終局1:再起動する家族たち!
抜けるような青空。そして、巨大な入道雲。
新暦109年の夏。
ヴェリタス探偵事務所の裏庭では、蝉時雨を切り裂いて、金属を削る甲高い音と火花が散っていた。
「ワーッハッハ!見たまえ!ついに!魔力伝導率の限界点を超える計算式が完成したのだよ!」
顔にべったりと機械油をつけ、白衣を焦がしながら高笑いしているのは、この事務所の主、褐色の肌で巨乳の天才科学者、エラーラ・ヴェリタスである。
彼女の目の前にある作業台には、無骨でありながらどこかヒロイックなデザインの、プレート型魔力増強装置『ナンバー』の最新型プロトタイプが鎮座していた。
「またお母様は、そんな物騒なおもちゃを作って……」
縁側に腰掛け、上品に麦茶を啜りながら呆れたようにため息をついたのは、彼女の養子のエルフ少女、アリシア・ヴェリタスだった。彼女の隣では、狐獣人の探偵ニーア・ヴェル・リータスが、極太の尻尾をうちわ代わりにパタパタと振りながら、冷えた西瓜をかじっている。
「ほんっと、科学者の末路ね。世界は平和になったんだから、あんたももっと夏を満喫しなさいよね。アスナとヘレナなんて、朝から二人で水着を買いに行ってるわよ?」
「ニーア君?平和な時代にこそ、個別の自衛の武力を探求するのだよ!すなわちだ、私という至高の頭脳が一人で完結する最強の防衛システムを構築してこそ、真の平和が担保されるというもの!」
エラーラは白衣の裾を揺らし、誇り高く胸を張った。その堂々たる佇まいには、孤高の英雄と呼ぶにふさわしい、圧倒的な強者の美学がみなぎっている。
誰かの助けなど必要としない。いかなる理不尽な脅威が現れようとも、自分という一人の天才が『最強の防壁』となり、絶対的な力ですべての事態を完結させればいい。
誰にも頼らず、ただ自分一人で完璧に解決してみせる。その徹底した孤高の思想は、平和な夏の日差しの下にあってなお、見る者に絶大な安心感を抱かせる、あまりにもまばゆく頼もしい強者の矜持そのものだった。
「はいはい、わかったわかった。熱中症で倒れないでよね」
アリシアは上品に麦茶のグラスを傾けながら、ふと周囲を見回した。
「そういえば、いつもうるさいくらいにお母様に付き纏っているあの子の姿が、今朝から見当たりませんわね」
アリシアが呟くと、ニーアは西瓜の種を庭先にプッと吹き出しながら肩をすくめた。
「グリッチ?あの子ならもう何日も行方不明よ。なんでも、地脈ネットワークで面白いバグを見つけたとか言って出かけたきりじゃない。どこかのサーバーの海で遭難でもしてんじゃないの?『お姉ちゃんに仕掛けた生体反応が正常ならそれでいい!』なんてこと言ってたっけ」
アリシアはクスクスと笑う。相変わらずお母様への愛が重すぎますわね、と。
騒がしい天才少女のグリッチ・オーディナルがいない探偵事務所は、拍子抜けするほど静かで、平和な夏の昼下がりそのものだった。
その時だった。
ガサガサガサッ!!
探偵事務所の裏庭を囲む高い生垣が、暴力的な力でへし折られた。
「わあああっ!」
生垣を突き破って裏庭に転がり込んできたのは、泥だらけになった一人の少年だった。年齢は十歳ほどだろうか。
「……む?」
エラーラがドライバーを置いた直後、少年の後を追うようにして、異様な集団が姿を現した。
全身を黒い強化服で包み、顔の半分が機械化された不気味な兵士たち。その数、およそ二十人。彼らの胸には、歯車の紋章が刻まれている。
忌まわしき、過去の大戦の言い伝えと技術を信奉し、当時の支配体制の再興を目論む悪の秘密結社『ノヴァ』の戦闘員たちだった。
「ターゲット捕捉。コアヲ回収セヨ」
機械的な音声と共に、戦闘員たちが一斉に電磁警棒を振りかざし、少年へと距離を詰める。
「……来るな!」
少年──レオは、恐怖で足を震わせながらも、一歩もひこうとはしなかった。
「僕が、僕一人で守らなきゃ……!この力を渡せば、世界がまた、戦いに巻き込まれちゃうんだ……誰も巻き込んじゃいけない、僕だけで……!」
レオは覚悟を決め、すりむいた足で立ち上がろうとした。その言葉の端々には、10歳の子供には不釣り合いな「自己犠牲」の匂いが、痛々しいほどに染み付いていた。
だが、彼が悲壮な決意を実行に移す前に、信じられないほど甘く、そして力強い香りが彼の鼻腔をくすぐった。
「あらあら……随分と非常識なお客様たちですこと」
レオの身体が、ふわりと宙に浮いた。
否、背後から伸びてきたしなやかで力強い腕に、すっぽりと抱きとめられたのだ。
「え……?」
レオが顔を上げると、そこには、息を呑むような女性が立っていた。
身長180センチメートルを超える長身。日焼けしたような美しい褐色肌と、引き締まった筋肉質な肢体。頭部にはピンと立った狼の耳があり、腰からは黄金色の極太の尻尾が悠然と揺れている。近所に住む画家のリウ・ヴァンクロフトだ。
「だ、だれ……!?」
「自己紹介は後ですわ、少年」
リウはレオを優しく縁側のほうへ逃がすと、赤い瞳をスッと細め、戦闘員たちに向き直った。
「さて……寄ってたかって小さな子をいじめるなんて。あなたたちのような誘拐屋さんには、お姉さんがたっぷりとお仕置きをして差し上げますわ!」
リウが地面を蹴った。
爆発のような踏み込みと共に、彼女の身体が砲弾となって戦闘員たちのど真ん中へと突っ込む。
「遅いですわよ!」
お嬢様のような優雅な口調とは裏腹に、リウの格闘術は純粋な暴力だった。戦闘員の電磁警棒を素手で掴み取ると、そのまま相手の腕ごとへし折った。
「はぁっ!」
褐色の長い脚がムチのようにしなり、空気を切り裂いて戦闘員の頭部を蹴り飛ばす。極太の尻尾がバランサーとなり、彼女の連撃には一切の隙がない。
リウが一人で無双している間、縁側の奥の薄暗い部屋の中では、もう一人の狼獣人がカタカタとキーボードを叩いていた。
ルル・ヴァンクロフトである。
身長145センチメートルと小柄で、色白。黒髪のショートヘアの奥にある黒目は、光を失ったように虚ろだ。だぼだぼのパーカーを着込み、極太の尻尾を床にだらんと投げ出しながら、彼女は片手でスイカの種を吹き出していた。
「あ、はい……敵の生体信号、共有しました……。通信ジャミング、逆探知して解除完了……ついでに、敵の本部のファイアウォールも抜いちゃいました……」
ルルはいとも容易く、敵のシステムを完全に掌握してしまった。
「ふへへ……これで、敵の監視カメラのバックドアが開きましたよ……。んん?」
カタカタとキーボードを叩いていたルルの指が、ふと止まる。虚ろな黒目が、モニターに流れる異常なデータ列に釘付けになった。
「……おかしいですね。要塞の総質量とエネルギーに対して、実際に出現している兵力や増援の数が、計算より圧倒的に少なすぎます」
「少なすぎる?」
縁側で構えていたリウが首を傾げる。ルルは端末を叩きながら、首をひねった。
「ええ。まるで……要塞の奥底から出撃しようとしている『本来の主力部隊』が、空間の裏側……亜空間かどこかで、未知のバグに巻き込まれてごっそり消滅させられているような……?」
だが、ルルがその謎を深く追求する前に、デウスの冷酷な合成音声が上空から響き渡った。
『脆イモノダ。……全部隊、突撃!』
「っ、来ます!」
ルルは謎のデータ異常から意識を切り離し、急いで防壁システムの構築へと戻った。
リウが最後の戦闘員を放り投げ、渾身の飛び蹴りを叩き込む。轟音と共に、すべての戦闘員が機能停止し、沈黙した。
「ふぅ。汗をかいてしまいましたわ」
リウが豊満な胸を揺らして微笑む。
「だ、大丈、夫……ですか?」
レオが恐る恐る尋ねると、リウはしゃがみ込み、レオの頭を優しく撫でた。
「ええ、もちろん。お怪我はなくて?少年」
その時だった。倒れていた戦闘員の一人が再起動し、腹部に内蔵されていた自爆装置のカウントダウンを始めたのだ。
「っ!?しまった!」
ズドンッ!!!
乾いた銃声が響き、自爆装置のコアだけが正確に撃ち抜かれ、戦闘員は完全に沈黙した。
白衣の裾をなびかせ、指先から立ち上る硝煙をフッと吹き消したのは、エラーラだった。
その無駄のない圧倒的な力と、自分を庇ってくれた彼女たちの底抜けの優しさを目の当たりにして、レオの心は激しく警鐘を鳴らした。
こんなにも温かい人たちを、凄惨な戦いの泥沼に引きずり込むわけにはいかない。自分を守ってくれるほど優しい人々が傷つく姿など、絶対に見たくなかったのだ。
「……だ、ダメだ!僕が……僕一人で戦わなきゃいけないんだ!だから、僕一人で……遠くへ行かなきゃ!みんなを巻き込んじゃう!」
レオは怯み、後ずさりした。
エラーラは、その目を見て、静かに目を細めた。
「……笑止!」
エラーラは、レオを掴み上げ、その顔を自分と同じ高さまで引き上げた。
「ひっ……!」
「よく聞くのだ、少年。すべてを一人で抱え込み、自分一人の力で世界を救おうなどという考えは……そう!傲慢な天才などが陥りがちな、致命的なバグだ!」
少年に放ったエラーラの言葉は厳しかったが、その言葉は、エラーラ自身に向けたものでもあった。
「この世界には、君の想像を絶するような理不尽な悪意が存在する。だが同時に、それを圧倒するだけの『力』も存在しているのだよ!いいかね。君の命と、君に迫る悪党どもの排除は……この私が、完璧な計算のもとに引き受けてやろう。だから君は……」
エラーラはレオを下ろし、ぽん、と彼の頭に手を置いた。
「この平和な時代で、ただ、子供として『夏休み』を満喫したまえ」
その言葉に、レオの瞳からポロポロと涙がこぼれ落ちた。ずっと一人で張り詰めていた糸が、ようやく解けたのだ。リウがそっと近づき、泣きじゃくるレオを再び自らの豊満な胸に抱きしめる。
「ハハハハハ!さあ、平和ボケもここまでだ。最高にド派手で、やかましい……夏休みの課外授業を始めようじゃないか!」
エラーラは白衣を翻し、真夏の太陽に向かって不敵に笑い声を上げた。




