第56話 雨と暗闇の中で
翌日の授業を免除された。
名目は理事長室のキルプスに買い物を頼まれたというものだ。担任教官であるリリは訝しがってはいたものの、彼女自身もキルプスの護衛のために教壇に立つことができなかったためか、ほとんど追求されることはなかった。
ミク・オルンカイムを名乗った少女は、当然のように女子寮には帰ってきていない。学園都市レアンの宿という宿にはすでに騎士団の手が入ったが、彼女の発見には未だ至っていないようだ。
レアンの近郊には王都があるが、追われる身となった少女に乗り合い馬車は使えない。当然、宿場町もだから徒歩は論外。旅立ったとは考えづらい。
逆方向。共和国に逃れるとすれば、足となる馬は必要なはずだ。
その日は雨が降っていた。
俺は街を小走りで駆けながら、彼女を捜す。
馬売りの商人のところにも、レアンの常駐騎士らの手がすでに回っていた。鎧こそ着込んではいないが、腰に佩いた剣を見ればわかる。客を監視するように、二名一組で張り付いている。
あれでは馬を購入するどころではないだろう。
「どこにいるんだ、あの阿呆猫め」
雨足が強くなるにつれて、焦りが湧き上がる。
考えろ。考えろ。自分に言い聞かせる。
少女を手引きする仲間の存在は不明。オルンカイム閣下の国境騎士団が一網打尽にしてくれたと信じたいが、楽観視はできない。
だがいずれにしても、街道を集団で動いているならば騎士団がすでに発見しているだろう。
レアンからすでに旅立ったとするなら、それで構わない。生きて共和国まで逃れられるのであれば、それに越したことはない。
最も恐れるべきは、少女が再びキルプスの暗殺を試みてしまうことだ。成否にかかわらず、それは俺にとって最悪の結果になる。
雨を避けるように建物の軒下に入る。
「……いや、ないな……。……自暴自棄になるほど、大馬鹿者ではないはずだ……」
あいつは頭がいい。冷静になって思い起こせば、俺は少女の心理誘導を受けていた。
武器選びの際、少女はオウジンを見て、他国の諜報員がレアン騎士学校に潜入していると語っていた。むろん、オウジンはそうではないだろう。誰がどう見ても、あいつはただの留学生だ。そんなことは百も承知の上で、あいつは俺に言ったんだ。
ならばなぜ自身に危険が及ぶようなことをわざわざ話したのか。いまになってわかったのは、自ら諜報員のことを口に出すことによって、将来的に自身に向けられる疑惑の目を逸らそうとしていたということだ。
ヒントはいくつもあったのに、俺は少女をあやしめなかった。それどころか見事なまでに術中に落ちていた。少女に対しても己に対しても腹が立つ。
「はぁ~……」
雨足がさらに強くなった。このまま軒下にいても降り止みそうにはない。
街から人々の姿が消える。騎士団連中だけを残して。
いないな。街中にはもういないのか。街を出て少し捜索範囲を広げるべきか。
例の崩落事故以降、レアンダンジョンは立ち入りを制限されている。危険ではあるが、人目につかず、雨風をしのげる場所ではある。
「行ってみるか……。手間をかけさせおって……」
俺は学園都市を出て、雨の中を走り出した。
レアンダンジョンはそれほど離れた場所ではない。走ればすぐに到着する。
入り口の鉄扉は閉ざされていた。ため息をついて引き返そうとして、立ち止まる。
「……まさかな」
俺は鉄扉に両手を置いて、ゆっくりと押した。
ギィと重い音を立てて――開いた。鍵が開けられている。教官連中のダンジョン捜索の可能性も考えたが、いまはほとんどの教官が授業中だ。リリも護衛で動けない。
「ああ、糞! 魔導灯を持ってくりゃよかった!」
闇に沈む階段。何も見えない状況では。だが引き返す時間が惜しい。それに、学校の備品である魔導灯を何と言って借りればいい。いまからひとりでダンジョンに潜るなどと言えるはずがない。むろん、少女がそこにいることもだ。
雨のせいで松明も作れない。最悪だ。
「……ええい!」
俺はぽっかりと口の開いた暗闇に、一歩ずつ沈み込んでいく。壁に手を添えながらだ。やがて階段が終わった。
地下一層フロア。ダンジョン探索のスタート地点だったところだ。
ここまでくるともはや何も見えない。何もだ。濃度を増した闇が粘液のように絡みついてくる。
気配を読むしかない。
己の身から落ちる雨の雫が、ダンジョンの湿った地面に落ちる。
ぴちょん……。
いまゴブリンの群にでも襲われたら終わりだ。一体二体ならばどうにかなるだろうが、あの群の数では。生き残りがどれだけいるかはわからんが。
少女はこんな状態でダンジョンに潜ったのだろうか。いや、あいつの穏形術ならばそれも可能なのか。いまにして思えば暗殺者なのだから、闇の中はお手の物だろう。
暗闇の中では、俺は少女に勝てないな。懸念はゴブリンだけではないか。
暗中模索。
呼び声を発するべきか。迷う。
グラディウスを鞘ごと抜いて、鞘尻で地面を叩く。
鞘を通して情報を得る。音の反響で情報を得る。匂いで情報を得る。だが、外からの雨音が、湿った雨土の匂いが、その邪魔をする。
やむを得ない。ゴブリンを集めてしまう恐れがあるが。
「……っ」
名を呼ぼうとして躊躇った。あいつはミク・オルンカイムではない。名を知らなかった。
くだらん。何を迷うことがある。他にできることなどない。
俺は深く息を吸う。そうして大声を出した。
「俺だ! エレミアだ! ここにいるのか!?」
声が反響しながら消えていく。
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