1話 ただいま!
※2026年6月末
第2部連載にあたり、オセロが小さい時の姿を設定変更しました。
(小さいトカゲ姿→小竜姿)
第1部もそれに合わせて改稿しております。ご注意ください。
荷馬車に揺られながら、ユディはあたりを見渡した。
都から鉄道に乗り、それから馬車に乗り換えて、半日以上。
北東へ向かう道は、いつの間にか左右を山に挟まれていた。
山肌には、濃い緑と明るい緑が幾重にも重なっている。針葉樹の深い色。その間に混じる、広葉樹の明るい色。
谷底を流れる川は、夏の日差しを弾いて、きらきらと輝いていた。
荷台の隅では、まだ魔力を帯びていない透明な魔石が、馬車の揺れに合わせて小さく鳴っている。
『魔の山域』に近いこの土地は、良質な魔石の産地だ。
その一方で、魔力が濃い土地柄ゆえに瘴気だまりが生まれやすく、魔獣も多い。
荷台の四隅に魔獣避けの護符を見つけて、ユディは思わず顔をほころばせた。
少し角ばった、几帳面な魔術文字。父の字だ。
通り過ぎてきた集落の入口には、祖母の作った魔除け飾りも下がっていた。
このあたりには、どこかしらに家族の仕事の跡がある。
見慣れたものだが、とても懐かしく思えた。
「帰ってきたなあ……!」
ユディは広い空に向かって、大きく伸びをした。
そのひざの上で、小さな黒い竜がフーッと火を吹く。
羽虫が一匹、ぷすりと焼けて地面に落ちた。
「帰ってきたな、虫と緑のワンダーランド。普通の虫がでかすぎて、魔獣かと思うっつーの」
黒い小竜――オセロは、気だるげにしっぽを揺らす。
つまらなさそうに、あたりを見回した。
「うわー、マジでなんにもねえ。寝るにはいいところだけど、寝る以外にすることねえ」
「そんなことないよ。空を飛ぶのにもいいところだよ。ここなら都と違って、オセロが大きくなっても迷惑がかからないし」
ユディはなだめるように、オセロの背をなでた。
高等学校へ入学して、初めての夏。こうして無事、契約獣と一緒に家路をたどっていることが幸せだった。
長年、夢見てきた状況だ。
契約獣がどれほどかわいげのないことを言っていても、つい頬がゆるんでしまう。
「お家についたら、オセロのベッドを作らなくちゃね」
「ワラとタオルなんて論外だからな。綿を詰めた絹のクッションでないと、俺は寝ねえぞ」
「綿の上に絹のスカーフをのせるくらいならできるよ。上にかけるものはいる?」
「おまえ、幻獣姿だとクソ甘いよな」
そんなことを話しているうちに、荷馬車はユディの目的地へたどりついた。
木と漆喰で作られた家々が点在する、のどかな村。
家畜小屋ではウシやヤギが鳴き、庭先では子どもたちが遊んでいる。
村内を流れる小川では水車が回り、ごとん、ごとんと、粉を挽く音がゆっくり時を刻んでいた。
「おじさん、乗せてくれてありがとうございました!」
ユディは革鞄を背負い、腕にオセロを抱える。
「おう、気を付けてな」
荷馬車を降り、ユディは村へと入った。
さっそく、野菜かごを持ったおばさんに声を掛けられる。
「あら、ユディちゃん! お帰り。学校はどう?」
「元気でやってます」
ユディも笑って返す。
すると、おばさんはユディの腕の中をのぞきこんだ。
「それ、ユディちゃんの契約獣かい?」
「はい!」
「これは知ってるよ。小竜ってやつだろう?」
ユディは否定しかねた。
そういうことにしておいた方が、都合がいい。
本当は炎竜で、しかも悪名高い暴竜オセロだなんて知られたら、村中が大騒ぎになる。
愛玩用として人気の高い小竜であった方が平和だ。
「そうです」
のどかな故郷の空気を守るため、ユディは誤解を放置した。
おばさんは目尻を下げて、手を伸ばす。
「かわいいねえ。竜といっても、これだけ小さいと怖くないよ」
「いやっ、でもっ! 中身はしっかり竜なので! うっかり触らない方が!」
ユディは、おばさんの指に噛みつこうとする契約獣を必死で抑えた。
騒ぎが起きないうちに、そそくさとその場を離れる。
「わーっ、竜だぁ!」
「小竜だー!」
「火、吹ける? 飛べる? 魔獣やっつけられる?」
今度は、子どもたちが目を輝かせて駆け寄ってきた。
「火も吹けるし、飛べるよ。魔獣もやっつけるよ。
でも、小さくても危ないから、触るのは我慢してね」
説明しながら、ユディは子どもたちの手が届かない位置にオセロを抱えあげた。
子どもたちは聞き分けよく、うんうんとうなずく。
「知ってるよ。ハートマンじいちゃんに、竜はいきなり触っちゃダメっていわれてるもん」
「でもこの前、風龍触らせてくれた」
「こいつ、こんなにちっこいのに戦えるの?」
素朴で無邪気な疑問だった。
しかし、オセロにとっては侮辱だ。
金色の目がぎらりと光る。
小さな口が、大きく開かれた。
「オセロ、だめ!」
ユディが止めるより早く、炎が吹き出した。
大人の腕よりも太い、一直線の炎。
それが子どもたちの頭上をかすめ、小川へぶつかる。
じゅわっ、と水が爆ぜた。
大量の白い蒸気が生まれ、霧のようにあたりへ立ちこめる。肌に感じる暑さが増した。
「ごめんね! 大丈夫!?」
質問した男の子の帽子が、ほんの少し焦げていた。
ユディは真っ青になったが、子どもたちは興奮に頬を赤くしていた。
「すっげえー!」
「ちっちゃいけど強い!」
「他、何ができるの!?」
尊敬のまなざしが集まる。
オセロは得意げに長い首を反らした。
「ほんとにごめんね! 続きはまた今度ね!」
また何か起きないうちに、ユディは足早にその場を離れた。
村に着いて、わずか五分。
傷害未遂が二件。
先行きが不安すぎる。
「オセロ……」
「なんだよ」
「お願いだから、村の中で乱暴はしないで」
ユディは真剣に訴えた。
「家に帰ったら、家族にオセロを紹介するけど。
その……オセロって、評判がよくないと思うの」
「人間の評価なんてどうでもいいし」
「オセロは良くても、私は良くないの!」
ユディはいったん、石垣の上にオセロを置いた。
「まだ半人前の私が、オセロと契約したなんて知ったら、お父さんもお母さんも、おじいちゃんもおばあちゃんも、みんな絶対びっくりする。反対されると思う」
「それがなんだよ」
オセロは鼻を鳴らした。
「おまえの親が反対したからって、なんか関係あるわけ? そいつらが契約を切れるわけでもねえのに」
その通りだった。
召喚士協会ですら認めざるを得なかった契約だ。
家族が反対したところで、どうにもならない。
「それとも、何?」
オセロがぐっと身を低くする。
「家族に反対されたら、おまえ、契約を切るわけ?」
金色の瞳が剣呑に光った。
ユディはぶんぶんと首を横に振る。
「切らないよ! ……そういうことじゃなくて」
必死に言葉を探した。
「私は、オセロと契約できてうれしいよ」
「当然だな」
「だから、家族にちゃんと説明したいの。
脅されたり、無理やり契約させられたりしたわけじゃないって」
ユディは石垣の前にしゃがみ、オセロと目線を合わせた。
「オセロは怖いだけじゃなくて、みんなを助けてくれる幻獣だって、分かってほしい。
そのためには、第一印象が大事だと思うの」
「ほー」
「オセロは、やたらむやみに暴れるわけじゃない。
ちゃんと契約獣になれる存在だって、理解してもらいたい」
「ふーん」
「だから、しばらく小竜のフリをして。
暴竜オセロだってことは内緒にして。
おとなしくしていて」
石垣の上で、オセロは黙った。
そばに生えている木の幹に、角をすりつける。
「……俺は俺にしかなれねえよ。取り繕ったところで、どうせボロが出る」
「分かってるよ。ずっととは言わないよ。最初だけでいいから!」
ユディはじっと、金色の瞳を見つめた。
しばらくして、オセロがふいっと視線を逸らす。
「ハイハイ。可能な範囲で、前向きに善処いたしますぅ〜」
「まじめに話してるんだよ」
不安な返事だった。
けれど、とりあえずユディは満足することにした。
オセロを抱え、また歩き出す。
「なんか獣臭えな」
不意に、オセロが風上へ鼻先を向けた。
山際で、村人たちが害獣除けの柵を補修していた。
その中に、頭一つ分ほど背の高い青年が混じっている。
体つきはたくましく、両肩にはずっしりとした木杭の束を一つずつ担いでいた。
人間ではない。
ユディの父親の契約獣、人狼のダイスだ。
「ダイスー!」
ユディは嬉しくなって手を振った。
青年がすぐに振り向く。
三角形の獣耳と、灰色のしっぽがピンと上を向いた。
「お嬢さん!」
木杭を下ろし、ダイスはこちらへ駆けてくる。
しかし、その進路には、地面をついばむニワトリたちがいた。
「こけっ!?」
突然迫ってきた人狼に驚き、ニワトリたちは一斉に羽ばたいた。
白い羽がぱっと舞い上がる。
「あっ、わっ」
「ダイス、動かないで!」
ダイスは指示通り止まった。
けれど、ニワトリたちはまだ逃げまどっている。
補修中の柵をすり抜け、そのまま山の方へ逃げていこうとしていた。
「オセロ、ニワトリたちが散らないように、魔法で囲って!」
「へいへい」
オセロは退屈そうにしっぽを振った。
ユディは、小さな結界でニワトリを囲むつもりだった。
透明な膜を張って、逃げ道をふさぐくらいの、やさしい魔法だ。
だが、オセロのしたことは違った。
地面が、ドン、と低く鳴る。
「え?」
土が盛り上がる。
次の瞬間、ニワトリたちの周囲に巨大な土壁がせり上がった。
ドン! ドン! ドン!
分厚い土壁が、ニワトリたちをぐるりと囲い込む。
「こけえええええっ!」
中からニワトリたちの悲鳴が響いた。
村人たちは、人の背丈より高い囲いをぽかんと見上げる。
「出られるもんなら出てみやがれ、二足歩行鳥」
「違う! こんな監獄みたいな囲いを作ってほしかったわけじゃない!」
騒ぎはそれで終わらなかった。
土壁がせり上がった衝撃と土煙に、近くにいた牛が目をむいた。
あわあわと前足を泳がせる。
「――あ」
ユディの嫌な予感は当たった。
興奮した牛が、村の中心に向かって爆走しはじめた。
「モオオ――――ッ!」
「うわああああ――――っ!」
人々は悲鳴を上げて、左右に飛び退く。
「ああっ、牛! 捕まえなくちゃ!」
ユディはオセロを下ろし、背負っていた革鞄から杖を抜いた。
牛を追いかけて駆けだす。
「止まって、止まってえええ!」
「とろくせえな」
バサ、と黒い翼が羽ばたいた。
小さな体が空中で膨れ上がる。村に大きな影が落ちた。
硬いうろこに鎧われた巨躯。太く鋭い爪の生えた四肢。
ぎょろりとした金色の目が、地上を見下ろす。
漆黒の竜が、小さな村の空を支配した。
「りゅっ、竜だーっ!」
悲鳴に似た声が、あちこちで上がった。
「あんなの、見たことないぞ!」
「ハートマンさんのところのか!?」
どよめく地上をよそに、黒い竜はふわりと舞い降りた。
暴走する牛の前に降り立ち、進路をふさぐ。
「ブォッ!」
壁のような巨体を前に、牛は急停止した。
勢いあまって鼻先をぶつけたが、ケガはない。
ただ、巨大な竜の出現に腰を抜かし、その場にへたり込んでしまった。
「ほれ。捕まえたぞ」
「あり、がとう」
弾む息を整えながら、ユディは礼を言った。
牛はおとなしくなった。
しかし、周囲は大騒ぎだ。
土壁の中では、まだニワトリたちがこけこけ鳴いている。
ダイスは竜を見上げたまま固まっていた。
村人たちはホウキやら鋤やらを握りしめ、右往左往。
数人が、村の共同倉庫へ駆けこんでいく。
「ハートマンさん! ハートマンさん!」
「竜が! 竜がいるんだけど!」
引っ張られるようにして出てきたのは、腰に杖を下げた男性だった。
生成りのシャツは土で汚れているが、清潔感がある。茶色の髪は短く整えられ、革靴もよく手入れされていた。
誠実そうで、たとえ役場にいても違和感のない人物――ユディの父親、ルークだ。
「あれ呼んだの、ルークさん!?」
「いや、僕はあんなの呼んでないけど……お義父さんか?」
ルークは腰の杖に手をやりながら、竜との距離を慎重に詰めた。
そして、丁重に問いかける。
「失礼ですが、炎竜殿。どなたに召喚を?」
「こいつ」
オセロは鼻先で、足元のユディを示した。
ルークの穏やかなはしばみ色の目が、軽く見開かれる。
「ユディ! 帰ってたのか」
「う、うん……ただいま」
ユディはおずおずと、オセロの影から出た。
「それで……これは?」
ルークは改めて黒竜を見上げる。
「……わ、私の契約獣」
「かわいく無害でおとなしい竜だぞ」
「ちょっ――!」
オセロはユディに鼻先を押しつけてアピールした。
だが、完全に逆効果だ。
不審者が自分を怪しくないと主張したところで、うさんくささが増すだけである。
父親はうろんげにした。
「……黒いな」
「う、うん! 黒いよ!」
隠せるわけもないのに、ユディはオセロの体を隠そうと前へ出た。
まったく他の色が混じっていない、漆黒のうろこ。
黒竜は他にもいるが、これほど純粋な黒色の竜は、世界に一頭しかいない。
ベテラン召喚士である父が、その正体に気づかないわけがない。
「あの、その、これは――」
予定していた紹介の段取りは、完全に崩れていた。
魔法はハデに使ってしまっている。
大きくなってしまっては小竜だなんてごまかせない。
ユディは言葉を探してまごつく。
その横で、オセロがバサッと翼を広げた。
「出会えた僥倖に感謝しろ。平伏せ愚民。幻界最強幻獣オセロ様だ」
「かわいさも無害さもおとなしさもゼロの名乗り!」
「……娘が……暴竜を連れて帰ってきた……」
ルークはショックのあまり倒れた。




