子、グラスが足りないよ」

「新しいのがある」


 真子がキッチンの食器棚の前に立ち、その上の段の引き戸を開ける。

 そこに白い箱があった。真子が手を伸ばすが、少しだけ身長が届かない。

 見かねた健臣が真子のうしろから手を伸ばした。


「これ?」


 真子がうなずく。

 健臣はその箱を取った。箱を開けると新品のグラスが二つ入っている。

 そこからひとつ取り出した。


「あとは俺がやっておくよ」


 真子は小さく「ありがとう」と言ってリビングを出た。

 健臣がグラスを洗おうと振り返る。直がこちらをじっと見ていることに気がついた。

 健臣が尋ねる。


「どうした?」

「新婚か!」


 直が勢いよく突っ込んだ。

 健臣は不思議そうに首をかしげながら麦茶とコップを乗せたトレーをローテーブルに置く。


「直は『健臣は松岡家に馴染んでるね』って言いたいんだよね」


 拓也が爽やかに笑いながら意訳する。

 直はうんうんとうなずいた。


「そりゃあ……二ヵ月もお世話になってますから」


 健臣はまだ二ヵ月なんだなと思った。

 もっと長い間お世話になっている気がする。


 着替えを済ませた真子がリビングに戻ってきた。

 グレーの半袖Tシャツと紺色のチェックスカートを着ている。


「あれ? 黒じゃないんだ……」


 少し残念そうに直が言った。健臣と真子は苦笑する。

 真子はキッチンでシンクを覗いた。そして顔を上げて健臣を見る。


「常盤くん、お弁当箱」

「ああ、わりぃ。今出す」

「あと体操服とシャツも」

「はーい」


 健臣は鞄から弁当箱を取り出した。それを直がじっと眺めている。


「真子ちゃん、お母さんみたいだな」

「お世話になってます!」


 健臣は真子に弁当箱を渡しながら頭を下げた。

 世話になってばかりで申し訳ない。

 最近では母親の常盤典子も真子には頭が上がらないと言っている。

 真子は目の前で頭を下げている健臣から弁当箱を受け取った。


「……こちらこそ」


 真子は健臣にだけ聞こえる大きさでぼそっと呟いた。

 健臣はそっと顔を上げて真子を見る。

 そしてなにかしたかなと思いながら首をかしげた。


「早く着替えて」


 真子は弁当箱を洗いながら言った。

 健臣は松岡の部屋で白のTシャツとグレーのスエットに着替える。

 戻ってきた健臣を見て、拓也が笑いながら言った。


「着替えまで置いてるの?」


 健臣はそれに苦笑で返した。

 家事がひと段落した真子もローテーブルの近くに座った。直と悠里は真子の近くに座り、拓也と健臣は少し離れて座った。

 真子は、事前に中間テストの答案を持ってくるように直と悠里に言っていた。

 二人がどのくらいの成績なのかを知る為だ。

 二人の答案を一枚、一枚みるごとに真子の表情が曇っていく。


「赤点脱出できればいいなー」

「わたしも」


 真子の表情とは打って変わって、直と悠里は余裕の表情を浮かべている。


「直くん、悠里ちゃん。明日も空いてる?」


 真子が固い声で言った。

 直と悠里は不思議そうにこくんとうなずく。

 真子は真剣な表情で二人を見る。そして言葉を続けた。


「二人が全教科の赤点脱出を目指すのなら、私も本気でいく」


 真子の瞳が鋭く光った。直と悠里は固唾を飲む。

 健臣と拓也は何気なく真子のうしろから答案を眺めて絶句した。


 まず二人が一番苦手だと言う数学からはじめた。


「……直くん、七×三は?」

「えっと、……二十一?」

「そう。でも、そこ二十四になってる」


 次に真子は悠里のノートを見る。そしてひとつの計算式を指で差し示す。


「悠里ちゃん、そこは割り算。だけど、掛け算になってる」

「あ、ほんとだ……」


 悠里は慌てて計算をやり直す。

 だが、なぜか指を折りながら割り算をしていた。


「ひどいな……」

「想像以上だね」


 健臣と拓也がこの惨状の感想を述べた。

 しかしそう言う健臣も真子に教わって成績は伸びているが油断はできない。健臣も真剣に数学の教科書の問題を解いていく。


「なぁ、真子。ここは?」


 健臣が質問すると真子が横に座った。

 そして問題を眺めたあと、ノートに公式を書く。


「これに当てはめて解くといい」


 健臣は二度うなずいてから問題に再挑戦する。

 真子が静かに問題を解いている拓也を見る。

 彼は爽やかな笑みを浮かべていた。


「拓也くんは数学得意?」


 珍しく真子から話しかけられて拓也は一瞬驚いた。

 しかしすぐに爽やかな笑みを浮かべる。


「数学は好きかな。パズルみたいだよね」


 拓也の答えに真子はうなずく。

 どうやら二人は数学で意気投合したようだ。

 その姿を摩訶不思議そうに健臣、直、悠里の三人が眺めていた。


「じゃあ拓也くんは常盤くんをお願い」

「俺はスパルタだから」


 拓也がニヒルな笑みで言った。

 健臣は顔を青くして、引きつった笑みを浮かべていた。


 玄関のチャイムが鳴ったあと、玄関のドアが開いた音がした。

 真子の叔父であり、この家の主人である松岡和弘が帰って来たのだ。

 リビングの扉を開けて入ってきた。

 拓也、直、悠里の三人が声を揃えて言う。


「おじゃましてまーす」


 そのあと、三人は傍に寄ってこそこそと松岡に視線を送った。


「本当に松岡だぜ」

「本当に一緒に暮らしてるのね」

「驚きだね」


 本気で驚いている直と悠里に対して、拓也はそのノリに便乗しているようでにこにこと楽しそうに笑っている。


「おい、聞こえてるぞ。お前ら」


 松岡が苦笑しながら、リビングにいる生徒たちをまじまじと眺める。

 その顔が次第に歪んで、ぽろぽろと泣きはじめた。


「まぁの友達がうちで勉強会をする日がくるなんてなぁ……」

「ほら、先生。生徒が見てますよ」

「かずちゃん……」


 松岡の背中を撫でながら慰める健臣と、それを冷たい瞳で見る真子、そして直、拓也、悠里の三人はドン引きしていた。


 松岡が風呂に入ると真子は拓也に勉強会を任せて席を立った。

 真子が夕飯を作りはじめると直はそちらが気になってしかたがないようだ。

 ちらちらとキッチンの方を見ている。


「俺は直が赤点をとっても別に構わないんだけど」


 直がはっとしたように拓也を見る。

 拓也はニヒルな笑みを浮かべていた。

 直は背を正してゆっくりと首を横に振った。そして青い顔でノートに向かう。


 しばらくして真子が「できた」と声をかける。

 直は疲れ果てた表情で、拓也はいきいきとした表情で真子を振り返った。


 人数が多いので今日はローテーブルに食事が並ぶ。

 せっせと料理を運ぶ真子とそれを手伝おうとがんばる健臣。

 拓也はそれを微笑ましげにそれを見ていた。

 そしてビールを片手に生徒に混じって座る松岡。

 そんな松岡に「ありえないんだけど」という視線を送る悠里。

 直は悠里の様子を苦笑しながら見ていた。


 夕飯はナポリタンだった。直がそれを頬張る。


「うんまい!」


 直が叫んだ。そしてさらにぱくぱくと頬張っていく。

 真子は少しだけ頬を緩めてうつむいている。

 健臣が胸を張って言った。


「だから前にも言っただろ? 真子の料理は美味いんだって」

「お前、絶対にお弁当の味見させてくれないのに分かるかよ」


 直はじとっとした視線を健臣に向けながら言った。笑い声がこぼれる。

 にぎやかな夕食だった。前に松岡が大人数で食べた方が美味しいと言っていたのを思い出す。

 今ならその言葉の意味がよく分かる。

 真子もどことなく楽しそうに見えた。


 夕飯を終えると直はお腹を撫でながら仰向けに寝転ぶ。


「今寝たら幸せになれる気がする……」

「一週間後に泣いてる直の姿が見える気がする」


 拓也の言葉を聞いて、直は勢いよく起き上った。

 自分でもその想像ができたようだ。

 悠里が直に呆れた視線を送っていた。


 真子は問題の番号を丸で五つ囲む。


「次はこの五問解いて」


 直と悠里はせっせと解いた。

 二人が解いた問題を真子と拓也が確認する。


「数学はもう大丈夫だと思う」


 真子がそう言った。拓也もうなずく。

 直と悠里はほっとした表情を浮かべた。

 そんな二人の前に真子が英語の教科書を差し出す。


「次は英語。まずはこの文章を訳して」


 直と悠里がうめき声を上げた。

 しぶしぶと辞書を駆使しながら文章を訳しはじめる。

 悠里の隣で見ていた真子が英文を読んだ。

 すらすらと読み上げる真子に感心する。

 悠里は肘をついて真子を見た。


「前に真子が授業で読んだ時も思ったけど、英語上手いわよね」

「たしか真子のお父さんはアメリカで仕事してるんだよな? 何度か行ったことあるの?」


 健臣が聞いた。

 するとリビングテーブルでビールを飲みながら読書をしていた松岡が顔を上げる。


「まぁも中学に上がるまではアメリカにいたからな」


 健臣たちは「へぇ」と薄い反応でうなずいたあと、盛大に驚いた。


「いつから? 何年いたの?」


 直は興奮したように身を乗り出して聞いた。

 真子は恨めしそうな顔で松岡をじっと見る。

 松岡は苦笑しながら顔の前で手を合わせた。


「……十二年くらい」


 真子はうつむきながら言った。


「お父さんがアメリカにいるってことは、おか――」

「ほら! 直、進んでないじゃん。早く解かないと拓也先生が出てくるぞ」

「おや、直は俺に教わりたいの?」


 健臣は直の言葉を遮るように言った。直が真子の母親について聞こうとしたことに気がついたからだ。

 言葉を遮られた直は気にした様子はない。ニヒルな笑みを浮かべている拓也に向かって首を横に振っている。

 真子も変わりなく悠里と話していた。

 健臣はほっと小さく息をつく。顔を上げると松岡と目が合った。

「サンキュ」と口パクで言われたので、とりあえず笑みを浮かべておいた。

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