第76話 戦姫の戸惑い
結局のところ、リオナは問題なく一組からも受け容れられた。
ベルツハインを名乗った際に、セネカを含む数名がわずかに反応したが、彼女らからウェストウィルの異変について問い詰められることはなかった。
共和国からの留学生――ではなく、亡命者。それがリオナに与えられた新たな肩書きだった。
停戦協定を結んでいるとはいえ、両国民の感情は複雑なのだから、留学生では疑われてしまう。それに、“異変”唯一の生き残りであるベルツハイン姓を名乗るのだから、共和国から極秘裏に逃れてきた亡命の方がうまく符合する。すべてはキルプスの筋書きだ。
リオナがオルンカイム姓を名乗っていたことに関しては、共和国との緊張状態を考慮して、正騎士を目指す学生をあまり刺激しないようにと謎の理事長が配慮した、ということにされた。
つまりリオナは理事長の要請で、ミクを名乗っていたということだ。おかげで謎の理事長の正体は、生徒らの間ではもっぱらマルド・オルンカイム辺境伯説に傾いている。
キルプスが何をどう言ってあのオルンカイム閣下を納得させたかは知らないが、これ以上の心配は無用だそうだ。
人々に残る疑惑など、強権によっていくらでも簡単に消し去られる。だがそもそもの話、リオナの場合には疑惑すら湧かなかった。
ダンジョンカリキュラムでの最も危険な探索や殿という役割を、そしてホムンクルス戦での決死の戦いを、一組全員が見ていたからだ。リオナだけではない。寄せ集めから開始された俺たち三班が、いまや一組の精神的支柱になっている。
そして本物のミク・オルンカイムは、彼女自身の希望もあって、少々遅れはしたがキルプスが魔術師学校の方へと入学させたらしい。察するに、あちらの理事長もキルプスが兼任しているのだろう。
ミク・オルンカイムには元々魔術師の素養があったらしい。本人自身も魔術師学校への入学を希望していたのだが、超絶肉体派である閣下の独断で騎士学校へと入学願書を出さされてしまっていたのだとか。
まったく。
アリナ王妃といい、マルドの爺さんといい。どこの親も問題だらけだ。子供には心底同情する。
「……」
だがそういう意味ではリリを遺してとっととくたばったブライズも、最低な保護者だったのだろう。それこそアリナ王妃やマルドよりも、よっぽどだ。
他の弟子はみな成人していたが、リリだけはまだ、子供だったから。
俺はなぜ死んでしまったのだろう。誰かにそれを尋ねることが少し怖いと感じている。ブライズ関連の文献を開くことさえもだ。
そんなことをぼうっと考えていたときだ。
「エレミア」
「ん?」
リリに呼ばれて振り返る。
就寝前、部屋には俺とリリだけがいる。ベッドはひとつ、クローゼットはふたつだ。
窓の外には闇が満ちていた。今日は月も星もない夜だ。風も強い。朝には雨が降るのだろうか。
魔導灯の明かりの下で、リリは水差しからカップに水を注いでいる。
「もうグラディウスは新調した?」
「ああ。誰かさんに思いっきり欠けさせられたからな」
からかうようにそう言ってやると、寝間着姿のリリがムッとした顔を見せた。
「わたしのお尻は新調できないのだけど?」
「す、すまん」
やぶ蛇だったか。
「痣が残ったらどうしてくれるつもり?」
ごくごくと水を飲んでいる。
もう一度注いで、今度は俺に差し出してきた。それを受け取った俺は顔を歪める。
「どうせ男を作る予定はないのだろう」
一息に飲み干してカップを返すと、リリは「悪かったわね」と恨み言を残して洗いに行った。
俺はベッドから下りて彼女を追う。
「待て待て。俺は別に嫌味で言ったわけじゃないぞ。気を悪くしたなら謝る」
リリがカップを洗いながら笑った。
「冗談よ。本気に取らないで。そもそもわたしは戦場帰りよ。身体の傷だってひとつやふたつじゃないもの。背中にも、お腹にも、胸にもあるわ。顔につかなかった分、運が良かったくらいよ。十年以上、戦っていたから」
それはそうだろうが……。
だがそう言われると、俺の立つ瀬がない。こいつを戦場に引き込んでしまったのは、剣を捨てられなかったブライズの未練なのだから。
「だから結婚する気になれないのか? 俺ならそんなことは気にならんぞ。傷のひとつやふたつ、おまえは十分に――」
綺麗になった、と言いかけて口をつぐんだ。
これでは口説いているみたいではないか。まったく。
「エレミアはそうでも、他の人はわからないわよ。それに、しない理由はそんなことじゃないから」
洗い終えたリリが手ぬぐいで手を拭いて、今度はベッドへと歩き出す。俺はその後をついていく。
なんか飼い主についていく犬みたいだな、俺。
リリを見上げて口を開く。
「剣で国や民を守る以外にも、子を授かり家族を守る生き方だってあるぞ。俺は剣でしか生きられないが、そういうやつらを否定しない。むしろそういうやつらが好きだから、剣でそういうやつらを守る役割になりたいんだ。おまえはどうなんだ?」
リリがベッドに座って、さっさと寝転んだ。俺に背中を向けてだ。
話す気分ではないのかもしれない。ずいぶんなことを言ってしまったから。
俺は隣に腰を下ろす。
しばらく沈黙が続いた。やがてリリが囁く。
「エレミアは十歳なのに難しいことを考えているのね」
「誤魔化すな。おまえはどうなんだ?」
もう一度同じことを聞いた。
「わたし……は……」
言葉を探すように、リリがうつむいた。
強い風が窓を叩き続けている。
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