2-2
家の中も、外から観たのと同じように、どこにでもある一般家庭のものだった。
白い壁に、フローリングの床。わたしたちが通されたのは道路に面したダイニングのような部屋で、中央には簡素な造りの椅子と机があった。わたしたちは今、その椅子に座っている。
机の上に、甘木くんのお母さんが人数分のお茶を並べていく。さっきインターホン越しの声でも感じたように、その様子は嫌に落ち着いている。
おばさんは、わたしよりも少し背の低い、小柄なヒトだった。実際には知らないけど、顔のシワと、その疲れたような表情から、かなりの年に見える。
お茶を並べ終えると、お盆を奥のキッチンに置きに行って、戻ってきてから空いていた椅子に座った。
静寂が訪れる。
何となく音を出しちゃいけない気がして、お茶を飲めない。別に喉が渇いてる訳じゃないから、別にいいんだけど。
今、わたしの耳に聞こえてくるのは冷蔵庫の音ぐらいだ。
その静寂を破ったのは、おばさんだった。
「いつかやると思ってたのよ……」
わたしには何の話かわからなかったけど、あっくんの顔を見ると、わかったような顔をしていた。
「聡志くんは部屋に居ますよね?」
「ええ、居るわ。突然家に帰ってきて、何も言わずに部屋にこもって出て来ないものだから、何かおかしいとは思っていたんだけど……」
疲れきった顔でため息をつく甘木くんのお母さん。
「その階段から落ちた子はどうなったの?」
「死にました」
間髪置かずに答えを返すあっくん。無愛想というよりも、それは突き放すような冷たい言い方だった。
「そう……」
おばさんには驚いた様子も、怒った様子もなく、ただ残念そうだった。その顔には諦観のようなものが見える。
「あなたたちは、あの子に自首を薦めに来てくれたの?」
端から息子がやったと決め付けている言い方。だけど不思議なことに、その表情は息子を嫌っているという風ではなかった。ただただ、悲しそうに見えた。
「いえ、僕たちは聡志くんがやったんだとは思っていません。ただ、亡くなったのが聡志くんの友達なので、聡志くんも何か知っているかも知れないと思ったんです」
「……知っているでしょうね、あの子は」
おばさんはまたため息をついて、考え込むように目をつぶった。
「一つ、お願いを聞いてもらえる?」
「何ですか?」
閉じていた目がゆっくりと開いた。
「あの子が犯人だってわかっても、今日は警察に言わないで欲しいの。明日まで、待って。あの子にも、それぐらいの自首するチャンスをあげたいのよ」
その目は紛れもなく、子を心配する親の目だった。信用はしてなくても、心配はしてるってことらしい。
「わかりました」
あっくんは一言そう言っただけで、それ以上は何も言わなかった。おばさんも、しばらくは口を閉ざした。
冷蔵庫の音だけが、虚しく響いていた。
甘木くんのお母さんは、甘木くんが引きこもってる部屋を口で説明しただけで、自分がついて来ようとはしなかった。曰く、
「私が居たらあの子は何も話してくれないだろうから」
とのこと。
その部屋は二階にあった。階段を昇りきってすぐの左側の部屋が、甘木くんの部屋らしい。部屋の前に立つなり、あっくんはドアをノックした。
「甘木聡志、居るか? 俺は二‐Bの黒沢厚司だ。訊きたいことがある」
しばらく待っても、返事がない。あっくんはそのことに戸惑ったりはしなかった。
あっくんは続けた。
「知ってるんだろうが、ついさっき辛島が階段から落ちて死んだ。その事件について、お前は何か知ってるんじゃないか? 知ってたら教えてくれ」
またしばらく待っても、やっぱり返事がない。またあっくんが口を開きかけたところで……
「……なんであんたがそんなことを訊きたがるんだよ……」
部屋の中から震えるような男の声がした。それを聞いたあっくんの口元が、少し緩む。やっと会話ができて嬉しいのはわかるけど、ちょっと怖い。
「俺は中学の時、中沢とちょっとした付き合いがあった」
「中沢と……?」
「その中沢もお前と同じ時間帯に学校を抜け出した。それについても、何か知らないか?」
「…………中沢、まさか、見てたのか?」
見た?
「見た?」
わたしの心の声とあっくんの声が被った。一心同体って感じでなんかいい。
「殺す気はなかったんだ……」
わたしたちの疑問を無視して――聞こえてなかったのかも知れないけど――甘木くんは言った。
「殺すつもりはなかった……。俺はちょっとふざけて、冬香を押しただけなんだ。殺すつもりはなかった……。だって、そうだろ? 手摺りが外れるなんて、そんなこと、誰も思わないじゃないか……!」
まるで内臓を絞り上げられているみたいに、辛そうな声が聞こえてくる。
「つまり……、事故ってことか?」
「そうだよ! 手摺りが腐ってて外れたんだ! 俺が冬香を殺す訳ないだろ!」
殺す訳ないだろって言われても。知らないよ、そんなの。
隣のあっくんは考え込んでいた。わたしも一緒に考える。
辛島さんを殺したのは実は甘木くんだったらしい。しかも事故。つまりは甘木くんが警察に行って事情を説明すれば、全部解決?
ううん、違うと思う。だってまだ、わからないことがあるから。
「中沢はその時、居なかったんだよな」
わたしの思考は、あっくんの言葉に遮られた。
「そうだよ。でもきっと、見てたんだ。だから、俺を追って…………。でも、違うんだ! 殺そうと思って殺したわけじゃないんだ!」
「中沢は何故一人でそこに行こうと思ったんだ? あの階段は非常用階段。どこに向かうにしても通ることはまず無い。そもそもお前と辛島がそこに居たことからして、不自然だ。あそこで待ち合わせでもしてたのか?」
あっくんの畳み掛けるような問いに、甘木くんは間を置かずに答えた。
「待ち合わせなんてしてない。でもオレらは普段から、あそこをたまり場にしてたんだ。誰かとつるみたい時は……」
そこで不意に、ノックする音が聞こえた。あっくんがドアを叩いたのかと思ってそっちを見たら、どうもそうじゃないらしい。あっくんは顔をしかめて、ドアを凝視していた。
「中沢?」
部屋の中から甘木くんの声が聞こえた。その後に窓を開ける音と、誰かが部屋の中に入る音がする。
「こんにちは。甘木先輩」
甘木くんとは違う、誰かの話し声が聞こえる。男の子の声にしては少し高い声だけど、多分、中沢くんだ。あっくんが悔しげに指を鳴らした。
「そうか。木を伝って窓から入るっていう手があったのか」
「思い付いてもわたしが反対してたよ……」
男の子ってのは、これだから困る。なんですぐに木とかに登りたがるかな。
「中沢……。なんで窓から……」
「最初はチャイムを鳴らして、普通に入れて貰おうとしたんですけどね。甘木先輩の友達ですって言ったら、先輩のお母さんが入れてくれなかったんですよ。それで仕方なく」
なんだ、仕方なくだったんだ。それはそうだよね。男の子がみんな、あっくんみたいに大胆なヒトばかりじゃないよね。
「前からこの木に登ってみたいと思ってたので、丁度良かったです」
…………。これだから男の子は……。
「そ、そうだ甘木。お前昨日、オレ達のこと見てたんだよな。でも、誤解しないで欲しいんだ。俺は……」
「わかってますよ。殺そうとしたわけじゃないんでしょう?」
「そう! そうなんだよ!」
「言わなくても、全部わかってます。どうやって辛島さんが死んだのかってことも、これからどうなるのかってことも、全部わかってます」
「え?」
甘木くんが困惑したような声を出す。わたしはその時、予感のようなものがあった。
「これからどうなるかって……どうなるんだ? 俺は捕まるのか?」
「いいえ、甘木先輩が警察にお世話になることはありません」
「ほ、本当か……!」
「はい」
何かを決意したみたいな喋り方。その喋り方に引っ掛かるものを感じて、わたしはその違和感がなんなのかを頭の中で探った。
後先顧みない大胆な行動。
確信に満ちた言葉。
そして、決意を感じさせる話し方。
もしかして……、中沢くん……。
「中沢くん、甘木くんを殺す気なんじゃ……」
「なっ……!」
わたしの呟きに、あっくんが敏感に反応した。
「中沢ッ! やめろ!」
わたしの不確かな予想を、あっくんは信じたらしい。そこまで信用されても困る。もし間違ってても責任なんか取らないんだからね。
「黒沢先輩、すみませんけど、僕はやめません」
「な、何の話だよ!」
甘木くんが叫ぶ。
「甘木! 逃げろ! 殺されるぞ!」
あっくんがその声に負けない大きな声で叫ぶ。
「な、殺? ――あ」
喧騒が、一つの音を皮切りにして、途絶えた。
スイカに包丁を差し込んだような、軽い音。なのにその音は、喧騒の合間を縫うようにして、わたしの耳に響いた。
そして、第六感がわたしに告げた。
今、この瞬間、間違いなく、
甘木聡志は殺された、と。
そして、
――良かった。
わたしは安心した。
――予想が外れてなくて、ほんとに良かった。
これで責任を取らなくて済む。
「――どうかしたの? 何か倒れる音がしたけど」
階段の下から声がした。見ると、甘木くんのお母さんが顔を覗かせていた。
その声を聞いてやっと我を取り戻したらしく、あっくんが急に大声を上げた。
「きゅ、救急車だ! 甘木が刺された! 救急車を!」
「わたしが連絡するよ」
言いながら携帯電話を取り出し、一一九番を押す。
「さ、刺されたですって? どういうこと?」
甘木くんのお母さんが階段を上がってきた。表情から怯えているのがわかる。
だけどあっくんは、そんなおばさんには何も言わない。何も言わず、扉に体当たりを始めた。
「ッ! くそっ!」
でも、余程頑丈に出来てるのか、それともあっくんの力が弱いのか、扉はびくともしない。ぶつかる時の騒音が、わたしの電話の邪魔になるだけだった。うっとうしいなあと思いながらも、わたしは電話を終えた。
わたしの電話が終わったのを見ると、あっくんは体当たりをやめて、言ってきた。
「俺は扉をぶち破って中に入る。雪は外から木を登って、部屋に入ってくれ」
「わたし木なんか登れないよ」
「そんなことわかってる! だけど今はお前しか居ないだろ!」
あっくんが苛立ったように声を荒げる。
「あっくんが登ればいいじゃない」
わたしがそう言うと、今度は睨みつけてきた。
「……あのな、」
でもわたしは怯まない。あっくんが言う前に言葉を被せた。
「この家は新築みたいだし、ちょっと体当たりしたぐらいじゃドアは壊れないよ、きっと。それよりも、あっくんが木を登った方が絶対に早いって」
咄嗟にあっくんは言い返そうとしたみたいだったけど、口を開いたところでやめた。下唇を噛んで、無言で階段を駆け降りていった。
「何があったの?」
そう言った甘木くんのお母さんは、血の気の失せた顔をわたしの方に向けていた。あっくんが行ってしまったから、おばさんはわたしに訊くしかないし、わたしも自分が答えるしかない。
はぁあ、めんどくさいな。
「聡志くんのトモダチの中沢くんが、窓から部屋に入ってきました」
「そ、それで?」
「多分、ナイフか何かで聡志くんを刺しました」
「ナ、ナイフ……」
おばさんは震える手で、まるで吐き気を堪えるように、口元を抑えた。その手を少しずつ降ろして、首まで来たところで……
「聡志は! 聡志は生きてるの!?」
勢い良くわたしに飛びついて、両手で肩を揺さ振りながら、訊いてきた。
「わかりません。今、黒沢くんが見に行ってます」
それぐらい、さっきの会話でわかって欲しいな。
「聡志……。どうか……」
手を離して、今度はぶつぶつ呟きながら、ドアに向かって祈る甘木くんのお母さん。
いくら待っても、なかなか部屋の中から反応がない。
あっくん、遅いな。早く部屋を開けてくれないかな。まさか木に登れなくて困ってる、なんてことはないよね? うん、ないない。だってあっくん陸上部だし。陸上部は色んなことをするって、前にりっちゃん言ってたから、木登りだってできるはずだよ。
そんな心配するよりも、わたしはもっと大事なことを考えよう。この後どうするか、とか。
とりあえず、甘木くんは死んじゃったってことにして考えてみる。
わたしは、この事件から逃れたい。その為には、あっくんを満足させないといけない。
あっくんは、中沢くんを助けたい。その中沢くんは、甘木くんを殺すのが目的で、その目的は(多分)達成された。
でも、これであっくんが満足したかって言うと、そうじゃない気がする。多分あっくんは、『中沢はあれじゃ助かったことにはならない。なんとか捕まえて、自首させないと』とか言い出すと思う。ってことは、中沢くんが捕まったら全部解決、かな。だったら何もせずに放っておくのが一番かも。
中沢くんが逃げるのがすごく上手いっていうなら話は別だけど、そうじゃないなら、きっとそのうち警察が捕まえてくれると思う。わたしたちが動いても大したことはできないだろうし。
問題は、あっくんがじっとしててくれないだろうってこと。自分で捜すって言うに決まってる。
あ。
いま部屋の中で物音がした。きっとあっくんが部屋に入れたんだ。ほんとに待ちくたびれた。
「あっくん?」
「あ、ああ」
やっぱりあっくんだ。
「早く鍵開けてよ」
「ああ、ちょっと待ってくれ」
木登りしてる間に落ち着いたのか、いつも通りのあっくんの声だった。
しばらくして、鍵の開く音がしたかと思うと、続いてドアが内側に開けられた。中には、大体わたしの予想通りの光景が拡がっていた。
開け放たれた窓。はためくカーテン。まるで何事もなかったかのように佇む勉強机と、その上に散らばる雑誌。
そして部屋の中央で倒れる甘木くんらしきヒトと、その首に突き立てられた包丁と、そこから流れ出た血溜まり。
「聡志ッッ!!」
ドアの前で祈るようにしていた甘木くんのお母さんがまず部屋に入って、倒れてるヒトに駆け寄った。やっぱりあのヒトが甘木くんらしい。
わたしはその後にゆっくりと部屋に入って、涙を流すおばさんを横目に、ドアの後ろに居るあっくんに話し掛けた。
「あっくん、これからどうするつもり?」
あっくんは、頭に葉っぱを付けていた。話しながらそれを取ってあげると、あっくんは他に付いていないか確かめるように、髪の毛を右手で梳いた。いつもならあっくんが照れて大騒ぎするところなのに、この真剣な空気が憎い。
「俺は中沢を捜す。見付けて、ちゃんと話して、自首させないと、誰も救われない。中沢も、甘木も、辛島も」
さっきわたしが予想したのとほとんど同じ答えで、うんざりする。
無駄だとわかりつつも、わたしは言う。
「ねえ、わたしたちじゃきっとたいしたことはできないよ。あとは警察に任せようよ」
「これは単なる俺の自己満足の為にするんだ。中沢を見付けられるかどうかは問題じゃない。それに、雪も無理に付き合わなくてもいい」
そう言うと思った。わたしだって、ほんとはこんなことに付き合いたくないのに……。
項垂れるわたしの耳に、パトカーの音が聞こえてきた。わたしは一一九番に連絡したのに、救急車より先にパトカーが来るのは不思議だ。
あっくんにもサイレンの音が聞こえたらしくて、夕日でも眺めるようなゆっくりとした動作で窓の外を眺めた。おばさんとれーちゃんは、相変わらず死体に向かって泣き続けていた。
「中沢くんを捜すにしても、まずは警察で事情を話してからだね」
「ああ、そうだな」
わたしたちが事情聴取を受けてる間に中沢くんが捕まってくれれば、万々歳なんだけど。
警官が来た時に、現場の維持とか、証拠がなんとか言われると面倒なので、自分だけでも部屋から出ておこうと思って、ドアの敷居を跨いだ、ちょうどその時。
わたしの携帯が鳴った。
画面を見ると、りっちゃんからだった。
「もしも『ユキ! 大変よ!』
「どうしたの? りっちゃん」
りっちゃんは怒鳴るように話していたので、わたしは受話器から耳を離さないといけなかった。
「律か?」
電話の声はあっくんにも聞こえたらしい。力技のスピーカーフォンだ。わたしは頷いた。
『さっき階段から……』
後から思うと、りっちゃんはもっと声を抑えるべきだった。まさかあっくんに聞こえてるとは思わなかったんだろうけど、でもやっぱり気遣いが足りなかった。
『中沢くんが飛び降りたって。それで、死んじゃったって……』
*
パトカーの中で、あっくんがわたしに話した。
「中沢は、中学の頃は優等生だったんだ」
それは思い出話だった。
「頭が良くて、運動神経も悪くない。しかも義理人情に厚い奴で、三年の時は陸上部で部長をやったぐらい、周りから信頼されてた。俺と友達するには不釣り合いな奴だったよ。勿論、俺が劣るって意味でな。そんなあいつがうちの学校に来るって聞いた時は、本当に驚いた。あいつならもっと学力の高い高校に行くと思ってたからな。一瞬、俺の事を追ってくるのか、なんて、自惚れた勘違いもした。
当たり前だが、あいつがうちの学校を選んだのは、俺を追ってきたんじゃなかった。あいつが追ってたのは、俺じゃなかった。あいつは、辛島冬香を追ってたんだ。
俺の知らない所で、中沢と辛島の間に何があったのか。それは後で調べてもわからなかった。だからこれはあくまで俺の予想だけど、中沢は辛島に、何かの折に助けられたんじゃないかと思う。
聞いた話だと、辛島は不良に違いないが、根っこまで腐った奴じゃなかったらしい。困っている人を見捨てられない。むしろ積極的に助けようとする。そういう女だったらしい。
中沢は、一度助けられたらその恩を忘れない。生真面目な奴だからな。それで生真面目に中沢を慕って、中沢がいるうちの高校に入って、中沢と一緒にいる内に、不良になった。いや、もともと不良になるつもりだったのかも知れないが。
俺は別に、それでも悪くないと思った。中沢は中沢だし、別に不良になってみるのも悪くないってな。俺に止める権利もなかったし。確かに中沢と見えない距離が出来たようで少し寂しかったが……。何より、時々見る中沢の顔が、前より生き生きしてたからな。
でも……、
俺は心のどこかで不安だったんだろうな。不安と言うより、心配か。中沢が、どこかで道を踏み間違えてしまうんじゃないかって。俺の知らない所で、大きな問題を起こしてしまうんじゃないかって。
俺が、中沢のことを止めていれば……。そうしたら中沢も、甘木も死なずに済んだのかも知れない……」
「違うよ。あっくんのせいじゃないって。あっくんが責任感じることないよ」
「…………」
あっくんはかなり落ち込んでるみたいだった。いつもは嫌味なくらい前向きだから、落ち込んでるあっくんは少し新鮮だった。
でも、なんだかあんまりいい気分じゃない。
なんだろう。嫌な感じ。気持ち悪い。なんでだろう?
これだけ落ち込んでると、可哀相でからかえないからかな? とにかくいつものあっくんに戻って欲しい。
となると、早くこの事件を終わらせないと。幸い、終わらせる方法はもう思いついたし。
パトカーが警察に着いて、わたしたち二人は事情聴取を受けた。甘木くんのお母さんが見えなかったけど、どこに行ったんだろう? もしかして、精神病院とか? かなり発狂してたしね。
わたしは事情聴取を早く終わらせたくて、パニックを装ってみた。前の事件で通報した時と同じように。
でも、そんなわたしの演技が通用しなかったところも、前の時と同じだった。わたしって演技へたなのかな。結局、これまでの事件のあらましをかなり細かく話すことになった。まあ、これからの事件のあらましを喋らずに済んだだけでも、良しとしよう。
解放された時には太陽が沈みかけてた。確か警察に着いたのが二時過ぎだったから、かなりの時間を奪われたことになる。警察のヒトが、車で家まで送るって言ってくれたけど……。
「それも当然って感じだよね」
車の中で、わたしはあっくんに言った。当の警察のヒトが運転席に座ってるけど、これから先で関わることのないはずのヒトだから、どう思われようと気にしない。
「そう言わないでくれよ。こっちも仕事なんだからさ」
わたしはあっくんに話し掛けてるのに……。なんか、気さく過ぎて逆にむかつく。
なんだったら晩御飯でも奢ろうか? っていう警察のヒトの問い掛けに、無言の否定で答える。お金に困ってるあっくんならともかく、わたしからしたら晩御飯で埋め合わせになんかならない。それより早く解放して欲しい。
「あっくんの方の事情聴取はどうだった?」
「ああ、普通だった」
「普通ってどんな?」
「ああ、ええと…………」
間。
「あっくん?」
「ああ、うん」
「どうだったの?」
「ああ、普通……だな」
「…………」
それからはわたしも喋りにくくて、ずっと黙ったままだった。警察のヒトがたまに話し掛けてきたけど、全部無視した。家に行く道を言う時だけ、口を開いた。
わたしは、先にあっくんの家に行ってもらうことにした。わたしの家に先に行くと、わたしが降りた後のあっくんのことが心配だから。
家に着くと、あっくんは何も言わずに車を降りて、静かな足取りで玄関に向かっていった。
「あっくん、大丈夫?」
わたしはそんな背中に、車の中から声を掛けていた。
あっくんは半身だけ振り返って、わたしの目を見て頷いた。
「大丈夫だ。心配ない」
「死んだりしない?」
わたし、なんか変だ。
なんでこんなこと訊いてるんだろう。
どうしてこんなにも必死なんだろう。
あっくんはわたしのカレシだから?
もしかしてりっちゃんが怖いから?
違う。
カレシだって、ヒトには違いないんだから。どんなに特別なヒトでも、ヒトである以上は、わたしにとってはどうでもいい存在なんだから。わたしは自分さえ良ければ、ヒトはどうでもいいんだから。
りっちゃんだってそうだ。こんなに必死になってまで、トモダチでいる必要なんかない。確かにトモダチはいた方が便利だし、退屈しなくて済む。でもここまで頑張ってまで、欲しいものじゃない。
じゃあ、わたしは、今、どうして、あっくんに、声を、掛けたん、だろう。
「死んだりしない」
短く言葉を返したあっくんは、わたしを安心させるような笑みを……浮かべていなかった。まるで睨みつけてるみたいな、鋭い目をわたしに向けていた。そしてそれこそが、いつものあっくんだった。その真剣な時のいつもの表情に、わたしはかえって安心した。安心した自分の心がいつも通りなのか、自信がなくて、少し不安になった。
その不安な気持ちを抱えたまま、家に帰っていくあっくんを、わたしは見送った。
「優しいんだね、君は」
運転席の方から声がした。
目を向けると、警察のヒトが前を見たまま、まるで独り言のように呟いている。
「だけど……、少し無理をしているように見える」
「早く出発して」
「了解」
車は静かに走り出した。
流れていく景色に目を遣りながら、わたしは考える。
無理、してるのかな。自分じゃそんなつもりはないんだけど。
でも確かに、無理でもしない限りわたしがヒトのことを心配するはずがない。
利己主義のわたしだけど、先のことを考えてヒトに優しくすることもある。今さっきのも、それかも知れない。
「一応言っておくけど、無理してるって言うのは無理して優しくしてるって意味じゃないよ?」
「……?」
意味がわからない。
「むしろ逆だ。無理して優しくしないようにしてるんじゃないかって意味」
「……………………………………?」
余計わからない。
わたしが無理に優しくしないようにしてる? それって優しいのがほんとのわたしってこと?
だとしたら、とんでもない勘違いだ。
「優しくしたいのに、優しくしたらいけないっていう強迫観念があるのかな? それとも、自分はこうあるべきだと思ってるみたいに見えるんだ。偉そうに聞こえたらごめんね」
「……そこ右」
「おぉっと!」
車が急カーブして、身体が左に傾く。もし対向車線に車がいたら、絶対にクラクションを鳴らされてたと思う。
「はあ、焦った……。ごめんね、運転が荒くて」
「…………」
わたしが言うのが遅かったせいなのに、それを責めたりしない。なんでわたしの周りは、良いヒトばっかりなんだろう。
「まあ、ともかく。僕が言いたいのは、もっと自然にした方が良いってことだよ。優しくない人が無理に優しくするのは賛否両論ありそうだけど、優しい人が無理に優しくしないのは、絶対に良いことじゃない。いや、これも状況によってはアリなのかな?」
「……お節介だよ」
つい声を漏らしてしまった。
どうしても無視できなかった。
これ以上黙っていて、もっと踏み込んで来られるのが怖かった。
「ハハ、同僚にもよく言われるよ。ごめんね? 本当に」
どこまでも気さくで、底抜けに明るくて、それが余計に気に障る。
むくれていると、バックミラー越しに視線を感じた。ちらっと見ただけみたいだったけど、うっとうしいから見えない位置に座り直した。
窓ガラスに頭を付けて、わたしは逃げるように、視線を車の外に追いやった。
自分のマンションに着いて、わたしは車を降りた。もちろん無言で。そのまま運転手には目もくれずに、マンションの方に歩いていく。これじゃまるで、あっくんの真似をしてるみたいだ。
「黒沢くんのことなら心配しなくてもいいよ。彼は死なないから」
後ろから、運転手が知った風な口を利いてきたけど、わたしは振り向かずに、そのまま階段を昇っていった。
警官に見えないところまで来てすぐ、わたしは携帯を取り出した。
車のエンジン音が遠ざかっていくのを聞きながら、アドレス帳から目的の相手を選んで、電話を掛ける。
何度目かのコールの後、相手が電話に出た。
『どうしたの? ユキ。またなんかあったの?』
ほぼ毎日聞いてるこの声は、わたしのトモダチ、りっちゃんの声だ。さっき警察署にいる時に電話が掛かってきて、その時にだいたいのことは話してある。
「ううん、そんなんじゃないの。ただ、ちょっとお願いがあって」
『ああ、ちょうどよかった。アタシもあるの、お願い』
「りっちゃんも?」
『うん』
どんなお願いだろ。面倒なことじゃなければいいけど。
「あ、そうだ。その前に、れーちゃんは今どうしてるかな?」
『ああ、レイナね……。ナカザワとアマギが死んだって聞いたあとは、もっと落ち込んじゃって……。アタシが家まで送ったんだけど、その時にはほとんど喋ってもくれなかったよ』
「そう」
『ついていてあげたいけど……。家にはレイナのお母さんがいたから、事情だけ話して、帰ってきた』
「じゃあ、今は家にいるんだね?」
それなら、却って好都合かも。
「それでりっちゃん、お願いってなに?」
『ユキから先に言ってよ』
「そう? それじゃ……」
事件は今夜、終わる。
わたしは今、その布石を打つ。




