殺戮の器
信じられないような話だが――ほとんどの人は信じないに決まっているが――長い歳月の間に人間の暴力は減少し、今日、私たちは人類が地上に出現して以来、最も平和な時代に暮らしているかもしれないのだ。
――スティーブン・ピンカー『暴力の人類史』
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それはこの世で最も純粋な地獄の光景だった。
なぜその地獄が純粋と呼べるのか、その答えはぼくと、ぼくの知る数名の人間だけが把握している。そしてその中に君をいれてやってもいい。
濁りのない泥水のようなものだ。
矛盾しているというのに、この世のどこかには存在しているんじゃないかと妄想させる単語の響き。目を閉じれば浮かぶはずだ、その矛盾の光景が、君のまぶたの裏に。
耳にはまぶたがない、と語った人間が過去にはいたらしいけど、まぶたの有無なんて本当は関係ない。どうせそこにも地獄が張り付いている。
つまりは想像力だ。
ぼくたちの想像力が、地獄を誕生せしめた。
ぼくたちは、
――脳漿をぶちまける感覚を知っている。
――頭蓋が割れる音を知っている。
ぼくたちは知っている。人間の良心がどこまでもユートピアの幻影を縁取れるということを、そして、それと同じくらい人間の残虐性が地獄をその欠片までを詳細に描写し得るということを。
これまでぼくは『殺戮の器』のアカウント権限を使用して、世界中のユーザーが行ってきた数々の殺戮のアーカイブを眺めてきた。君も知っての通り、『殺戮の器』はバージョン2.0よりエディット機能が追加されていて、ユーザーの好きなようにキャラクターを造形できるようになっている。髪や目の色、身長体重、表情を構成するパーツ。それらを自由に取捨選択して、自分好みのキャラクターをエディット可能だ。
だから、ある者は年端もゆかぬ幼い少女を構築したし、ある者は潤いの枯れた老齢の男性を構築した。
そして殺した。
人の想像力の届く範囲内で、ありとあらゆる殺戮を演出した。
例えば、ぼくが何度も繰り返し再生したプレイ動画の内容はこんな感じだ。
ディズニーのアニメ映画にでも出てきそうな、煌びやかで華やかなパーティドレスに身を包んだ少女の背中はぱっくりと割れていて、赤く華開いている。そこから染み出る赤い液体は、毛細管現象を全力で体現しようとしているのか、どんどん領域を広め続ける。君の胸元にも届かないほどの小さな体躯は、痛みの在処を捕えかねているようで、自由な両手をぶんぶんと空中で暴れさせている。
いたいの、いたいの、とんでゆけ。
もしも彼女のこころがもう少しだけ穏やかで、言葉がもう少しだけはっきりとしてくれていれば、きっとそう聞こえたに違いない。でも、動画クリップの音質をどれだけ引き上げても、少女の口から発せられる言葉はどこまでも音でしかなく、ひどく捉えどころのない、耳をつんざくような悲鳴だ。
流石にうるさいな、黙らせようかな、とでも思ったのだろうか、プレイヤーの男はアイテムウィンドウを開いてボールギャグをタップする。選択されたアイテムは秒差もなく瞬時に適応される。つまり、いまの様子を整理して描写するならば、小学校をぎりぎり卒業したかどうかというラインの女の子にお姫様の衣裳を着させて、その露出した背中をぱっくりと切り裂いた挙句、ボールギャグで大人しくなってもらった、という具合になる。
自分で言葉にしておきながら、これはあまりにも惨い状況なんじゃないだろうかと心配になる。
ぼくはもう分からなくなっているのだ。
これがどのくらいのレベルの惨状なのか測れなくなっているのだ。
こんなことになるなんて思わなかった、という意識はない。
それはあまりにも無責任というものだろう。
だから、これから長く続いていくであろう文字列の船旅の門出として、まずはあなたに宣言しておきたい。
ぼくが『殺戮の器』を通じて世界中の人たちに問いかけたいことは、ただ一つの言葉だ。
「口を噤むべきは、いったい誰だろう」
それだけだ。
再び画面に目を向けると、幼女はいまだ殺され続けていた。ディズニーのアニメ映画にでも出てきそうな、煌びやかで華やかなパーティドレスはもう赤色の血と際限なく零れ続けるよだれでどろどろに濁っており、目も当てられない。でも目を背けちゃいけない。悲鳴だけじゃ地獄は現出しないから。
ボールギャグを口に嵌めこまれているというのに、少女の声はスピーカーから盛大に放たれまくっている。ヘッドフォンをしなくちゃ隣人に怪しまれてしまうなと、ぼくがそう感じ始めたころ、ふっと幼女が静かになった。
とうとう死んでしまったのかと画面を注視したけれど、このプレイ動画は何度も繰り返し視聴しているのだから、そうでないことは知っていた。
幼女の喉元。そこにはゴルフボールが何個も詰め込まれているようなデコボコとした山谷が一列を成していた。プレイヤーはボールギャグを複数個召喚して、そのすべてを喉元にねじこんだらしい。
もうこのキャラクターがしゃべることはないな、と思うと、ヘッドフォンは要らないらしい。
死んでいるのか死んでいないのか、全然分からなくなってしまった幼き少女の姿を見て、ぼくは別の女の子のことを想像してしまった。
瞳から一筋の線が引かれる。
ぼくは涙を流した。
シャルリ・エブド襲撃事件の日に生まれた少女。
想像力を欠如して生まれた幼馴染。
彼女のことを脳裏に浮かべながら――。
これからよろしくお願いします。おそらく月二回ほどの超遅更新になると思います。「have read an All」という完結済みのSFもありますので、もしよければそちらもお願いいたします。




