第二十七話 「脅しには負けんわボケ」とか思ってるのにいざ「なんやボケ」と言われたらテンパってしまう俺のボケ
夕方の濃厚な光に、薄暗さが混ざり始めた時だった。 人ごみをよけて、大通りのはしを歩く男の子を照らしていた。
まん丸い目を、やや下にやって、おでこを撫でた。 さっき、黒髪の青年とぶつかって、痛くなったのだ。 大丈夫だとは言ってしまったが、結構な勢いでぶつかったため、いまになって、じわじわと痛くなってきた。
変わらぬ痛みをうざったく思いながらも、揺れたポケットからジャラリと聞こえて、少しだけ口の中の奥が、じん、となった。
「今日は父さん遅いし、お団子食べよっ」
家では、自分と母親、そして父親の家族全員が集まってから、夕餉を食べる。 今日は父親の帰りが遅く、夕餉まで時間がある。 彼は、そんなとき、少ないお小遣いをたずさえて、お気に入りの駄菓子屋によく向かう。
男の子は、おでこを押さえていた手を下ろし、下唇を弱く噛んだ。
いつまでも痛がってはいられないと思った。
なぜなら、間も無く、目的の店が見えてくるからだ。
しかし、近づくたび、眉がみるみる寄っていった。 店の縁台に、1人の客が見えた。 客がいるのはよくあることだが、その客は、女で、どこか言い知れぬ厳かな雰囲気が伝わってきて、肌がピリピリするような気がした。
だから、店の陰に隠れて、顔を覗かせ見ることにした。 すると、すぐに店主のダゴンが、お盆を持って現れた。
周りの喧騒がうるさく、懸命に2人へ耳をすました。
女は動かずに口を開いた。
「なんで……あの人間を助けたの」
ダゴンは口元を少しだけゆるませた。
「あいつはウチにまた来ると言ってくれた。 店主っつーのは、金を落としてくれるヤツに弱くてね。 つい、また来させたくなっちまったのさ」
女は眉をよせた。
「それは契約違反だ」
ダゴンの顔は揺るがなかった。 だまって、女の横顔を見ていた。
それからは、一言二言話して、会話は終わったらしかった。 どんなことを話しているのか、「契約違反」という言葉が出たから聞きたかったが、そばを通った十人くらいの男たちの声にかき消されてしまった。
それでも少し、ほんの少しだけ聞こえた言葉が、「店」と「潰れて」だった。
僕は、胸の奥がきゅっと締められた気がした。
すると女は立ち上がって、こちら側に歩きいてきて、出した顔を思わず引っ込めた。 バレないように、なるべく小さくなるようにして、壁にへばりついていた。
僕は、どんな女なのか、見たいという気持ちに駆られてしまった。 隠れるのなら、下に向いておく方がいいだろう。 でも、興味が買ってしまい、女が通り過ぎる前に、顔を大通りへと向けてしまっていた。
したら、見た。
通り過ぎる時に、こちらに目を向けてきた、橙色の目を。
僕は動けなかった。
目の前を通った男のくしゃみで、はっとして、身を乗り出した。 もう、女はいなかった。 それでも気になって、何度も後ろを見て、和菓子屋の前まで行った。
「おじちゃん!」
ダゴンはその声に振り返って、微笑んだ。 が、すぐに心配そうな顔になった。
「あぁ、サニ……またお前、少ないこづかいで食いにきてくれたのか?」
店の中を掃除しようと布巾を手にしていたが、サニが見えて、和菓子のサンプル品を並べているガラスの上に置いた。
ゆっくりとした足取りで、ダゴンはサニに近づき、腰を下ろしながら、
「お前んところの家、そこまで余裕はないだろうに」
そう言った。
サニは、唇をすぼめて、弱く噛み、視線を下にやった。
さきほどの、ダゴンと女の話を聞いた。 難しくてよくわからなかったが、サニは、子どもながらに考えをまとめていて、それがひどく、心を沈ませていて、しばらくそのまま固まっていたが、どうしても黙っておくことができずに、口を開いた。
「この店……潰れちゃうの……?」
サニは視線を戻すことはなかった。
視線のないその言葉に、ダゴンは、どんな表情をすればいいのかわからなくなった。
聞かれていたんだと思って、胸の奥あたりが、一瞬だけ石のようになったような気がした。 ウルウが去ったあとに来てくれたもんだから、見られてもいないもんだとも思っていた。
どうしようかと、次の言葉を探していたら、ぎゅっと、サニは視線をぶつけてきて、ぎょっとした。
「あの女の人は誰なの!? 潰すとか言ってたけど……大丈夫なの!?」
しばらく硬直したまま見つめ合っていたままだったが、やがて、ダゴンは微笑み、
「命令ってヤツに背いたらね……でも、どんなことがあっても潰れんよ。 この店にゃあ、お前みたいな味のわかる常連がいるからね」
サニの頭を撫でた。
まだあまり納得できていないような顔をするサニに、ダゴンは静かに続けた。
「じゃあ、おじちゃんからの今日の教えだ。
どんなものでも、人気なもんには苦情が入るんだ。 だから、ああいった苦情が来るってーこたぁこの店は人気なんだ。 だからお前は心配しなくても大丈夫だよ」
サニは、おもむろにポケットに手を突っ込んで、かき乱すようになにかを掴み、取り出した。
「それなら、僕がもっと人気にする」
人気で潰れないのなら、もっと人気にさせて、クレームが来ないようにする。 サニの頭の中はその考えで頭がいっぱいになった。
それでいいのなら、自分もおいしく食べられるし、お店も潰れないしで、一石二鳥だと思ったからだ。
しかし、ダゴンはお金を持ってかかげた手を、押し返すようなそぶりをし、店のカウンターの上にあるお盆を持って帰ってきた。
「さっきの女性がね、お金だけ払って団子を食わなかったんだ。 捨てるのももったいないし、よかったらこれ、食べてもらえるか」
サニの目が、おもわず光った。 団子に視線をやったが、いや待てと言わんばかりに、不安そうな眼差しをダゴンに向けた。
「ほ、本当にいいの……?」
ダゴンは頷いた。
サニの顔からは、隠しきれなかった分の嬉しさがこぼれだした。 皿を掴んで、大通りを背にして縁台に座り、みたらしだんごを頬張り始めた。
美しかった夕日から落ちてくる色も、だいぶくすんだ色に成り果てた。 行き交う者たちも、愛しい客にも影が落ち、自信のあるだんごも、なんともまずそうな色になってしまった。
向かいの店から、光が漏れ出し始めた。 店から一歩出てみると、周りのビルも、点々と光がつきはじめていた。
ダゴンは口元をきゅっとしめた。
サライは、もう覚悟できているのだろうか。 あの子はまだ、大掛かりに兵器を動かすことなど、ほとんど無いはずだ。 それなのに、今宵、あの命令通りに動くつもりなのだろうか。
どうしても信じたくなかった。 あの齢にして、一国の王となり、他国を潰そうとしていることに。
本当に、もう、どうにもならないのか……。 ダゴンは、夕日がほぼ沈み切った夜空を見上げた。
すると、ふと、伝書鳩の声がうしろから聞こえた。 鳩のケースに寄っていって、しばらく見つめたあと、サニを振り返って、嬉しそうな顔を見た。
ダゴンは眉をよせ、決意した。
すまないサライ。 わしは命令に背くよ。
いままで、なんとか押し殺していた気持ちが、どふっと溢れ、心の色を変えていくのが感じ取れた。 それはこの空の、たわやかな蜜色から、くすんだ紺色に変わるようだった。




