22.兄上至上主義王子と呻く乙女
老爺が灯した魔術の光の下、場を仕切り直した王太子が語る諸事情をサキは黙って耳に入れていた。
日の出に起きて日暮れには一日の始末をつけるような生活に馴染んだサキにはそろそろ睡魔が忍び寄る頃合い。深夜とは呼べないが、普段ならとっくに寝支度を完了して二階に引っ込んでいる時間帯だ。
しかし、黙っていたのは眠気と仁義なき戦いを繰り広げていたからではない。
口を挟む余地のない理論が展開されていたから――でも、ない。
ギリギリまで姫君の来訪は伏せておきたかった、それでなくとも色々と抱え込んでしまった兄に加護持ちの責務を盾に表に出ろと強いたくない、云々の、次代の王国を担う王子様が語るにはちょっと矛盾というか破綻しているというか子供じみているような言い訳が並んでいて、行方不明の突っ込みどころを物臭なりに捜索していた結果である。
「……ぶっちゃけ、割と気に入ってた使用人が厄介ごとに巻き込まれたのを助けに来るのを当て込むって賭け自体が相当リスキーだと思うんですけど、それ以上に心配やら怒りやらを原動力に出て来た人外魔力を荒ぶらせる竜公爵を誰が取り押さえて言うこと聞かせる気だったんですか」
そして、サキの沈黙が大人しく話を咀嚼している訳ではなく遠いお空を眺める風情になっていることに気付いた王太子に促されて口を開いたら、捕獲した疑問はそんなもので。
王太子はひとつ頷くと心なし胸を張った。
「王城の結界はすべて更新と補強を終え、私と師匠と現役の筆頭を含む宮廷魔術士総出の布陣だ。不意打ちならばともかく、迎え撃つ覚悟があればなんとかなる」
「迎え撃たれるそうですよ竜公爵――……」
わぁお、と虚空を彷徨わせた視線が、立ったままの騎士殿で止まる。微妙な苦笑を口元に浮かべていた騎士殿は、サキの視線に気付くと苦笑をはっきりと強めた。
「ごめんなー、お嬢ちゃん。ことディオネに関しては馬鹿なんだ、こいつ」
こいつ、と紺青の瞳が王太子を示す。馬鹿呼ばわりされた王太子は鼻で嗤って開き直った。
「どうとでも言え。少なくともあの女が絡む限り私はどこまでも馬鹿をやるぞ」
キリリと宣言した王太子から視線を横にずらす。老爺は変わらぬ笑顔だった。つまり、読めない喰えない救いがない。
「お姫様を『あの女』呼ばわり……は、置いといて、お姫様はどんな立ち位置でのご訪問ですか?」
「置いちゃ駄目だと思うぞお嬢ちゃん」
「容赦ないよねぇ、サキ」
「釣り合わぬ身で兄上と婚約しておきながら兄上を傷付け醜態を晒し自国を不利に追いやっておきながら厚顔無恥にも私に親書を寄越してくるような痴れ者だが、今回も堂々と使節団の旗頭として来ると言うから国の中枢からして痴れ者揃いだな」
「あれ、釣り合ってなかったんですか?」
前者ふたりの突っ込みはスルーしておく。
姫君の訪問が使節団の誰かの奥方としてではなく代表として、ということは王女の公務扱いということで、つまり未婚のままで確定だ。縁談の有無はどうなのだろうと思いつつ、それより気になったところを問い返す。
「兄上の隣にあれほど頭の足りていない女を並べて何故誰も拙いと思わなかったのかが私には理解できん。当時は私も国策に口出しできる立場になかった故に黙認するしかなかったが、私が兄上なら即時断った」
「あー……」
苦々しいを通り越して憎悪を滲ませる王太子を、ただの兄上至上主義と呼ぶのは気が引ける。竜公爵本人が姫君をそのように評していたのだ、『夢見がちな雰囲気の少女で、王宮における自身の地位を確立する能力は不足しているようだった』と。
「竜公爵って女性を見る目がなかったんか。あ、お偉いさん一同、か」
ふむ、と頷いたサキに、王太子は忌々しそうに表情を歪めたものの咎めはせず、騎士殿は乾いた笑いを返し、老爺は唇を引き締めた――これは噴き出すのを堪えている。ついでにサキの視界の奥では白い断片が揺れた。
「で、少々考えの足りないお姫様はどんなお手紙を王太子サマに寄越してたんですか? 竜公爵との復縁希望とかです?」
話を少し戻して訊ねると王太子の秀麗な顔が崩壊した。憎悪か憤怒か殺気か。とりあえず怖いので視線をちょっと逃がしてもいいだろうか、逃げれば追われる気がして逸らせない。
「ふ……、あからさまにそう述べておれば一刀のもとに斬り捨ててくれたものを、延々と遠回しに、私を気遣う素振りを見せながら兄上の動向を気に掛けつつ謙虚を装って何故か再度の訪問を願うものでなぁ……そういう婉曲的な話の運び方だけは素晴らしく王侯貴族らしかったなぁ」
ふふ、ふふふ……と俯いて昏い笑みをテーブルに落としている王太子は、姫君の行動をとことん腹に据えかねているようだ。元々好意的とは言えない感情を持っていた相手だけになにをしても気に喰わない、しかも相手の本心を読み切れないために対応に頭を痛めてもいるのだろう。随分ぶっ飛んだ対策を打ったものだとは思うが。
お疲れ様です、と他人事の心地で嗤う王太子を眺めていたら、震えていた王太子の身体がぴたりと止まった。ぐいん、と頭が上がる。
「故にお前だ」
ぎっ、と薄青の瞳がサキを射抜いた。血走って見えるのは気のせいだろうか。
「はい?」
「兄上を釣りだした後はお傍に控えてあの女を遠ざけておけ」
「またとんでもない無茶振りしてきましたね王太子サマ。無理です」
「兄上のお傍に侍るだけでいい。なんなら恋人でも婚約者でも名乗っておけ、私が許す」
「竜公爵の意向を完全無視って時点で『自称カノジョな痛い子』が成立ですね竜公爵が否定した瞬間に大惨事です御免蒙ります。てか貴族最高位な公爵様と並べるのに、残念仕様のお姫様と素性の知れない女だったら残念でも身許のはっきりしたお姫様でしょうよ」
「お前は師匠の養女だ。身許は保証されている」
「いやいやいや、読み書きできない知識も教養も無いド平民ですから謹んでご辞退申し上げます」
「いいじゃないかお嬢ちゃん。女の子の憧れじゃないかぁ? 身分を越えて結ばれるとかさ、」
「騎士さん、騎士さんから見たわたしって『女の子』です?」
「…………性別は一応女のはずだし、大丈夫……うん」
騎士殿は楽しげに参戦してきたものの、サキの問いに物凄く微妙な表情で即時撤退していった。こちらから振ったネタだがちょっと待て。『一応』ってなんだ『はず』ってどういうことだ、三十文字以内で簡潔明瞭に説明してください。
サキと騎士殿の微妙な遣り取りに、それでも王太子の眼光は揺らぐことがない。頭痛を覚えながら老爺に助けを求めてみたら、「サキがいっぱい喋ってる~」との暢気な感想を頂いたのちに、あっさり裏切られてしまった。
曰く、
「儂って称号持ちだから伯爵位相当の貴族扱いなんだー、一代限りで領地も無いけど。でも養女にも伯爵令嬢の肩書は付くから、公爵夫人も問題無い無い、大出世! やったねサキ!!」
「ちょっと待てやじいさん一切知らん話なんですが」
称号=爵位相当なんて聞いてない。後出しじゃんけんが鬼強過ぎてどうしてくれようこの爺様。
重々しく頷く王太子も王太子である。いいのか、大好きなお兄ちゃんの隣に立つのがコレで。あ、いいんですか。
「気に喰わないお姫様よりお師匠様の拾った不審者の方がマシってか……」
「なんならそのまま本当にディオの嫁に収まっても文句出ないと思うぞー」
頭を抱えて呻いていれば、騎士殿の有難くない追撃が来る。うげぇ、と声にも出しつつ顔を上げれば、晴れやかな笑顔の老爺と目が合った。その向こう、視界の奥の白が大きくなっている。
――あ、まずい。
思ったときには遅かった。
「ディオネ様になら喜んでお嫁に出すよ!」
「っ、」
「ありがとうございます、謹んで頂戴いたします」
「――っだぁぁぁあああ!」
降った美声にサキは両の拳をテーブルに打ち付けた。ずだん、と良い音がした。痛い。
階段上部の闇の中で長いこと蹲っていた白い塊が、明るい室内へ下りて来る。
ガンッ、と椅子を蹴倒して白と向き合ったのは王太子。
よろけるように立ち上がってから振り返ったのが老爺。
機敏に身体の向きを変え、しかしその状態で石像と化したのが騎士殿だった。
「なんでこのタイミングで割って入りますか竜公爵!」
「ものすごーくタイミングが良かったから?」
「最悪でしかない!!」
毎日違う服だが変わり映えのしない白系統の上下に、最初にサキが結った通りの髪型を続けている竜公爵の御降臨である。
隠れている存在にサキが気付いたのは王太子の破綻した言説の途中だったが、階段に背を向けていた三名は魔力も気配も全く関知していなかったらしい。愕然とした表情で三人ともフリーズだ。老爺まで笑みを消し、普段は糸のような目を見開いている。かなり貴重な表情だ、と現実逃避している間に竜公爵はサキの隣まで来ていた。
「契約書、宣誓書に書き換える?」
「全力拒否。もうむしろ帰っていいですか」
「サキが帰るなら私も奥に戻ろうかなぁ」
「…………再びの引き籠り宣言は止めましょうか」
引き籠りアゲインだけは阻止しつつ、サキはがっくりと脱力した。大声出して疲れた。竜公爵の胸倉掴んで抗議するのも、頭を抱えて唸ることすらも面倒臭い。
「あー……、お茶飲みます? てか、わたしが飲みたいのでお茶淹れます。しばし兄弟師弟で感動の再会でもやっててください」
サキがひらりと手を振って踵を返せば、呪縛が解けたかのように王太子の身体が跳ねた。言葉通りに跳ね飛んでテーブルを乗り越えて、竜公爵に抱きついた。
「――兄上っ!」
「っわ、と」
がしっと首に腕を回され拘束された竜公爵の頭を、こちらはきちんとテーブルを迂回してきた騎士殿が無言で撫ぜる。
「ちょ、ティタ、苦しいからちょっと力緩めて! シャル、やめてくれ髪が酷いことになる!」
「伸びたなー、すっげぇ伸びたなー。半分くらいお嬢ちゃんに分けてやれば? ってくらい伸びたなー」
騎士殿に会えばほぼ毎回、同じように頭を撫でられているサキには解る。うっかりすると首が捥げそうな勢いで撫でられているのだろう。竜公爵の心配は首より髪の方らしいが。
――その髪を貰っても困るなぁ。黒髪に金髪のエクステってプリンどころの話じゃない。……ヅラってこっちにもあるんだっけ?
「やめろって、あぁもうっ。あとティタ、本当に首締まりかけてるから力抜いてくれる? って、なんで更に力籠め、ちょ、ティ……」
――窒息したかな?
不吉な想像に埋火を掻き起しながら首を回せば、しがみついて動かぬ王太子の背を軽く叩く竜公爵の図があった。とりあえず惨事は回避しているらしい、煌めく金糸がぼっさぼさの鳥の巣状態という意味では大惨事だが。
水を薬缶に入れて火勢を強めだした竈に載せたら茶葉の缶と急須を取り出す。再度向き直った棚のちょうど視線の高さにはいつものマグ。その少し上に白磁のティーセット。
――王太子サマにマグカップでどん、はマズいか。
竜公爵という前例と、使用人スペースな台所に躊躇いなく腰を据える態度を鑑みれば、マグで出したところで無礼打ちにはならないだろうが一応の礼儀だ。
「兄上、お元気そうでよかった……」
「うん。色々心配とか迷惑とかかけてごめんね」
「いいえ、いいのです、そんなことは。兄上こそが、」
「うーん、ティタ? もう本当に色々は引き摺ってないから気にしないで?」
「……兄上……」
お久し振りな白磁のティーセットを慎重に取り出しトレイに人数分を揃えたら、一旦テーブルに置きに向かう。
「やっぱりなー。お前ってそこまで執念深くないよなー」
「シャル、お前に対しては色々と思うことがあるから、あとで時間を貰うぞ」
「えぇ!? なに、なんで?!」
「主にサキの扱いについて。酷過ぎだ」
王太子に対しては優しい兄の声で語る竜公爵は、騎士殿にはやや高圧的な話し振りだ。騎士殿が少し畏まれば主従らしい会話となるのだろう、数ヶ月だが年長で、本来なら兄ポジションであるはずの騎士殿は格下扱いのようだ。
本当の兄弟のように育ったと言ってもやはり違うものなんだな、とちょっと我が身を顧みたサキは、いまだ近距離で向き合う兄弟を眺めて気付いた。
「お、王太子サマのがちょっと背が高い?」
靴の差かと足元を見るが、どちらも同じような靴だ。
「……え?」
ふたつの薄青と、ひとつの瑠璃が、そっくり同じように瞬いた。




