8話
杜の都、仙台。今年から正式に制令指定都市になった仙台市には活気が満ちあふれていた。駅前ではビルの建設が進み、建築車両が行き来していた。
澤村千尋は待ち合わせに『サリー』という喫茶店を指定してきた。
こぢんまりとした喫茶店で、きちんと整えたヒゲをはやしたマスターとフリルのついたウェイトレス以外に学生服をきた青年と新聞紙を広げるサラリーマンがいた。
ウェイトレスの案内で席に付く。ただでさえ狭い席に隣には巨漢の大男、馬場元彦が座るものだからただひたすら窮屈になる。
「本当にくるのか?」轟は頬杖をついて言った。
「アニキが言ってるんだから間違いないっぺ」馬場元彦が自信満々に言い切る。
からりと音を立てて、扉が開くと大きめのサングラスをかけ、淡い桜色のアウターを着た女性が入ってきた。彼女は左右を見渡し、視線が合うとサングラスを外すとにっこりと微笑む。肩までの髪は実年齢よりずっと幼く見える。
「探偵の先生ってきいてたんでもっと年配の方が来られると思ったんですけど若いんですね」澤村千尋は注文していた紅茶が来るのを待って言った。
「お身体の具合は?」轟の言葉に少し驚いた表情を浮かべながらも腹部に手を当て穏やかな表情になる。
「おかげさまで安定しています」
「本当に直之の子か」尋ねたのは隣にいた馬場元彦だ。
澤村千尋はゆっくりと首を振る。
「だども、なして婚約を破棄したっぺ」
「裏切ることはできないから」澤村千尋は馬場元彦を諭すように言った。
「あなたにとっては思い返したくないかもしれないが、2月24日、実家のあるここ仙台に戻られている」
「はい。悪阻が酷くて、それに先月退職し、戻る予定にしていましたから」
「それはお一人で?」
「いいえ、雅樹さん。大和田雅樹さんと一緒でした」澤村千尋はかつての婚約者の名前を口にする。
「その際、二人の間で朝倉直之の話は出ましたか?」
「いいえ。朝倉さんには大変お世話になりましたし、あのような亡くなりかたをしたのは大変ショックでした」澤村千尋は伏し目がちに言った。
「大和田雅樹は朝倉直之が頻繁にあなたの部屋を出入りしていたと言っていますが」
「それは雅樹さんの思い違いです。私が嫌がらせを受け、助けてくれたのが、直之さんだっただけで」
「嫌がらせとは?」すでに遠野公明から話を聞いているが知らない振りをする。
「私が古道に赴任してまもなく、ある男性から言い寄られていたんです。断ったんですが、しつこくて、そんなとき直之さんが助けてくれたんです」
「いいよっていたのは篠宮土木の松本悟ですね」轟の問いに澤村千尋は小さく頷く。
澤村千尋の言葉が真実であるなら、疑問が生まれる。
「どうして婚約したのが、朝倉直之ではなく、大和田雅樹だったのか?」
「実は雅樹さんとの結婚は古道に赴任する前から決まっていたんです」
「以前から二人は知り合いか何かだったんですか?」この問いには澤村千尋は答えにくそうに口を噤む。
「秘書の大和田千里だっぺな」傍らで話を聞いていた馬場元彦が言った。澤村千尋はこくりと頷く。つまり澤村千尋は父親である大和田千里が見つけてきた婚約者であったわけである。
轟の中で中学校のグランドで激昂していた大和田千里を思い出した。あれは自分の見つけてきた息子の婚約者に対する怒りであったということか。
澤村千尋は結婚を前提に古道へやってきたが村の別の若者と恋に落ちたと言うところなのだろう。
「23日の夜、朝倉直之はあなたの部屋に来てますよね」あくまで推測だが、澤村千尋から話を聞き出すため、あえて断定口調で言う。
「それは」
「スナックでの帰りにあなたの部屋に立ち寄っている」言いよどむ澤村千尋を追い込むように言葉をつなげる。
「ええ、確かに来ました。酷く酔った様子で水を一杯欲しいと」
「他には何か言ってませんでしたか?」
少しためらいながら澤村千尋は口を開く。
「東京の知り合い」
「名前はわかりますか?」
「九条貴史さん。確か大学時代の友人だとか言っていました」
「その人と?」
「映画に行くと言っていました」
「映画?」
「あのぉ」澤村千尋が言った。
「何か?」
「どおして松本さんは直之さんがトイレにいるとわかったんでしょうか?」
朝倉事件の第一発見者は澤村千尋であり、被害者をはじめに断定したのは松本悟である。
「それはあなたも現認しているのではないですか?」
「いいえ、私がみたのは靴です」朝倉直之は右の靴を顔面に当てて亡くなっていた。
「それに靴はスニーカーだったんですよね」確かにあの場に残されていたのはスニーカーだった。
「それは確かに妙だっぺ」馬場元彦までもが首を傾げた。
「何がおかしいんだ?」
「ゴム底の浅いスニーカーは雪で足を取られるっぺ。だからここいらの人間は冬の間はスニーカーをはかないっぺ」馬場元彦の説明に澤村千尋は頷く。
「つまり、スニーカーは朝倉直之のものではないと」
「言うなれば、村の人間は全員除外されるっぺな」
犯人は雪に不慣れな人間であった。それゆえに雪に足を取られた。朝倉直之が右側の靴しかもっていなかったのも理由がつく、あの靴は犯人の靴であったのだ。
「あなたはその九条貴史が朝倉直之を殺害したと」
「わかりません。私が知る限り、直之さんは正義感の強い人でしたから」澤村千尋が強い眼差しでこちらを見つめてきた。
「謝らなくてはならない。私はあなたと朝倉直之が共に仙台に来ていたと思っていました」
「どうしてそのような話をするんですか?」
「ずっと魔性のようなイメージをもっていたもので、お恥ずかしい」轟は頭を掻いた。
「轟さんは私がふしだらな女だと思われていたのですね」澤村千尋は表情を緩めた。
「お身体を大事にしてください」轟は席をたった。
「あの」澤村千尋が轟を呼び止める。
「なにか?」
「私、一つ嘘をついていました」
「嘘?」
「雅樹さんが仙台に来たのは24日ではなく、25日の昼です」
澤村千尋と別れ、メイン通りに儲けられた電話ボックスの中に入った。
緑色の受話器を取り、子犬のイラストのついたテレフォンカードを差し込む。
しばらくして男の声がした。真壁健吾だ。
「先生か?千尋には会えたか?」
「ああ」轟は一つ返事をして言った。「調べて欲しいことがある?」
「なんだ?」
「大和田雅樹についてだ。雅樹は24日に朝倉直之と九条貴史という人間に会いに行っているようなんだ」
「九条貴史」真壁が反芻する。
「それと2月24日に東京で開いている映画館を調べて欲しい」
「わかった。調べておく。それとこっちにも動きがあった」
「動き?」今度は轟の番だった。
「松本悟が行方をくらました」
「松本が」
「もしやとは思うが、気をつけた方がいい」真壁の声に続いて、電話ボックスのガラスに人影が映った。よく日に焼けた顔立ち。
松本悟が自分の背後に立っていた。
身構えるよりも早く松本の右手が動き自分の身体に触れ、脳天がスパークする。そのまま白い世界に落ちて行った。




