第四十六話 最低最悪の誕生日
「お嬢様?お嬢様、大丈夫ですか?」
アデラインが目を覚ますと、窓から夕日が差し込んでいた。扉に背を預けて、いつの間にか眠っていたようだ。昨夜まともに休めなかったからだろう。
「お嬢様?」
扉の向こうから、ライルの声がした。
「ライル?」
「申し訳ありません。…あんまり静かだったものですから…」
「ああ…ごめんなさい、心配かけて。少し眠っていたみたい」
「そうでしたか…申し訳ありませんでした。起こしてしまいましたね」
「ううん。平気よ」
ふぅ、とアデラインは息をついた。変な体勢で眠ったせいで、腰が少し痛い。頭がやや重いのは、きっと泣きすぎたせいだろう。
「…ライル」
「はい、お嬢様」
「ルトはどこか怪我をしたの?」
「いえ…賊は殿下に指一本触れることが出来ませんでしたから」
「そう…」
アデラインは胸をなでおろした。
――…よかった…。
外套についていた血は、きっと返り血だったのだ。
今思えば、襲われた直後でルトヴィアスも気がたっていたのだろう。そこへアデラインからビアンカのことや婚約解消などと言われ、責められていると感じて、あれほど怒っていたのかもしれない。冷静になれば、きっとルトヴィアスも婚約解消に応じてくれるはずだ。
「…ライル。すごかったわね。5本も中っていたじゃない」
気分を変えたくて、アデラインはライルに話しかけた。
「…ありがとうございます…」
「あんなことがおこらなきゃ、もしかしたら決勝戦でルトヴィアス殿下と並べたかもしれないのに、一生に一度の栄誉を受け損ねたな」
デオもそこにいるらしい。明るい彼がいてくれることに、アデラインはほっとした。
「それにしても、ライルが応援席に矢を放ったのはびっくりしたわ」
「俺もですよ!お前、あれ本気だっただろ」
「そんなわけないだろ。陛下の御前だぞ」
「御前大会じゃなきゃ射ってたのかよ!」
いつもの調子の二人の会話に口元が綻ぶ。アデラインとルトヴィアスの婚約が解消になれば、彼らとこんなふうに話す機会もなくなってしまうかもしれない。それは少し残念だ。
「あ…私…」
そういえば、彼らに何の相談もせずにルトヴィアスに婚約解消を言い出してしまった。アデラインがルトヴィアスと結婚し王籍に入れば、ライル達も第一部隊に栄転する叙任をうけるはずだったのだ。アデラインがルトヴィアスと結婚しないとなれば、彼らの栄転もなしということになる。
――…がっかりなんてものじゃないわよね、きっと…。
想像するだけでも、彼らが気の毒だ。
「お嬢様?どうしたんです?」
「あ、あの…私、二人に謝らなきゃ…」
「アデラインお嬢様」
「え?」
ライルでもデオでもない声に、アデラインは立ち上がった。
「お開けしてもよろしいでしょうか?」
「え?それは…ええ、勿論…」
アデラインが一歩下がる間に、がちゃがちゃと鍵穴が鳴り、すぐに扉が開いた。
「あなたは…」
そこにいたのは、ルトヴィアス付きの侍官の一人だった。最近よく見る若い侍官の方ではなく、初老の、ルトヴィアスが皇国に行く前にも仕えていた侍官の方だ。確か名前は…。
「アーブ、だったわよね?どうかしたの?」
「はい。アデラインお嬢様におかれましては、一度宰相閣下のお屋敷にお戻りになるようにとの、ルトヴィアス殿下のご命令にございます」
「…屋敷に?」
「はい」
「……」
アデラインは体の前で両手の指を絡ませ、小さく深呼吸した。
「…わかりました」
アデラインを自邸に戻すということは、ルトヴィアスが婚約解消を了承したということだろう。後はビアンカを養女にするよう、アデラインが宰相を説得するだけだ。
「少し待って」
寝所に続く扉の近くに転がる花帽を拾うと、アデラインは鏡を覗いた。恥ずかしくなるほど乱れた髪を、とりあえず手で撫でつけ花帽をかぶる。それから、窓際に寄せられた机の引き出しを開けた。そこには、本が一冊はいっていた。
――…これだけは持っていこう…。
荷物は後からミレーが何とでもしてくれるだろうが、その本だけは自分の胸に抱いて行きたい。
アデラインは部屋を見渡した。この部屋に来ることも、もうないだろう。ルトヴィアスと食事をした円卓。一緒に座った椅子。供に眠った寝台。もし、小さく畳む方法があれば、すべて袋につめて持っていってしまいたい。目頭が熱くなり、アデラインは目を伏せた。
「お嬢様。馬車を用意してございますので」
「……ええ」
促すアーブに、アデラインは頷いた。これ以上ここにいれば、きっとまた泣き出してしまう。未練を振りきるように、アデラインは部屋に背を向けた。うやうやしく先導するアーブの後について、廊下を歩きだしたその時。
「何故、王宮を出るんです?」
デオが、本当にわからないという顔で、首を傾げた。ライルが、そんな相棒に眉をよせる。
「お前、話きいてたか?殿下のご命令で…」
「何で殿下がそんな命令だすんだよ。昼間あんなことがあったんだぞ?人が少ない宰相閣下のお屋敷にお嬢様を移すなんて…」
「…そういえば…そう、だな…」
「あ、あのね。二人とも、それは…」
婚約解消の件を打ち明けようと、アデラインが気まずい思いで口をひらく。
「実は…」
「せっかく穏便に事をすすめようとしていたものを」
「…え?」
突然調子が変わったアーブの声に、アデラインが驚いて振り返ると、ピタリとその喉元に刃物があてられた。
「あ…」
「お嬢様!」
「動くな」
アデラインは腕を侍官に掴まれ引き寄せられる。その拍子に手から本が滑り落ちた。
「あ…!」
慌てて拾おうとするが、目の前に刃物をつきつけられ、手をひっこめるしかない。
「大人しくして頂きましょうか、お嬢様」
「あなた…」
先程までの柔和な顔つきはどこへいったのか、アーブはじろりとライルとデオを睨み付けた。
「妙なことをしたらお前達の主人の首が落ちるからな」
「くそ…」
剣の柄に手をかけながらも、ライルもデオも動けない。アデラインは怯えながらも、訴えた。
「ど、どうして?あなたは…ずっとルトに仕えていたんじゃ…」
「皇国に餌付けされたような王子を我がルードサクシードの神聖な王位に就けるわけにはいかん」
「…っ」
心底ルトヴィアスを侮蔑するその言葉に、アデラインは愕然とした。
「さぁ、さっさと歩け」
アーブは刃物をアデラインの背中につきつけ、顎でライル達を促す。
「裏門に向かえ。もう一度言うが妙なことはするなよ」
デオとライルを先頭に、刃をつきつけられたアデライン、最後にアーブが続いた。アーブは刃物を袖の中に巧みに隠したため、傍目には気分が悪いアデラインを、侍官が支えているようにしか見えないようだ。実際、すれ違った女官はアデライン達の窮状には全く気づいてくれなかった。
「…昼間の刺客。あれもあんたの仲間か?」
ライルが前を向いたまま、アーブに訊ねた。
「ああ、そうだ。まったく、若い奴等は口ばかり達者で、やることが中途半端だ。おかけで予備の計画を実行するはめになってしまった」
「予備?」
「あなたですよ、お嬢様。あなたを人質にルトヴィアス殿下には王位継承権を放棄していただく」
「なんですって!?」
アデラインは振り返ろうとしたが、けれど刃物の存在を思いだし、唇を噛んだ。
――…何とか逃げ出さなきゃ…。
このまま王宮を出てしまったら、いいように利用されてルトヴィアスの足手まといになってしまう。
「……残念だけど、私はルトと婚約を解消したのよ」
「え!?」
「え!?」
驚いて声をあげたのは、ライルとデオだった。
「私はただの宰相令嬢。たかが家臣の娘のために継承権を捨てるほど、王位は軽くないわ」
自分に人質の価値はないと、アデラインは言ったつもりだったが、アーブはそれを鼻で笑い飛ばした。
「たかが家臣の娘のために、毒味はしますまい」
アデラインは息を飲んだ。ルトヴィアスの侍官であれば、ルトヴィアスの食事に毒が盛られていたことは勿論知っているだろう。けれど、この口調は…。
「―…っあなた…まさか、あなたが毒を?」
「ええ、その通りです」
自慢話をするかのように、アーブは話し始めた。
「あの王子は自分の食事に毒が入れられるとわかるや、貴女の部屋に逃げ込んで食事をするようになった。
まぁ、我々には好都合でしたよ。貴女の部屋で王子が毒殺されれば、疑惑の目は宰相に向けられ、アルバカーキ陛下を裏切ったマルセリオはたちまち失脚だ。仮に貴女が毒で死んだとなれば、一緒に食事していたルトヴィアス王子を宰相は疑うでしょう。大切な一人娘を殺したかもしれない男を宰相が許すはずはない。ルトヴィアス王子は政治的な後ろ盾を失い、立太子は叶わなくなる」
「…っなんて卑怯な…」
アデラインが唸ると、アーブはそれを見て嬉しそうに笑った。
「まぁ、うまくはいきませんでしたがね。さすがアルバカーキ殿下の御嫡孫なだけはある。毒ごときでは死んではくれなかった。だが、そのかわりに弱点を見つけましたよ」
「弱点?」
「ええ。貴女ですよ。アデラインお嬢様。最初、王子は貴女の部屋に逃げ込んだのだと思いました。けれど貴女の食事に何度毒を入れても、ルトヴィアス王子は貴女と食事をとるのをやめなかった。それどころかお茶の時間にまで貴女の元に通って…いじらしいじゃないですか。それほどまでに王子は貴女にご執心らしい。貴女が口にするものを自ら毒見をするほどに!」
「…っ」
それは違う。ルトヴィアスが毒味をしていたのは、ただただ彼が優しいからだ。婚約者がアデラインでなくても、彼はきっと自ら毒味をしただろう。けれど、それを言ったところで、アーブがアデラインを解放するとはもう思えない。
――…どうしよう…どうしよう…。
焦っているうちに、裏庭についてしまった。朝早くに食材を運び込まれる裏門は、夕暮れの日に照らされ静まり返っている。
「さぁ、あの馬車です。お嬢様」
アーブが示した錆びた門のすぐ脇に、馬車が停まっていた。
――…衛兵は?
アデラインはあたりを目で探ったが、人影はない。衛兵が配置されているはずなのに、どうしたのだろう。
「お早くお願いしますよ」
「きゃっ」
肩を押され、アデラインはよろめく。
「…ふせてください!」
ライルが叫び、デオが振り向きざまに剣を抜く。アデラインは伏せるというよりは、倒れこむようにその場に屈んだ。
「うわあっ!」
デオが振るった剣先がアーブの腕を切り裂き、血が飛び散る。
「お嬢様!こちらに!」
ライルがアデラインにむけて手を伸ばす。その背後に急にあらわれた影を見て、アデラインは目を剥いた。
「ライル!後ろ…っ」
アデラインの叫びに、ライルは振り向こうとし…。
「…ぐっ」
肩を押さえながら、ライルは両膝をついた。
「ライル!」
アデラインはライルに走り寄る。大量の血がライルの腕を流れ落ち、地面の血溜まりはみるみる広がっていく。
「大変!早く手当てを…きゃあっ!」
「お嬢様!」
花帽が石畳に転がった。体が浮くほど髪を引っ張りあげられたアデラインは、痛みに喘ぐ。
「痛…っは、はなして…」
「これが例の宰相令嬢か?噂通り地味な女だな。こんな女のどこを王子様はお気に召したんだ?」
くっくっと、男は不気味に笑う。
「…くそ。仲間がいたのか…」
デオが剣をかまえたまま、悔しげに歯を噛んだ。
「おい!」
木の影から男が二人、いや、三人姿をあらわす。
「いいから早く馬車に乗せろ!交替の衛兵が来るぞ!」
男達の足元の草むらに、血濡れた衛兵の制服が見えた。アデラインはゾッとした。
――…殺したんだわ…。
計画の邪魔になるからと、たったそれだけの理由で衛兵は殺されたのだ。
「…なんてことを…」
「さあ、さっさと歩け!」
男はアデラインの髪を、まるで家畜の尻尾を扱うかのように引っ張り、アデラインは地面に引きずられた。
「いやあ!」
「させるか!」
デオが叫び、剣を振るう。けれど、男三人を相手にして、防ぐのが精一杯という様子だった。
「…っお嬢様をはなせ!」
ライルが片手で剣を抜いた。
「ライル!」
「ははっ!その怪我でまだやる気か?ご立派な騎士様だな」
男は軽く笑うと、アデラインの髪から手をはなし、ライルにむけて剣を振り下ろした。火花が散るような金属音が響き、ライルの剣が弾き飛ばされる。男は薄く笑ったまま、ライルの傷ついた肩を蹴りあげ、ライルは痛みで叫びながら地面に転がった。
「ライル!」
「早く始末してしまえ!メロウズ」
腕から血を流しながら、アーブが怒りの形相でわめいた。
「軟弱な王に仕える騎士ごときが、われわれの崇高な志の邪魔をしおって!」
メロウズと呼ばれた男はアーブに返事をしなかった。けれど剣を持ち直し、ライルに近づいていく。
「だめよ!やめて…」
アデラインは叫んだ。けれどメロウズは剣を高くかかげる。ライルが、覚悟したように目を閉じ、顔を背けた。
「だめえ!!」
夢中で、アデラインは地面を蹴った。メロウズにしがみつき、剣を持つ手に噛みつく。
「この女…っ!」
メロウズの手が、勢いよくアデラインの頬を叩く。耳の中で巨人が手を叩いたような衝撃があり、アデラインは勢いよく吹き飛んだ。
「お嬢様!」
「お嬢様!」
ライルとデオが、真っ青になって叫んだ。素手で叩かれたはずなのに、そうとは思えないほど威力は凄まじく、くらくらとひどい眩暈がする。顔から地面に突っ込んだせいで口の中にはいった砂利を、アデラインは唾と一緒に吐き出した。
「深窓のご令嬢が聞いてあきれる!こいつ俺の手を噛みやがったぞ!」
怒りで顔を上気させ、メロウズはアデラインに近付いてくる。逃げようにも足が立たず、アデラインは腰を後ろにずらすことで、僅かながらもメロウズから離れようとした。そして、地面を這っていた左手が何かに触れた。
――…何?
肩越しに見ると、それは弾き飛ばされたライルの剣だった。迷わず手に取り、メロウズに切っ先を向ける。メロウズは怒りながらも、嫌らしく笑った。
「戦おうってか?やめておけ。剣を握ったこともないだろう?」
「……そうね。ないわ」
アデラインは、頷いた。そして、メロウズに向けていた切っ先を、自らの首元に向ける。
「…だから、間違って自分を傷つけてしまうかもしれないわ」
「何?」
メロウズが、顔を歪める。
手が震えた。けれど、声は震えてはいけない。アデラインは、渇いた唇を舐め、飲み込む。
「死体は…いくらなんでも人質にはならないでしょうね。どうするの?私が死んだ時の予備の計画もあるのかしら?」
あると言われた時はどうするか、アデラインはそこまでは考えていない。これは賭けだ。
「その者達は王家と女神に忠誠を誓った誇り高き騎士です。その騎士達に指一本でも触ってみなさい。私はこの場で自害します。そうなったら困るのはあなた方ではない?」
「はったりだ!」
アーブが、叫ぶ。
「そんな度胸あるものか!いいから騎士供を殺せ!」
「まあ、落ち着けよ。なあ、お嬢さん。あんたも落ち着け。あんたが馬車に乗ってくれりゃ騎士達には用はない。放っておいてやるよ」
メロウズは、先程の怒りなど忘れてしまったように笑った。面白い見せ物を見るような、下卑た笑いだった。
「…嘘だったら…首を切るわ」
「わかったよ。約束してやる。だから馬車に乗れ」
「……」
アデラインが死んだ場合の代替案はないらしい。秘かに安堵して、そろりと、アデラインは立ち上がる。
「…い、いけません!お嬢様!せめて俺も一緒に…」
「デオ!」
アデラインの強い声に、デオの瞳と肩が揺れた。刃を首から放さないよう気を付けながら、アデラインはにっこりと笑う。
「ライルに肩をかしてあげてね。私は大丈夫。だって、すぐに助けに来てくれるでしょう?」
――…震えては、だめ。笑え、笑え、笑え。
アデラインは、自らに必死に言い聞かせた。
ライルは早く手当てしなければ手遅れになる。今、アデラインが敵の手の内に落ちても、デオさえ無事に逃げられれば、状況を早く、正確に、ルトヴィアスに伝えてくれるはずだ。これが最善策。
アデラインの心情が伝わったように、デオも、ひきつりながらも笑って頷いた。
「…っもちろん、もちろんすぐに参ります!ですから何の心配もございません!どうぞゆるりとお待ち下さい!」
アデラインは、もう一度微笑んだ。悠然と、ルトヴィアスのように。
――…ルト…。
喉が塞がれ、涙がでそうになる。あんなふうに別れたまま、本当に二度と会えなくなるかもしれない。
「さぁ、じゃあ行きましょうか。お嬢さん」
「……」
メロウズが馬車の扉を開け、アデラインは中にはいり、腰をおろす。途端に外から扉が閉められて、すぐに馬車は走り始めた。
アデラインは剣を放り出すと、腰掛けに膝立ちになって、後ろ窓から外を覗く。メロウズ達は隠しておいたらしい馬に飛び乗り、すぐに馬車に追い付いてきた。デオが走って追いかけて来るのがしばらく見えたが、馬車が速度をあげると、その姿も見えなくなってしまった。
「………っう……」
我慢していた涙があふれだす。
殴られた頬が痛くて、手で押さえた。
「…ルト…!」
間違いない。今日は、最低最悪の誕生日だ。
夕日は西の山際に落ち、夜が訪れようとしていた。




