第二十一話 女子への誘い文句は何気なく言え
ふと亡くなった親のことを思い出してどこか寂しくなったら、サライは、城の一番高い屋根にのぼって夕日を眺めることにしている。 今日、昼食を一人自室でとっていると久々に寂しさを感じ、夕日を見ようと決めていた。
やはり夕日は、自分の白髪も、国のすべても、心までもを均等に、平等に、蜜色に染め、冷たい寂しさを暖かく溶かしてくれているようだと、サライはつくづく感じていた。
視線を落として見える城下の町には国民のやわらかな往来に、自然と微笑んだ。
「まだ僕は……1人じゃ無いんだ。 国も……この国には同盟がある」
同盟を結んでいる国は多い。 もちろん輸出輸入の関係だけで、表立って結んだ同盟を持たぬ国もあり、誰にも見えぬよう秘密裏に同盟を結んでいる国もある。 サライの国は、少し前に後者のやり方で結んだ同盟があった。
サライは十分に、目を夕日のまろやかな光に染め、味わうように瞼をおろした。
「生まれた国でもない国を、一人で守ろうとする男。 巨大な力を振りかざし、他国までも飲み込み、彼を倒そうとする男……どっちが強いんだろうね。 君はどう思う。 僕には……わからないよ」
味わい切った瞳を開けて、夕日を見つめた。 夕日は、寂しさを引き剥がそうとするように、サライの影を目一杯後ろに伸ばしていた。
*
お行儀悪く、机に突っ伏しながら書類にサインをし続けている海斗を、机のそばの丸椅子に腰掛けるバルは、本を読むのを中断して見つめていた。 前々から仕事がめんどくさいとは言っていたが、ここまで態度に出るとは思わなかったのだ。
「やはり朝からのお勤めは厳しいものがありますか?」
海斗の体勢は変わらず、サインし終わった書類をすみにやり、目の前で積まれた書類を一枚、わっと取った。
「厳しいなんてもんじゃねェよお前。 なんで休日の朝っぱらからこんなことやんなきゃいけねェんだよ。 なんで魔王がこんなに地味なんだよ」
バルは、頭の中から、いままで読み覚えていた物語がずれ落ちていくのを感じながら、海斗を見ていた。
「魔王ってもんはよォ……? なんかもっとまがまがしくて、いばりちらして、他人に圧を押し付けて自己満足に浸るみたいなイキッった職業だろうが。 全世界をぶんどって半分を勇者に分け与えたいだろうが。
それなのにどうだ? 本来率先して働かないといけない家来の寝息を聞きながらめんどくせェ仕事やってんだぜ。 『ハーレム』とかタグつけてるクセにモテてねェんだぜー」
後ろの海斗のベッドに、ベルフェが仰向けで眠っているのに呆れていた。
自分のベッドよりもこのベッドの方が寝心地がいいと、よく寝に来るようになってしまった。 海斗が寝覚めたら交代するように来てしまうため、仕事中ずっと静かな寝息を聞くことになっていて、呆れている。
自分もぐうたらしたいのにと言わんばかりに頭を大雑把に掻く海斗を、バルは横目で見て、しおりを挟んだ本を机の隅に置き、海斗の両肩を掴んで起こした。
「じゃあ私も手伝いますから。 半分づっこしましょうね」
少ししか進んでいない書類を半分に分けてまた丸椅子に腰掛けた。
「マジかやったー。 もう少し早めにそうしてくれればいいのにノロマかよありがとう」
「一言多いからモテないんじゃないですかね」
バルが手伝ってくれるということで、幾ばくかの余裕が生まれた海斗は、伸びをした。 バルも右腕を回して、仕事に集中する雰囲気を共に作り上げた、その矢先、扉がノックされて、雰囲気は溶けるように消えてしまった。
海斗はうつむいたまま視線だけを扉にやって、「なにー?」と声を投げつける。
入って来たのはアイナだった。 ホッチキスでまとめた数枚の書類を手に、そのまま海斗に渡そうとしたのだろうが、バルに気づいて一礼したあと、静かな足取りで書類を海斗に手渡した。
海斗は表紙に書かれた「不審者目撃事例」という一文を読んで、しばらくの間かたまって、アイナを見上げた。
「なにこれ。 こんなんあるの? 目撃されてんの?」
「あぁ。 夜、毎日ではないが見張りについている団員からの報告が続いている。 団員ではない、夜の散歩に出かけた者たちからのもあったりするんだ」
海斗は十枚程度にまとめられたそれの、一、二ページ分をさらっと確認した。 見張りの途中に視線を感じるやら、屋根から屋根へ飛び移る人影を見たやら、アイナの言う通り、見やすくまとめてくれているが、かなりの数の報告が書かれていた。
バルも海斗の隣に寄り、確認している様を、アイナは見つめながら続けた。
「先の戦いのこともあったから、その影響でやって来ているのだろうと、一応は警戒していたが、そこまでは危険視していなかった……前の下着泥棒のような動きであり、加えて特筆するような被害もなかったからな。
……なので、姫にも伝えていませんでした、本当に、申し訳ありません」
アイナは小さく頭を下げた。
薄目にして丸椅子に戻ったバルは、足を組みつつ口を開いた。
「貴女は気苦労も多いですから、ほうれんそうが遅れることもあるでしょう。 大丈夫ですよ。 それにしても不審者ですか……私は心当たりありませんが、魔王様はどうです?」
海斗は表紙に戻し、一文とにらめっこして、
「知るわけねェだろ。 ここにいる時間もお前らより圧倒的に少ねェし、仕事もめんどくさくて外にも行けてねェし」
と言って、パサリと机に置いた。
アイナは思いつめたようにその資料を見つめた。
「まぁ、そうだよな。 ということで、今日から不審者対策に見張りを増やすことにした。 自主的に募ってくれた者もいる。海斗もそうだが……姫も十分お気をつけください。 では」
アイナが出て行ったあと、二人は目を合わせた。なんともさっきのような気楽な会話をしづらい空気を感じてしまい、せっせと書類整理をする手に拍車をかけた。
その間もずっと、穏やかなベルフェの寝息が続いていた。
ただ一つ、二人を行き来した言葉は、ふと手を止めてベルフェを振り返った海斗とそれを横目に見たバルの、
「こいつ夢遊病だったりする?」
「城内しか歩き回らないですよ」
というものだけだった。
*
闇が落ちた夜の広場には、零時を指す時計が隣の街頭に照らされていた。 弱めの風が街中を縫い渡る今日に、本当に不審者がやってくる気持ちにはなれずにいたアイナは、日が照っている間もそこまで往来が多くない、住居で入り組んだ道を歩いていた。
アイナは目撃情報を聞いただけで自分はあっていないため、少しばかりの疑いを持ってしまっていた。──なんのために忍び込むのか……いくらか考えてみたが、メリットばかりではない。 サタンやルシファーなどといった、この国の重鎮のことだって当然知っているはず。 彼女らと出くわす可能性だってあるのに、なぜ、忍び込むのか。
アイナは鼻でため息をつき、丁字路に差し掛かって、顔だけを出し、左右を鋭い目つきで刺した。 すると左に向けたとき、鋭い目はすぐに膨らんだ。
海斗が腕組み、屏を背中にして立っていたのだ。
アイナに気づいた海斗は、虚ろに夜空に向けていた視線を、ゆっくりとよこした。
広場の隅にある自動販売機から、アイナはコーラとスポーツドリンクを取り出した。
「まさかお前も来てくれるとは」
横のベンチに座る海斗にコーラを手渡して、アイナも腰掛けた。
海斗のあけた缶から、プシュッと爽快な音と一緒にコーラの甘い匂いが飛散した。
「前のおばけ探しのお礼」
アイナも缶をあけ、微笑を浮かべながら口元に寄せて、海斗に横目を向けた。
「本当にそれだけか?」
そう言って、アイナは少量口に含ませた。
「興味があるっていうのもある」
「本当にそれだけか?」
「……? まぁほぼ興味みたいなもんよ」
「本当にそれだけか?」
「なに!? さっきからなに!? 言いたいことは言ったんだけど、これ以上なに掘り起こしたらいいの!?」
アイナは一気にスポーツドリンクを飲み干した。
「いんや? 果たしてお前は興味だけでこんなことをするのかなと……はたして、姫の時も興味だけだったか?」
海斗は少しだけ顔をアイナに向けて、嫌そうな目で見た。──なんだか自分の奥底を探られているような、複雑な気持ちを抱いたのだ。 海斗自身、胸の奥を探られるのがあまり好きではなく、返事の代わりにコーラを、一気に半分程度、胃に流し込んだ。
アイナはそれを見て、強く口角をあげ、どこか満足そうな顔をした。
「まぁいいさ。 お前のことはちょっとずつ知っていくさっ。 な? お前もそっちの方がいいもんな〜?」
「なに!? さっきからほんとなに!? 言いたいことだけ言いやがって満足してよ。 なに? そんな嬉しいのかよコーラありがとうございます」
「興味があるといえば、なんで私ここにいるんだっけ? なんの興味でここにいるんだっけ?」
「興味じゃなくて責務だから!! お前がここにいんの責務でだから!! 興味本位で関わる事件選んじゃダメだから!! 不審者だろ!? 不審者をとっつかまえるためにここにいるんだろ!?」
空の缶を潰したアイナは、空をあおいだ。
「しかしなぁ、こんな時間を過ごしていると、不審者なんてやってこない風に思えてしょうがないんだ」
海斗はアイナをチラと見て、同じように空を見上げた。 雲の縁が、月光で浮かび上がっている、よく見られる空模様だった。 月はあと数日で消えてしまう、三日月だった。 特段美しいとは思わなかった海斗だったが、不思議とアイナの言うことが理解できるような気分が、すとんと胸に落ちて来たのだ。
アイナは落ち着いた面持ちで続けた。
「最近はこんなことを思うことが多くなった。 姫があんな目にあってから、どうしてだろうな、一日一日に流れるおだやかな時間が、遠く彼方にまで続いているような気がするんだ」
アイナは目を細め、海斗を見た。
「私たちも、もちろん姫も、お前には感謝しているんだぞ?」
その視線を横目で受けた海斗は、
「どうだか」
と、コーラを少量口に含んだ。
するとアイナは強く微笑んで、海斗の肩を力いっぱいに何度か叩いた。
「本当本当! 姫はシャイだから口にせんだけで、影では身から溢れるくらい感謝してるさ!」
「痛い、めっちゃ痛い。 感謝の対象にぶつける威力じゃないからそれ。 正当防衛時とかにするヤツだからそれ」
身体の芯に響く力に、眉をひそめる海斗。 叩いた場所をさすり始めたアイナの手に、また多少の鬱陶しさも感じつつ、いつものやる気のなさそうな表情に戻っていった海斗は、口を開いた。
「感謝を影でねェ……そりゃあ嬉しいことだけどよ……まぁ……んん」
海斗はどうしてもバルが感謝を伝えてくる姿を、想像できなかった。 ワイザとの戦いから目覚めた時には「ありがとう」と言ってくれたが、それからのバルの性格に触れて、そんな姿からは遠くにあると感じてしまっていた。
しかし海斗の性格上、膝を突き合わせて感謝をされることがあまり得意ではなく、だからこそ、この関係にどこか付き合いやすさも抱いていた。
そのような複雑な感情で、表情を固めている海斗の顔を、アイナは両ひじを膝において覗いた。
「どこか、悪どいとも感じたか?」
海斗はアイナと同じように、小さく口角をあげた。
「悪どいともずる賢いとも思ってねェよ。 影でそう言われる方が性に合ってるし、本当に悪どいってーのは──」
──気づかれないように何かを探る、今回の不審者のようなもんを言うんだ。 そう紡ごうとした時、二人の後ろの住居の屋根上から、カコッと硬いものが当たったような音がした。
すぐさま振り向いた二人の視界に、黒い人影がかがんでいるのが見えた。
言葉を紡ぐ前に本人が現れて、海斗はほくそ笑んだ。
「こう言う奴のことを言うんだよ」
気づかれた不審者は反対側に逃げ、二人はすぐさま追いかけた。 住居の屋根から屋根へと渡っていく不審者の姿は、海斗の目には星空の絵の中を塗っていく架空の存在のようにも思えた。 ちゃぷちゃぷと溢れ出しそうになるコーラ缶を掴みながら、今になって魔界という不思議な世界を全身で味わっていた。
不審者を後ろから迫るアイナは、上半身を低くし、剣の柄に手をかけながら前傾視線で走り、屋根を跳び、少しずつだが距離を縮めていた。
視界の端にちらつくアイナを意識しながら、海斗はなにかできないかと思考を走らせた。
(……コーラ……ッ!)
思いついたのは、今持っている缶を投げることだった。 まだ量は重く、投げられるものだと、缶を鋭く射抜いた眼差しを不審者にぶつけた。 思い切り走って一時的に距離を縮め、持っていたコーラ缶を不審者めがけて投げ放った。
やはり、まだ量もあったそれは難なく不審者のもとまで辿り着いたが、気づき避けられ、少量のコーラを散らせながら不審者の前の空を切った。
しかしそれに少しは驚いたのであろう不審者は、少し走る足をつまらせた。 そして海斗が前方の屋根に登る隙を生み、三人は止まった。
今度はどちらに逃げても対処できるように、緊張の網を張って、二人はジリジリと詰め寄り始めた。
今夜は月明かりが強くなく、顔がうつむかれているために、姿での正体が掴めないでいる。
海斗は木刀をいつでも抜けるよう、手をかけた。
「お前かい、目撃が絶えねェ不審者っつーのは。 何が知りたくて、何を盗みてェんだ。 下着なら前にもあったから二番煎じだぜ」
アイナは目を細めた。
「多分そういうのじゃないと思うぞ海斗」
「気になるあの娘のメガネか?」
「多分そういうのじゃないと思うぞ海斗」
「気になるあの娘のボールペンか?」
「だんだんマニアックになってきてるぞ海斗」
二人は歩みを止めた。 一気に詰め寄れば、二人ならば瞬時に捕まえられそうなところまで距離を潰していたのだ。
しかし不審者は動く気配を見せておらず、アイナは眉をほんの少し寄せた。
「まぁ、そこらへんは違う場所で聞くとするさ」
海斗は柄を強く握ったアイナに気づき、木刀を強く握り、踏み込みも感じて、一斉に不審者に跳びかかった。
その直後、不審者がふところから二丁の拳銃を取り出し、向けられた銃口を目にした二人は得物を盾に身構えた。
(撃たれたッ!?)
一瞬先の未来が瞳の奥ではっきりと見た二人の前に、放たれたのは鉛玉ではなく大量のピンク色の煙で、それに巻かれてしまった。
煙の量は多く、慌てて煙を散らせたが、晴れた時にはもうすでに、不審者の姿は見えなかった。
二人は、呆然と、見つめ合っていた。 後ろに束ねたアイナの髪を、通った風がほんの小さく揺らしてみせた。
*
「約束の時間五分過ぎ……初めての遅刻だ。 それ相応の情報か人質でも盗ってきたか」
森を通り抜ける風が密集する木々を揺らし、さらに月明かりがそれを撫でていた。 中には勝手に育った、なんらかの木の実を生む木が何本かまばらに生え、そのうちの一つを、イタチに似た夜行生物が一つ、登ってかじった。
それらの木がぽっかりと開いた空間が場所に、所々苔むす小さな小屋が建てられ、中で椅子に座った女が、開けられた扉に向かって口を開いた。
現れた男は、ひょうひょうとした笑顔で、椅子の背もたれを掴んで引いて、
「なにも盗ってこれなかったっていう不名誉は持ってこれたよ」
と、座った。
女は額に右手をやってため息をついた。
「これで何回目だ。 私は何度それを聞けば良いんだ」
「いや〜、案外防御硬いんだよね〜。 何かとってやろうってなったらすぐに勘付かれたりしてさ〜。 ごめんね、ウルウさん」
ウルウは腕組み、男を睨みつけた。
「お前もバカではないだろう。 自分の行動の修正くらいはできように。 ⋯⋯まさか、己の役目と立場を理解できぬバカにはなったりしていまいな」
男は、テーブルの上のランタンに視線を落とした。
「ちゃんと理解してるよ。 その役目ってやつも、まだ、チャンスがあるってこともね」
そして男はニッコリとした笑顔とともに、懐から手のひらサイズのスピーカーがついた赤い機械をウルウに向けた。
「あの人間の魔王の部屋を見つけてさ。 ちょうどよく窓も開いてたから、盗聴器仕掛けてきたんだ〜」
ウルウの視線の鋭さが、幾分か柔らかくなり、
「ならいい。 そのチャンスを明日は活かせるように努めることだ」
と、顎で扉を指した。
男は、「わかったよ、今夜はじゃあね」と立ち上がって、扉を開けた。
「ところで、サライ」
ウルウは、そのまま出ていきかけたサライを呼び止めた。
サライは扉の方に身体を向けたまま、耳を傾けた。
「今日はやけに声に色があったなァ。 前までは、もう少し静かに『勘付かれた』と語っていたが……」
柔らかくなっていた目を、さっきよりも幾分か鋭くさせてサライの背中を射抜いた。
「まさか、今日『初めて』本当のことを言ったのではないだろうな」
サライは薄い月明かりをしばらく顔に浴びてから、にこやかな顔だけをウルウに向けた。
「そんなわけないでしょ。 前からきっちりと勘付かれてたよ」
そう言って、サライは扉を静かに閉めた。
閉める直前に部屋に滑り込んできた小さな風が、ウルウの橙色の髪を揺らした。 一人寂しく燃えるランタンの火は、少しずつ弱まりつつあった。
それがもたらす一抹の温かみを感じながら、ウルウは、目をゆるやかに閉じた。
幾たびも優しくかろやかに、風が木を撫でる音を聞きながら、サライは小屋を背にして歩いていた。 視線はやや下を向き、無意識に雑草を眺めていた。
そんなサライの背中に男の声がかけられた。
「やっぱり気に食わねェ」
サライよりも幾分荒っぽく大地を踏み、掴み持った刀をおさめた鞘を肩にかけて、悪態をついた。
サライはそれがなんだかおかしくなって、口角を上げた。
「そんなこと言っちゃいけないよトリタカ。 いまの僕らの立場は契約上、下なんだ。 やとわれちゃってるんだよ〜」
トリタカは眉をよせ、黒く、硬めの短髪をかき分けるように掻いた。
「知らねェ、お前が勝手に結んだ契約だろうが」
サライの横に歩き出て、睨みつけた。
「俺はあんな動物だらけの国なんざ怖かねェッ! 持ってる兵器で、焼き料理に変えりゃあ良いだろが!」
そう言われたサライは尚も、にこやかな表情を崩さないでいた。
「君はそうだろうけど、国民は怖いんだよ。 あっちの動物兵器もたくさんいるし、あの海斗とかいう人間を相手にして、いくらか兵力を失ったとはいえ、国家の力は健在だ。 僕らのような、同盟国も数多くあるしね」
トリタカは歩みを遅くし、またさっきのようにサライの後ろについた。
しばらく無言だったが、トリタカは視線を斜めに落としながら口を開いた。
「あんな奴らと組むんなら、その海斗ってやつと組んだ方がマシだぜ」
サライは聞き流したかのように、なんの反応なく歩き続け、それがトリタカの目をもっと鋭くさせた。
「そっちの方が、親父さんにとっても救われる──」
トリタカは、救われるんじゃないのか、と最後まで言い切るつもりだったが、サライが歩みを止めたことによって、これ以上紡がれることはなかった。
その分の言葉を奪い取るように、サライはトリタカに半身と、眉を困ったように曲げた顔を向けた。
「それ、国に帰っても、僕以外の前では言わないでね。 みんな、僕以上に困っちゃうだろうからさ」
そう口にして、サライはまた歩き出した。
トリタカはつかの間サライを見て、唇をきゅっと強くつぐみ、歩き出した。 小屋にやってきた時より空が晴れていて、弱い月の光でも、ぼやっと浮かび上がったサライの輪郭を、国に帰るまでのあいだ、ずっと見つめ続けていた。
*
「あぁぁぁ〜……」
不審者を逃してからも見張りに協力していた海斗は、朝日を背中に受けながら、眠そうに頬杖しながら書類整理を行っていた。 若干のクマが浮かんでいる。
バルは昨日と同じく、丸椅子を近くに置いて本を読み、たまに横目で海斗を見て、口を横に伸ばした。
「魔王様、魂はここにありますか?」
「あぁぁぁ〜……」
「魔王様、意識は働いておりますか?」
「あぁぁぁ〜……」
投げかけた言葉に、同じ反応を返す海斗に投げている視線を、バルは細めた。──寝不足の上に、またベルフェの寝息を聞きながら仕事をしているのは流石に可哀想だと感じたのだ。
仕事を手伝おうと、本を閉じて立とうとした時、扉がノックされて、反応しない海斗の代わりにバルが答えた。
すると追加の書類を持ってきたシウニーが現れて、
「魔王様〜、これ追加ですー」
と言うではないか。
海斗は背もたれに全体重を預けてのけぞった。
「うわぁぁぁもういやァァァァ! 魔王やめたい! 魔王の冠投げ捨てて普通の男の子に戻りたいィィィッ!!」
痛がるように両手で顔を覆ってわめく海斗。
若干引いたシウニーは、細めた目で海斗を見ながら書類を置いて、バルはうなじの横を掻きながら目を閉じ、鼻から薄くため息を吐いた。
このままではいけないと感じたバルは、海斗に寄り添って、顔をからはがした両手をなでた。
「はいはい、魔王様には感謝していますよ、こんな激務に耐えてくださっているのですからね。 さ、半分私が請け負いますから、ね?」
「悪魔だぁぁ……こうやって飴と鞭を使い分けられて洗脳されるんだぁぁ……魔王でないと生きられない身体にされるんだぁぁ……」
少々呆れ気味にバルは「そんなことしませんから、悪魔全員そんなやつじゃありませんから」と、シウニーを振り向いた。
「シウニー、貴女も手伝ってください」
「え!? 私確認作業できるほど、地位高く無いんですが……」
書類をささっと三等分にしたバルは、シウニーが座る用の丸椅子を部屋の隅からとってきて、「姫の権限であなたをそこまでの地位にあがらせます。 どうがんばっても貴女は悪巧みできない性格だからokですよ」と、自分も椅子にどかっと座った。
その一連の言動を苦笑いで見たシウニーも、その言葉になんだかうれしくなり、にやけそうになる顔を、パンッと両手ではさみ、椅子に座り、作業を開始した。
二人を疲れ目で、何度か交互に見た海斗は、こいつらがやるなら仕方ない、といった感じで、ゆっくりとペンを握り、書類を見始めた。 が、やはり昨日のこともあってかすぐに集中は切れてしまい、机に突っ伏した。
「……女の子と楽しいことしたい」
バルは書類に視線をなぞらせ続け、シウニーは手を止め海斗を見た。
「な、なんと?」
「女の子と楽しいことしたい」
海斗の眠たげな顔が持ち上がり、シウニーと目を合わせた。
シウニーは何度か瞬きした。
「厳密に言うと、女の子とショッピングしたい。 あるじゃん、こういうハーレム系って女の子とショッピング。 あれしたい」
「つ、つまり、私と?」
「お前まな板じゃん、女の子じゃないじゃん」
「せ、せっかくの親切を……ッ!!」
シウニーは海斗に見えるよう歯をくいしばった。
一瞬でカッと頭に血が上ったシウニーの横で、一枚の書類に目を通したバルは、机に置き、ペンを手に取った。
「じゃあ行きましょうよ。 ショッピング」
海斗とシウニーは眉を跳ねさせ、サインを書くバルの頭頂部を見た。
バルはその書類を横によせ、書類の束に手を置いて、海斗の目に視線を合わせる。──二色の目線に、海斗は吸い込まれるような気分を抱いた。
「……え、いいの?」
「はい」
「え、行けるの?」
「はい」
「嘘じゃない?」
「はい」
三回目の返事をする頃には、新しい書類に目を通すバルの姿が、海斗の目には写っていた。
「……どこに?」
バルは、自分と海斗にはさまった書類から、片方の青い目だけ出し、
「中央街。 貴方が食い逃げしかけて、ラーファを助けてくださったところですよ」
そう言って再び書類を読み始めた。
二人はバルに焦点を合わせるのに、必死になったような固まり方をした。
「だからはやく、仕事をおわらせ──」と言いながら、バルは書類にペンを走らせ、「ましょうっ」と書き終えた。
そして次の書類に手を伸ばす時、バルは、はっとしたようにまた止まって、ベッドに寝ているベルフェを振り返り、近づいてお腹をぼふぼふ叩き始めた。
「ベルフェっ、貴女も中央街に行きませんかっ」
何回も叩かれていたら、さすがのベルフェも起きたようで、細めた目のまま、若干バルの方に顔を傾けた。
「う〜んぅ〜……? 中央街ぃ〜……? そうですねぇ〜……」
「私がなにか奢ってあげますから、ね?」
「ほんとですか〜? じゃあぁ〜……」
海斗は眉をあげた。
こいつ誘われたら外出すんのな。
「睡眠時間をくださいぃ〜……」
そう言って、ベルフェはまたすぐに寝息をかき始めた。




