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ヴェリタスの最終定理【完結篇】  作者: リウ/Wan Liyue
●第16章:NV ニーア・ヴェリタス

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真理6:正義の悪と、悪の正義!

二人が入ったのは、裏通りにひっそりと佇む古びた名画座「光座」だった。カビと古いベルベットの匂いが染み付いた館内には、観客の姿は数えるほどしかいない。

スクリーンには、数十年前の任侠映画が上映されていた。


物語は、ヤクザの鉄砲玉が、信じていた組織の仲間に裏切られ、濡れ衣を着せられるというものだった。男はかつての兄弟分たちから命を狙われ、同時に敵の組織や警察から苛烈な追跡を受ける。血みどろの逃避行の末、男は愛する女を守るために、自ら敵の罠に飛び込み、最後は女からも裏切られて誰にも看取られることなく、雨の中で孤独に自害して果てる。


ニーアはスクリーンに映し出される悲劇に息を呑み、涙を浮かべていた。しかし、隣の席のアスナは、スクリーンを正面から見据えながらも、映画の物語など、全く見ていなかった。


異常な魔力を持つ獣人の青年。

彼が所持していた紫の魔石。

魔力欠乏症のエルフの少女。

ビリーからの依頼内容。

新魔道士による通報。

すべてのデータが、一本の残酷な線で結びついていく。

……あの獣人の青年こそが、紫の魔石を違法取引している主犯格である。

彼は、あのエルフの少女の命を繋ぐためだけに、極刑に処される危険を冒して魔石を盗み出し、裏社会で売り捌いて資金を得ているのだ。

しかし。

アスナの胸の奥で、再びあのノイズが鳴り響いた。

ひどく不快で、しかし無視することのできない、熱を帯びたノイズ。


『犯人であってほしくない』


記憶を持たない機械的な彼女の心が、明確にそう叫んでいた。あの青年の背負っている絶望と、少女への献身。カフェで見たあの痛ましい光景を思い出すと、胸の奥が締め付けられるように痛む。社会の底辺で身を寄せ合う二人の絆を、法律という冷たい刃で切り裂きたくない。アスナは、自身の中に芽生えた「感情」という非論理的なエラーに戸惑いながら、スクリーンの中で倒れゆくヤクザの姿と、青年の姿を重ね合わせていた。


映画が終わり、暗い劇場から外に出ると、雨はさらに激しさを増していた。新王都のネオンが、濡れたアスファルトに毒々しく反射している。

その時、ニーアのポケットの中で魔導通信端末がけたたましく鳴り響いた。


「ビリー!?どうしたの、すごい切羽詰まった声だけど!」


端末から聞こえるビリーの声は、周囲の爆音と悲鳴に掻き消されそうになっていた。


『ニーア君!大変だ!第三埠頭で、規制局の職員たちが襲撃された!魔石の搬入作業中だったんだ!敵は凄まじい魔力を使っている!先発の警察隊も壊滅状態だ!すぐに応援を頼む!』


通信はそこでプツリと途絶えた。

ニーアとアスナは顔を見合わせた。アスナの青い瞳に、絶望的な確定の光が宿る。推論は、最悪の形で現実のものとなった。

二人は雨の中を駆け出し、第三埠頭へと向かった。


現場に到着した二人が目にしたのは、文字通りの地獄だった。

海風が吹き荒れる広大な埠頭のあちこちで、巨大な炎の柱が上がっている。積み上げられていたコンテナは飴細工のようにひしゃげ、紫の魔石を積んでいた輸送車両は完全にスクラップと化していた。

その惨状の中心。

炎に照らされた瓦礫の山の上に、一人の影が立っていた。

手には、紫の魔石がぎっしりと詰まった重そうなジュラルミンケースが握られている。


「……やっぱり、あなただったのね」


ニーアが、絞り出すような声で叫んだ。

振り向いたのは、昼間カフェで見た、あの獣人の青年だった。彼の周囲には、常軌を逸した濃度の魔力が可視化するほどのオーラとなって渦巻いていた。


「どうして……どうしてこんなことをするの!?」


ニーアは激しい怒りと悲しみを込めて、青年に向かって一歩踏み出した。


「あなたは、自分が何をしたかわかってるの!?」


ニーアは戦いの構えをとり、体内の魔力を活性化させようとした。力ずくでも彼を止め、法の下に引きずり出す。それが、彼女の正義だった。


「待ちなさい、ニーア」


しかし、アスナがニーアの前に立ち塞がった。アスナは静かな足取りで、青年に向かって歩み寄る。


「あなたの行動原理は、理解している。……すべては、あのエルフの少女を助けるため、でしょう」


アスナの平坦な、しかし不思議な響きを持つ声が、戦場の喧騒を切り裂いて青年に届いた。

青年の肩が、ビクンと大きく震えた。

青年の瞳から、大粒の涙が溢れ出した。


「……そうだ……そうだよ!」


青年は血を吐くような悲鳴を上げた。


「あの娘は……もう限界なんだ!紫の魔石を摂取させなければ心臓が止まってしまう!医者に見せても、エルフという貴族階級でありながら孤児になった者の治療なんて、誰も引き受けてくれない!国に助けを求めても、むしろ……嫌がらせを受ける!俺たちは、この街に、もう、存在していないのと同じなんだよ!」


青年の叫びは、悲痛な魂の慟哭だった。


「俺だって……こんなことしたくなかった!でも、俺には魔力という名の暴力しかない!あの娘を助けるためには、奪うしかなかったんだ!あの子は、俺に初めて笑いかけてくれた、たった一人の家族なんだ!」


その言葉に、ニーアは構えていた拳を下ろした。彼女の正義感が、再び激しく揺さぶられる。法律が守ってくれない命を、自らの手を血に染めてでも守ろうとするこの青年を、果たして純粋な悪と呼べるのか。

アスナは、冷たい雨に打たれながら、静かに語りかけた。


「あなたの絶望は、認識した。……しかし、これ以上の破壊は、少女の未来をも閉ざすことになる。……まだ、やり直せる。……手を尽くして、助けるから、投降して」


アスナの言葉には、確かな真実味があった。

青年は息を呑み、アスナを見た。その青い瞳に宿る、嘘偽りのない誠実な光。彼はゆっくりと、アスナの方へと一歩足を踏み出した。


「……本当か?……あの子を、助けてくれるのか……?」


「……もう、大丈夫」


アスナは小さく頷き、青年を受け入れるために両手を広げた。

悲劇を回避できる。誰もがそう確信した、まさにその瞬間だった。


「そこまでだ!悪党め!」


埠頭の暗闇を切り裂くように、無数の強烈なサーチライトが、青年とアスナを照らし出した。

コンテナの陰から、完全武装した王都警察の特殊部隊が次々と姿を現した。その先頭に立っていたのは、防弾チョッキを着込んだビリー警部だった。

特殊部隊の隊員たちが構える魔導機関銃の銃口が、一斉に青年へと向けられる。


「おびき出してくれて感謝する!演技ご苦労だった、アスナ君!それにニーア君!」


ビリーが拡声器で高らかに叫んだ。


「君たちがうまく時間を稼いでくれたおかげで、完全に包囲することができた!さあ、観念しろ!」


その言葉が響き渡った瞬間、時間が凍りついた。

青年は、信じられないものを見るような目で、広げた両手を下ろしたアスナを、そしてニーアを見た。


「あ……ああ……」


青年の顔から、すべての希望が抜け落ちた。

残ったのは、裏切られたという絶対的な絶望と、世界への果てしない憎悪だけだった。


「騙したのか……お前たちも、俺を……あの子を、見殺しにする気か!」


青年が、魔力の宿る掌をビリーに向けた。


「違う!待って!ビリー!彼は本当に投降しようとしてたの!」


ニーアが叫ぶ。

アスナも振り返り、「……状況を誤認している」と声を上げた。

しかし、特殊部隊の耳に彼女たちの言葉は届かない。


「あああああああああっ!」


青年の喉から、獣の咆哮が迸った。

同時に、青年の体から致死量の魔力が爆発的に膨張し、巨大な光の嵐となって周囲を吹き飛ばした。


「死ね!お前ら全員、死んでしまえ!」


狂乱した青年は、もはや自分が何をしているのかすら理解していなかった。両手から無数の光弾が乱れ打ちに放たれ、特殊部隊の隊員たちを次々と薙ぎ払っていく。


「やめて!もうやめて!」


ニーアは必死に叫びながら青年に近づこうとするが、凄まじい魔力の奔流に阻まれて前に進めない。

その時だった。

青年が盲目的に放った光弾の一つが、一直線にアスナに飛来した。


「アスナッ!」


ニーアの絶叫が夜空を裂いた。

閃光。

そして、重い破裂音。

直撃。

アスナの細い体は、まるで糸の切れた操り人形のように宙を舞い、数十メートル先のコンテナに激しく叩きつけられた。トレンチコートは焼け焦げ、黒縁眼鏡が砕け散り、彼女はピクリとも動かなくなった。

ビリーが叫ぶ。


「番号持ちによる新魔道士への攻撃を確認!直ちに射殺せよ!」


特殊部隊による、殺害を目的とした射撃が開始された。

ニーアの視界が、真っ赤に染まった。

思考が停止する。感情が飽和する。

大好きなアスナが、目の前で壊された。


「アァァァァァァァァッ!!」


ニーアの全身から、これまでの彼女とは次元の違う、どす黒い怒りの魔力が噴出した。

彼女の瞳孔は獣のように縦に裂け、犬歯が鋭く伸びる。


「やめてって!やめてって言ったのに!だったらもう、私の手で終わらせる!…………着装!」


ニーアが吼えた瞬間、彼女の全身を光の装甲が包み込んだ。

装甲を纏ったニーアは、一切の感情を失った顔で、青年に向かって歩き出した。

青年はニーアの異常な気配に気づき、恐怖に顔を引きつらせながら、手当たり次第に光弾を連射した。

光弾がニーアの装甲に直撃し、爆発を起こす。

しかし、ニーアは歩みを止めない。

装甲が削れ、自身の肉体が焼け焦げても、彼女は全く表情を変えずに、ただ一直線に青年へと迫る。


「くそっ!来るな!来るなあああっ!!」


青年が最後にありったけの魔力を込めた巨大な光の槍を放つ。

ニーアはそれを避けることなく、正面から左腕で受け止めた。左腕の装甲が砕け、肉が裂ける音が響くが、ニーアはそのまま力任せに光の槍をへし折った。

そして、青年の懐に潜り込む。

ニーアの右拳が、限界まで引かれた。

その拳には、彼女のすべての魔力と、やり場のない悲しみと怒りが凝縮されていた。


「これで……終わりよ」


ニーアの拳が、青年の胸のど真ん中、その「番号持ち」の烙印が刻まれた心臓部を、分厚い肉ごと完全に貫いた。


「がはっ……」


青年の目が見開かれ、口から大量の血が溢れ出した。

致命傷。彼の体内で暴走していた魔力が、核を破壊されたことで行き場を失い、自らの肉体を崩壊させ始める。

ニーアがゆっくりと拳を引き抜くと、青年はその場に崩れ落ちた。

彼の肉体は、足先から徐々に光の砂となって崩れていく。


「あ……」


青年は、薄れゆく意識の中で、必死に手を伸ばした。

その手は、冷たいアスファルトの上ではなく、たった一人の少女に向かっていた。


「ごめん……な……」


最後に一筋の涙を流し、青年の体は完全に砂となって、無情な雨と海風の中に散っていった。

勝者はいない。

正義も悪もない。

ただ、喪失だけが、そこにあった。


この惨劇のすべてを、少し離れた建屋の上から、冷ややかな目で見下ろしている者がいた。

純白のライダースーツを着た男、アキラ・トバリである。

アキラは、雨に打たれながら、苦々しい表情で天を仰いだ。


「これが、君たちの守りたかった『秩序』か。……くだらない。あまりにも……くだらない」


アキラは、踵を返し、夜の静寂へと姿を消した。


一方その頃。

新王都の片隅、光の届かないスラム街の、さらに奥深く。

隙間風が吹き込む氷のように冷たい部屋の中で、エルフの少女は車椅子に座ったまま、じっと入り口のドアを見つめていた。


「……お兄ちゃん……」


かすれた声で、彼女はたった一人の家族を呼んだ。

しかし、返事はない。

どれだけ待っても、優しいあの笑顔がドアを開けて入ってくることはなかった。

彼女の体内から、最後の魔力の残滓が消え去ろうとしていた。


「さむい、よ……」


一粒の涙が、彼女の透き通るような頬を伝い落ちた。

それが、彼女がこの世界に残した最後の証だった。

やがて、少女の瞳から完全に光が失われ、その小さな首が、力なく横に傾いた。

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