あとがき
数年前に友人と、「普通」という言葉について話したことがありました。
私は子供の頃から、自分が「普通」ではないことを半ば自覚していて、それが一種のコンプレックスになっていました。
その友人との会話も、私の普通ではない行動がきっかけで始まったと思います。会話というより、口論に近かったのかも知れません。
友人は、私に言いました。
「もっと『普通』にしたほうがいい」
私は言いました。
「『普通』とは何か。あなたの『普通』か。それとも世間一般の『普通』か。後者だとすれば、どこかに『普通』の基準となる人物が存在するのか。
否、そんな人物は存在しない。ならば、『普通』の基準も存在しない。ある人にとっての『普通』は、別の人にとっては『普通』でないことが往々にしてある。その為、「普通」という言葉はかなり曖昧な言葉である」
……こういう理屈っぽいところが、所謂「普通」ではないのでしょうが、とにかく、今の私も、この考えは変わっていません。
「普通にしろ」と言葉にするのは容易いのですが、「普通」ではない人にとって、これはかなりの難題です。「普通」の人に「変なことをしろ」と言うのよりも、難易度が高いと思います。
そもそも、「普通」でないことをそこまで批判されるのは、少しおかしいとは思いませんか?
世界中が「普通」の人ばかりになれば、おそらく人間は進歩しません。こういう言い方は良くないのかも知れませんが、天才はほとんどが変人です。
「普通」でないせいで迷惑をかけたならいざ知らず、そうでないなら責められる謂れはありません。まあ、上の会話の場合は、その前に迷惑をかけていたような覚えがありますが。
「普通」でない私が書いたこの話の主人公も、やはり「普通」ではありません。しかもそれを完全に自覚していて、周りからは「普通」に見えるように自らを演じているという、なんとも羨ましいスキルの持ち主です。最後には、黒澤氏が「お前は普通だ」というようなことを宣っておりますが、まあ、どう見ても「普通」ではないでしょう。
ただ、黒澤氏が言った「普通」は、「普通」の人が「普通」に使う「普通」とは意味が違うのでありまして、――普通普通言い過ぎて訳がわからなくなってきましたが――要するに、受け皿の広い「普通」ということです。黒澤氏も「普通」の人ではありませんから、こうなるのは当然とも言えます。やっぱり、曖昧な言葉ですね、「普通」というのは。
雪は多分、「普通」になってはいけないと思っている半面、「普通」に憧れているのだろうと思います。
だからこそ、周りの人間の良いところを目の当たりにすると、不安になったり、腹を立てたりするのです。そういう意味では、雪の「普通」は崇高で、受け皿が狭いのかも知れません。黒澤氏とは考え方が真逆ですね。
無理矢理纏めるとしたら、そうですね……。私は黒澤氏のことは黒澤氏と呼びたいけど、雪のことは雪と呼びたい。そんなところでしょうか。
さて、ここから先は宣伝になります。お目汚しになるかも知れませんが、ご容赦ください。
私は、フリーライターをしております。この話をここに掲載したのも、これをきっかけにして仕事が見つかればいいなと思ったからです。
この話を読まれた方の中で、ライターを探しておられる方がいらっしゃいましたら、どうか是非、私のところまでご相談ください。できる限り、引き受けさせていただきます。
私の希望としては、ライターとしての実績を積める仕事を求めています。仕事の内容次第では、無償でも引き受けさせていただく所存です。
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最後に、関係者の皆様にお礼を……と思ったのですが、関係者は私一人でした(ベタ)。
いえ、そうではありませんね。この話を読んでくださった皆様も、立派な関係者です。いつも皆様には、次の話を書く気力をいただいています。
私のようなド素人の書いた話に目を通してくださったことに、多大なる感謝を捧げます。ありがとうございました。
また、次回作にも是非お付き合いいただきますようお願い致しまして、締めの言葉とさせていただきます。
平成25年5月11日 泉野 戒




