第90話 口を開くは混沌の
ベルナルドがレティスに尋ねた。
「何かというのは、何の死骸だ? どのような形をしていた?」
「あ、うん……。それが、半分ほどもう魔物に食い荒らされていて……」
レティスが少し戸惑うように俺の方を見た。
そのせいで予想が立った。十歳の少年に聞かせるには、酷な死骸のようだ。つまりは人間である可能性が高い。
ざわ……と背筋に悪寒が走った。
「ベル。すまん。やはり俺は少し離れる」
「大丈夫か?」
言葉の意味がわからないほど、俺は無知でも馬鹿でもない。それはつまり、ひとつの可能性として、四班五班の人間であるとも考えられるという意味だ。
俺たちは平民チームの足跡のない方角の通路をあえて選んで進んできていた。だから可能性としては低いはずだ。だが、それでも。
俺はつぶやく。
「問題ない。慣れている」
そう、慣れている。ブライズならば慣れていたはずだ。
なのに、なんだこの動悸は。エレミーの肉体が震えそうになっている。不安と恐怖がこの小さな肉体から無限に湧いてくる。
嫌な汗が、額から染み出した。血の気が引くとはこのことだ。
それでも自分の目で確かめねば。
歩き出そうとしたとき、レティスが俺の手を取った。
「待って、エレミア!」
「……なんだ?」
「たぶん、人間だったとしても騎士学校の生徒じゃない。着衣が金属糸の制服だったなら、捕食されても丸呑みでない限り必ず残っているはずだから。あれは食い荒らされていたけれど、呑み込まれてはいなかった。だから」
「そうか」
うなずき、手を払って走る。
一班二班の生徒らを掻き分けて、死骸の側で膝をついているオウジンの隣へと。
「オウジン!」
オウジンが顔を上げた。
表情に悲観的なものは見られない。ここで初めて俺は安堵した。
「エレミアか。これ、何だと思う? ヒトのように見えるけれど、ところどころ違う気がする。僕の国にはいなかった生き物みたいだ」
一目でわかった。この死骸は人間ではない。
俺は胸をなで下ろした。
頭部はなく、腹部は内臓ごとごっそりと喰われている。だが、食い荒らされて残った部位、手足が人間にしては肥大しすぎているんだ。
この特徴的な体躯には見覚えがあった。むろん前世でだ。
死骸を見下ろしながら、俺はつぶやく。
「こいつはオーガだ。人間ではない。ヒトを喰らう魔物だ」
人里近くに潜み、深夜になってから集落を襲撃し、ヒトをさらって、ヒトを喰らう。このダンジョンではおそらく、ゴブリンを喰らって生きていたのだろう。
高い壁に囲われた王都付近では、あまり見かけない種族だ。ほとんどの生徒たちが知らないのも無理はない。
「オーガ……。そうか、これが」
オウジンが口元を手で覆ってつぶやいた。
「ヒノモトにはいなかったのか?」
「昔はいたらしい。僕らの国では鬼と呼ばれていた。けれどすでに武士や侍と呼ばれる剣客たちによって、その大半が駆逐されている。だから僕も現物を見たのは初めてだ」
少し口をつぐんでから、オウジンが低い声で付け加える。
「ヒノモトでは“剣鬼”の『鬼』は、これを表すんだ」
なるほど。ヒノモトの“剣鬼”という言葉は、確かにガリアの“剣聖”や“戦姫”と同じ意味で使用されてはいなさそうだ。その称号は忌名に近しいものだったか。
死骸の向こう側に立っていたイルガが、感心したようにつぶやいた。
「驚いたな。その若さでエレミアはずいぶんと魔物に詳しいようだ」
「あ、ああ。えと……ノイ家は山奥の集落にある。そのような場所では魔物はなんでもござれだ」
あらかじめ考えておいた嘘をつく。
しかし、これは厄介だぞ。
オーガは決して弱い魔物ではない。ゴブリンは下級と言われる魔物だが、オーガは中級だ。そのオーガがレアンダンジョンには息づいていて、さらにそのオーガを狩るだけの力を持った何者かがこの六層にいるということになる。
この死骸、どう見ても人間の仕業ではない。失われた頭部はいざ知らず、臓物ごと喰われている腹部は一口で囓りとられているように見える。
なんだ? このダンジョンには何が潜んでいるんだ?
できるだけ早く、四班五班とも合流した方がいい。
だが――……。
イルガに視線を向けると、やつはオーガの持っていた分厚い鋼鉄の剣を死骸の下から引きずり出していた。
手ぬぐいで血を拭って、魔導灯で照らす。
「特に変わった金属ではなさそうだな。刃も潰れてしまっている。剣というよりはすでに鈍器のようだ。それに重いな。俺では振れなさそうだ。……価値はないな」
だろうな。剣というより鉄塊だ。ブライズならば出遭い頭の投擲に使うため、喜んで持って歩いただろうが、エレミアではもちろんのこと、他の生徒であっても使えそうにない。
ああ、ふたりほどいたな。
当然、片方はヴォイドだ。そしてもう片方は。
「ベルナルドに預けるか?」
あの体躯だ。振り回すのに申し分はないだろう。使えるならば、この重量だけでもかなり強力な武器になる。
だがイルガは首を左右に振った。
「ベルの得意武器は槍だ。特に馬上での槍術に優れている。慣れないものを持たせるくらいなら捨てておこう」
馬上槍術か。確かに出番はなさそうだ。
「そうか。そうだな」
イルガがオーガの鉄塊を通路の端へと転がした。
こいつは気づいただろうか。六層の危険性に。いや、馬鹿でも気づくはずだ。ここは中級の魔物が跋扈するダンジョンであり、その魔物を一撃で狩るだけの力を持つ大物もいるのだということくらいは。
俺の心を代弁するように、オウジンが口を開いた。
「イルガ。四班五班と合流した方がいい。これは互いの班にとっても危険な発見だ。情報は共有すべきだと僕は思う」
「……」
眉間に皺を寄せ、オーガの死骸を眺めていたイルガだったが――……。
やがて顔を上げて、首を左右に振った。
「いいや。俺たちはこのまま七層を目指して先に進む。そろそろ貴重な価値を持つ発見物も出てくることだろうから、何かを見つけたらすぐに知らせてくれ」
そう言ってイルガは俺たちに背中を向け、歩き出した。
俺はオウジンと顔を見合わせ、首を左右に振る。
ため息しか出ない。
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