第8話 もう一度、潮風の中で
すれ違いから三日間、俺と遥はほとんど連絡を取らなかった。
俺は実家で父の世話をしながら、東京への復帰を本気で考えていた。
遥は店を再開し、以前と同じように静かに働いていた。
互いに傷つけ合った言葉が、まだ胸の奥で疼いていた。
四日目の夕方、俺は覚悟を決めて「潮音」に向かった。
店に入ると、遥がカウンターで一人、グラスを磨いていた。
俺を見た瞬間、彼女の表情が少し強張った。
「拓也くん……」
「話がある。」
俺はカウンターの席に座り、深呼吸をした。
「東京に戻ることにした。
来週、挨拶に行ってくる。
父のことは近所の人が手伝ってくれることになった。」
遥はグラスを置く手を止め、静かに頷いた。
「……そう。」
その声があまりにも小さかったので、俺は思わず本音を零した。
「でも、正直、行きたくない。
遥と離れるのが、怖いんだ。」
遥の目が揺れた。
彼女はゆっくりとカウンターから出てきて、俺の前に立った。
「私も……行かないでほしい。
でも、拓也くんを縛りたくない。
また同じ過ちを繰り返したくない。」
俺は立ち上がり、遥の両肩に手を置いた。
「15年前、俺は君を置いて行った。
今度も同じことをしようとしている。
でも……今回は違う。
俺は、君のそばにいたい。
この町で、君と一緒に生きていきたい。」
遥の目から涙が溢れた。
「本当……?
また、置いていかない……?」
「約束する。
もう、君を一人にはしない。」
俺は遥をそっと抱きしめた。
彼女の体は細くて、でも温かかった。
15年分の想いが、潮のように溢れ出してきた。
遥は俺の胸に顔を埋め、震える声で言った。
「私も……怖かったよ。
また好きになって、失うのが。
でも、拓也くんが帰ってきてくれて、本当に良かった。」
その夜、俺たちは灯台の下で長い時間、波の音を聞いていた。
東京の話は一旦保留にした。
俺はここに残り、遥の店を手伝いながら、新しい生き方を見つけることにした。
完璧な解決ではない。
まだ不安も、傷も、残っている。
でも、二人はもう一度、手を繋ぐことを選んだ。
潮風が、優しく俺たちの頰を撫でた。
海は今日も、静かに、しかし確かに、新しい波を運んでくる。
15年の空白は、決して埋め尽くせない。
それでも——
これからの時間は、二人で紡いでいける。
遥が俺の手に指を絡め、小さく微笑んだ。
「これから、よろしくね。
拓也くん。」
俺は彼女の手を強く握り返した。
「ああ。
ずっと、そばにいるよ。」




