第61話 沈黙する世界
さて、大体の事情はわかった。
これから先どうするかの方が問題だ。この雨が降り止めば、レアンダンジョンにも騎士団の手が回る。
そんなことを考えた瞬間、リオナがまた語り始めた。
「でもあの子、少し可哀想だった……」
「あの子? あの子とは誰のことだ?」
「ホムンクルス」
「ホムンクルスが? かわいそう?」
「エルたんは覚えてるかな。あの子、人間が憎いって言ってたの」
そう言えばそんなことを聞いた気がする。
あのときは俺も必死だったから、ほとんど聞き流してしまっていたが。思い起こせば、確かに言っていた。発声器官が未熟なのか、辿々しい言葉で。
「どういうことだ?」
「……たぶん、あたしと同じような育てられ方をしたんだろうなって」
ランプの小さな火が揺れている。
「フラスコから産まれてすぐに怖い大人に鞭で叩かれ、殺しの術を叩き込まれたんじゃないかな」
「……ああ? おまえ、どういう……」
そこまでつぶやいて、俺は絶句した。
俺の身体に回すリオナの腕に力が込められる。
「あたしもそうだった。そういう施設で育ったから。同じような子供がいっぱいいたんだよ。最初はね。仲のよかった子もいた。少ない食べ物を分け合ったりしてた」
物心つく頃にはナイフを握らされ、言葉を覚えると同時に殺しの術を叩き込まれた。うまくできなかったら鞭で叩かれ、その日の食事を取り上げられた。諜報のための知識を叩き込まれた。できない子はやはり鞭で叩かれ、食事を抜かれる。泣き叫ぶ子はさらに叩かれるから、施設はいつも静かだった。自分の近くにいる大人が怖かった。
「……もういい」
最初の日、動かない的にナイフを突き刺した。躊躇うと殴られた。殴られるのが嫌で刺した。大人が怖い。しばらくすると任務と称して何人も殺すようになっていった。躊躇ったり失敗をした子供たちは、逆に殺された。大人が怖い。三年が経過する頃には最初の数の半分も残っていなかった。仲良くなってもどうせみんないなくなるから誰とも喋らなくなっていった。
「もういい」
施設はいつまで経っても静かだった。子供たちは三人にまで減っていた。女の子はあたしだけになった。時折大人たちの談笑が微かに聞こえる。手足がある程度伸びると別の用件で夜に呼び出されるようになった。黙っているとすぐに済むから、静かにしていた。
……だから……あたしは……いまでも……大人が……怖い……。
「聞こえなかったのか!? もうやめろッ!!」
絶叫した。もうゴブリンどもに聞かれようがどうでもよかった。
気づけばリオナの腕を振り払った俺は、歯を食いしばって真正面から彼女の口を塞ぐように、その頭部を胸の中に掻き抱いていた。
「エルたん……?」
糞、また馬鹿のように涙がこぼれる。まるで止まらない。
みっともない。泣いているところなど誰にも見られたくないというのに。
「わあ、嬉しいな。エルたんから抱っこしてくれるんだぁ。あたしねえ、エルたんは小さいから怖くないんだぁ」
「もう喋るな」
「うん。静かにしてるね。得意だから。おしゃべりも、静かにするのも、得意だから」
そんな国なら、そんな施設なら、前世で滅ぼしておくべきだった。あの頃のブライズとキルプスならば、それができたんだ。
なぜ停戦交渉などを選んだ。その結末がこの少女を生み出したのだぞ。俺たちが下してきた選択がいまのこの世界を創った。ならば一体誰にこの子を裁く権利があるというのだ。
わかっている。わかってはいるんだ。この子を救うために共和国を滅ぼせば、その何千倍、何万倍もの痛みと不幸を生むことくらい。
なあ、誰か、教えてくれ。
「……俺は……俺たちは……どうすりゃよかったんだ……」
「エルたん?」
世界は残酷だ。
「もしかして、また泣いてくれてるの?」
「そんなわけがあるかッ」
「そうなんだ。ふふ、嬉しいなぁ」
己のすべてを吐き出したリオナは、それでもいつもと同じように笑っていた。異常なのだ。彼女を取り巻く何もかもが。リオナだけが正常だったから、おかしくなった。
しばらく、そうして。
ようやく涙の止まった俺は、リオナからゆっくりと離れた。
「……リオナ。これからどうするんだ?」
「どうしようかなー。捨て駒にされてたことがわかっちゃった上に任務にも失敗したし、もう共和国には戻れないや。でも王国ではお尋ね者だし、困ったな」
腕組みをして考えている。
「かといって自分から死にたくもないし、いっそレアンダンジョンに潜ってひっそり暮らそうかな。待ってたらカリキュラムでエルたんも潜ってくるんだもんね。そのときに逢瀬を重ねる、みたいな? んふふっ」
あえていつも通りにしようとしているのか、これが素のリオナなのかがわからん。
俺は呆れ顔でため息をついた。
「冗談で言っているわけではないぞ」
「あたしも割と本気だったんだけど……。変だった? 生存力は結構強いつもり。ゴブリンが生きられるような環境なら、あたしもたぶん余裕だと思う。燃料無制限の魔導灯は必要だけど」
俺は再度ため息をつく。
このまま共和国に逃がすつもりだったが、それは却下だな。おそらく無事に戻れたとしても、同じような任務で使い潰されるのが関の山だ。
……腹をくくるか。
「リオナ。俺を信用してるか?」
「うん。してるよ」
即答だ。ガキよりもずっと素直な目で。
「おまえの命を俺に預けてくれと言ったら?」
「いいよ」
「それはそうだろう。わかる。いくら信頼できるとはいえ、十歳のガキに命を預けろと言われてそう簡単に――……いいの?」
リオナが不思議そうな顔で首を傾げた。
「いいよ?」
ヤバいな。
俺が言うのもおかしいが、命を何だと思っているんだ、こいつは。もっと自分を大切にしろと言いたいが、そんなことを言ったらまた「おっさんみたいなことを言ってる」と言われそうだ。
「そうか。よし。じゃあこれから学校に戻ってキルプスの――陛下のところへ向かう」
「……………………えっ!?」
まあさすがに驚くよな。
先日殺そうとしたばかりの相手だ。
「あ、あたし殺されちゃう?」
「大丈夫だ。俺はこう見えて陛下に意見ができる立場にいる。温情を訴えりゃ、あのお人好しならどうにか籠絡できるはずだ」
はずだ……。よな……。
「へ? 意見? 温情? ええ? それってどういう立場……実はお友達?」
「!?」
「そんなわけないか。年齢違い過ぎるもんね」
惜しいとこを突いてくるな。冷や汗をかいただろうが。
「親子とか?」
「!?」
「それもないかぁ。エルたんって外見は王族でも通るけど、中身はすっごい凶暴だもんね。王族って感じしないし」
「あたあたたりまえだっ」
こっわ……。じわじわと真実に近づいてきやがる……。
俺がキルプスにできるのは、あくまでも意見止まりではあるが、あいつは下々を蔑ろにするような王ではない。俺を信じてリオナのところへと送り出してくれたように、必ずわかってくれるはずだ。仮に親子ではなかったとしてもな。
さすがに少々楽観がすぎるか。
まあ、それでだめなら逃げればいい。リオナを連れて。
「ほら、さっさと立て。雨が降っているうちにいくぞ。止んだら騎士どもが街中に湧いてくる」
俺はリオナの手をつかんで歩き出した。
「あたしは嬉しいけど、でも服はちゃんと着てからの方がいいんじゃないかな。そんな素敵な姿をしてたら、あたしより先にエルたんが捕まっちゃうよ」
「!?」
……まったくだ。
立ち止まり、引き返し、俺は湿った制服に袖を通したのだった。
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