逆らえないもの
沈黙が流れる。
呼吸の音すら、やけに大きく響いていた。
後ろめたさと罪悪感で、いつものように息がうまくできない。
肺に空気を入れるたび、喉の奥がひりつく。
わずかな呼吸の乱れさえ、この場では異物のように思えてしまう。
「……俺は」
言葉を絞り出そうとした瞬間。
コツ、と乾いた音が響いた。
石畳を叩く硬い靴音が、一定の間隔でゆっくりと近づいてくる。
俺のものでもシランのものでもない。
第三者のもの。
一歩ごとに距離が詰まり、圧迫感が強くなっていく。
途端に、冷や汗が背中を伝った。
同じように、シランの顔色も一気に青ざめさせていた。
「……あぁ、いたいた」
視界の端に、その男の姿が浮かぶ。
がっしりとした肩幅、
屈強な腕、
そして荒く盛り上がった筋肉。
動くたびに衣服が擦れる音がして、それがやけに耳についた。
背筋が、反射的に強張った。
この声を、知らないはずがない。
何故なら、俺とシランの、ボスなのだから。
シランの肩が、びくりと跳ねた。
小さく息を呑む音が伝わってくる。
その男は、シランのすぐ後ろで足を止めた。
恐怖のあまり、顔を上げることが出来ない。
「随分とまぁ、俺抜きで楽しそうなことしてるじゃないか」
低く笑うような声。
皮肉と威圧と、荒っぽい期待が混ざっている。
息を吸うだけで、喉が痛い。
彼はゆっくりと一歩、前へと踏み出した。
「お前ら、ここで何してたんだ?」
声は落ち着いているようでいて、どこか粗雑で荒々しかった。
「グラオザーム、様……」
シランが震えた声で男の名前を口にする。
「そ、その……。た、ただ……」
続けて彼の問いに答えようと続けようとするものの、シランの言葉はうまく続かない。
沈黙は許されない。
それなのに俺自身も口を開けないでいた。
この男の前で、まともに説明できる気がしなかった。
「ただ?」
粗雑な声が響く。
呼吸さえままならないほどの威圧感に圧迫される。
「ッ……」
言葉が喉で止まる。
シランも、言葉を発せずにいた。
グラオザームは腕を組み、ゆっくりと視線を巡らせながら、俺たちとの距離を詰める。
「てめぇも……」
獣のような低い声。
その視線はシランへと向いている。
「そいつを庇ってるつもり、なんだろうな」
わざと沈黙を落としてから、「はっ」と吐き捨てるように笑い、
「残念だったな」
と、その一言で、俺たちを絶望に落とした。
ひゅっ、と喉の奥がひきつって、空気が止まる。
わずかに漏れたのは、掠れた音だけだった。
すぐさまシランが振り返る。
「ご、ごめんなさ……っ!グラオザームさ……!」
最後まで言い切る前に。
シランの身体が大きく揺れた。
「――うるせぇ」
低い声と同時に、太い腕が伸びた。
無造作に、乱暴に、シランの喉元を掴む。
「かはっ……!」
指が食い込み、シランの喉が絞まる。
シランの足が浮き、必死に地面を探るように揺れた。
「謝って済むと思ってんのか?」
首を絞める指に、ぐっとさらに力が込められた。
「俺に隠し事して、その上で庇い合いか。偉い身分になったもんだ」
その光景を見ているだけで、喉が締まる錯覚に襲われる。
息が浅くなり、足がすくむ。
「別にいいんだぜ?」
グラオザームがわずかに口の端を歪める。
「このままおまえらを握り潰しても」
冗談のように言われる。
だが、それが冗談で済まないことを、俺もシランも理解している。
この男なら本当にやる。
俺たちの命なんて、最初から大した意味を持っていない。
ただの暇潰し。
退屈を埋めるための道具。
他人から与えられただけの玩具。
それ以上でも、それ以下でもない。
それが俺たちなのだから。
耐えきれず、一歩踏み出しかけた。
「……や、め……」
喉から絞り出した声は、途中で途切れる。
言い切るより先に。
シランの身体が、弾かれたように宙を舞った。
何が起きたのか理解する前に――
鈍い音が、遅れて響いた。
石畳に叩きつけられる、重く湿った音。
一拍遅れて、空気を吐き出すような声が漏れた。
「……っ、は……」
息が詰まり、まともに声にもならない。
肺が空気を求めて軋む。
グラオザームはそれを横目に、まるで埃でも払うように手を振った。
そして鋭い視線を、こちらに向けた。
「……で?」
思わず、肩をびくりと震わせる。
「まだ隠す気か?」




