第二十二話 ナンパは顔に自信のある奴だけに使える手段じゃない
海斗は、もう城外へ出て、門の陰で隠れ待っているバルとシウニーの元へと行くための準備を済ました。 今日は仕事も少なく、また、2人も手伝ってくれたためかすぐに終わった。
まったく疲労を背負わぬ昼を、どこか不思議に思いつつ、騎士団がいるであろう道場へと向かっていた。 ほぼ無意識であった。
あけっぴろげにされた二枚の引き戸から、いつもの威勢の良い団員たちの声がまったく聞こえてこないことに首を傾げて、顔をのぞかせた。
すると、道場の真ん中に、ぽつんと、あぐらをかいたアイナがいた。 木の桶から、水を手ですくって、石に寝かせた刀にかけた。 どうやら、刀を研いでいるらしかった。
それをぼんやり眺めていると、アイナはその視線に気づいて、研ぐのをやめ、跳ねるようにこちらを見た。
「なんだ、お前か」
海斗はじわっと滲み出るように苦笑した。
「はは……なんだよ、お前1人かよ」
「今日は鍛錬は休みだ。 いつもあんな感じでは、かえって逆効果だからな」
そう言いながら、また研ぎ始めた。 シャー、シャー、と研がれる音がしばらく部屋を支配した。
そのあいだ、海斗は口が気持ち悪くなっていた。 自分は、バルたちと中央街に行くと、報告をするためにここに来たのに、中々言葉が出てこなかった。 まるで、言葉に発言の主導権が握られているように、口が渦巻いた。
言わずに出かけてしまえば、なにかあった時に治所ができなくなる。 だから、バルにも、「アイナたちに言うぞ」と言ったのだが、バルは、少しだけ不機嫌そうな、悪いことだと思っているような顔を浮かべて、「それは……すみません、かんべんしてもらえませんか」と、門前で待っていますと言って出て行ってしまった。
シウニーも複雑な顔でバルの後に続いて行った。
だから、アイナに外出を告げようとしても、2人の顔が浮かんで言葉が出てこなかった。
なにを言うでもなくそこにいる海斗に、流石に不審に感じたアイナは、口をあけた。
「なんだ。 なにかあるのか」
「い、いや、ごめん、なんでも……ない」
そして遂に言えなかった海斗は、苦笑を浮かべながら道場から離れていった。
アイナは、それに不審に思いつつも、刀を研ぐことに注力し始めた。
*
海斗は、てっぺんから日の光が振りまかれる中央街の姿に驚いた。 そびえ立つ数多のビルに、まっすぐ伸びる大通りを行き交う悪魔の多さ、ちらほら見える空を飛ぶ車らしきもの⋯⋯その全てに驚いた。
ラーファたちに出会ったあの日は薄暗く、あまり人通りも多くなく、なにより元の世界への執着心で周りが見えていなかったのだと、海斗は確認した。
実際に行った日本の都市や、テレビで見たアメリカだのフランスだのの大都市よりも、幾分か先を行った光景が映し出されていた。 しかしとんでもなく未来を進んでいるわけではなく、ビルも、和のような中華のような、さらには遠くの本屋の見たことのあるような寂れた外観も見れ、なじみ深さも与えてくることに、ますます不思議さを感じていた。
口を半開きにして、全体をぼんやり見る海斗の気持ちを察したバルは、言葉を紡ぎ始めた。
「晴れた中央街を見るのは初めて、ですよね。 これが中央街の本当の姿⋯⋯魔界中の国が、各々得意とする商売をしに来る街。 よって誰もここを取り仕切る者は決まっておらず、道徳心だけが暗黙のルールを構築し、魔界の他にも、天界や違う世界からの出店もある、ただ、商売をする土地です」
海斗は静かに息を飲んだ。 眠りかけだった全細胞がざわめき、活性化していく感覚を、確かに抱いた。
しかしあることが、ふいに脳裏に浮かんでバルを見た。
「いや、お前……紹介はありがてェんだけどさ。 ここに来ていいの?」
バルはほんの少しだけ口角を上げて、二つ、ものを取り出した。
「大丈夫です。 一応サングラスとマスクを用意してきたんで」
懐からサッと取り出し、装着した。
「絶対服装でバレるだろ」
「あ」
海斗は呆れたように目を細め、シウニーは苦笑を浮かべた。
だが海斗は、これで大丈夫だと言い張るバルをもう気にせず、中央街の開け放たれた、見上げるほど巨大な門を通った。
物珍しげに歩く海斗は、通りの、悪魔が大勢通る中央付近から離れ、飲食店や娯楽などの店が立ち並ぶ道の端で物色していた。
バルとシウニーも近くに寄って、視線を遊ばせた。
「まァ……なんか、うん、いいねェ。 なんか、あんまり拒否感もねェし、まだいやすいや」
中華飯店らしき前で立ち止まり、ガラス張りの奥にある料理サンプルを見た。 餃子やチャーハンなどの、ほぼ全てが海斗の食したことのあるものだった。 横の店は和の定食店で。トンカツやエビフライや唐揚げなどといった、これまた海斗の好きなものがサンプルとして並んでいた。 思わず唾を飲んだ。
バルはその視線を横で追った。
「いずれも天界や魔界発祥料理です。 それが何らかの縁で、魔王様の世界の住人が作り出したんでしょう」
海斗は少し笑んだ。
「人間は神に作られた……子は親に似るってか?」
バルは目を少し細めた。
「でしょうかね」
その定食店を通り過ぎ、店側から少し離れて見物していた。 周りの通行人は自分たちのことを気にせず通り過ぎ、店に入る光景を見て、中央街の自由を感じ取った海斗は、ここに来るまでに作った警戒心をいくらか削いだ。
これならば、バルも自分も、周りを気にせず歩けるかもしれない。
「あぁやっぱいいね……初めてにしちゃあ居心地がいいよ」
その一言にシウニーが笑った。
「別に急ぐこともないですし、食べ歩きとかしてもいいですよね、姫」
「えぇ、いいですよ。 ここでゆっくりするのは初めてでしょうし、ゆっくりしましょ」
望みが叶いつつある海斗の顔は、もはや疲れを感じさせぬものになっていた。
そして、揺らめいていた目が、声をかけてきた1人の男に集められた。
「初めてなんなら、どうだい? ここで腹を満たしてから回るなんてのは」
まだ大門からそれほど離れていないところで、和風な茶屋らしき外観の店の、店主らしき男から声をかけられた。 緑の袴に、青のエプロンと、バンダナにつつまれた白髪混じりの髪に、口ヒゲと顎ヒゲも灰色で、丸メガネをかけていた。 海斗からしたら年のいった良いおっちゃんという印象だった。
店の上には、「和菓子屋 餡」という文字が浮き出た木彫りの看板があった。
「和菓子かぁ……」
眉を上げて看板を見た海斗は、バルとシウニーに目配せした。
二人は、いいですね、という反応の代わりに小さく頷き、三人は店に近づいていった。
「こうして誘ったっつーこたァ、よほど自身があるんだな、店主さん」
赤い布がかけられた縁台に座りながら海斗はつぶやいた。 横に立てられた傘は、三人を影でおおうには日が高く、バルしか入れていなかった。
店主は後ろから折りたたみ式のメニュー表を海斗に差し出した。
「えぇ、ナンパできるのは顔に自信のある奴だけ。 食いもん屋も同じことでさぁね」
値段的にはどうなんだという海斗の心配は、メニューを開いたらすぐ解消された。 ほとんどが300円前後という割とリーズナブルな値段で、おっと眉をあげた。
全部見たことのある和菓子で、特に団子系のメニューが豊富で、約半分を占めていた。
海斗を挟むようにして座る二人も覗き見て、海斗は三色団子、バルはあんこ団子、シウニーはみたらし団子を注文した。 団子は全部二本セットのようだった。
店主は三人から離れ、団子を皿に盛り始めた。
海斗はバルの耳に口を近づかせた。
「老舗っぽいけどさ、結構昔からあんの?」
「ありますよ。 私たちは来たことありませんが」
会話が聞こえていたシウニーも二人に身体を寄せた。
「三時すぎくらいにはお客さんが来ていたのはよく目にしますね。 だから気になってはいたんですよ」
ふーん、という反応の海斗は、シウニーと数秒目を合わせたあと、腕に届いていない、彼女の胸に視線をやった。
「シウニー」
「? なんですか」
「胸当たってない」
「わざわざ言う必要ありますそれ!!?」
シウニーが叫んだら、タイミングよく、店主がおぼんに乗せた団子の皿を三人それぞれに配っていった。
どれも見るだけで和の甘さが伝わってくるような気がして、シウニーは目を濡らして、「おぉ」と小さく感嘆のため息を漏らした。
手を合わせ、一本つまみあげ口に運んだら、和の優しい甘さが花がゆっくりと開くように広がった。 刺激の強すぎないその甘さが、今日までに溜め込んだ、仕事に対する身体の疲れが消えていくのを、三人は確かに認めた。
シウニーは口角をゆるめ、バルは目を細め、海斗は少しおだやかな顔になった。
「こりゃあナンパできらァ」
「そりゃどうも」
桜色の団子がなくなった串を、海斗はまじまじと見た。
うまく表現できないが、たまにスーパーで買う、昔から変わらぬ味の三色団子を、質だけグンと上品にさせたような団子で、一瞬で舌に馴染んだ。 なんだか貧乏人のような考えで、吹き出しそうになった。
「悪魔が作ったもんだからどう言う味になんのかって思ったけど……心配いらんかった」
とつぶやいて白の団子をほおばったら、聞こえたらしい店主が店の中で立ったまま口をひらいた。
「そう言うあんたは悪魔じゃあないね。 魔力の匂いがしない」
海斗は急いで口の中をからっぽにさせ、驚いた目で店主を振り返った。
「わかんのかっ!?」
店主は眼鏡越しに目をたゆませ、笑んだ。
「昔から鼻が効くもんで。 んで、横にいるのがバルバロッサ姫で間違い無いのなら、あんたはいま最も巷で噂の魔王、高村海斗ってとこかい?」
バルは自分の名前が出てきたところで、小さく肩を跳ねさせた。
やはり変装はうまくいっていなかったらしい。
海斗は自分が噂になっていると聞いて、胸に岩か何かつめられた気分になって、息苦しく感じ、若干肩を落とした。
「やっぱり俺、噂になってるんすね〜……」
店主の声に笑みが混じり始めた。
「そりゃそうよ。 あのワイザに喧嘩を売ったって、大騒ぎよ。 巷じゃイかれた人間なんて呼ばれてるよ」
なんだかますます重い岩を足された気分になって、思わず瞼を落とし、ため息をついた。
「でもね、この街にはそんなことをとやかく言う奴なんていない。 ここはみんなが楽しむだけの街だってわかってっから。 腹ぁ満たしたきゃ満たす。 遊びたきゃ遊んで、女を抱きたきゃ抱く。 そんな街さね」
「風俗あんの!?」
嬉々として反応した海斗の横腹を、バルは肘で小突いた。
「あるある、ここはいろんな店が密集した街だからね。 まぁ広すぎてちょっとやそっとじゃあ説明できないんだが……」
片眉を谷のように曲げた店主は、中にサンプル品を飾ってあるガラスケースの上を拭いていた。
海斗は真っ黒な目を、そんな店主に向けていた。
そんな広いなんて……俺がラーファたちと会ったのは奇跡……?
「ほんじゃあ、僕が案内してあげるよ」
後ろから話しかけられた海斗の肩は跳ねた。 その方に振り向くと、白の短髪に、甲骨文字のような記号が書かれた布を巻きつけた男が、店の柱に寄りかかっているのが見えた。 赤い民族衣装のような服にも、海斗が見慣れぬ記号が書いてあった。
三人はしばらく無言で男を見つめた。 はじめに男へ声をかけたのは、海斗であった。
「誰さ」
「サライっていうんだ。 よろしく」
腰に右手をかけた男は、にこやかに言った。
名を聞いてもおいそれと警戒心を解けぬ三人は、やんわりとした笑顔が崩れないサライをじっと見つめていると、そんな視線に物怖じせずにサライは続けた。
「すこーしだけ会話を聞かせてもらってたんだけどさ、お兄さんはこの街、はじめてなんだってね。 なら僕におまかせさ」
「どういう部分でおまかせなのさ」
海斗は疑い半分の細い目をしてそう言った。 いきなり現れて案内をすると言われても信用なんてできない……海斗はサライという存在を疑った。
するとサライは懐をまさぐりだして、黒い警察手帳のようなものを取り出して、中に仕舞われた一枚のカードを、これまた微笑みながら三人に見せた。
「僕、『中央街特別委員会』の一員なんだ」
なにそれ? とつぶやいた海斗の疑問を晴らすため、説明を始めた。
どうやら、その委員会は、中央街の利益になるための活動をするのが中心であると。 街に訪れる者たちへアンケートをしたり、その内容によっては改善したりするのだそう。 そして、海斗のような中央街初心者を案内すると言うのも、委員会の務めなのだという。
しかし、説明を聞いてもまだ話にのろうとはせず、うーんと悩んでいる海斗の背中に、店主は言葉を投げた。
「いいじゃないか、案内されてきな。 せっかくの他人の親切なんだ、のったらいいさ」
海斗は眉をひそめた。
「え、でも、俺ガール……まぁまぁガールズとのショッピングがあるんすけど......」
シウニーは目を尖らせた。
「なんですかまぁまぁガールズって。 立派じゃないですか、私たち立派にガールズしてるじゃないですか」
バルは、そんなシウニーを「まぁまぁ」とおさえ、海斗の方に向かず、残っている一本の串をつまんで、口元にまで持っていって、
「これも経験。 案内してもらってはどうですか?」
だんごを一玉ほおばった。
「でも、もしもの時にですね、姫を守れる人とか……」 という心配の声を漏らしたシウニーに、
「でも、もしもの時がですね、姫を守れる人とか……」 という心配の声を漏らしたシウニーに、だんごを飲み込んだバルは、「大丈夫ですよ」と冷静に答え、続けた。
「もし襲われたら全力で貴女を盾にします」
「なんか悲しいんですけど!! 騎士なので当然ですがそれは心の奥にしまっておいて欲しかったんですけど!!」
ただ、バルも海斗の願いを叶えるためとはいえ、三人でのショッピングを楽しみにしていたところもあった。 だけれども折角の親切……断るのもあとを引くと思い、通りを挟んで見える居酒屋らしき屋根の上に設けられた、大きなアナログ時計を見つめ、口を開いた。
「じゃあこうしましょう。 三時までに、入ってきた大門の前で待ち合わせをする。 いまは一時……二時間もあれば、数は少ないでしょうが、満足のいく店は巡れるでしょうし……ね? サライさん」
サングラスの奥にあるバルのオッドアイが鋭く、サライの顔を刺した。
それでもサライは、笑顔を崩さなかった。
「そうですね。 そのくらいあれば十分ですよ」
ね、と言わんばかりに頬身を向けてきたサライに対し、海斗は苦笑しつつも、「は、はい……」と答えた。
だが、やはり心配だった。
バルがいいんなら別に、と一応は思っていた海斗も、やはり詰まるところはある。 ワイザのこともあって、こういった多くの人が集まる場所では歩きにくいのではないかと感じていた。
店主は大丈夫だとは言っていたが……襲われたりしないかと考えた時、ふっとその、「もしも」の情景が目に浮かび、冷たい水が胸を張ったような気がするのだ。
海斗はバルの耳に口を近づかせ、小声で話し始めた。
「でも本当に大丈夫かよ。 お前、バレんじゃねェのか」
「大丈夫ですよ。 ちゃんとサングラスとマスクがあるので」
「だから服で店主にすぐバレてたろーが」
「あ」
アホじゃんと小さくため息をついた海斗に、バルは改めて口を近づけた。
「まぁ本当に危なくなったらシウニーを盾にしますよ」
二人でしている小さな会話が気になり始めたシウニーは、なにやら変な電波を感じ取ったように、一瞬眉間にシワを掘った。
「なんですか? いま、私の命が危なくなりそうな気がしたんですが」
もう食べ終わっていたシウニーの横で、二人はだんごを食べ終え、代金をちょうどきっちり縁台に置いた。
バルとシウニーが先に立ち上がって、海斗を見下ろし、
「では、先にショッピング、楽しんできますよ」
そう言って、歩き始めた。
少し海斗と離れてから、シウニーはバルの右手を柔らかく掴んだ。
「で、なんの話をされてたんですか? ねぇ姫、無視しないでください。 ねぇ姫、姫……」
小さくなっていく背中が、人混みにまぎれ消えたのを確認した海斗は、「じゃあ行こうか」というサライの声に従って、立ち上がって店を去ろうとした。
が、ふと聞かなくてはならないことが頭に浮かび、「あ、そうだ」と、店の中で、まだガラスケースをまんべんなく拭き掃除をしている店主に視線をやった。
「この店が、俺が中央街で最初に満足できた店なんだ。 俺にもおっさんの名前、聞かせてくれよ」
店主は掃除の手を止め、口角高く笑んだ。
「ダゴンだよ。 和菓子で客をナンパするおっちゃんさね」
*
「サライ……」
「姫、ほんとに何を話されてたんですか?」
バルは未だひっついてくるシウニーを気にせず、人通りの少ない場所を歩いている中、海斗から別れたあとずっと、頭にこびりつくように残る疑問に、ずっと悩まされていた。 なんだかショッピングする気も、その疑問にかき消されるようだった。
それはあの男の名前。
バルは頭をかしげた。
「……どこかで聞いたことあるんですよね……」
しかし頭のどこにその名が仕舞われているのか分からず、バルはお目当のショッピングモールに運ぶ足を重くさせた。
「ねぇ姫」
「わかんないんですよね〜……」
「姫〜〜〜〜〜〜」




