人の嘘をあばく時の嗅覚は、犬のそれを超えている
海斗は、思考が止まった中、花音の瞳を見上げていた。 蛍光灯の中にあっても、琥珀色の美しさを独立させているそれは、この場でなかったらどれほど惹きつけられるか。
──なんで、夜中、電気をつけないの?
まさか海斗は、こんなことを聞かれるだなんて思ってもみなかった。 秘密がバレそうな最大の敵は親ではなく、隣に自室をかまえる花音だったのだ。
どんな表情をすればいいか、どんな言葉を出せば良いか定まらぬ海斗に、花音はついだ。
「ここ最近ずっとそう。 夜のあいだずっと真っ暗……なんで?」
鋭い槍を向けられているように感じる海斗は、思わず目を背けたくなった。 どれだけ取り繕おうとしても、浮かぶ表情は苦笑ばかりで、こまった。 だがここでそらしてしまうと、さらに疑いに拍車がかかってしまうと、なんとか見つめ返していた。
なにか良い言い訳はないかと、思案した途端、浮かんだ言葉をすぐ口にした。
「いや、あの、一階で、過ごしてんだよ! 最近!」
「お母様に、夜一回に下りてくるんですかと聞いたけど、ずっと二階から出てこないとおっしゃっていたけど」
悪しき言い訳となって、海斗を苦しめにかかった。
「え? そ、そうかい? 母親痴呆症かぁ? 最近その節あるから。 通販でダイエット機器買っても使うこと忘れてるから。 忘れてまた新しいの買ってるから」
「海斗」
口八丁手八丁で、この場を乗り切ろうとするも、花音には通用しない。 シウニーのような、純粋で、めんどくさいから折れておこうなんて気持ちなど、少しも持ち合わせていないのだ。
まるで身体以上もある釘が脳天から打ち込まれ、ベッドに固定されたように動けなかった。
花音は、少し、悲しそうに、ちょっとのあいだ目を閉じて、その色を残した瞳をまた向けた。
「嘘は……つかないでほしい。 なにが、どんなことがあっても、別に蔑んだりしないから、ご両親にも言ったりしないから、ちゃんと……言って欲しい」
案外、早くこの時が来たと、海斗は漠然と思っていた。 いつかはバレるかもしれない……もちろん思っていた。 それが親ならまだ弁明の余地があった。 かくれて、健汰や直樹などの、親友の家に遊びに行っていたと言えば良い。 親は、それ以上の詮索はしないから。 だが花音が相手ならば、深く関わろうとしてくるだろう、当然幼馴染で友人なのだから。
海斗は、もう目を合わせることに苦しみはなかった。 嘘偽りを放とうとは、もはや考えておらず、どうやって真実を伝えようかしか考えられていなかった。
「あ……あのさ」
海斗はおぼつかない口を、やっとの思いであけた。 自分の意思ではなく、時間があけさせてくれたように感じた。
コイツになら、言っていいのかもしれない。 他人にならば、信用してくれようのない事実だが、コイツなら、静かに、まっとうな真実だと感じながら聞いてくれるような気がした。 話終わってから、バルたちになにか迷惑がかかるのかもしれない。 でも、なぜだか花音は、他言するようには思えなかった。
幼馴染だからだろうかと、海斗が、次の言葉をつごうとした途端、2人を横から見るように、人1人が潜り込めるくらいの、紫と紺が混ざり合った渦が発生した。 それから2人が身構える時間なく、1人の銀髪の女がひょこりと顔を出した。
「魔王様なんか今日遅いですね、なにかあったん……」
叩かれたようにバルに向いた2人の顔を、バルは海斗をまず見たが、見知らぬ者がいると気づいたら、花音と見つめるばかりになった。
それからは早く、魔界の海斗の自室に連れてこられた花音に、海斗とバルで、ここまでの道程を説明した。 花音は驚きに目を染めつつも、黙って最後まで聞いていた。 途中、バルに、木村花音という幼馴染であることを伝えた。 2人の顔からは、そこまで嫌悪する感情は見えなかった。
海斗はひとまずそれに安心し、説明を咀嚼し、飲みこもうとしている花音の出方を待った。
しばらくたって、花音は口をあけた。
「そうです、か。 海斗が、一国の王に……」
海斗は微苦笑を浮かべた。
「ま、まぁ、そんなところです、はい」
「何人とヤったの?」
「なんでその発想になるの?」
海斗はそんな言葉がカノンから出てくるとは思いもせず、膨れさせた目で、冷静そうな花音を見た。
「だって女ばっかの国とか言うから……」
「ヤったことねェから、そもそも触りもしねェから。 な、バル、お前にも触らねェよな」
バルは「うーん」と悩み、考える顔でさらに続けた。
「私には触りもしないしそういった誘い文句も言ってこないですけれど、他の子達にはどうでしょうねー」
「どうでしょうじゃねェんだよ、なんもやってねェよ」
「そんな……」
「真に受けてんじゃねェよ! だいたいバル! お前適当なこと言ってんじゃねェよ、だいたいいつも……」
三人の言い合いが生まれた中で、花音という客が来たからお茶を、とバルからの指示で、茶を取りに行っていたシウニーが入室した。 廊下にも漏れ出るようになった大きな声に状況をある程度察し、小声で「粗茶ですー……」と、おぼんから3つのガラスコップを海斗の机に置いた。 出て行けばいいのだろうか、と思っていると、花音の鋭くなった目が突然ぶつけられた。
「この娘にはヤってるの海斗!!?」
「ヤってるわけねェだろ!! 一番遠い存在だわ、そいつを抱いてたら他の奴らも抱いてるわ!!」
シウニーは眉を強くひそめた。
「なんの話してるんですか!!? なんで私入った途端ディスられてるんですか!!?」
「うっせェまな板!! お前はよ出てけ!!」
花音は、シウニーをわなわなと、口を震わせながら見、
「まな板……ッ!! これは夜には『マグロ』であることの比喩……ッ!! そんなあだ名で呼ぶくらいにまで発展しているだなんて……恥を知りなさい海斗!!」
海斗に怒りの表情をぶつけた。
「恥を知るのはお前の頭だスカポンタン!!」
思わず立ち上がってしまっていた花音は、ベッドにどかっと座って、目をとじ腕を組んだ。
「まったく……私に嘘はいけないわ海斗。 隠し事は嫌いだから、お願いだからやめて」
海斗は疲れて瞼を落とし、花音を見ていた。 肩で、ためいきをついた。
「もう隠し事なんてしてねェよ……最近夜はこっちにいるから電気を消してるだけだし、誰ともヤってない形だけのハーレムだし……だいたい、皮をひっぺがしたら汚物しか詰まってない女を抱こうとは思わねェよ」
「仮にも姫という女の前でそんなこと言います?」
花音は小さくため息をついた。
「まぁ、でもよかった。 これで知りたいことは知れたわ。 もう、隠し事なんて、お互いなしでいきましょう」
「はいはい、わかったら帰ってくれ、仕事やんなくちゃいけないんだから」
海斗は机に置いた、魔界と人間界をつなぐ鍵を手に持って、立ち上がった。 そして、なんとなく安堵した。 事実を知られたことによって、問題は起こってくるだろうが、ひとまずは納得してもらえたとわかった海斗の心は、やすらいでいた。
花音を送ろうと、空間に鍵をねじ込ませた、その途端に、扉がひらき、あまったるい声が耳に届いた。
「魔王様〜、おいしいクッキーが手に入ったので、夜の罪なおやつタイムを過ごしましょう〜」
声だけで、海斗は誰なのか理解した。 目を向けると、案の定ルシファーが、甘いようでどこか企んでいるような彼女特有の笑顔をつくっていた。
海斗の呆れた目から周りを見たルシファーは、「あら、姫様たちもいたんですね〜、一緒に食べましょうね〜」と、また甘い声で言った。
海斗は、すっかり不安がなくなったからっぽの胸に、いくらかのめんどくささを詰めこんだ。
「はいはい、こいつ送り届けたら食べるから、なんもせずに待ってろ」
しかし、こういうヤツもここにはいるが、うまくやっていけている花音への証明にもなったのかもしれないと、思った海斗は鍵を回して、渦を作った。 これをくぐればあちらの世界。 花音を送り届けたら、今日のところは全て解決するのだ。
「おい花音、いくぞ」
花音がルシファーの方に向いていると横目でなんとなく見て、興味があったのか立ち止まっている彼女の手を取ろうとしたら、「ぉ……ぉ……お……」と、しぼみ切った声がだんだん大きくなるのが聞こえて、花音を見た。 ひらきっぱなしになった目が驚きに濡れていて、海斗は不思議に思った。
すると、なにを言おうとしているのか、答えは早くにやってきた。
「お前はルシファー!!」
思わず海斗は、「えっ」と驚きを漏らした。 バルもシウニーも同じタイミングで「えっ」と、ルシファーをはじかれたように見た。
キョトンと、されども笑顔を崩さぬルシファーは、花音を見つめた。
「……なぜ私を〜……? あぁ、そういうことですね〜」
また強く笑んだルシファーは、言葉をついだ。
「その光り輝く魔力の塊……貴女、天使ですね〜?」
海斗は驚きと疑いを隠せぬ目で花音を見た。
「え……お前天使、なの……?」
花音は、静かに、噛みしめる表情で、小さくうつむいた。
「い、いやじゃあお前……」
いままで散々、自分の疑わしいところを探られた。 言ってはならぬと思った魔界のことをそれでも言った。 隠し事はなしだと、花音自身もついさっき言っていた。 なのに、たったいま、花音の知らぬ事実を知ることになった。──こんな形で。
海斗の胸にいろんな感情が渦巻いた。
「お前も隠し事してんじゃねェかァァァァァッ!!!」




