第四十二話 思いもよらぬことがきっかけになったりする
「まだ……足りないなぁ……」
白衣を着た男が、空色に発光する液体がたっぷりと詰められた、巨大な円柱型の容器を前に、ぽそりとつぶやいた。 中には巨大なミジンコの出来損ないのような生き物が浮いている。 頭の横から皮膚がやぶけた太い腕が一本だけ生えている。
そういう生き物がはいった、同じような容器がこの大部屋の中に所狭しと並んでいる。
男は頭を無造作に掻いた。
いろんな生物を捕まえては、最良の遺伝子だけを抽出して繋ぎ合わせた……何度もなんども繰り返してやった。 でも、それでも、この魔界にいるどんな生物よりも強いものが生まれることはなかった。 これは良い! そう思える生物はすぐに寿命が尽きて、一つの村を壊したくらいでさよならしなくちゃいけない。
それではダメだ。 この魔界のトップに、僕が上がれるくらいの強さになってくれなければ、ダメだ。
男は天井を見あげた。
高い天井には薄暗さが住みついている。
やはり、回復力がある生物をまぜなくちゃダメだ。 だから、今度こそ、あの子どもを手に入れてみせるんだ。
男は目の前のボタンを押し、容器から液体を抜いた。
*
バルとシウニーは通行人の波に押し飲まれぬよう、海斗を前にして歩いていた。 昼を超えても飲食店に流れる悪魔たちはあとをたたず、それらを横目にして3人はあてもなく進んでいく。
海斗は済ませた昼食を思い返していた。
昼食には焼きそばを食べた。 シウニーにとってはいいだろうが、姫や魔王といった役職が食うのだ。 それが中央街を訪れたときにはかなりの頻度でそれであるから、かなり雑な昼食のとりかただとつくづく思う。 位が高くても、故郷で過ごすのと同じように一般人的な振る舞いをしていることに、若干の不思議さを覚えるものだ。
バルは海斗の袖を掴み寄った。 海斗はその意味を知っている。──彼女は人混みがあまり好きではない。 それが長い時間であればあるほどストレスになるらしく、複雑になった気持ちのぶつけかたがこの行動なのである。 これをしたら海斗は適当な、人通りの少ない道をみつくろってはそっちに行くようにしている。シウニーももちろんそれを知っていて、疑問1つ言わずについてくる。
今回の曲がり角には、ペット屋があった。 ガラス張りになった壁の向こうには、元気な犬や猫がいて、こちらを見た。
「わぁ……かわいい……」
シウニーはひきつけられるように、ゆっくりと寄っていった。
海斗は、バルを彼女とはさむように歩き、ガラスにおぼつかない様子で前足を何度もなんども擦り付けている、チワワのような犬をまじまじと見た。
「かわいさだけだよ、こいつらにあるのは。 檻の中に入れられた不自由、金持ちという強者に膝をついて腹を見せていく服従っぷり……所詮かわいさを抜いたら俺たちとたいして変わんねェんだよ」
「魔王様と違ってかわいさがあるだけで大勝利じゃないですか。 人生勝ち組じゃないですか」
バルはしゃがんで、丸まってこちらを見る猫と目を合わせた。
「ある種、自由でしょう。 こうして売れ残っていても、かわいさを店外へと振りまいているだけでエサも飲み物も出てくる。 ニートの方が得られる自由もあるでしょう? それです、この子たちは」
「姫、言い方を変えてください。 あなた様にまでそちら側に行かれてしまってはちょっとばかししんどいです」
しばらく眺めていたが、ペットたちの奥を通った女店員の、にっこりとした顔を向けられたシウニーが恥ずかしくなったのを皮切りに離れた。 人通りが少なくなり、バルは海斗の袖から手を離した。
海斗は眉をひそめ、遠くをながめた。
シウニーはうわの空気味に「ペットいいなぁ」だの「ペット飼いたいなぁ」だのと呟き続けたもんだから、思わず眉をひそめてしまった。 海斗は歩きながら、うしろに続く彼女に言った。
「お前そんなこと言ってるけど最後まで飼える自信あんの? 難しいよォー? あいつら健康のために高いエサを与え始めたらそれしか食わなくなるし、散歩もがめつく要求してくるよォー?」
シウニーも眉をひそめて口を横に伸ばした。
「自信だけはそりゃありますよぉー! ちゃーんとお金は貯めこんでますし、散歩だって行ってやりますよぉ!」
「死んだら悲しいよぉー? 魂こめて育てて、家族愛にも似た感情を抱いた先に待っているのは『死』だけなんだよぉー?」
シウニーは苦い顔をした。
「それは……まぁ、そうなんですよねー……」
それに耐えれるかどうか……と紡いで、シウニーは上くちびるを噛んだ。
確かに、そうだ。 犬でも猫でも、どんなペットでも、共に過ごした日々は思い出となって心を育ててくれるだろうが、しかしそれは死によるお別れの悲しみを濃くさせる原因にもなることが、シウニーもよくわかっている。 それがペットの飼育をためらわせるものでもあった。 だからああやってペットショップの前で親指をくわえるだけになってしまっている。
海斗は海斗で、友人が飼っていた、自分にも思い出深い犬のポチが死んだことを思い返していた。 魔界に迷い込んだあの日、ポチも違う世界に逝った。 飼い主である直樹はいつものように気丈に振る舞っていたが、どこかぎこちなさを感じたものだ。
「死なないペットとか……あ、ロボットの犬とかは?」
代替案を閃いた海斗に、シウニーは首をふった。
「あんなの一緒にいても楽しくないですよぉっ! やっぱり1つの命と接するからこそ楽しくて、充実した時間を過ごせるんじゃないですか」
バルはそれを聞いて口をひらけた。
「ロボットだってバッテリーという心臓と電気という血液があるではありませんか」
「似て非なるものです! 原産地が骨と発電所の違いは大きいでしょう!?」
海斗はため息をついて、「乙女心は難しいねぇ〜」と言葉をもらした。
「乙女心関係ないです。 ただの心です」
シウニーは2人のにほ後ろを歩いていた。
バルは視線を地に落としていた。
シウニーがペットを飼いたいというのなら、協力したいという気持ちは常にある。 自分も動物が嫌いなわけではない。 さっきのペットショップにいた彼らのことも可愛いと思うし、人懐っこくテレビに映る姿を見ると、一瞬だけであるが自分も飼いたいという気持ちが浮かぶものである。 しかし、死による別れが怖いというのならば、自分はどうすることもできない。 悪魔であろうとも、死をどうこうすることはできないのだから、その気持ちをシウニーが持ち続ける限り、「じゃあまだ飼わなくてもいいだろう」という言葉以外にかけようがない。 実際、以前にもそんな話をした気がする。
どれくらい歩いただろうか。
ペットショップから、そこまで立っていないような気がするが、あまり人が多くない通りにまでやってきていた。 すると海斗の、「なんだあれ?」という言葉に、バルは自分の世界から呼び戻されたように、彼が向いている店を見た。
そこには小さな人だかりができていた。 薄いざわめきの向こうに、やたら甲高い男の声が聞こえた。 歩み寄って人だかりの隙間から覗いてみると、その男が見えた。
「どうですか? 私が独自のルートで入手したこの子ども!! コイツを買っていった富豪、その全員が、火災や水害、土砂崩れなどで命を落としている……その中でも、未だ行方不明の者もいるとか……!
そして誰が名付けたか、『呪われた子』!」
男は身振り手振りを大きくさせ、店の、二階にあるバルコニーで、手錠と足かせをした女の子へ注目を集めていた。
シウニーは、彼女を、どこか遠くを見るような目で見つめた。
「かわいそうに……ね、ねぇ魔王様」
海斗がシウニーを見た。 それと同時にシウニーは自分の懐に手を伸ばしてきて驚いた。
「まだ結構お金残ってましたよね!? 数万くらいはありますよね!?」
「はぁ? お前ちょっと待て……」
海斗が手を振り払おうとすると、男がいままでで一番甲高く声をあげた。
「昔は物好きな方々が、100万、110万、ときには200万という値段でも買っていきましたがね、えぇ。 あまり金額を高くすると、最近は買ってくれないと同業の知り合いから聞きましてね。
いまなら5万! たったの5万で売りたいと思いますよ!
私も呪われたくはないのでねぇ!」
シウニーはそれを聞くとますます手に力を込めた。
「ほら格安ですよ! 助けないと! 私も2万持ってるので3万貸してくださいよ……ッ!」
海斗は呆れたように顔をいがませた。
シウニーは本気であの子を救おうとしている。 その気持ちはわかる、奴隷にされたあの子を哀れに思ったのだろう。 自分も同じ気持ちを抱いた。
ああしてなんらかの形で捕らえられなければ、少女は少女としての別の生き方もあったのではないかと、無駄に想像してしまっていたことは認める。
しかしそれが救おうと行動する理由になるのかといえば違うと思った。
「まぁまぁちょっと落ち着けお前……」
海斗はそう早口に言いながら、シウニーの手首をがっちりと掴んで、人だかりから何歩か離れた。
「お前アイツの話聞いてた? あの子は呪われてるって言ってたんだぜ?
それが5万って……こんな晴れやかな日に外出して呪いを格安で買う奴いる? わざわざ金払ってまで大凶引きにいくバカいる?」
「でも可哀想じゃないですか! まだ未来ある子どもが、あんなところで悲惨な売られ方してるんですよ!?」
海斗は眉をひそめた。
「だから助けたいってか?
お前な。 女の子が奴隷になっているから、それが可哀想だから助けてェって思うんなら、元締め壊滅させてこい。 こんな水面を歩くヤツから奴隷を買うだけじゃあ、その感情をまた何度も抱くことにならァ」
シウニーは「でも……っ」と口にしたとたん、次の言葉が出てこなくなった。 本当ならばまだ反論したい。 反論してあの少女をなんとか買い、助けてあげたい。
しかしその思いは、海斗の冷たい目を見て出てこなくなった。
黒く、陰を落としたその両目が言葉に凄みと説得力を与え、反論する気力をさらわれたような感じがした。
なんだか、実際に元締めが奴隷をさらい、利益をあげ、水面を歩いているあの男を泣かせても、あるいは喜ばせても、根本的には解決しない──そんな現場を見たことがあるような感じが、海斗の目から伝わってきた。
そんなことあるわけないと思いながらも、紡ぎたい言葉が恐怖を感じて、喉から飛び出していかないのは事実であった。
シウニーは助けを求め、バルの方に視線を動かそうとした。 するとちょうどよくバルが口をひらいた。
「言い方はキツいですが、一理ありますね」
シウニーはその言葉に唖然とした。
「なにかの不幸が舞い降りて来ては、アリフトシジルにとっては大打撃です。 いまはこうして外出できておりますが……いまの状況を鑑みれば、呪いを、お金を払ってまで貰いにいくことはないでしょう」
バルは少女を見上げながらそう言った。
シウニーは、差別することなく、事情など特に気にすることもなく接しようとする普段のバルの印象とは真逆のその言葉に、肩を落とすほかなかった。
アリフトシジルの住民の中にも、元奴隷だった者は少なからずいる。 彼女らは昔、姫を筆頭にした重鎮たちに救われたのだ。
シウニーはその行動をひたすら尊敬していた。 そういった不幸の中にいる者を救いたいと、そんな姫の行動も手助けしたいという気持ちが、騎士になる理由の一つだった。
姫の気持ちも理解できる。 アリフトシジルの立場は、よろしくない。 そんな中でとんでもない不幸を呼ぶかもしれない者を招き入れようとは思えない気持ちは悩ましいほどよくわかる。
でもどうしても、見放したくないという気持ちが胸に強くあるのだ。
人だかりの声はさっきよりも大きくなった。 よく聞くと、「お前いけよ」だの「度胸ないな」だのという言葉を拾えた。 早くしなければ、変なヤツらに、変な居場所を与えられ、また呪われた子なんて言われ続けるのかもしれない。
すると、海斗はシウニーから手を離した。
「だいたい、お前ちゃんと世話できるんですかァ? ご飯は? 着替えは? 風呂は? ちゃんと自分一人で全部できるんですか?」
手を腰に当て、まるで親のようなことを言い出したではないか。
続けるように、隣に並んだバルが、同じ体勢で口をひらいた。
「そうですよ。 それに、お金もバカになりませんよ? いまそれにお金をさける余裕があるんですか?
もし飼っても、私たちは散歩には連れていきませんからね」
「ペットじゃないんですよ! もう少し言い方変えてください!
でも私一人でなんとかしますから! ねぇ〜魔王様、お金貸してください〜!」
海斗は腕を組んで、そっぽをむいた。
「やだね。
まぁあれだよ。 急にあの店が爆発して、女の子がここに飛んでくるようなことがあったら、運命として連れ帰ってやるよ」
「そんなこと起こるはずないじゃないですかぁぁぁ!!
もうじきボーナス出ますからぁ! 2倍にして返しますからぁ!」
「は? お前ボーナス出んの? 俺ねェんだけど。 ムカついたからやっぱ買う自体無し」
「えぇぇぇぇ! 気難しすぎるでしょぉぉ!」
どうしても助けてあげたい。 そんな気持ちが燃えあがるようだった。
手持ちのお金が足りないことが、すさまじく、脱力させるほどの無力感を抱かせる。
その悔しさを噛み締めた、その瞬間に店から爆発が起こった。 屋根が割れ飛び、壁は崩れて、破片が放射状に飛び散っていく。
その中に、あの少女がいた。 破片に囲まれ飛ぶ少女。 空高く舞いあがってこちらにやってくる少女を、3人は見あげていた。
そして少女は、海斗にお姫様抱っこされる形で着陸した。
少女はつむった目をゆるりとあけ、海斗と目を見つめた。
しばらくそうしたあと、海斗は
「お待ちしておりましたお姫様」
微笑を浮かべてそういった。




