復讐心は身をほろぼす
ガラスの中で、溶けた氷がカランと揺れた。 それは、花音の発言に衝撃を、海斗たちと同じく受けたようなタイミングだった。
海斗の頬を、一粒の汗がおりた。
まさか、保育所のときからの幼馴染が天使だったなんて。 ときに男友達のように、ときに男女の友人のように、ここまで、人生の道をすぐ横で歩いてきたのに、知らなかった。 それよりもなぜルシファーと花音が、それよりもなぜ黙っていたのか、なんておびただしく疑問が吹き出てきて、海斗は口はひらけど言葉を紡ぐことができなかった。
「天界の裏切り者め……まさかこの国にいたなんて……っ! 『悪魔の国』だけならまだしも、『お前がいる国』なら我慢ならないわ! 海斗ッ、すぐに魔王をおりるべきだわ!」
ルシファーに睨みきかせながら、そう言った。
途切れ途切れだが、海斗自身の言葉がやっと出始めたのは、その言葉のあとだった。
「いや、で、でも、さ、こいつがなにやったってんだよ? 確かにルシファーは堕天したとか、本で読んだけどさ。 お前に、なにを……」
「私の、本当の親を殺したの」
つごうとした言葉を、海斗は忘れ去った。 あまりに、花音の言葉は短かったけれど、あまりに多すぎる想像上の光景を浮かばせた。 どんなことがあったのか、この目ではっきりと見ていないが、雪崩の如くルシファーに対する疑いや嫌悪感が胸をうめつくした。
「私が、ものごころついた頃、こいつが集めた天使たちが天界に戦争をしかけた……天界全土の守護をになう緋天花団の隊長格だった2人は、当然止めるために向かったわ。
不安に見えたんでしょう私を、家に置いていくときの2人の笑顔を見たのが、最後の思い出になるとは、思わなかった」
海斗は、膨らませた目をルシファーにやりながら、
「……そんなことをしたのか、ルシファー」
と言うと、焦点があったルシファーはあいもかわらずいつものように怪しく微笑んでいた。
「さぁ……そうですかね〜。 誰だかわからないので、なんとも言えませんが〜……」
花音は、目を一瞬だけ細めて、口をあけた。
「アルバレイト……ローズと、ガオク。 私は、2人の娘、カノン・アルバレイト」
「うぅん……そんな人もいたような、いなかったような……」
「覚えてるはずよッ!! あんたは緋天花団と頻繁に関わっていたって、親から聞いたことがあるわ! かすかな記憶だけど……確かにここに残っているもの!!」
花音は2度、頭を強く叩いた。 そんな冷静さを欠かせた姿を見たのは初めてな海斗は、どうすればいいかわからず、花音とルシファーをせわしなく見続けた。
すれば花音は、とめどなく溢れでる感情をなんとかとどめ、冷静になろうとするも、怒りが混じる声を出した。
「……なら、他の堕天したヤツらは、いるの……?」
ルシファーは目を細めた。
「いますよ〜、そりゃあ私がいるんですもの〜」
花音は、乾ききった笑い方をして、
「……あぁ、そう……思い出した、あんたら裏切り者の半分程度をひきとった国があるって……そう、ここが、アリフトシジル。 じゃあ、貴女が、バルバロッサ姫」
バルの方に顔を向けた。
バルは胸を張った。
「いかにも、私がバルバロッサ姫ですよ」
奥で苦笑するシウニーを、花音はぼんやりと見た。
今度は、ルシファーがくちをあけ、
「じゃあ〜、それを知った貴女がすることは〜……」
と、言うあいだに、握られた花音の左手から尖る光が顔を出し、鋼鉄の剣が具現化した。
「ま、そうですよね〜......普通考えて、そうしますよね〜」
花音ははりつめた顔で、囁くように言った。
「……親の仇よ……」
ピンと張った緊張が、突然どろっとした生臭い液になって、部屋を埋めた。 思考も染めて、海斗も、バルも、シウニーも、2人をただ見つめる以外のことは、考えられず、剣の切っ先をルシファーの腹めがけて走り出したことに、つかのま、おかしいと思えなかった。
白い、白いルシファーの服を、劔を中心に滲み広がっているところを見て、ようやく事態を判断できた三人は、背中をせりあがってくる悪寒をひしひしと感じていた。
花音は、いまだ達成感など抱けずにいた。 なんども想像したその感情が、やってこなかった。 目の前のルシファーの顔が、痛みに歪むことなく、苦しむことなく、微笑みを保ったままであるからだ。
そして、こんなことを言うのだ。
「仇を……恨みを源として、私を傷つけたんですね……?」
ルシファーは、少しだけ、歯を見せて微笑んだ。
「ようこそ、こちら側の世界へ」
花音の目が丸くなったが、気にせずついだ。
「ローズさんがお腹を痛めて産んだのは、どうやら貴女ではなく……私だったみたいですねぇ」
花音は、全身がどろどろの鉛に伝い覆われ、熱帯びを急かせられるような感覚が、わっと胸に湧いた。
そんなこと、堕天使のたわごとであることなんて、わかる。 しかしどうしても自分とルシファーが重なることが嫌悪感甚だしく、胃酸が逆流するが如く噴き上がってくるのを感じた。 花音はそれを、止めきることができなかった。
両手が震え、いますぐにでも下にストンとおろし斬りたい衝動と、同族になってしまう果てしない嫌悪感が葛藤した。
「きさまァァァ……ッ!!」
引き抜くか、斬るか──その二択に迫られた一瞬ばかり、脳をかすめた記憶があった。 背中に父のぬくもりが、目の前に腰をおろした母の微笑みが見えていた。 見上げると父も笑いかけてくれた、そんな日常だった。
しかしそれは、一部の反逆を決行した天使たちによって、たやすく崩された。 ねんどのように、崩れたら集めてまた作ればいい、なんて再生がきくものではない。 このもがく手が、どこでどうやってなにを集めれば、日常が戻るのか、誰も知らない。
積まれた思いが、衝動の背中を押したことを、花音は理解した途端、手が熱くなった。
「くァァァァァッ!!」
おろし、足の付け根までぶったぎろうと決心したら、ぐっと首に腕が回されたのがわかって、後ろにぐいっとひかれ、抜かれる剣の肉をこする感覚を覚えていた。
「阿呆がァッ!! 感情に流されんじゃねェよ!!」
そのままベッドに海斗共々押し倒された。 ベッドにバウンドして戻って来る途中で、花音は手を握る感触を覚え、見ればシウニーが切羽詰まった顔で剣をとって、机に下がり寄った。
花音は、口をきゅっとつぐみ、眉根を寄せた。
力強くおさえつけていた海斗も、横目でそれを見たら、回した手で思わず頭を撫でていた。
「お前の気持ちがどのくらいなのかわからないことしかわかってねェけど……幼のお前が殺しにかかる姿は見たくねェし、あいつだって今は俺の国民だ、もう少しだけ、たえてくれ……」
花音の胸にたぎる日は、未だ燃え尽きていなかった。 それどころか勢いを増していたが、海斗の気持ちも理解できて、意識せず手が、横でうつぶせになる海斗に巻きついていた。
目は天井をとらえ、視界のはしで光る照明が、涙で滲んだ。 こらえようとした涙が流れ出したのだ。 これ以上出すまいと、深いシワができるほど眉を寄せて、歯をくいしばってみるも、次から次へと溢れ出た。
なんて私は無料だろうか。 なんて私はおろかなのだろうか。 海斗の気持ちも、心のどこかでわかっていたはずなのに、天使にあるまじきことをしてしまった……。
そんな2人をしばらく見つめたあと、腹部をさすった。 へそから少しそれた部分が生暖かく濡れていて、目をやると、目一杯ひらけた手くらい血が広がっていた。 これをどうしようかと、一種の倦怠感を感じ、息を吐くとともに肩を落とすと、バルが服をガバッと上げてきて、驚いた。
ルシファーが声を出す前に、バルがつぶやくように口をあけ、
「傷を開けたまま医務室に行かせるのもどうかと思いますのでね、あんまり、動かないでくださいよ」
包帯を巻き始めた。 この部屋に救急箱があるのを思い出したルシファーの横腹に、湿りっけを感じた。 バルの手を見たら、包帯を触る前に消毒をしたのだろう、光をじんわりと反射していた。
包帯が巻き終わるのと同じくらいに、海斗は花音をベッドに座らせると、真っ赤に、涙でぬれそぼった目をハンカチで拭き取った。
最後の確認をするバルの背中をチラと見て、また花音はうつむいた。 海斗とシウニーの視線をいくらかあびたあと、ゆっくりと、海斗の腕を掴んで立ち上がった。 海斗も、一緒に立ちらざるを得なかった。
「海斗、やっぱりだめよ、こんなところにいちゃ。 あんなやつと一緒にいたら思考まで堕天しちゃうわ」
鍵を持つ手を取られ、海斗がなにかを言おうとする前に、花音はまた言葉をついだ。
「これでしょ? これがあれば家に戻れるんでしょ? なら、さっさとあの穴っぽこつくって、それ置いていきましょう」
「いや、でもよ……」
やっと紡げた言葉は、なんの意味も持たぬものだった。 もう少し拒否を言いたかったが、花音の過去や思いをしってしまうと、ルシファーからの視線を感じれど強く言い出せなくなってしまっていた。
バルは、2人を振り返って、すぐに落ち着いた声で言葉を紡いだ。
「なぜ、そこまで魔王様と、私たちを離そうとするのですか?」
「好きだからよ、嫌なやつと付き合うところ見たら見過ごせないじゃない」
海斗ははじかれたように、花音の顔を見た。 ぐいぐい引っ張る手に抵抗する分だけの力を残して、棒のようにつっ立った。 なんと彼女が言ったのか、一言一句聞き逃すことはなかった海斗は、心が透明になったように、なにも考えられず、憤りに染まる花音の横顔を見つめた。
バルも、剣を抱えるシウニーも同じで、意外な発言に、どこか心奪われていた。
「あらあら〜……」
ルシファーはあいも変わらぬ不敵な笑みを、心なしか幾分か程度が増した笑みで、声を漏らした。
それを聞いた花音は、つかのまなんのことでそう言われているのかわからなかったが、自分の発言を思い返し再構築するにつれて、顔が紅くそまっていった。 それを、海斗にも見られているのかと思ったら、身体の内から炎がわくように熱くなっていった。
するりと、海斗の手を離し、天に向けられた指をのぼるテントウムシの如く、両手を頬にあてて、頭を抱え始めた。 恥ずかしさにかっぴろげられた目は、さっきまで倒れていたベッドをとらえていた。
「ぁ、ぁぁぁぁぁぁ……っ! もしかして……もしかして……!」
海斗は微苦笑を浮かべた。
「お前……」
「聞こえなかったわよね!?」
「いまの聞こえなかった俺の耳どうかしてるわ」
「どうかしてなかったっけ?」
「多分いまはお前の頭のほうがどうかしてるから、うずくまって時を待って恥ずかしさがぬけてから話せばいいと思うんだわ」
花音は羞恥に勝てず、髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜ始めた。
「あぁぁぁ……せっかく、せっかく告白の作戦を丁寧に練ってたのに……大学生になったら恋愛映画行った帰りに海斗の自室で、『私も、あんな風に海斗と過ごしたいなぁ……』って、自分の思いを打ち明けて恋人関係に発展しようと思ってたのに……」
「ほら、どうかしてるからさっきよりも恥ずかしいこと言ってるよ。 気づかないの? 頭どうかしちゃってるから気にならないの?」
海斗がそう言っている最中にも、花音は「うぅぅぅぅ」だの「あぁぁぁぁ」だの唸り声をあげて、いきなりバッと立ち上がったと思えば、ルシファーを振り向き指さし、怒りも混じった顔で言葉を吐き散らした。
「あんたのせいよ!! あんたが来たからこんなことになってしまったでしょうが!!」
ルシファーは眉をひそめた。
「えぇ〜……突然キレるなんてこわぁ〜……こんなのが天使なら堕天してよかったです〜、というかそもそも貴女が来たのが失敗だったのでは〜?」
それを聞いて「なにくそ〜!!」と拳を震わせる花音だったが、みかねた海斗が、「いやでも気持ちは伝わってきたよ」と肩に手をぽんと置こうとした途端、花音は顔を殴られたかのように振り返り、両手を広げて前に出し、少しだけ距離をとるような動きをした。
「いや、あれだから!! 全然好きじゃないから!! なにその死んだ魚見たいな目、そんなんでモテると思ってんの? バカなの?」
「いま生きてきた中で一番傷ついたんだけど。 気づかないの? 頭どうかしちゃってるからわからないの?」
「え、あ、い、いや、あれだから! べ、別に、キライってわけじゃないんだからねっ! 毎晩寝る前に海斗のことばかり考えてるんだからねっ!」
「突然のキャラ変更!? ツンデレ慣れてなさすぎて言葉のつながり気持ち悪いんだけど!!」
海斗は、花音を落ち着かせるため、無理やり抱きかかえてベッドに腰掛けさせた。 背中に腕を回し、ぎゅっと抱き寄せる姿を見た、バルたちは、部屋のはしによって、聞こえぬくらいの声で会話していた。 海斗も、もちろん花音もまったく聞こえなかった。
しばらくうつむいていた花音は、泣いていたのか、右手で目からなにかをすくいとってから、そっと顔をあげた。 それから海斗を横目でちらと見ると、申し訳なさそうにそらした。
海斗はそれを見ると、なんだか胸がむずかゆくなって、思わず失笑しそうになった。 バルたちを見ると、終わったのかな? 大丈夫かな? と言わんばかりに視線をぶつけてきていた。 ルシファーの手には、部分的に赤黒く染まった包帯があった。 それでも血が広がらないのを見ると、いつのまにか、傷はふさがっているようだった。
「私って、天使では長く生きてるくせに、人間では年相応の精神年齢になっちゃうみたい」
おぼつかない声色でそう言った花音を、海斗は見た。
「……ごめんなさい、黙ってて」
海斗は眉を小さく落とした。
「気にしてねェよ。 言わんでもいい、辛かったらよ」
花音は首を振った。
「ううん、隠し事なんてなし、って言っちゃったもん。 私も、言わなくちゃ」
花音は、それから静かに、自分の立場を語り出した。
いわく、天使というのは、一定数地球にいるのだと言う。 もちろん、天使としてではなく、天使の力を持ったまま人間として生まれ、人間界を守っているのだと。 なぜ守る必要があると海斗が聞けば、悪魔などの他種族が、攻めてきたときに対処するためだと。 ほとんどの世界と道を断ち切った人間界だが、海斗が移動手段に使うこの鍵のように、なにかしらの道具や手段をつかって渡ることができて、その「もしも」から守っているのだと。 その任務にあてられた17年前の花音は、本来1つの男女のあいだに生まれてくる人間の魂を借り、自分の魂と力をのせ、生まれてきた。 そして、任務をまっとうしようと思っていた……が。
「目の前にど真ん中どストレートどストライク男がいるなんて思わなかったんだもん……っ!!」
花音は背中をまるめ、両手で顔を覆った。 指先から出る目が、恥ずかしさをおさえるように下を向いた。
「小さい頃背が小さくて、チビってイジメられてた頃に助けてくれたり、どんなときでも近くにいてくれて……そんなの惚れないわけないじゃん! ずるいじゃん!」
それを聞いたシウニーは、微苦笑を浮かべた。
「恥ずかしくなったり怒ったり開き直ったり、忙しい方ですね……」
「いま頭どうかしてるから」
海斗がそう返すと、また「あぁぁぁぁ……」と唸り始めた。 「ほんとめんどくさい〜」、ルシファーがにやけて言うと、海斗は背中をさすった。
そんなに好きなら、デートでもなんでもしたらいいのに……そうバルが呟くと、花音は機敏に反応し、目があった。
「そんなの……どうやって接したらいいかわかんない……! バレた計画の映画以外で、どんなシチュエーションを考えれば……。
ルシファーあんた教えなさいよ……っ! 男性経験豊富でしょ!? 股軽そうだし教えなさいよ!!」
「仮にもアドバイスをもらう相手にどうなんですかその言葉のチョイス〜?」
海斗のさすりに身をまかせるようになった花音に、海斗は口をあけた。
「もういいから、お前が俺のこと好きってこたァよーくわかったから。 な? 今日は帰って漫画描こう? 漫画描いてたら落ち着くんだろ? な?」
それに頷いた花音だったが、バルは意外なことを聞いて、はねさせた眉とともに言葉を紡いだ。
「漫画描いてるんですか?」
海斗は花音を見つつ、答えた。
「あぁ、小さい頃から絵が好きでよ。 よく漫画描いてたんだ。 いまでも趣味になってて、何冊もノートに描いてんだよ」
「どんなの描いてるんですか?」というバルの問いに、花音はその話題を早く切りたかったのか、海斗が口を開けるよりも早く、「恋愛、海斗と恋愛してる体で描いてる」と言って、海斗のぎこちない苦笑を誘った。
「おま……似てると思ってたけどあれやっぱり俺だったのか……」
そこで確信を得たように、バルはまた口をあけ、「デートとかさせてます? どんなデートしてます?」 と聞く。 花音は、「ショッピングとか……」と言うと、バルは言葉をついだ。
「なら、明日、中央街でショッピングしてきたらいいじゃないですか」
バルは、全員の視線を一斉に集めてみせた。




