第89話 不穏の闇に朽ちし者
俺たちは六層の階段を下る。
足下には無数の足跡が残っていた。おそらくセネカたちだ。やはりオウジンの予想通り、大穴から五層へ下り、六層まで先行していたようだ。
イルガはそれを見るなり顔をしかめたが、結局何も言葉はなかった。ただ少しだけ、パーティ全体の進む速度が上がっただけだ。
先頭ではイルガとオウジンが何かを話ながら進んでいるが、歩調を決めているのはイルガだ。平民に先を越されて焦っているのかもしれない。
五層のときよりも、少し隊列が伸びている。
だがあえて縮めはしない。それぞれに武器の間合いというものがあるし、それにあまり考えたくはないが崩落などに巻き込まれた場合、固まって歩いていては一網打尽になってしまう恐れがある。助けを呼びにいくこともできない。戦闘時に一丸となることが必要な状況になるとしても、そうなってからで十分に間に合う。常に冷静でさえいられればだが。
つまり、少なくとも俺の経験上では、この判断は正しいと思う。
もちろん、あまりに隊列を伸ばしすぎては前後の状況把握ができず、かえって危険に陥る。しかしそういうわけでもなさそうに見える。
適正距離だ。俺たちは十名は、二名一組を数歩間隔に分けて進んでいた。
察するに、一班二班はレアンダンジョンにくる前から、よく話し合われていたのではないだろうか。イルガがそうさせているのだろうか。
突然、パーティの足が止まった。
前方に視線をやると、最前列ではイルガとオウジンが足下を見ながら何かを話し合っていた。
ベルナルドがつぶやく。
「レティス」
「わーってるよ。伝令役は忙しいね」
俺たちの前を歩いていたレティスが、ふたつ結びの髪を揺らしながら先頭の様子を窺いに走った。
俺はベルナルドを見上げる。
「一班二班はそれぞれ完全に隊列や持ち場が決まっているのだな」
「ああ。おれは、最後尾の警戒だ。リーダーであるイルガを含め、自らの意思では、動かないことになっている。むろん、戦闘発生時など、突発的な出来事による例外はあるが」
「イルガが決めたのか?」
ベルナルドが首を左右に振って、俺を見下ろした。
「みなで決めた。イルガを中心にな」
「そうか」
まるで練度の高い小隊だな。悪くはない発想だ。
十名程度の小隊ならばさておき、今後正騎士として生きるならば中隊、大隊、そして旅団規模での活動も増えてくる。いまから慣れておくにこしたことはないだろう。
ますますイルガという人間がわからなくなる。
ベルナルドが続けた。
「だが、おまえとオウジンだけは、ここでは自由だ。それだけは、イルガが決めた。おまえたち三班は、その方が活きると」
「……」
俺やオウジンはさしずめ、遊撃になっているのだろうな。
「……」
「どうした、エレミア?」
「いや」
俺はブライズ一派の役割を思い出していた。
騎士ではなかった俺たちは、隊の垣根を越えて戦場中を駆け回った。俺たちは誰にも命令しないし、命令下にもなかった。
劣勢の隊があればそれを攻める敵集団を後方から襲撃し、孤立した隊があれば敵を掻き分け、そこまで至る道を造った。あえて自らの尻に敵を引き付け、逃げ回って敵陣を引き伸ばしてやったこともある。
ずいぶんと危ない橋を渡ってきた。橋どころではない。もはや綱渡りだ。
血気盛んな他の弟子どもはともかく、あの頃、最年少で唯一の女だったリリが、よくもまあ最後までついてくる気になったものだ。
ふと、何かを思い出しかけた。だが、ちょうどそのとき、ベルナルドが俺の頭部に手を置いたんだ。
思考から引き戻された俺は、再び大男を見上げる。
「ふむ。気になるのなら、行ってもいいのだぞ、エレミア。先も言ったが、おまえは自由だ。心配はいらない。おまえが前に移れば、ひとりずつずれ、レティスがおれとともに最後尾となる」
俺やオウジンを隊には組み込まず、自由に動かすという判断を下したあたり、イルガにはおそらく慧眼がある。むろん、それは前回カリキュラムにおいて三班を送り出したセネカも同じだが。
だからこそわからない。なぜイルガがクラスを分断してしまったのか。
未だ一度も命の危機というものにさらされたことのない指揮官ならば、身分や矜持で分けて考えることも理解はできる。だが、イルガはこのダンジョンで最も死に近づいた男だ。命よりも身分を優先で考えるだけの理由でもあるのだろうか。
いや、いや。
こんなところで余計なことを考えている場合ではないな。ダンジョンから脱出したあとに考えるべきことだ。
俺は首を左右に振った。
「俺には俺の役割がある。オウジンから後方警戒を任されてる。だからレティスが戻るのを待つ」
「そうか」
前方も後方も暗闇だ。
六層に下りてから、俺たちはすでにいくつかの分岐を越えてきた。壁に目印と日付を削り込み、足跡のない方へと向かう。平民パーティとは別のルートを選ぶためだ。
事ここに至っては、その方がいいだろう。いま両パーティが出遭ってしまっても、協力態勢は築けそうにない。それに、レアンダンジョンに何らかの持ち帰るべき成果物があるとするなら、一度捜索された場所をもう一度通るのは時間の無駄だ。
だがそれ以上に。
分岐をいくつも越えてきたということは、通り過ぎてきた道に未踏の部分が出てきてしまっているということだ。
つまりはすでに、背後から何者かに急襲されたとておかしくはない状況にある。
後方の闇は深い。
しばらく待っていると、レティスが駆け戻ってきた。
オウジンは前方に待機したままだ。自由な移動を許されているはずだが、俺と同じ理由でこちらにはこなかったのだろう。
前方の闇も深い。何か不穏なものを感じる。まだ、ただの勘だが。こういうのに限ってあたるのだ。戦場では。
レティスは戻ってくるなり、ベルナルドを見上げて報告する。
「何かの死骸だ」
「そりゃあ古いダンジョンだ。ヒトであれ魔物であれ、死骸くらいはあるだろう」
呆れたように俺がそう言うと、レティスはおさげを揺らしながら首を左右に振った。
「新しいんだよ! まだ血が乾いていないくらいだ!」
「ああ!?」
状況が変わる。
パーティ全員に緊迫感が漂い始めていた。
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