探し物はいずれ見つかる
外はもう夜の帳が下りていた。 少しずつ星が顔を出して、今日は三日月だ。 家から光が漏れ始め、城も同じ。
海斗、アイナと花音の上半身を壁にめり込ませているルシファーがいる廊下も、ランプで照らされ始めた。
対し、海斗の顔には影がかかっている。 アイナと花音の諍いを止められたのは喜ばしいことであるが、止め方が少々荒すぎる。
そしてまさか堕天使がこんな形で来るとは思わなかった彼。 しかも彼女は洗脳メンバーの中で最高ランクの実力者。
そんな彼女が今、着地し、数秒膝をつく。 その間も微笑みを欠かさず、彼に恐怖を覚えさせ続けた。
「やぁっと……お会いできましたね魔王様〜。 私、探していたんですよ〜……?」
粘り気を含ませた言葉と同じく、ゆっくりと立ち上がった。 そのまま海斗の方へと顔を向けるのかーーーーそう思ったが視線は壁の方向。 すると突然壁に拳を直撃させた。 一瞬どんと揺れた壁。
すれば満足の色を笑みに含ませ、海斗の方を向き、近付き始める。
そして幾らか歩いた後、アイナと花音がぼとりと落ちたのだ。 なるほど、先程の行為はこの為だったのかーー彼は青ざめた。
「婚約届を見せてから急に姿を消して……部屋を訪ねてもいらっしゃらなくて……どうしようかと思い廊下を歩いていたら、女二人の声が隣から聞こえてくるではありませんか〜……しかも邪魔な奴の声が。 それで壁を壊して覗いてみたら、貴方がいた……なんとも運命ですね〜」
あの二人も始末できたしーーーー気味の悪い笑顔で続けた。 もう今すぐにでもきゃきゃと笑い出しそうである。 海斗は身震いした。
落ちた二人にもう一度視線をやる。 動かない、ぴくりとも。 アイナは仰向けに、花音は長いソファの上で横になるように倒れていた。 二本の剣は、持ち主と同じように力無く横たわっている。
さっきまで彼にとっては恐ろしさの対象であったが、そんな姿を見てしまうと可哀想だと思ってしまっていた。
そしてその感情と大きな畏怖が、身体と地面を頑強に繋ぐ鎖となって逃げ出す事すらできない。 蛇に睨まれた蛙とはこういう事を言うのだろうか。 今、自分は食物連鎖の下位にいると錯覚してしまっていた。
彼は、そのようなとてつもない現象に頭悩まされ、打開策を講じれないでいるーーーーと。
ふと、ルシファーが足を止めた。 手を伸ばしてもまだ届かない場所で止まったのだ。
海斗には、もう一歩踏み出そうとするところで強制的に止めたように見えた。 何故だ? 何故、一方的に蹂躙出来そうなこの場面で足を止めたのだ、と考える。
すると彼女は笑顔をぷつりとやめ、怪訝そうな、そしてほんの少しの怒りを含ませているような表情をした。
「なんで…………なんで、そんな構えをするのです……?」
海斗は意味が分からなかった。 自分は何も構えていない。 構えようとしても恐怖で身体が動かないというのに、何を言っているんだ、むしろ疑問を問いかけたいのはこちらの方だ。 何故そんな言葉を投げかけた。 「え? な、なにも……」 という弱々しい言葉を返すとともに思う。
が。
自分の今の身体を見ると、右手が、真剣の柄の上に添えられていたのだ。 海斗は驚いた。 身体は、無意識に防御態勢をすでにとっていた。
恐怖で身体が動かないと、彼は察知したはずである。 しかし、それは意識した部分で判断したことであり、なにも本当に動けなくなったわけではない。
そして無意識に根をはる 「生物としての本能」 は、その恐怖に打ち勝つための行動をさせていたーーーーそれが今の彼だ。 ルシファーを退けるための手段を、いつでも打てるようにしていたのだ。
彼はそれに気付き、驚きはするがその手は動かさず。 それをルシファーは気に入らなかった。
「貴方にとって……私はなんなのですか? 婚約届をいきなり渡すほど、愛しい女ではないのですか……?」 言いながら無表情になる。
しかし彼女からしてみればそうである。 いきなり婚約届を渡され、なかなか会えず、会えたと思えば得物を突きつけられようとしている。 それも愛しい人から渡された状況だ。
海斗は理解したが、それでも態勢を変えようとはしない。
「それなのに…..何故得物を抜こうとしているのですか……。 貴女の目の前にいるのは、愛しい愛しい女ではありませんか。 そう証明してくれたではありませんか、あの時に」
「い、いやその……」
本能がそれを解くのを嫌がった。
よたよた身体の軸をふらつかせながら近づき始めるルシファー。 笑顔も笑顔で恐怖をかき立てたが、無表情もなんとも言えない怖さを与える。
ショピングセンターで子供が母親とはぐれてしまった時のようなそれと不安感が、一斉に背中に乗った感覚。 それをまた不動のまま、彼は受け止めていた。
「まぁ、そういうことさーーーー今の貴女は、海斗にとってはそういった存在だということですよ」
そして突如としてアイナの声が発生する。 彼女の位置はルシファーの後ろ。
彼女は花音と背中合わせに、各々の剣をルシファーの後頭部に向けていたのだ。
酷く傷ついてしまっている。 両者頭からはだくだくと血が流れ、落ち、そのループにはまっている。
しかしそんなもの、と言わんばかりの眼光。
海斗はそちらの方に目を合わすと、瞳の一つ一つが独立した剣のように思えて仕方がなかった。 それらが堕天使の頭を捉えているように見えたのだ。
「堕天使……あんたの手は、初めは海斗を優しく包むでしょうよ……でも、昔、あんたが天界をめちゃくちゃにして裏切った時のように、次第に加減が分からなくなって殺してしまう。 私はそう強く感じるわ……ッ」
多くあるランプの内一つがチカリと明滅した。
それを皮切りにして、ルシファーは廊下に顔を向け始めた。 完全に下を向いて数秒後、徐々に笑い声を漏らし始め、ほんの僅かな間に高笑いに変わる。 後ろの二人は動じなかったが、海斗は少しばかりギョッとした。
するとどうだ、瞼は瞳を山おりにさせ、口角は上がりに上がった。 透き通っていた肌にはくっきりと影が通り、先ほどまで整っていた彼女の美貌は一瞬で大きく崩れに崩れた。
「手に入らない……私の手に貴方は入らない……貴方の手は私を掴んでくれない……ィィィ? 何故? 何故? 約束を与えられて、何故その先にあるゴールテープを切れない……ィィ?」
その顔に両手が被せられる。 背中は丸められ、まるですすり泣いているかのようだ。 彼がそう思うと同時に、全てのランプが明滅を繰り返し始めた。 して、廊下が振動し始めた。
三人は構えたまま視線をあちこちに滑らせる。
と、彼女はゆっくり顔を覆っていた手を広げ始める。 ところどころ筋張っているその腕を中途半端に広げ終えた。
刹那背中から漆黒の翼が突如開かれた。 ゾゾルと顔を出したそれは禍々しく脈打ち、蠢いた。
恐怖。 海斗にとっては恐怖でしかない。 後ろの二人も流石に慌て始め、剣と身体を小さく震えさせる。 三人の視線はいつの間にかルシファーに向けられていた。 いや、もう彼女以外に向けていられない。 揺れや明滅など、気にもとめていられない。
「ならァァァ……!! 無理やり切ってやる……ッ!! 無理やり手の中……いや胃の中に入れてやるゥゥゥッ!!! おとなしく入れ魔王ォォォォォォッ!!!!??」
そのまま恐怖だけを増大させるが如く、口を開けた。 終わりに差し掛かると金切り声になって圧倒する。 空気が震える。 他者の心を抉る。
そこに女としての愛嬌などない。 必ず相手を殺すーーーー武士が合戦の際に抱く意志を炸裂させていた。
こんなものを前にしてしまえば好きに動けない。
「海斗ォッ!! なにをしているん、だァッ!!」
だけれどもアイナは動いた。 ルシファーの後頭部目掛けて剣を振り降ろした、が標的がそれを察知して飛び上がり、命中せずに廊下を傷つけてしまう。
「奴はお前を狙っている! 逃げるんだ!」
「でも、お前……!」
天井にへばりついているルシファー。 手のひらと膝、そして背中に生やしたどろどろの翼がポンプから大量の水を放出されているが如く天井に流れ込んでいる。 まるで毒蜘蛛のよう。 必ずや相手を殺してやろうという決意が全身にまとわりつく。
そして見られた者を不安にさせる瞳は海斗を覗いた。 その視線とアイナの顔を交互に見て、言葉を詰まらせる。
「分かってくれ……私は、お前の身が心配なんだ。 お前は、好きな奴が目の前で死ぬのを見たいのか?」
海斗は下唇を噛んだ。 何故か、彼女が言う通りの最悪の状況が頭に浮かんだから。 愛する誰かが殺されるーーーーそんなの誰しも見たくはない。
「それでも二人は」 言って、すぐに花音の声に遮られた。 私も同じ思いよ、と。
「珍しく悪魔と意見が合ったわ……。 大丈夫よ海斗。 貴方を生かせられる上に、こいつ仕留められるかもしれない……そう思ったら怖くもなんともない。 だから行って。 貴方に、天使の中にある残虐性は見せたくない」
花音が言い終わったと同時に二人は飛び上がる。 ルシファー目掛けて、得物の切っ先を向ける。 すれば堕天使も海斗ばかりに意識を注げなくなって二人に顔を向けた。
そして海斗は察知したーーーーこれが、こここそが逃げるタイミングなのだと。 先ほどまで微動さにしなかった身体は動かせ、後ろに倒れ込むように翻して逃げた。
後ろで複数の金属音が鳴り響き始めた。




