第69話 ドアを閉ざす楔
食堂棟は朝の人混みでいっぱいだ。学生たちが棟の入り口に詰め寄せてしまっている。この分では、並んだところで席につくまでにまだしばらく時間がかかりそうだ。
「混んでるねえ」
「ああ、面倒だ」
ちょうどいいか。入り口が空くまでの時間を有効活用しよう。
本当は得意な分野ではないが、ひとつ、楔を刺しておくことにした。リオナをこれ以上、暗殺者側に進ませないために。
「さっきの話だが」
「ん?」
「キルプスを恐れた話だ」
「エルたんはわかるの?」
リオナの得意な心理誘導を、俺は彼女にかける。バレないように、自然にだ。
暗殺者のドアを開いてしまわないように。鍵を掛けるんだ。
「躊躇ったのだろう。おまえが本当に恐れたのは大人のキルプスでも戦姫の剣捌きでもない。この人を殺してしまってもいいのか、という暗殺行為そのものに対してだ。つまりおまえが恐れているのはおまえ自身だよ」
「あたしが……?」
ブライズだって何度も経験してきたことだ。自問自答しながら剣を振ってきた。
だからリリをこの途に引きずり込みたくなかったんだ。あいつが理性のない暗殺者になってしまわないか、ブライズはいつも不安に思っていた。ブライズがそうならずに済んだのは、それこそキルプスがいたからに他ならない。
かつてあいつは、ブライズにこう言った。
――刃を振るえ。その罪は私が背負う。
相手の人生など何も考えずに殺めるのは、実に楽だ。心に負担もかからない。
だが己が生んだ死を金銭のみに換える外道になりたくなければ、考えながら、苦しみながら刃を振り下ろすべきなんだ。剣術を楽しむことは、殺しを楽しむことと同じではない。
腕組みをして、食堂前の植樹にもたれる。
「やめておけよ、リオナ。おまえは暗殺者どころか騎士にさえ向いていない。それでも剣を握るのであれば、おまえは己と己の信じるもののためにだけに刃を振り下ろせ。躊躇いが生じる殺しなどろくなものじゃない」
「エルたんったら、まぁ~た歴戦のおっさんみたいなこと言っちゃってぇ」
歴戦のおっさんって何だよ。
「茶化すな。ここだけの話、俺は騎士学校に入学はしたが騎士になる気はない。誰よりも強くなって、戦地においては王命にすら逆らう権利を持つ“剣聖”の称号を得るつもりだ」
植樹の葉が揺れている。
「ガリアの英雄ブライズのように?」
リオナの言葉に、俺は少し笑った。
「いや、間抜けな獣のブライズのようにだ」
「えー……」
やり直したい。あの時代を。いまならもっとうまく立ち回れる。まだ若すぎたんだ。あの頃のブライズでさえ。それこそ十歳児以下だ。
ともあれ、この言葉が少女のドアを閉ざす楔となることを祈るばかりだ。
人混みはなかなか引かない。ふと見ると、頭ひとつ高いやつが人混みの中を掻き分けるように進んで、こちら側に出てきた。
リオナが慌てて顔を伏せ、植樹の裏に隠れる。
ヴォイドだ。
あいつは俺を見つけると、片手を挙げながら近づいてきた。もう片方の手にはパンパンに膨れ上がった紙袋がぶら下げられている。
朝からどれだけ食うつもりだ。いや、かつての己はもっと食っていたか。
「よぉ、エレミア。朝飯は食ったかよ?」
「まだだ。食べにきたんだが、あれを見てあきらめた。小さいと人混みは大変だ」
「クク、踏み潰されちまいそうだしな」
「……ぐ、否定できん……」
昔ならヴォイドにように掻き分けるまでもなく、俺が近づくだけで人混みなど真っ二つに割れたものだったというのに。
あれ? 嫌われてたのか?
そう言えば、騎士どもからは疎まれていた時代もあったな。いま考えると哀しくなる。キルプス以外に友人と呼べる関係はなかった。弟子ならいたが。
「エレミア」
ヴォイドが紙袋に手を入れて、俺にパンをひとつ投げる。俺は両手で受け取って視線を上げた。
「やるよ」
「お、おう。金は後で払う」
「律儀な野郎だ。気にすんな。こっちは陛下から野良猫の件でたんまりふんだくったからよ」
ああ。暗殺未遂の件か。確かにヴォイドがキルプスのデスクを蹴らなければ、暗殺は完遂されていたかもしれない。本来なら勲章を授与されてもおかしくはないことだが、いかんせんキルプスの来校は国家機密だ。そこで口止め料を兼ねた報奨金というわけだ。
ちゃっかりしているな。さすがは猟兵だ。
「感謝する」
「おう」
リオナは植樹の裏で気配を消している。
俺だけ食べるわけにもいかないな。そう思ってパンを半分に割ろうとした瞬間、ヴォイドが植樹へと向けて声を発した。
「おら、そこの野良猫。おめえの分もあるから出てこいや」
気づいていたのか。いや、最初から見ていたのかもしれないな。リオナの感知範囲外から。ヴォイドにはそれができるだけの経験がある。
だから朝食にしてはパンの数がやたらと多かったのか。紙袋がパンパンだ。パンだけに。
くだらないことを考えていると。
「う……」
リオナがうめき声をあげて、すごすごと出て――こない。植樹の陰から顔を半分覗かせている。
その顔へと向けて、ヴォイドがパンを投げた。リオナが慌てて出てきてそれを受け止め、視線をヴォイドへと向ける。
「礼くらい言えや。ボケが」
「あ、りがと……」
「おう」
リオナがおずおずと、俺の隣に戻ってきた。
ヴォイドがその場に座ってパンを食べ始めると、俺とリオナは顔を見合わせてからヴォイドに倣い、その場に座った。
「……ごめん……。……怒ってる……?」
囓ったサンドウィッチから飛び出したハムを口で引き抜いて、ヴォイドがリオナを睨む。
「あークソ。ハムだけ抜けちまった。こういうのはバターかマスタードで貼り付けとけっつーんだ。味に偏りができんだろうが」
「ねえ、無視しないでよ」
「あにが? 陛下の暗殺はさておき、おめえは俺の仕事を何ひとつ邪魔してねえ。むしろ無用に疑っちまって悪かったな。そのパンはその詫びだ」
謝りやがった。何も悪いことしていないのに。極悪面した不良の分際で。
「じゃあなんであたしにお礼を言わせたのよ」
「おめえのその情けねえツラが笑えるからだ」
「あんたさぁ……」
一度躊躇うように口を閉ざして。
しばらくして、リオナは遠慮がちに尋ねる。
「え……っと、あんたの仕事って……?」
「こいつの護衛」
ヴォイドが俺を指さした。
一瞬、肝が冷えた。
「待てヴォイド、おま――!」
「俺はノイ男爵からこいつの世話を頼まれた護衛だ。ノイの親父さんにゃ、ちょっとした借りがあってな。断れなかった。十歳で飛び級だから心配だったんだろうよ。こいつの高等部への入学が決定した日に依頼されたってわけよ。同じ学校へ通うなら息子を頼むってな」
苦しくないか、その言い訳は。まあ、疑ったところでいまのリオナにそれを問い詰める元気はなさそうだが。
「ったく、面倒くせえ。そもそもこれが護衛を必要とするようなタマかよ。貴族様の分際で、とんだ跳ねっ返りじゃねえか。――なあ、エレミア」
「お、おお」
おまえぶっ飛ばすぞ、マジで。貴族じゃなくて王族だからな、王族。
しっかし、よくもまあ、こうもすらすらと口から出任せが湧いてくるもんだ。本当に頭がいいんだな、こいつ。
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