第63話 戦姫の大恥
リリの尻を叩き上げた満足感と同時に、俺の頭は急速に冷えてきた。
何をしてるんだ、俺は。それより先ほどリリはブライズと言いかけなかったか。色々とまずかったのではないか、これは。どう考えてもエレミアやエレミーの所業ではない。ブライズそのものだ。
俺はグラディウスの柄を握りしめて考えた。
しばし考えてから、視線を上げる。
「なかったことにならないだろうか?」
「……」
リリは長剣を持った手で尻を押さえたまま、背中を向けている。
何も応えてくれない。
「あ、ええっと……すまない」
リリがぐるりと振り返った。
羞恥か、怒りか。とにかく顔面が真っ赤に染まっている。女に囲まれて茹でエビ状態になったオウジンよりもだ。しかも涙目。その目が半眼になった。
ゾクゾクと背筋に寒気が走った。
「エ・レ・ミ・ア~……?」
「ああ。俺はエレミアだ」
ブライズではないぞ。エレミーでもない。
怒っているな。それも相当だ。
しかしリリが口を開きかけた瞬間、理事長室のドアが開かれた。
キルプスは真っ赤になって尻を押さえているリリを見て、次に己を殺そうとした少女を見て、最後にグラディウスを抜いている俺に視線を向けて尋ねる。
「やけに賑やかだと思ったら……。ようやく彼女を見つけたようだな。ノイくん」
リリが大慌てで飛び跳ねて、キルプスを守るように立ちはだかった。
「陛下、お下がりください」
もちろん、俺からではなくリオナから守るためだろう。
だがそのリオナは。
自ら腰のベルトを外すと、レイピアをその場に落とした。次にスカートの中に手を入れて、レッグガーターごとマンゴーシュを落とす。
無抵抗を示すように制服のブレザーも脱いで。
そうして、深々と頭を下げた。
「ごめんなさい……」
キルプスもリリも困惑した表情になっている。
ここぞとばかりに俺はリリに言い放ってやった。
「だから俺は最初から話を聞けと言っていたのだ! 俺が自ら連れてくるのだぞ、すでに危険がないことくらいわかるだろうが! そんなに俺は信用がないのか!? ああっ!? そもそもこれはキルプスの許可も取ってあることだ!」
「……」
呆然としているリリを見て、キルプスがうなずく。
ようやっと、我が父上も状況を理解してくれたようだ。
「おい、キルプス! なぜリリに話くらい通しておかなかった!? おかげで死にかけたぞ!」
「情報の漏洩は作戦の失敗率を跳ね上げる。もしもイトゥカ将軍が私の警護から離れてキミを追っていたら、どうなっていたかを考えた上での質問かね?」
「う……」
ダンジョン外なら剣士であるリリが確実にリオナを仕留め、ダンジョン内の暗がりでは、そこそこ良い勝負をしただろう。だが、リオナの暗殺術がいまのリリに通用するとは思えない。短時間ではあるが、刃を交えてみてそれは確信に変わった。
我が弟子ながら、なかなかどうして大したものだ。へたをすれば全盛期のブライズですら手に余るかもしれん。誇らしいよ、俺は。
そのリリがつかつかと近づいてきて、俺の頭を掌で叩いた。
「あだ!? 何を――」
「エレミア。ちゃんと陛下とお呼びしなさい。それと、わたしのことはイトゥカ教官でしょう? ――申し訳ありません、陛下。なにぶんノイはまだ十歳の子供ですので、どうかお目こぼしを」
俺の頭を押し下げて、リリも頭を下げた。
糞、また母親ぶりやがって。
キルプスはきょとんとしている。
「え? あ。ああ、そうだな。実のち――あ、いや。私をキルプス呼ばわりするとは何事かね、ノイくん」
いまキルプスのやつ、実の父と言いかけやがったな。
「す、すまん」
「エレミア! 申し訳ありません、でしょう!」
またしても頭を叩かれる。
痛い! ぽんぽん殴るな! 馬鹿になる!
「うぐ、申し訳ない~……」
ええい、この期に及んで呼び方などもはやどうでもいいだろうが!
どちらも言えないことだが、キルプスは友で父なんだよ! むしろおまえがいま頭をボコスカぶっ叩いてるこの俺も、何気にこの国の殿下でおまえの師匠なんだからな!
すでに彼女の剣は鞘へと収められている。どうやらリオナに危険はないとわかってくれたようだ。
キルプスはひとつうなずくと、俺とリオナだけを理事長室に招き入れようとした。リリが慌てて止める。
「陛下。危険です。わたしも中へ――」
「いや、それには及ばない。問題はないよ。このノイくんは剣聖を返上した戦姫であるキミから見ても、とても優れた剣士なのだろう。ならば彼に守ってもらうことにするよ」
ホムンクルス戦の詳細報告は、すでにリリを通してセネカからキルプスへと上がっているはずだ。
リリが少し困ったような顔で俺を見下ろしてきた。また母親のような表情をしている。
「それは、確かにそうではあるのですが……しかしこの者はまだ未熟――」
俺は言葉を遮って言ってやった。少々、意地の悪い口調でだ。
「心配するな、イトゥカ教官。おまえの尻を叩きあげる程度には、俺だってやれる。先ほど実証して見せただろう」
キルプスが顎に手を当てて、「ほう」と声を漏らす。
「戦姫の尻を叩くとは、それは大したものだ。本当かね、イトゥカ教官」
リリの顔がまた真っ赤に染まった。怒りと羞恥の両方だ。
そして消え入りそうな声で恥ずかしそうにつぶやく。
「…………面目ありません……。……不覚にも勢いに圧されました……」
「はっはっはっ、それは愉快だっ」
何だか睨まれている気がする。怖くて目を合わせられないが、背筋がゾクゾクしている。
むろん、正面からまともにかち合えば俺に勝ち目はない。リリが俺を迂回してリオナを狙うことを予想していたから、その動きについていけたに過ぎない。その後に尻を叩けたのは、ただの気合いと根性と勢いのおかげだ。
ふ、まだまだ甘いな、弟子よ。
「……覚えてらっしゃい、エレミア……」
「……ぅ」
ゾクゾク……。
これは今晩部屋に帰ったらお小言だな。
それでもまあ、その程度の代償で世界から愛されなかった不幸な少女をもうひとり救えるのであれば、安いもんだ。
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