第十六話 シャルティナの好物
その後、夜会は大きなトラブルもなく終わった。
それでも頭をフル回転させ、相手に不快な思いをさせないよう、できる限り良い印象を持ってもらえるよう、必死に会話したシャルティナは、帰りの馬車の中でぐったりとしていた。
「シャルティナ、今日はよくやった」
「ありがとうございます。このブレスレットがなかったら倒れてたかもしれません」
ブレスレットを翳しながら苦笑いをするシャルティナ。
精神的な疲労には効果はなかっただろうが、ずっと立ちっぱなしでいる身体的な疲労は軽減してくれていた。
「ああ、フィリップはいいものをよこしてくれたな。ある程度の身の安全が保証されるから、私も安心だ」
「毒や呪い……私はまだ高位貴族の世界に入るということを、甘く見ていたかもしれません。そんな危険があることをかけらほども意識したことはなかったです」
「ああ、私も失念していたよ。子供の頃から対策することが当たり前すぎてな。フィリップには本当に感謝している」
それを直接相手に言わないのが、男性の友情のありかたなのだろうか? と、シャルティナは少し不思議だった。
自分だったら絶対にどれだけ感謝したのか言葉をつらねていただろう。
けれど、言わなくても通じるという仲も、シャルティナの目には格好良く映った。
「ふぁ……、あ、失礼しました」
緊張が抜けていくと、同時に疲れからの眠気がじわじわとシャルティナを溶かしていく。
それを見たシュヴァルは立ち上がり、シャルティナの隣に座る。
「疲れただろう。屋敷まではまだ時間がかかる。肩を貸すから少し寝るといい」
普段なら恐れ多い! と辞退していただろうが、シャルティナはもう限界だった。
「すみません、肩、お借りします」
布越しに伝わるシュヴァルの体温にドキドキとしたが、ゴトゴトと身体を揺らす馬車の振動と疲労で、シャルティナのまぶたはすぐに重くなり、眠りに落ちた。
「……本当に、お疲れ様」
シュヴァルは寝入ったシャルティナの手を取り指を絡ませると、自身も目を閉じ、こんな穏やかな時間がずっと続くといいと、まどろんだ。
翌日、シャルティナは休むことなくミズリー夫人の授業を受ける。
「疲れているでしょうが、今日一日だけは頑張るんですよ。日が経てば経つほど、会話の詳細はぼやけてきます。記憶が新しいうちに、思い出せることを全部ノートにまとめましょう」
「はい。本当は当日の夜にする作業ですよね?」
「ええ。ですが、社交と書き出す作業に慣れるまでは翌日で良いでしょう。コツが掴めてくると、さほど疲れる作業でもないですからね」
ミズリー夫人は新しいノートと、最新版の貴族名鑑をシャルティナに渡す。
「シュヴァル様からは、とても良くやったと聞いています。折角うまくいったのですから、次に繋がるようもう一踏ん張りですよ」
シャルティナは早速机に向かい、他領の貴族たちとの会話を、できる限り思い出してはノートにしたためる。
記憶が曖昧な部分は別の紙に書き出し、後でシュヴァルに聞いてみることにした。
午前中いっぱい使って、思い出せる限りは書き出せたシャルティナは、軽食をつまんだ後にミズリー夫人にノートを見せる。
昨日の会話を思い出して整理するだけだから簡単かと思っていたシャルティナだったが、ミズリー夫人にいくつか間違った情報があると指摘される。
よくよく思い出してみれば、他の人との会話と混ざって勘違いしていた部分もあった。
(自分で書いていて矛盾に気づかなかったわ。これを一人でやるのは結構大変そう……)
今はミズリー夫人がチェックしてくれているからいいが、一人でやるようになったら思い込んだ箇所を見つけるのは至難の業だろう。
「この作業は皆一人でやっているのですか?」
「人によるところが大きいですね。そもそもノートにしたためなくても覚えている方もいれば、配偶者や侍女などに確認しながら進める方もいます。自分に合ったやり方を見つけるのが大切ですよ」
完全に一人きりでやらなければならないわけでもないことに、シャルティナはホッと息を吐いた。
少なくとも今の段階では、ノートに書き出して他の人からのチェックを受けたり、相談した方が良さそうだった。
「得られた情報の量からして、社交はとてもうまくいったことがわかります。よく頑張りましたね」
「……! ありがとうございます! 先生が根気よく教えてくださったお陰です」
「ふふ。素直で熱心な生徒は教え甲斐がありますからね。これからも一緒に頑張っていきましょう」
ふわりと優しく微笑まれ、シャルティナは努力が認められた気がして、つられて微笑む。
ようやく、今まで準備して、本番に挑んだ夜会が、終わったような気がした。
「さて、これで終わりです。このノートは次の社交までによく読んで、できればすべて頭に入れて、すぐに思い出せる状態にすると良いでしょう」
「はい!」
「それでは、ここから休養の時間ですよ」
ミズリー夫人が手元にあったベルを鳴らすと、メイドがカートを押して入ってくる。
そしてフードカバーを外すと可愛らしいトライフルが現れた。
「わぁ! かわいい!」
透明度の高いガラスの器にクリーム、スポンジ、フルーツがふんだんに使われた美しいスイーツ。
「たくさん頑張ったご褒美です。頭をたくさん使ったあとの甘味は格別ですよ」
「ありがとうございます!」
シャルティナは早速スプーンを差し入れ、そっと口に運ぶ。
「んん! これ、ムースも入ってるんですね!」
「ええ、シャルティナさんがムースをお好きだと聞いたので、料理長にリクエストしておきました」
自分の好みまで考えて用意してくれたことに、シャルティナは感動した。
少し酸味のあるムースにしっとりとしたスポンジ、そして、苺の先だけを贅沢に使われた甘みが器にギュッと詰められている。
「これも社交の基本ですよ。自分のことに興味を持ち、その知識を使っておもてなしをされたら嬉しいでしょう?」
「はい……! とても嬉しいです!」
「相手を不快にさせない、積極的に相手へ興味をもって喜んでもらう。これを忘れなければ、どんな相手ともそれなりにやっていけますよ」
シャルティナはこの味を一生忘れないだろうと、この宝石のようなスイーツを、いつも以上に味わって食べ進めていく。
長かった夜会の授業は、大成功に終わり、甘く優しいデザートで締めくくられた。




