第55話 正直者には悪知恵を(第5章 完)
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助かります。
キルプスはただ黙って、険しい視線を俺に向けていた。
「……」
「あいつと話がしたいんだ」
キルプスが吐き捨てる。
「ならん。王の暗殺は国家転覆の危機にも等しい。たったひとりの少女のため、何十万何百万の民を危険にさらすことになる。到底許可できるものではない」
エギル共和国は王の不在を見逃さない。それくらいはわかっている。だがリリがいる限り、キルプスが殺されることはない。
俺はデスクに両手を叩きつけながら、キルプスと額を付き合わせるように睨んだ。
「それでも、頼む! 父上!」
キルプスは微動だにしない。
俺ですら怖じてしまいそうな目をしている。それはそうだろう。己の命を狙われたのだ。誰がそれを赦せようか。たまたまヴォイドがいなければ、リリがいなければ、キルプスはもうこの世にはいなかった。
だが己の命以上に、こいつは国家国民のことを背負っている。ゆえに退かぬのだ。
キルプスは繰り返す。
「王の暗殺は絶対にあってはならんのだ。狙われてしまったことすら他国には、いや、自国の民にすら知られるわけにはいかん。私が列国より弱き王であると見なされれば、王国は他国に食い荒らされることとなる。共和国はいまこの瞬間も隙をうかがっているのだ」
「理屈はわかってる! 俺には頼むことしかできん! 頼む、キルプス!」
額がぶつかった。それでも互いに退かない。
ゴリゴリと互いの骨が鳴った。
「エレミー。おまえの頭は飾りか。この愚か者め」
「俺のことなら好きなだけなじってくれて構わん。だが、あの少女に生きる機会を与えてやってくれ」
瞬間、キルプスが首を引いた。
つんのめった俺へと向けて、再び額を勢いよく突き出す。ゴッと鈍い音が響いて、俺は額を押さえながら背後によろけ、尻餅をついた。
「痛ぁ~……」
頭突きをしやがった。
つぅと血が流れ出す。キルプスの額からもだ。
「私は考えろと言っているのだ!」
「だから何をだよッ!?」
大声を張り上げたからだろうか。
ドアがノックされる。向こう側からリリの声がした。
「――陛下、いまの声と音は?」
キルプスが椅子から腰を浮かせ、慌てて応える。
「ああ、何でもない。ノイくんと議論が白熱してしまってね。興奮してデスクの花瓶を絨毯に落としただけだ。割れずに済んで助かった。――そうだね、ノイくん?」
「あ、ああ」
しばらくすると、リリの声がした。
「……そうですか。お気をつけください」
ドアは開かれなかった。
俺とキルプスが同時に息を吐く。
「いいか、エレミー。剣だけではなく座学にももっと勤しめ。知識よりも知恵をつけろ。頭を働かせるんだ。私がレアンに来ていることは内外問わずの国家機密だ。アリナですら知らぬこと。ならば昨日起こしたあの少女の罪とは何なのか、よく考えるがいい」
「……あ……!」
レアンにキルプスはいない。表向きそういうことになっている。
つまり少女の罪は、王の暗殺ではない。レアンの常駐騎士らは、自分たちがなぜ少女を追わされているのかさえ正確には理解していないということだ。
真実を知っているのはキルプスと一組三班。そしてリリだけということになる。
「一組三班とイトゥカには、当然昨夜のうちに箝口令を敷いてある」
キルプスが悪戯小僧のような笑みで、俺を指さした。
「少女を救いたければレアンの騎士団よりも先に見つけろ。ヴォイドやリリよりもだ。団の尋問に掛けられては、余計なことを喋るやもしれん。それは、いまならばまだ伏せておけることだ」
感動した。正直泣きそうになった。
「だが、あまり時間はないぞ、エレミー」
「キ、キルプスゥ~……」
「あと実の父を名で呼ぶやつがあるか」
あ……。
キルプスがチーフで額を押さえながら、椅子の背もたれに全身を預けた。
「おまえと話していると、不思議とブライズのことを思い出す。あやつも腕っ節はあったが、まるで悪知恵の回らん男だった。馬鹿正直でな」
ひぇ……。こっちにもバレそう……。
「おまえも王族ならば覚えておくがいい。上に立つ者にとって悪知恵は必須のものだ。正直者は政治に喰われる」
「き、肝に銘じておきます」
「うむ」
キルプスがうなずき、表情を引き締めた。
「――急げよ、エレミー」
「はいっ」
俺は少女を捜し始めるべく、理事長室を勢いよく飛び出した――瞬間に、廊下に立っていたリリに手をつかまれて止められた。
リリの目が丸くなっている。
「エレミア? その額、どうしたの? ケガをしているわ!」
「あ……」
しまった。ええっと。
ど、どう言えばいいんだ。そうだ。花瓶だ。
「いや、こ、これは。ああ~、キ、キルプス陛下と花瓶を投げ合って遊んでいたら、お互いに額にぶつかっただけだっ」
ややあった。
しばらくしてからリリが左右の眉の高さを変え、首を傾げる。
「………………ちょっと何言ってるのかわからない……」
理事長室の中では、俺の言い訳を聞いたキルプスが頭を抱えていた。
だよな。そうなるよな。こんな言い訳、俺だってわけがわからない。仕方がない。ここは俺よりも悪知恵の利くキルプスにぶん投げた方がよさそうだ。
俺は理事長室のキルプスに声を掛ける。
「ですよね、陛下!?」
「え!? …………お、あ、ああ。な、なかなかの剛速球だったぞ、ノイくん」
――男ってほんとバカ。
そんな心の声が聞こえてきそうな表情をしながら、リリが若干の呆れと哀れみを含んだ視線をキルプスに向けたのが、とても印象的だった。
――すまん、親父……。
――覚えていろ、息子……。
俺は後ろ髪を引かれる思いで走り出すのだった。
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