第91話 襲い来る巨躯
最前列で歩き出したイルガに背を向け、最後尾へと戻ろうとした瞬間――。
ざわと、皮膚が粟だった。
空間にわずかばかりの違和感が混じる。獣臭とヒトのものではない呼気だ。俺がそれを感知したときにはもう、オウジンは視線を跳ね上げながら叫んでいた。
「止まれ、イルガ!」
「え……?」
金属を叩きつけるかのような轟音が鳴り響いたのはその直後のことだった。
イルガではない。すでに最後尾へと向けて走り出していた俺へと向けて、ベルナルドの巨大な背中が高速で迫る。
何者かの攻撃を受けて、ベルナルドの巨体が吹っ飛ばされたんだ。
「ぬう……!」
小さな肉体を回転させながらかろうじてその巨体を躱すと、ベルナルドの手の中で真っ二つに折られたハルバードが視界に入った。
「ベル! ケガはないか!?」
「問題ない。だが、ハルバードが折られてしまった。それよりも全員、武器を抜け。迎撃だ」
その声に、弾かれたように全員が抜剣する。
しかし剣を持つ手が震えてしまっている。あれではダメだ。
「ふー……」
ベルナルドが折られたハルバードをあっさりと投げ捨てながら、背中から槍を抜いた。
両手で数回転させ、穂先を後方に向けた。その指し示す方向には、大男であるベルナルドと同程度の体躯を持った一体の生物がいる。
やつは先ほどイルガが捨てたのと同じような鉄塊の武器を手に持ちながら、ぎょろりと見開かれた眼球で俺たちを睥睨していた。
鋭く尖った大きな牙からは、臭そうな涎が垂れている。
誰かが叫んだ。
「オ、オーガだ! オーガが現れたぞ!」
肉体こそ人間に近しいが服はボロ布しか纏っておらず、足は裸足。腕部、脚部ともに筋骨が丸みを帯びるほどに大きく肥大していて、頸部の太さなどはもはや頭部周りと変わらない。何より額からは角が生えていて、肉を食い破るための獣のような牙を持っている。
――グルルルルルル……!
うなり声に、学生らが怯えた表情で一歩後退した。
発せられる体熱が、薄ら寒いダンジョンに獣臭と同時に広がっていく。肉食のオーガは雑食であるゴブリンの比ではない。閉ざされたダンジョンという場では、吐き気を催すような臭いだ。
「う……」
生徒たちがオーガの発する体熱に押されるように息を呑んだ。完全に気圧されてしまっている。
しかしいまはそれに構っている余裕はない。ないのだ。なぜならば。
俺は叫ぶ。
「くるなよ、オウジン! 本命は後方ではないぞ!」
「わかってる!」
そう、本命はこいつではない。
最初に現れたのは後方のこの一体だが、こいつの役割は、あくまでも俺たち全員の目を引き付けることだ。その証拠に、前方、少し離れた位置に無数の気配が集結しつつある。
つまりわざとらしく目の前に現れたこのオーガは、ただの陽動に過ぎない。魔物の分際で、ずいぶんと小癪な真似をしてくれる。
本命はイルガやオウジンのいる前方。すでにいくつもの気配が闇の中で蠢いていた。
一班二班のほとんど全員の意識が後方のオーガへと向けさせられた瞬間、前方から一斉にオーガどもが突撃してきた。轟音のような足音を鳴り響かせ、身が竦むほどの大音量の恐ろしい咆哮を上げながら。
――ガアアアアァァァァァァーーーーーーーーーーーーーッ!!
「ひ……っ」
挟まれる。それでも不意打ちにはならない。なぜなら前方にはオウジンがいるからだ。
だが、まずいぞ、これは。
後方はさほどでもないが、前方はとにかくとんでもない数だ。ゴブリンならばいざ知らず、これでは陣形など役に立たない勢いで轢き潰されてしまう。
俺もオウジンも一班二班のサポートのみのつもりだったが、事ここに至ってはそのようなことを言ってられる場合ではない。
すぐにでも前方の迎撃に向かいたいところだ――が!
「糞!」
迷った瞬間、後方のオーガが地を蹴った。舌打ちをして、俺はグラディウスを抜く。
「やむを得ん……!」
こいつを一刻も早く仕留めて、前方へ行く――!
だがそれよりも早く、俺を庇うように前へと飛び出した巨体があった。大地を揺らしながら踏み込んだベルナルドの槍の穂先が、鉄塊の間合いの遙か外側からオーガの右腕を正確に貫く。
ズシュっと肉を貫く音がして、オーガの手から鉄塊が落ちた。
「いまだ。やれ」
動きを止めたオーガへと、レティスを含む四名の生徒らが刃を振り下ろす――が、オーガは咆哮を上げると鉄塊を手放すと両腕を振り回し、群がる生徒たちを薙ぎ払った。
「ぎ……ッ!?」
「ああ……っ」
掠っただけで吹っ飛ばされ、生徒らが周辺に転がる。例に漏れず大地を転がったレティスを踏み潰さんとしてオーガが足を上げた。
「ひ……」
だがその寸前に、ベルナルドはオーガの足を穂先で貫き、自ら体当たりをするように肩から巨体をぶつけていた。
「ぬんッ!!」
ズドン、と肉のぶつかり合う重々しい音が響き、足を負傷したオーガは耐えきれずに後退する。しかしすぐさま落とした鉄塊を拾い上げると、再び牙を剥いた。
ベルナルドが俺につぶやく。
「行け、エレミア。こちらは受け持つ」
最後尾では、一体のオーガの迎撃に二班五名があたっている。
前方に残りの一班五名とオウジン。
だが――。
轟く足音は地響きすら起こすほどの数だ。魔導灯の照らし出す範囲内にいる数だけで、すでに十体を超えている。もう最前列への接触までわずか数歩だ。
「すまん。甘えるぞ、ベル」
「おまえに大地の精霊の加護があらんことを」
俺はベルナルドと後方のオーガに背を向けて、前方へと走り出した。
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