第三十五話 調子の悪くなった機械は叩いとけ叩いとけ
朝日が昇って数時間後、中央街にある一本のビルの窓から、たくさんの足を天へと向けるように黒々とした煙がたちのぼっていた。 炎の勢いは増しに増し、水が投入されるまで衰えることはないように見える。 それらに混ざって、ビルの奥から助けを乞う男女の声がかすかに入り混じる。
「こうも多いと、手が回らないな」
たくさんの野次馬が集まりだした頃、男は、向かいのビルの屋上でそれを見下ろしていた。 焦げ茶色の、古ぼけたコートが風に揺れた。 その色と同じく、オールバックの神は、日の光をはねさせる。
男はせきばらいして、懐に手をいれた。
「さぁ、今日もここから消化活動だ」
*
昼の陽の下で、はずむボールの軽快な音が響いていた。 アリフトシジルにも、原っぱのような場所がある。 とても広いというわけではないが、海斗とラーファは、街からはずれた、城から西にある広場でボール投げをしていた。
今日はあまり仕事が多くなく、昼過ぎに全部終わった海斗に、ラーファが、あそんでくれないかと言ってきた。 確かに、いすに座ってばかりいるのは不健康だと思った海斗は、おずおずと機嫌をうかがうような上目遣いのラーファの申し出をのんだ。 そして誘われここにきてみたが、なかなかにいい。 ほとんどを芝に覆われ、数本の木が見える。 樫もあるようで、杉もある。 海斗のずっとうしろには、ガレージが横についた二階建ての家が、この広場は我のものと言わんばかりにどっしりと立っていた。 たまにドリルのような音が風に流れてきてから、なにかをつくっているのだろうか。
飛び切らずに、途中で落ちてころころ転がってきたボールを、海斗はしゃがみ取った。 ラーファは笑顔で、両腕を取れんばかりに振っている。 海斗は、自分が兄になったような、父になったような気持ちが混ざる心を抱いた。 そして今度は、馬鹿正直にただ投げるのではなく、ボーリングのように強く転がして見せた。 ボールが芝を踏む、さわっさわっという音の先で、ラーファがにこやかにわ、しっと、身体全体で受け取った。 それからあの笑顔をむけてくる。
変な気持ちになるのは、ああいった、些細なことに対しても一生懸命に見えるからなのだろう。
「魔王様、いくよ〜」
「お〜」
あれから何度かボールを往復させたあと、海斗が、少し強く投げて、ラーファの頭上を大きくこえてしまった。
「あっ! すまん!!」
あまり気にしていないように、微笑みながら走り出そうとするラーファは、突然止まった。 見えない壁でもあったかのようで、それは、飛んだボールの終点にちょうどいたアイナのせいだった。 海斗とラーファのあいだ以上離れた場所の彼女は、足先にとんと当たったボールをかがんで取り、2人を微笑気味に見た。
海斗は彼女に向かって、手を振った。
「アイナ〜、投げてくれ〜!」
アイナは静かに笑い、
「お前こんなところにまで投げるなんて、ちっとは手加減してあげなくちゃいけない、ぞっ!」
振りかぶって、海斗めがけて投げた。しかし彼女の物言いとは裏腹に、風をぶった斬るような投げ方をした彼女のボールは、海斗をいとも簡単に超えた。
海斗は凄まじい速度で過ぎ行くボールをあおぎ見る。
「ちょっ! お前こそ手加減が必要だろうが!! あぁッ!! そっちには民家がァッ!!」
飛んで飛んで、小さく成り果てて、ボールは、ちょうどあいていた民家の窓の中にはいりこんだ。
なにをやっているんだかと、海斗の口からおもわず「あーぁー……」と声が漏れた、その途端。 ひゅっと、なにかが圧縮したような音がした直後、その民家の中からとてつもない爆発音と、窓から炎と黒煙が膨れ出た。
三人はつかのま、呆然と立ち尽くしてみていたが、海斗ははじかれたように民家へと駆け出した。
「うぉーい!! 大丈夫かァァァ!! もしかしてボール!!? ボールのせい!? 犯人アイツです勘違いしないでください俺じゃないけど助けますゥゥッ!!」
もう少しで民家にたどり着くというところで、シャッターがひらいているガレージの方から、すすで汚れた、タンクトップ姿の女性が、よたよたと姿を見せた。 壁伝いで、ボサボサになった赤い髪を掻きながら、近づいてきた海斗へ視線を移し、眉をあげた。
「お、知ってるけど初めましてだねー……」
なにが? そう海斗が目を大きくさせていると、アイナとラーファの走る音がすぐそばで聞こえ、止まりきる前にアイナの声がした。
「も、申し訳ありませんベリアル殿ッ!! 私がボールを投げ入れてしまって……」
ベリアルは、頭を下げようとするアイナを右手で制し、微笑で首をふった。
「いんや、ありゃあ私のミスさ。 どこかに電線のつなぎ間違いがあったんだろうねぇ」
そう言って、ガレージの中によたよたと戻り、黒コゲになった、おそらく爆発の原因になったのであろう電子レンジのような箱の前でしゃがんだ。 それから手袋をした手で原因を探っていた。
──こいつが、ベリアル。
海斗は、聞き覚えのありすぎる悪魔の名を聞いて、少し驚いた。 そしてベリアルの背中を、ぼうっと見ていたら、アイナが寄ってきて耳打ちした。
「多分、彼女に会うのは初めてだろう」
海斗は小さく頷くと、アイナは続けた。
「彼女はベリアル殿……利便性の高い機械や、国の防衛装置を生み出すことを生業としている。 皆が使っている電子機器や、防犯カメラはここで作られている。 この国の輸出量の半分を占める機械類は、ほぼ彼女1人でまかなってたりもする、すごい方だ」
「……へぇ〜……」
国の稼ぎ頭ということか? あまり内政などに詳しくない海斗は、すごいとは思いつつも、あまりピンとこないでいた。
すると、ベリアルが、横顔を見せてきた。
「その通りだけど、そう言われる照れるねぇー。 そりゃあ耳が良い本人がいないところで言うべきだよ、アイナ」
ケタケタと笑うベリアルに、アイナは少しだけ赤くなって、うつむいた。
「す、すみません……まさか聞こえていたとは……」
その顔を見るとますます笑っていたが、アイナの横で、部屋全体をキョロキョロ見渡しているラーファを見て、あっ、と肩を跳ねさせ、
「そういえば、ボールが飛んできたうんぬん言ってたね。 ちょっと待ってなよラーファちゃん」
家の方に通じる、あけっぱなしになった扉の先に行って、間も無く少しばかり黒ずんだ青いボールを掴み持ってきた。
それを見るなりラーファは、ぱぁっと明るくなった。
「これだろう。 よかったね、やぶれてなくて。
もしかしたら、次はやぶれてしまうかもだから、黒メスゴリラには渡さないようにしなよー」
微笑むベリアルのその言葉に、アイナはぎこちない苦笑で固まった。
「うんっ!」
そしてそれに賛同したラーファにもショックで、アイナはびくっと身体を震わせたあとにまた固まった。
ベリアルはまた機械を手に取って、見るかと思いきや、近くの緑の鉄製の棚に置かれたリモコンを取り、奥にあるテレビをつけた。
ちょうど、ニュースが始まるようだった。なにやら不穏そうで、にこやかな男性キャスターの後ろのモニターには、火がビルから噴きあげる映像が流れていた。
ベリアルは、それを横目に機械をいじっているよいであった。
キャスターは眉をひそめた。
「伝絵太郎です。 お昼のニュースを始めます。
本日も、中央街で火災が発生しました。
現場には、地獄乃が向かっております。地獄乃アナー!」
カメラが切り替わって、マイクを持つ女性の遠く後ろに、窓からもうもうと火があがるビルが、映像に流れた。
その頃になると、海斗とアイナは、ボールを地面に転がしているラーファの横で、なんとなく見続けるうちに、くぎづけになっていた。
アナウンサーは、張り詰めた顔で口をあけた。
「はい、地獄乃です! 居酒屋などの複合店となっているビルが、つい先ほど火災に見舞われたとのことです。 炎上のまえには、爆発音があり、奇妙に身体を波立たせて歩くテレビや、犬のロボペットが目撃されていたなど、前々からの犯行と同じ手口から、だということがうかがえます。 中央警察は犯人の特定を──」
そんな事件が……。 平日は夜しか魔界にいない海斗は、事件や国家間の情勢に疎くなってしまっていることに少しだけ恥ずかしさを感じるとともに、そんな物騒なことも怒るなんて、魔界も地球も変わらないんだと感じた。
その横で、アイナは鋭くテレビを見つめ、言葉を紡いだ。
「またこれか……こんな趣味の悪いこと、誰がやっているんだか」
確かに、と海斗は横目でアイナを見た。 眉をひそめる彼女の顔が見えたところで、ベリアルが、箱を棚に置いて伸びをし、2人の横を通るとき、ぼそっと言った。
「犯人、だいたい見当はついてるから、とっつかまえに行ってくるよ」
海斗はあわててベリアルに詰め寄った。
「え、な、なら! 俺も……」
手伝う、と、言おうとしたら手を振られ、
「いらないよ」
と、ベリアルは足を止めて、海斗を見た。 海斗は、真っ赤に沈む瞳を膨らんだ目で見返した。
「ありゃあ、私が処理しきれなかった残りカスみたいなもんだから」
ベリアルはあれから、城に入って、バルに外出許可をとった。 彼女をつけ、扉からそれを隠れ盗み見していた海斗とは、ベリアルのフランクな喋り方から、この国での地位を理解した。 目上のバルに、「少し外に行きたいんだけどいいかい?」だなんて言って、バルもバルで気にする様子がなかったのだ。 隣にいるアイナにも小声で聞いてみると、彼女はサタンたちに近い地位なのだという。
それから、ベリアルは食堂に行って水をくみ飲んだかと思えば、急にスイッチがはいったように走り出した。 あまりに突然のことで、枝分かれも多いこの城の中で、2人は彼女を見失ってしまった。
どこに行ったんだろうと、廊下の端々にまで目を向けてみるが、見えなかった。 そして、諦めかけたときに、ずっと向こうまで続く城のはしの廊下に出たアイナが、「あ」と言って、半ば諦めたような顔をした。 なんだと海斗は近寄って、アイナが指差す方を見てみると、窓が大きくあいていたのだ。
「彼女は、もう行ってしまったらしい」
海斗はしばらくそれを見つめて、頭を大雑把に掻いた。
城の内側の、入り組んだ廊下の中でベリアルは、小さく息を切らしていた。
まさか、あそこまで自分を追ってくるとは思わなかった。 そしておそらく、アイナもいた。 こうなるのなら、少しも話さない方がよかったと、肩を落としながら歩いていた。 そんな淡い倦怠感につつまれていたせいか、いつもならば気づく存在の気配が、左に枝分かれする廊下にいることを気づかず、素通りしかけた。
「おい」
聞き慣れたトゲトゲしい声に、ベリアルは肩を跳ねさせた。 同時に誰なのかわかって、一気にめんどくさい色に濡れた顔をそちらに向けると、はたして壁に背をつけ立つサタンがいた。 自分に負けず劣らず真っ赤な目がいくらか交わった。
「……なんのようだい」
「あいつと会ってたな」
予期せぬ言葉に、ベリアルは考えたが、すぐに海斗のことを言っているのだと理解した。
「それがどうかしたかい」
だが、そんなことを言ってくる理由がわからなかった。
「というか、見てたんだねぇ。 全世界に名の走る大悪魔さんが覗きまがいなことをしてくるたぁ……私もずぶとく生きてみるもんだね」
ベリアルは、タンクトップを小さくめくって、ヘソの上にぱっくり刻まれた深い傷を見た。
海斗が魔王になってから、サタンとはなんども顔を合わせたが、彼が軸になった会話なんてした覚えがなかったし、それに会ったからと言ってなんだというのだろうか。
そんなことを思っていると、ふいにサタンの顔が少しばかり険しくなって、こちらから視線をはずした。
「あいつを、これからはお前も監視してほしい」
ベリアルの目が細くとがった。 なんでだ、と口が反射的に行ってしまう前に、サタンはまた言葉をついだ。
「あいつは、姫をすくった。 あのワイザの軍の前に立って、1人で」
ベリアルは微笑を浮かべた。 なにを言い出すかと思ったら、そんなことを。
「あぁ覚えてるよ。 その感謝も忘れちゃいないさ。 こんな事態が迫ってなけりゃ、会ったついでに食事でも誘ったさ」
「私も同じだ、感謝はしてる。 だが……不気味さがどうしてもぬぐえない。 あいつは、大量の加護がついてるだけで、勝ったんだぞ」
2人は見つめあった。 鋭いサタンの目つきを、ベリアルの開いた目が受け止めていた。
「おかしいと思わないか? いくら大量の加護つきだと言え、ただの人間が魔王に勝てるか?」
いまさら考えたって、という気持ちがベリアルにはあったが、確かに、という思いも生まれた。 当時、海斗はボロボロだったと聞く。 それでも立ち続けてワイザに勝利をかざしたわけだが、人間と魔王が戦って、ボロボロになるだけですむ、というのは大きな疑問である。
ベリアルの顔が小さく歪んだのをサタンは見て、目を閉じた。
「だから、お前にもあいつを……」
「いまはいいや」
サタンの目はかっぴらき、わずかな笑みを浮かべたベリアルを見た。
「いまの私にゃあやらなくちゃいけないことがあるし、それに……」
と、サタンを横目で見て、はにかみ、
「その、国を想う優しさを自分の周りにも振りまきなよ」
歩き出した。
サタンは、んだと、と言葉をつむごとしたが、ベリアルが手をひらひらとあげて、「真っ赤がイメージカラーが二人いたら暑苦しいだろ〜? あんたはあんたの、その『お仕事』をやりなよ〜」という言葉に遮られ、胸にあった言い詰めようとする思いが瞬く間に溶けた。
ランプの光が、ベリアルを撫でていくのをひたすらに見ていた。




