第43話 剣聖、かたなし
俺はため息をつきながら苦笑いを浮かべて言い直す。
「……すまない……。……助かった……。……イトゥカ教官……」
「オルンカイムも無事ね?」
俺の下敷きになっている少女が、俺の股ぐらから腕を伸ばして手を振った。
「へ~い」
おっと、すっかり忘れていた。ここはミクの上だった。
「そ。よかったわ」
俺が身体をどけると、ミクがもそもそと上体を起こした。
「あ~あ。エルたんなら、しばらくそのままでもよかったのにぃ」
「……おまえは十歳の子供を相手に何を言っているんだ……」
まったく。昨今の若いやつらときたら。
「そういうの、もうちょっと照れくさそうに言った方がいいよ。あたしが嬉しくなるから」
「難しい注文をするな」
勘弁してくれ。
またリリの視線が痛い。背筋のゾクゾクがたまらんぞ。
いつの間にか開いていた三層へと続く鉄扉から、他の教官たちが次々になだれ込んでくる。あの様子から察するに、やはりこれはカリキュラム中に起きた事故だったようだ。それはそうだ。あんなバケモノを必修科目に放り込まれては、命がいくつあっても足りない。
重傷を負ったイルガやオウジンのもとには治療魔術の使える教官がついた。魔術をかけられながら担架に乗せて運ばれていく。
ようやく治療者から解放されたフィクスが、膝を折って崩れ落ちた。あのバケモノと俺たちが戦っている間も、フィクス・オウガスはイルガの治療を続けていた。
気弱なことを口走っていた少年が、なかなかどうして、大した度胸だ。セネカ・マージスもそうだが、やつも化けるかもしれない。
同じく重傷に見えるヴォイドは、教官らの治療を断り自らの足で立ち上がった。それどころか腰砕けのクラスメイトらを引き起こしている。
どこまでタフなんだ、あいつは。十代とは思えん肉体だ。
ちなみに潰された俺の右目も保健教官に治してもらった。患部が露出しているケガは魔術であれば治しやすいそうだ。まだ赤く霞んでぼんやりとしか見えていないが、そのうち元に戻るとのこと。
彼らの様子を眺めていたリリが、俺に問いかけてきた。
「みんな、揃ってるわね?」
リリの言葉に俺はうなずく。
「ああ。一組総勢二十名、全員が無事に……とは言い難いが、生還だ」
そう言った直後、自分の言葉に笑いが込み上げてきた。
「……はは、ははは」
「何がおかしいの?」
いやなに、ただ前世の戦場帰りを思い出していただけだ。ブライズがリリとこういう話をしたのは、いったい何度目だろうか。
ブライズ一派は全員揃って生還した。どんな戦場からもだ。
「何でもない。安心したら少し笑えてきただけだ」
「そう。よかった」
少し言い淀んでから、リリがなぜか俺に頭を下げた。
「ごめんなさい。三層に設置された鉄扉の鍵は、入り口扉の鍵とは別だったから、崩落と同時に急いで学校に取りに戻っていたのよ。けれどまさか、ただの事故ではなかっただなんて」
そうか。リリはあのバケモノがいたことに気づいていなかったのか。
俺はうなずいて返す。
「ここで何があったかは、セネカあたりから聞いてくれ。俺はもう疲れた」
セネカ・マージスは委員長に向いていると思う。対抗馬は意外や意外ヴォイドかもな。本人はケツまくって逃げ出しそうだが。
「わかったわ。――オルンカイム、歩ける?」
「はぁ~い。歩けまぁ~す」
「じゃあ、マージスと手分けして動ける者をダンジョンの外に先導してくれるかしら。負傷者には手を貸してあげて」
ミクが一瞬俺に視線を向けて、不承不承に返事をした。
「……はぁ~い。――じゃ、また後でね。浮気はだめよ?」
「そのような関係になった覚えはない」
リリの前で変なことを言うな。猫娘め。
ミクが立ち上がる。擦り傷だらけだが、足取りはしっかりしている。去り際、俺はその背中に声を投げる。
「ミク」
「ん?」
「最後、助かった。感謝する」
壁に叩きつけられそうになったときのことだ。ミクが身を入れてくれなければ、十歳の薄っぺらい肉体ではどうなっていたかわからない。
大きくはない胸ではあるが、あれのおかげで助かったのは確かだ。肋が折れていなければいいのだが。
「いいよぉ。じゃあもう、明日からは恋人同士だねっ」
「馬鹿を言え。意味がわからん。そもそも助けたのは俺も同じだ。というか、手柄を主張させるような格好悪いことを男に言わせるんじゃあない。もっといい女になれ」
「冗談じゃぁ~ん」
ほら見ろ。
リリがまた、ませガキを見るような呆れた目で俺を見てるじゃないか。背筋がゾクゾクするぞ。
さっさと行けとばかりに手を振ると、ミクは楽しげに後ろ手を組みながら上層への階段を上がっていった。
気づけばクラスメイトの全員が、もう撤収していた。未だに四層で座っているのは、俺とリリだけになっていたんだ。
リリがつぶやく。
「エレミアは……歩くのは無理そうね」
「ふん、抜かせ。歩けるに決まっている」
強がって立ち上がった俺だったが、膝がカクカク笑って折れ曲がり、尻から転んだ。
「……んぃっ」
変な声が出てしまった。まったく、これだからガキの肉体は。
リリが俺の前にしゃがみ、背中を向けた。
しばらく考え、意図を悟った俺は、顔面大発火で叫ぶ。
「冗談ではない! そのような恥ずかしい真似ができるか!」
「十歳とはいえ男の子ね。でも、言わなかったかしら。わたしはあなたがどれだけ嫌がろうとも、師と同じことをするの」
「ふざけるなっ! おまえは割とすぐに背中に乗ってきただろうが!」
「……え?」
あ……。
口が滑り散らかした……。
「い、いや、いまのは……その、文献だ」
ぶわっと汗が滲む。俺は頭を抱え込んだ。
「あの人、そんなことまで書き遺していたの?」
「あ、ああ。に、日記だったのかも……な?」
リリが首を傾げた。
「ほぼ同じ部屋で暮らしていたわたしでさえ、書いているところなんて見たことがなかったけれど。本当にあるのなら、ぜひ読んでみたいわね」
あるわけがない。なぜ俺が日記などという面倒なものを書かねばならんのだ。産まれてからこの方、一日たりとも書いたことがない。
「とにかく、俺は歩ける。手助けは無用だ」
もう一度立ち上がった俺だったが、いかんせん、地に足がついた気がしない。膝が重量を感じず、関節がまるで綿にでもなってしまったかのような頼りなさだ。
「んぃっ」
転んだ。
泣きそう。なぜなら十歳だからだ。
リリが頬に手をあてながら困った母親のような目で見てきた。そうして、とんでもない選択を迫ってきた。
「級友たちの前で強引にお姫さま抱っこをされるのと、おとなしく背負われるのとではどちらがいいかしら。わたしはブライズからどちらもされた方だけれど……」
この足だ。到底、逃げ切れそうにない。何せ走れんほどの疲労だからな。
四つん這いのまま数秒考えて、俺は喉から声を絞り出した。恥辱にまみれた声を。
「………………おんぶ……だ……ッ」
このときに見せたリリの満足げな顔を、俺は生涯忘れることはないだろう。
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