第二十四話 こそこそやるより大胆に
海斗は目を覚まして、つかのま、どこにいるのかわからず、焦げ茶色の、ゆがんだ木目が浮かぶ天井を、ぼうっと見ていた。
布団をかぶされた感触の内に、重い痛みが全身にあった。 手を出してみると、肩から手にまで巻かれた包帯が見えた。 ところどころ血がにじんでいて、ふと、サライの顔と爆発の衝撃の記憶がどっと頭に押し寄せてきた。
慌てて上半身を起こすと、激痛が身体を巡って、倒れた。 顔をしかめさせると、汗もじわっと滲み始めた。
ふと、足音が聞こえ始めて視線を横に投げると、部屋のおおっぴろげにあいた障子の向こうから、ダゴンがやってくるのが見えた。 なにかのうつわを、お盆で運びにきていて、目があうと、口を少しあけた。
「目ェ覚めたのかい」
ダゴンは海斗の横で正座し、盆を置いた。 海斗は口をあけた。
「……おっさん、なんで、俺はあんたの家にいるんだ」
ダゴンはにやっと苦笑し、器の水に浸したお手拭きをしぼり、海斗の額に乗せた。
「爆発音がむこうでしたもんだからね。 駆けつけてみると、アンタが瓦礫の中から這いつくばって出てくるのが見えたんだ。 わしは治療が得意でね、見た感じ、自分の手で治せると思ったから、知り合いだと言って無理やり引き取ったんだよ」
「……そうかい」
海斗はお手拭きのつめたい感触に、しばらく身を預けていたが、どっと記憶が押し寄せてきた。 バルたちとの約束、サライが言ったこと……。
──2人……いや、護衛の娘の方は、どうなってるかは知らないよ。
呼吸が苦しくなって、いてもたってもいられず、身体に走る痛みに耐えながら部屋を飛び出た。 どうやらここは店の二階だったらしく、階段を降りるたびに生まれる痛みを押し殺し、店の外に出た。
そして、門を見て、向かいの建物にある時計を見た。 針は3時15分を指していた。 もうとっくに、約束の時間を超えているのに、バルとシウニーの姿は見えなかった。
裸になった上半身に、顔以外、大半を包帯で埋めた海斗に、行き交う人々は興味の視線をやっていたが、海斗は気にせず、肩を落とした。
「時間になっても……お前らがいないと意味ねェじゃねーか……」
ダゴンはゆっくりと近づいた。
「……もう、3時をまわってるなぁ……」
いろんなものが頭の中を駆け巡っている中、そんな言葉を投げつけられた海斗は、ますますかっとなってしまった。 弾かれたように振り返った海斗は、ダゴンの胸ぐらを掴みあげ、怒鳴った。
「テメェッ! アイツが……アイツがバルたちを攫ってったんだよッ! なんだアイツは!! なんか知ってんだろおっさん!!」
ダゴンはしばらく海斗の膨れた双眸を見つめ返すと、難しい顔をしながらため息をついた。 胸ぐらを掴む両手をぽんぽんと叩いて、海斗はしぶしぶ手を離した。 海斗の目は鋭くなった。
「なら、バルバロッサ姫の願いを聞いたという海斗さん。 こんどはわしの願いを、2つ聞いて欲しい」
海斗は片眉を一瞬、しかめた。
「1つは、あのサライとかいう青年が言っていた委員会を調べてきて欲しい。 わしも、実はそんな委員会は知らん。 これはあんたのためにもなるかもしれんしな」
海斗は眉根をよせ、噛み締めた歯を見せた。
「んなこたァわかってらァッ!! 俺の服と木刀どこにやった!? 渡せよ!」
そう言って、どかどかと店の中に入り、一階を大きく見渡した。
するとその後ろで、ダゴンは、1つの鳥かごの鍵をあけ、中にいた一羽の鳩を腕に乗せた。 くるっ、くるっと短い声で鳴いて、海斗はそれを振り返った。 どうやら伝書鳩のようで、左足に赤いリボンのようなものを結びつけていた。
おとなしく腕の上で立っていたが、首だけをおちつきなく動かしていた。
「あとこれを使え。 姫が連れ去られるという緊急事態だ。 国のヤツらにも伝えとかなきゃいけんだろう」
しばらく、怒りのこもった眼差しをその鳩に向けていると、ダゴンが、「この紙に事の顛末を書いとけ。 その間にお前さんの服と木刀を持ってきてやるから」と、腰をかがめて二階へと登っていった。
見えなくなるまでダゴンの背中を見つめた海斗は、近くのボールペンをとって、いまを殴り書いた。 書き終わってからほんの僅かで、どん、どんと、階段を下る音が聞こえ始めた。
服はぼろぼろで、所々やぶれていた。 木刀は薄く黒ずんでいたが、まだ使えそうだった。 海斗はそれらを身につけると、「ありがとよ」と、紙をダゴンに突きつけ、店を駆け出ていった。
「……アリフトシジルに行くんだよ」
ダゴンはほんの少し店の外を眺めたあと、紙を折りたたみ、鳩の右足にくくりつけて、飛び立たせた。
*
シウニーは、背中に冷たさを感じながら、ブロックをつなげたみたいにつぎはぎがある天井を、寝覚めてからしばらく眺めていた。
長くこうして、眠っていたのだろうか、肩や腰に痛みを感じ始め、顔をしかめて起き上がった。
周りをみると、独房に入れられていることに気づいて、胸に不安が徐々に生まれ始めた。 すがるように鉄格子に手をかけた時、わっと、気を失う前の記憶が蘇ってきた。
「そうだ! 姫様……ッ!」
自分とバルが離れたことに、青ざめた。
自分が守らなければならないのに……守れなかった。 いま、姫はどこにいるのだろうか。 自分と同じように、離れて牢に入れられているのだろうか。 殺されはしない……と願いたい。 騎士が思うのはおかしいが、姫は自分よりも利用価値は高いはずだ、なにかをしようとしているのならば。
シウニーの頭が不安と焦りでいっぱいになり、汗がにじみ出た時、奥から、扉が開くような音がした。
左右に伸びる廊下の右側から、コツコツ歩く音がこちらに近づいてきて、シウニーはそっと鉄格子から手を離し、牢屋の中央まであとずさった。
すると、微笑を浮かべたサライが姿を現し、2人は視線を合わせた。 しばらくそうしたあと、シウニーはバルの居場所を聞こうと口を開き駆けたが、それよりも早く腹の音が鳴った。 顔がみるみる赤らんでいって、視線を外した。
サライは笑みを強くさせ、しゃがんで、手に持っている、何かがたくさん入った袋を、牢に置いた。
シウニーは、赤みが引いた顔を怪訝そうにさせて、サライと袋に視線を走らせた。
中々受け取ろうとしないシウニーに、サライは袋を押しすべらせて、手の届くところにまでやると、見えたのは、ドーナツリングという可愛らしいロゴが描かれた、ドーナツの袋だった。
シウニーはそれを見てまばたきした。
市販品のやつだ……でも、なんで。
「毒なんて入ってないよ」
急に声をかけられて、シウニーはビクッとなった。
サライは続けた。
「お腹、空いてるんでしょ? ちょうどよかったよ、届けようと思って、よかった」
シウニーはサライに尖った双眸を向け、恐る恐る袋をとり、まだ密封状態の端をつまんだ。
「……やっぱり、あなた、だったんですね」
サライは微笑んで、うなじを掻いて、
「うん。 ごめんね、手荒くて」
柔らかな瞳をシウニーに向けた。
「姫は、姫はどこにいるんですか!? 私と同じように、さらっているんですか!?」
サライは首を横に振った。
「捕まえてないよ」
シウニーは、ひとまず安心した。 捕まっていることが自分だけで、よかったと強く思った。
だが、その彼の笑顔を見て、目覚めてからずっと疑問に思ってきたものが、胸で強く渦巻き始めるのを感じて、口をあけた。
「で、でもなんで、私をさらったんですか。 意識を手放す時に、見上げてくる姫を見ました。 わ、私のような騎士が言うのもあれですけど、姫の方が人質としての価値は、あるのではないか、と......思うのです、がっ!」
語尾を言い切ると同時に、袋をあけた。 サライをにらみながら、本当に毒が入っていないか、中の匂いを嗅ぐ。
サライは、いまも、笑みを絶やさなかった。
「やりにくいからだよ。 こっちがね」
シウニーは眉をひそめた。
「やりにくい……?」
サライは頷いた。
「姫が相手だと、僕がやりにくいんだよ」
そして笑顔のまま、立ち上がり、「じゃあ、お腹を満たしててね」と、扉の方へ歩き出した。
慌てて、シウニーは鉄格子にしがみつき、顔を愛だからほんの少しだけ出して、サライの背中を見た。
「やりにくいってなんですか!! 私ならやりやすいって……なにがですか!? あれですかエッチなことですか!? 巨乳は嫌ですか貧乳の方が好きなんですか!?」
結局、サライは口を開けず、こちらに振り返ることもせず、扉の向こうに消えた。
シウニーは徐々に手から力を抜いて、ぺたんと、女の子座りした。
実際、姫を選べばやりづらく、自分を選べばやりやすいというのは、一体どういうことだろうか? 普段、海斗から馬鹿にされるこの胸は、当然言い返しているがグラマラスではない。 エッチなことならば、断然姫の方が適しているはずだ。
なのに、サライたちは姫を選ばず、私を選んだ。 あのトリタカという男も……いま思えば、姫を捉えようとする動きではなかったように思える。 いやでも、自分にも刀が振り下ろされて、一度は本当に死んだと思ったし……。
シウニーは頭がジンと熱くなって、右手で乱暴に掻いた。 そして、袋に手を突っ込んで、つまみ上げたドーナツをかじった。
「あ、やっぱこれ私の好きなやつだ」




