第50話 陛下と不良
俺を発見したキルプスは、まるで時間が停止してしまったかのように青白い顔で口を開け、こちらを凝視したままだ。
ドアを閉ざして姿勢を正したリリが、右の拳を胸に置いて堂々と告げた。
「陛下。彼らがエギル共和国のホムンクルスと交戦した一組三班の四名です」
その台詞は追い打ちだぞ、弟子よ。
あ。心臓を押さえた。
大丈夫だろうか。いきなり倒れないでくれよ。
「あ、ああ……」
キルプスの唇が紫になった。
一気に老け込んだみたいだ。すまない。
リリがミクに視線を向ける。
「順に紹介します。左端からミク・オルンカイム」
「お目にかかれて光栄ですわ。キルプス国王」
ミクがスカートの裾を指先で摘まんで、淑やかに膝を曲げた。
キルプスがどうにか調子を取り戻す。
「ああ、キミが。お父上、オルンカイム卿は壮健かね?」
「はい、とても。父マルドは齢七十をこえましたが、身体を動かしていないと落ち着かない性分らしく、停戦後は毎日のように山岳の魔物狩りに興じておられます」
ああ見えてさすがは貴族の子女だ。普段を知っている俺から見れば、これこそが猫の皮なのだが。
ミクが少し困ったように笑って言った。
「少しはゆっくりなさっていただけると、わたくしも安心できるのですが」
「はは。それは心配だな。家族に心配をかけるのはよくない」
こっちを見ながら言うな。
「だがオルンカイム卿に限って妙なことにはならないだろう。大斧を担ぎ、あの剣聖ブライズと肩を並べて戦場を駆け回ったお方なのだから」
「ふふ、恐縮です」
それにしても、俺などとは比較にならないほど猫かぶりがうまいな、ミクは。
リリが視線をオウジンへと向けた。
「次が東方国家からの留学生、リョウカ・オウジンです」
「貴国の英雄ブライズ殿の剣技を学びたく、遙々海を越えて参りました」
オウジンが腰を曲げて頭を垂れる。
所作が美しい。
「うむ。存分に学んでいくといい。ガリア王国は東方国家ともいずれ友好関係を結びたいと考えている。ブライズの偉業をキミが祖国に持ち帰れば、それが足がかりとなるやもしれぬ。これからのキミの活躍に期待しているよ、リョウカ・オウジンくん」
「あ、ありがたきお言葉……!」
リリがヴォイドに視線を向けた。
「その隣が港湾観光都市エルヴァ、スラム街出身のヴォイド・スケイルです。成績優秀者につき、学費の免除がされています」
えっ、そうなのか!? き、聞いていないぞ!?
ミクもギョッとした顔でヴォイドを眺めている。完全に猫皮が剥がれてしまっていた。試験で勝負を挑んだばかりだから、さぞや後悔していることだろう。
だがヴォイドは。
「……さすがに驚いたぜ。まさかここの理事長があんただったとはな」
ヴォイドは両腕を組んで、苦々しい表情でキルプスを見ていた。そこにはミクのような王に対する畏れや、オウジンのような敬意を宿した瞳の輝きがない。
わからないでもない。エルヴァはガリア王国で最も貧富の差が大きな都市だ。美しい海沿いを金持ちの貴族が観光街にしてさらなる金を生み出させ、平民以下は陸側へと追いやられている。
その最も内側、山岳側に位置しているのがエルヴァの闇、すなわちスラム街だ。平民ですらない者は、みなそこへ追いやられる。
キルプスはエルヴァのスラムを、未だ解消できずにいる。
金は力だ。貴族が徒党を組んで作っている観光産業の組合組織が強すぎるのだ。まさか自国に武力介入をするわけにもいかないのだから、王にとっては頭の痛い話である。
キルプスがうなずく。
「これまでは共和国との紛争に人と財力が大きく裂かれ、エルヴァの件まではなかなか手を回す余裕がなかった。すまない。だが、約束しよう。少しずつではあるが、私はエルヴァを必ず変えて見せるつもりだ」
「くく、具体性を欠いて濁すなよ。別にいいんだぜ、気にしなくてもな。どうせ期待してねーからよ。スラムの誰もな」
和やかな物言いではあったが、痛烈な皮肉だ。だが、誰も反論はしない。できないんだ。
王を守る立場にあるリリですらヴォイドの無礼に目をつむり、苦い顔をしているだけだった。
キルプスが静かに囁くように言う。
「怒りをぶつけても構わなかったのに、キミは大人だな。ヴォイド・スケイル」
「ガキが一匹で生きてける場所じゃなかっただけだ」
「……そうか。だが、諦めたわけではないことだけは信じていろ。これ以上の失望はさせん」
ヴォイドが少し驚いたような顔をしたあと、目を閉じて笑った。
「そうかよ」
それだけだ。
このエルヴァのスラム問題を解消可能な方法はふたつ。貴族の組合組織の不正を暴いて公明正大に軍を入れるか、あるいはガリア王国の貴族制度そのものを撤廃するかだ。
前者はそもそも不正が存在しているかどうかもわからないし、後者は共和国の脅威にさらされている現状では絶対に不可能だ。国家の根幹が揺らぐ瞬間となるだろうし、エルヴァに限らず貴族らの抵抗も大きいだろう。
キルプスが何をどう考えているかは俺にはわからないが、おそらくヴォイドの言い分が正しい。
重苦しい空気を打破するかのように、リリが俺の背中を押してキルプスの正面へと立たせた。
「最後にですが、成績優秀で初等部中等部を免除され、十歳でありながら高等部に所属することになったエレミア・ノイです。そして、ホムンクルスの腕を断ったのも彼のようです」
黙考中に突然話を振られた俺は、大きく肩を跳ね上げてしまった。
「……お、俺か。あ~っと……よ、よろしくお願いしま……す?」
少し重くなってしまった空気が、あっという間に解消される。俺の挨拶が、あまりにも稚拙過ぎたせいだ。別にいいだろう、十歳ならこんなもんだ。
大体にして、いまさら過ぎるのだ。こちらから見てもあちらから見ても、実の親子なのだから。
苦い表情を引き攣った笑顔で誤魔化しながら、キルプスが俺に手を挙げながらうなずいた。
「あ、ああ。そ、そうだな。ノイくん。うん。ノイくんは成績優秀で、武芸にも秀でている、と。それはとても素晴らしいことだ」
おい、動揺しすぎだぞ。正体がばれたらどうする。落ち着け親父。何ならもう一回スラムの話を蒸し返して落ち込ませてやろうか。
一度深呼吸をしてから、キルプスがあらためて顔を上げた。そうして、苦い表情で。
「だが真面目な話、あまり無茶なことはしないでくれよ。いくら能力に秀でていようとも、キミはまだ十歳なのだからね。ご母堂もさぞや心配されよう」
「わ、わかっている! ……ます!」
それを言うなよ。今世の俺が、唯一頭の上がらん人間なんだ。アリナ王妃は。
親子揃って同時に深呼吸をする。否、ため息である。
そうして、キルプスが笑みを取り戻した。
「みんな、よろしく頼む。――それと、ご苦労だったな、イトゥカ将軍」
リリはいつもと何ら変わらぬ様子で、平然とつぶやく。
「はい。いいえ。軍部をすでに退いたわたしはもう、ただの教官に過ぎません」
「そうだった。そうだったな、イトゥカ教官」
「はい」
この部屋に集ったリリ以外の全員が、様々な理由で動揺をしている様は、不思議とどこか笑えた。
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