真理1:現実の味方と、架空の敵!
眩しい日差しと共に、金色の毛並みがニルヴァーナのフロント企業の事務室に飛び込んできた。
「あははははっ!見たかアスナ!私の言った通りじゃない!やはり私には先見の明というものがあるのよ!」
巨大な骨付き肉を片手に持ち、口の周りを肉汁でテカテカに光らせながら高笑いするのは、狐獣人のニーア・ヴェリタスである。彼女の極太の金色の尻尾が、自慢げに左右に大きく揺れていた。彼女が手にしているのは、今朝の王都日報の文化面である。そこには見出しで大きく
「彗星の如く現れた天才作家ギルガ・ヴェル・リータス、デビュー作『魔獣襲来』が異例の大重版!」
……と踊っていた。
薄暗い事務所の奥、革張りのソファに深く腰掛けていたアスナ・クライフォルトは、視線をスレート端末から一切動かすことなく、手元のブラックコーヒーを一口飲んだ。そして、もう片方の手で砂糖がたっぷりかかったミスターマジックのドーナツを機械的な動作で口に運ぶ。
「……新人作家の処女作が初週でベストセラー入りする確率は統計的に極めて異常。何らかの、作為的な情報操作が存在すると推測される」
感情の起伏を一切感じさせない、平坦で論理的なアスナの指摘に対し、ニーアは骨付き肉をかじりながら不満げに頬を膨らませた。
「あんたはいつもそうやって素直に喜べないのね!私の兄さんが苦労して書き上げたんだから、実力に決まっているじゃない!ほら、アキラもそう思うでしょ!」
壁際で無言のまま茹でた鶏胸肉を黙々と咀嚼していたアキラ・トバリは、ニーアに話を振られると、ゆっくりと赤色の瞳を向けた。
「ニーア君の兄上の小説がこの街に娯楽と心の余裕をもたらし、結果的に皆が美味しい食事を楽しめるようになるのであれば……俺は、その背景がどうであれ、素晴らしいことだと思う」
「ほーら見なさい!アキラは分かっているわ!やはり持つべきものは理解のある友人ね!」
ニーアは得意げに胸を張り、残りの肉を骨から綺麗に削ぎ落として飲み込んだ。
実際、この時期の新王都は、なんと、歴史上最も穏やかな空気に包まれていた。かつての戦争の影や、番号持ちと新魔道士の対立、そして新王都人とゼランディア人の間にある根深い溝。先日の女優ユカリ・ヤジマ暗殺事件に端を発する不信感の累積。そうした緊張感は確かに街の底流に存在していたが、だからこそ、民衆は互いに手を取り合い、平和な日常を維持しようと努力を続けていたのだ。
休日の王都中央駅前の映画館では、新王都の若者とゼランディアの留学生が並んでポップコーンを頬張りながら王都の名画に涙を流す光景も珍しくはなくなっていた。ギルガの「魔獣襲来」というSF小説は、そんな平和を愛する民衆の間で、共通の話題として急速に広まっていったのである。
しかし、その平和の裏側で、致命的な悪意が静かに進行していることに、この時のニーアたちは気づいていなかった。
数日後。
新王都の象徴である合同庁舎の最上階。分厚い防弾ガラスの向こう側に広がる平和な街並みを見下ろしながら、一人の男が歪な笑みを浮かべていた。
ギルガのプロデューサーであるデルドゥーロ・ドクトアである。一見すると柔和で博愛主義者のように見えるこの男の正体は、狂信的な反ゼランディア派のレイシストであった。
「素晴らしい。民衆はすっかり平和という名のぬるま湯に浸かりきっている。今こそ、あの汚らわしいゼランディアの連中をこの神聖なる新王都から一掃する絶好の機会だ」
デルドゥーロの手元には、「魔獣襲来」の極秘映画化プロジェクト、およびそのプロモーション計画書が握られていた。
「地脈Wi-Fiを利用した『感覚共有コマーシャル』。すべての新王都民の脳内に直接、魔獣の恐怖と痛覚の幻影を送り込む。そして、その魔獣を操る黒幕がゼランディア人であるという偽の情報を、サブリミナルとして流し込むのだ!」
彼の計画は、あまりにも周到で、そして残酷であった。
そして、その夜。
悲劇は唐突に幕を開けた。
新王都の時計塔が深夜零時を告げた瞬間、街中の魔導通信網が異常なノイズを発し始めた。すべてのスレート端末、封印精霊家電、そして街頭の魔導ディスプレイが一斉に赤黒い光を放ち、次の瞬間、新王都の全域に巨大な「魔獣」の立体幻影が出現したのだ。
燃え盛る炎、崩れ落ちるビル、そして人々を喰い殺す異形の怪物たち。それらはすべて魔導技術によって作られた単なる映像に過ぎなかった。しかし、地脈を通じて直接人々の脳神経に接続された「感覚共有」のシステムは、その幻影に本物の熱と、匂いと、そして噛み砕かれる激痛を伴わせていた。
「ぎゃあああああああっ!」
「助けて!喰われるっ!」
深夜の新王都は、一瞬にして阿鼻叫喚の地獄と化した。幻覚の痛みに耐えきれず発狂する者、恐怖のあまり暴徒と化す者。そして、パニックが最高潮に達した時、誰の口からともなく、一つの言葉が伝染病のように広がり始めた。
「魔獣を率いているのはゼランディア人だ!」
「奴らはこの混乱に乗じて、新王都を破壊する気なんだ!」
それは、デルドゥーロが仕掛けた悪質な洗脳の成果であった。恐怖は最も簡単に憎悪へと変換される。昨日まで映画館で隣り合って笑い合っていたはずの隣人が、突然敵として認識されるようになった。新王都人たちは武器を手に取り、ゼランディア人が多く住む居住区へと殺到した。窓ガラスが割られ、火が放たれ、罪のない人々が路上で暴力に晒された。
信じられないことに、新王都警察も、新王都軍も、この明白なヘイトクライムと暴動を……ただ、静観していた。彼らの上層部もまた、レイシストたちで占められていたからだ。
街が炎に包まれていた頃、ニルヴァーナのボス、ヴィルゴ・ライ・リーアは側近たちとバー「奥泉」のカウンターに座っていた。マスターのハママツは、外の喧騒など全く意に介さない様子で、完璧な温度で火入れされた鹿のローストと、深いコクのある赤ワインのソースを静かにヴィルゴの前に差し出した。
「街が、酷く騒がしいですね。まるで……世界の終わりでも来たかのように」
ハママツはグラスを磨きながら、ポツリと呟いた。
ヴィルゴはフォークで鹿肉を口に運び、咀嚼してから飲み込んだ。
「外の混乱は……人為的に引き起こされた集団心理の暴走に過ぎない。恐怖という感情は、論理的思考を著しく阻害するバグよ」
ヴィルゴの冷静な分析の通り、彼女の感情は微塵も揺らいでいなかった。だが、彼女の青い瞳の奥には、理不尽な暴力に対する、静かな怒りのようなものが確かに灯っていた。
一方、歯車通りの裏路地にあるニルヴァーナの隠しアジトでは、ニーアが怯える兄のギルガを背中に庇いながら、入り口のドアをきつく施錠していた。
「大丈夫よ、兄さん!ここは私たちの縄張りよ。暴徒どもには絶対に手出しさせない。私がアンタを守ってやるわよ!」
ニーアは狐獣人の鋭い牙を剥き出しにして、ドアの外から聞こえる怒号に向かって威嚇した。魔獣の幻影騒動の主犯として、原作者であるギルガが暴徒たちの標的にされていることは、明白だった。ニーアは、彼を安全な場所に匿うことしかできなかった。
その頃。
戦場と化し、黒煙が立ち上る新王都首都の中心部。その最も高い高層ビルの屋上の縁に、二つの影が立っていた。
夜風に金色の髪をなびかせ、眼下の惨状を冷徹な赤い瞳で見下ろすアキラ・トバリ。そして、風に煽られる黒髪を手で押さえながら、いつものように無表情で隣に立つアスナ・クライフォルトである。
「警察も軍も動かない。いや、意図的に動いていない……と言うべきだな。このままでは、罪のないゼランディア人も、暴走した新王都人も、すべてが憎しみの連鎖の中で焼け焦げてしまう」
アキラの言葉には、確かな覚悟の重みがあった。彼はゆっくりと自身の腰に手を当てた。そこには、魔法使いの証であるナンバープレートが鈍い光を放っている。
「番号持ちも、新魔道士も、どちらも等しく守り、この理不尽な狂気を止めるには……俺たちが、表舞台に立ち上がるしかない」
アスナはアキラの言葉に小さく頷いた。彼女もまた、腰に装着された新魔道士の外付けベルトに手を添えた。
「同意する。この非論理的な暴力を排除し、正常な秩序を回復させる。それが、最も合理的な解決策だ」
アキラとアスナの視線が交差する。二人の間に言葉はもう必要なかった。
眼下では、暴徒たちが松明を掲げ、さらなる破壊を求めて行進を続けている。この悲劇の幕引きを行えるのは、もはや裏社会の異端児たる彼らしか存在しなかった。
「行くぞ」
「……了解。」
アキラとアスナは、夜空に向かって力強く叫んだ。
「着装!」
眩い魔力の光が屋上を包み込む。強大な番号持ちの力と、技術の結晶である新魔道士の力が同時に解放され、二人の姿を戦闘形態へと変化させた。
アキラとアスナは、燃え盛る新王都の闇夜に向かって、同時にビルから飛び降りた。




