真理3:覚醒!受け継がれた飛竜!
竜の力を行使した弟ダイモンの戦闘力は、まさに、蹂躙であった。暫定警察の特殊部隊が放つ銃弾は、ダイモンの魔力障壁の前に弾け飛び、彼の腕の一振りで装甲車は紙屑のようにへし折られた。
レンは、泥に塗れた体をひきずりながら、弟の元へ歩み寄った。二人は言葉を交わすことなく、ただ互いの肩を支え合い、暫定警察の増援が来る前に、スラムのさらに奥深くへと姿を消した。
逃亡の果てに二人が辿り着いたのは、地下深くにある打ち捨てられた旧地下鉄の駅構内だった。かつての栄華の残骸であるタイルは剥がれ落ち、天井からは冷たい地下水が絶え間なく滴り落ちている。
レンは、湿ったコンクリートのベンチに腰を下ろし、傷だらけの手で顔を覆った。
彼の胸中を渦巻いていたのは、生き延びた安堵などではなかった。それは……人間らしい「嫉妬」の炎であった。
父は、自らの命と銀竜会という巨大な組織を犠牲にしてまで、このナンバーを守り抜いた。その父の遺志を継ぐべきは、ヤクザとして共に地獄の底を這いずり回った自分であるはずだ。それなのに、あのナンバーは自分を拒絶し、あろうことか、つい数時間前まで自分たちを迫害する側にいた弟、ダイモンを選んだのだ。
レンは、自らの掌を見つめた。何も掴めなかった、無力な人間の手。
ダイモンだけが着装でき、自分にはできない。この決定的な事実が、レンの自尊心をズタズタに引き裂いていた。
極道の掟も、命を懸けた覚悟も、いま、無惨に砕け散ったのだ。
その頃。
血と泥にまみれた「場所」から遠く海を隔てた先。摩天楼が天を突き刺し、無機質な清潔さと高度な科学技術に支配された超大国、ゼランディアの首都。
その中心にそびえ立つ白亜の宮殿の一室で、一人の女が豪勢な食卓についていた。
ゼランディアが建国の祖として狂信的に崇拝する、ヴェリタス一族の末裔として祭り上げられている存在。金色の美しい毛並みと、極太の尻尾を持つ狐獣人の女性、ニーア・ヴェリタスである。
「ちょっと!このお皿の隅に乗ってる緑色の物体は一体何かしら!?」
ニーアは、テーブルに並べられた最高級の料理を一瞥するなり、金色の耳をピンと立てて叫んだ。
「あたしはね、お肉が食べたいの!下町の屋台で売ってる、安くて硬い、あのお肉よ!こんな栄養のない最高級の野菜の欠片なんて、今すぐあたしの視界からどけなさいよね!『あたしを誰だと思ってるの』!」
給仕たちが慌てふためいて野菜の皿を下げる中、ニーアはふんぞり返り、運ばれてきた安っぽいステーキにナイフを突き立てた。彼女は、かつてナンバーを着装していた時代には、無類の強さを誇ったという過去がある。しかし、現在はそのナンバーを封印して、ただの象徴として宮殿の奥深くに囲われている身であった。
肉を咀嚼し、赤ワインで流し込もうとしたその時、部屋の扉がノックされ、軍の高官が足早に入室してきた。その表情は極めて深刻だった。
「ニーア様。……新領土『場所』の暫定警察より、緊急の報告がもたらされました。……『アスナ・ヴェリタスのナンバー』が、発見されたとのことです」
ニーアの全身の毛が、総毛立った。金色の瞳が、極限まで見開かれる。
「……なんて?」
「はっ。銀竜会と名乗る反社会勢力のアジトにて確認されましたが、奪回作戦は失敗に終わったと」
ニーアの胸の奥で、四年間、必死に蓋をしてきた巨大な傷口が、再びひらいた。
アスナ。
大好きな、誰よりも大切だったアスナ。四年前、あの忌まわしい爆発の中で、アスナは帰らぬ人となった。ニーアは狂ったように泣き叫び、自らを責め、この四年間、ただアスナの幻影に怯えながら生きてきた。そして最近になって、ようやく、本当にようやく、前を向いて歩き出そうと立ち直ったばかりだったのだ。
アスナの死を受け入れ、彼女を忘れるべきか。それとも、あの泥濘の街に残された、アスナの残り香である「ナンバー」を、這いつくばってでも追い求めるべきか。
ニーアは、自分の太い尻尾を抱きしめ、激しく震えた。感情の嵐が彼女の心を切り刻む。だが、その逡巡は長くは続かなかった。
「……やってられないわ」
ニーアは、ギリッと牙を剥き出しにして立ち上がった。
「アスナの遺したものが……。許せるわけないじゃない!あれは、あたしたちの大切な絆の証よ!どこの馬の骨ともわからない人が触れていいものじゃないわ!」
ニーアは、そのまま軍の高官を突き飛ばすようにして部屋を飛び出し、ゼランディア国王の謁見の間へと向かった。
「軍を出しなさい!今すぐ!あれはあたしが……あたしが取り戻さなきゃいけないものなんだから!」
涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、それでも持ち前の勝気な態度で国王に迫るニーア。国王は、表面上は穏やかな笑みを浮かべ、すぐさまその出兵要求を許可した。
「おお、可哀想なニーアよ。貴女の望む通り、すぐに精鋭を向かわせましょう」
だが、ニーアが退出した後、国王と軍の上層部の顔には、醜悪で冷酷な笑みが浮かんでいた。
「小娘、都合の良い理由を作ってくれたものだ。……よかろう。ナンバーの奪回は、アレの『実戦投入』の大義になる」
「御意に。『清掃』してしまいましょう」
数日後。
新王都跡地「場所」に駐留していたゼランディア新領土暫定警察は、突如として完全に閉鎖され、その機能と名称を「基地」へと改められた。警察官たちはゼランディア本国へと引き上げ、あるいは別の任務へと就き、街から制服組の姿は完全に消え去った。
ところが。
奇妙なことに、警察という名の治安維持機構を失った「場所」は、以前よりもかえって平和で、穏やかな空気に包まれていた。
権力を笠に着た恐喝も、不当な暴力もなくなった。スラムの住人たちは、依然として貧しく飢えてはいたが、その顔には微かながらも安堵の笑みが浮かんでいた。瓦礫の山となった広場では、泥だらけの子供たちが、空き缶を蹴りながら無邪気に笑い声を上げている。
レンは、地下鉄の駅から地上へ出て、その光景を遠くから静かに見つめていた。
煙草の煙を吐き出しながら、レンはふと、白川の言葉を思い出していた。
『いかなる地獄にあろうと、人間は生きようとする。その足掻きこそが、人間讃歌なのだ』
自分は、ただの無力な男だ。世界を救う力などない。だが……目の前で泥まみれになりながらも笑う子供たちの姿を見た時、レンの胸の中に燻っていた嫉妬の炎は、静かに消え去っていた。ダイモンに世界を託し、自分はこの泥濘の中で、この小さな命の瞬きを見守る。それもまた、一つの生き方、なのかもしれない。
しかし、そのささやかな平和は、ゼランディアからの残酷な命令によって、ガラスのように粉々に打ち砕かれた。
海の向こう側で、何も知らないニーアが「出動」の号令を下したその瞬間。
かつての新王都中央警察署、すなわち現在の「基地」の重厚なシャッターが、地響きを立てて開き始めた。
中から這い出してきたのは、魔法でも、人間でもなかった。
それは、ゼランディア軍が誇る軍用怪獣、キメラであった。
体長は三メートルを超え、全身から腐敗臭と薬品の入り混じった異臭を放っている。理知の欠片もない濁った複眼が、広場で遊ぶ子供たちを捉えた。キメラの目的は「ナンバーの探知」であったが、そのプログラムの裏には「動くものはすべて破壊せよ」という殺戮の指令も組み込まれていた。
「ギャアアアアッ!」
キメラが、耳をつんざくような咆哮を上げた。その瞬間、広場は阿鼻叫喚の地獄へと変貌した。
巨大な鋼鉄の爪が振るわれ、逃げ惑う人々が次々と宙に投げ飛ばされる。家屋は紙細工のように倒壊し、砂埃と血しぶきが空を舞った。
「逃げろ!」
レンは、咥えていた煙草を吐き捨て、咄嗟に懐から拳銃を引き抜いた。ナンバーを持たない自分には、あの化け物を倒す力などない。それは百も承知だった。
だが、逃げ遅れた一人の幼い少女が、瓦礫につまずいて転び、その背後にキメラの巨大な影が迫っているのを見た瞬間。レンの体は、思考よりも先に動いていた。
「この、バケモノッ!」
一方その頃。
地下鉄の駅に一人残されていたダイモンは、不自然なほどの地鳴りと、地上から響いてくる人々の悲鳴に気づき、血相を変えて階段を駆け上がっていた。
ダイモンが広場に辿り着いた時、彼の目に飛び込んできたのは、赤黒い夕暮れの中で暴れ狂う異形の怪物と、少女を背に庇い続ける、兄の姿だった。
「兄さんッ!!」
ダイモンが絶叫したその瞬間。
キメラの尾の先端から飛び出した鋭利な爪が、無慈悲に、レンの腹部を深々と貫いた。
「ゴハッ……!」
刃が肉を裂き、内臓を破壊する生々しい感触。レンの口から、大量の血が滝のように溢れ出した。キメラがブレードを引き抜くと、レンの体は泥の中へと崩れ落ちた。
「兄さん!」
ダイモンは、キメラの存在すら忘れ、泥を跳ね飛ばしながらレンの元へ駆け寄った。レンの体を抱き起こすが、その傷は誰の目にも致命傷であった。腹部からの出血は止まらず、生命の灯火が急速に消え去ろうとしている。
「兄さん!……死ぬな!やっと会えたのに!俺を一人にするな!」
ダイモンは、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、レンの傷口を両手で必死に押さえた。
レンは、霞む視界の中で、泣き叫ぶ弟の顔を見た。
不思議と、痛みは感じなかった。ただ、酷く冷たく、そして静かだった。かつて感じていた不満も、嫉妬も、今はもう欠片も残っていなかった。
己の命を投げ出して、一人の子供を護った。それは、極道として生き、泥水を啜ってきたレンにとって、最期に成し遂げた、最も人間らしく、最も誇り高い行いであった。
レンは、血に濡れた手をゆっくりと伸ばし、ダイモンの頬に触れた。
「……泣くな、ダイモン」
掠れた、微かな声。
「ナンバーは、お前を選んだ。……俺には、世界を背負う資格はなかったが……ナンバーは、親父と二人で守り抜いたさ。意地は、見せられた」
レンの視線が、遠く、灰色の空の向こうを見つめるように彷徨った。
「……任せた」
ダイモンの手から、血の温もりが急速に失われていく。
「任せたぞ!世界を……!」
その言葉を最後に。レン・オータムの瞳から光が消え、彼の手は、力なく泥の中へと滑り落ちた。
「兄さん……。ああああああああああああああああああッ!!」
ダイモンの慟哭が、夕暮れの空を切り裂いた。それは、理不尽な世界に対する絶望と、最後の「家族」を失った悲しみの、魂からの叫びであった。
背後で、キメラが鬱陶しそうに低く唸り、ダイモンに狙いを定めて巨大な爪を振り上げた。
ダイモンは、泣き顔のままゆっくりと立ち上がった。その瞳には、もはや悲しみはなかった。あるのは、氷のように冷たく、そして太陽のように激しい、極限の……覚悟であった。
ダイモンは、腕で乱暴に涙を拭い去り、腰元にアスナ・ヴェリタスのナンバーを押し当てた。
「俺が……」
漆黒の金属帯が、ダイモンの腰を固く縛り上げる。
「銀の龍は、俺が引き継ぐ!」
ダイモンは、迫り来るキメラの凶刃に向かって、血を吐くような咆哮を上げた。
「――着装ッ!」
凄まじい高周波と共に、魔力がダイモンの全身を包み込んだ。それは、怒りと悲しみをエネルギーに変換した、これまでで最も強大で、最も美しい銀竜の顕現であった。
ダイモンは、振り下ろされるキメラの爪を片手で受け止め、そのまま圧倒的な力で怪物の巨体を空高く投げ飛ばした。
「破壊する!この腐った世界を!……俺が!」
一方その頃。
遠く離れたゼランディアの宮殿のテラスで。
ニーア・ヴェリタスは、遥か海の向こう、地平線の果てにある「場所」を、ひどく不安げな顔で見つめていた。
「早く、返してよ……アスナを……!」




