02.界渡りの迷子と愉快な隠者
おじいちゃん視点。
※2016.01.04 誤字修正
自称「サキのおじいちゃん」、ゲーベル・アイガイオン・グリューネはかつて、ジルニトラ王国の宮廷魔術士筆頭、即ち国の魔術士の最高峰を極めたほどの使い手であった。
が、地位を上げるに従って縁が切れていた親族らが身内気取りで擦り寄ってきたり、王城内での勢力争いに巻き込まれて本業以外のところで神経を擦り減らされたりという不毛な環境に嫌気が差し。キレて一切を有望な後進に押し付けて隠棲を決め込んだのはおよそ四年前。
悠々自適のおひとり様生活を満喫して二年少々が過ぎた頃、サキを拾った。
◆◆◆
四年ぶりに王城を訪れるにあたって転移魔術で移動したのは、一応『至急』と銘打たれた召喚状の意向に沿うためではあったが、サキには少々申し訳ないことをしたと思う。今まで森の中にある自分の家と森の端にある小さな村と、あとは森の浅いところしか出歩いたことの無い養い子だ。できれば王都までの道中、物見遊山くらいさせてやりたかった。
「師匠……」
なので、呼び出し主である王太子殿下には少々の意地悪くらいは許して頂こうと思う。
向かい側で情けない表情を晒す殿下に、にっこりと笑って見せる。口元を引き攣らせて沈黙した殿下を無視して、隣に座る孫に意識を切り替える。
「サキ、こういうお菓子って初めてでしょ。食べてごらん、おいしいから」
香茶と共に出されていた焼き菓子を勧めてみる。田舎の森暮らしでは滅多に入手できない高級品である砂糖と、高級品と言うほどではないが森では入手が難しいバターをふんだんに使用した一品だ。
感情の起伏が薄い――というか、それらが表情などに出にくいサキが、それでも戸惑うように茶菓子と殿下とを見比べている。この場での最高地位にある御方を置いて暢気にお茶にしていいのか、と考えているのだろう。何に付けても面倒臭がりで理想はのんべんだらりとした生活とまで言い切る子だが、気配りや気遣いができない訳ではない。
「殿下、いただきますね~」
「……どうぞ」
殿下の許可を得て、ほら、と勧めればそれ以上は気にしない辺りは本当にすっきりした性格をしているとも思うけれども。
「いただきます」
両手を合わせる不思議な手付きと共に小さく会釈をして一言。
サキが食事をする前には必ず行う動作。聞けば、生国の習慣なのだと言う。こちらでも簡単な祈りを捧げることもあるが、その際の身振り手振りとはまったく異なる。初めて見たときはちょっと新鮮だった。
かつての自分と同じような視線を寄越す殿下が面白い。
「さて殿下。お人払いを頂けますか」
表情は笑顔から変えないまま、声も楽しげなもののまま、けれど滅多に改めない言葉遣いをしてみせれば、決して短い付き合いではない殿下には真面目な話をしたいのだと理解される。
片眉を上げてこちらを見た王太子殿下は、ひとつ頷いて後方の護衛騎士に目配せをした。
ふたり居た騎士のうち、ひとりが女官を連れて退室する。
残った騎士は殿下の幼馴染であり腹心だと記憶している。人払いをするとは言っても護衛を完全に遠ざけることは憚られる以上、残す人選としては自然だろう。
「サキ、ちょっと『めがね』貸して?」
じっくりと焼き菓子を噛み締めていた孫に手を差し出すと、一拍置いて首を傾げてきた。……せめて「なに?」くらいの言葉は惜しまず出そうか、孫。
「意識を飛ばすほどお菓子に夢中になってたの?」
「すっごくおいしいです、ありがとうございます。で、なに?」
王太子殿下の前でお菓子に熱中できるその精神力は本当に大したものだと思う。
「うん、ちょっと『めがね』を貸してくれる? 提げ紐ごとね」
「はい、どうぞ?」
食べかけの焼き菓子を茶器の受け皿の端に置いて、目元から『めがね』を取り外す。楕円形の硝子を銀で縁取り、繋いだ中央を鼻に乗せて両端から伸ばした柄を耳に掛けて固定するこの小物は、視力を補助する道具だという。中央には鼻に固定するための小さな板が付けられているが、この素材は未知の物だ。
柄に留め付けた刺繍糸を編んで作った紛失防止の提げ紐を首から抜いて差し出された『めがね』を受け取って席を立つ。サキが首を傾げたが気にしない。
少し距離を取って殿下に視線を遣れば、目を丸くしてサキを凝視していた。
「…………は?」
「……魔力が……」
控えた騎士も思わずといった態で言葉を漏らしている。
「おじいちゃん」
咎める声音で呼ばれて苦笑する。サキには常々、魔力なしであることを他人には言うなと口酸っぱく言い聞かせていたから、当のアイガイオンがやったことは暴挙以外の何物でもないだろう。
「大丈夫だよ、サキ。どうしてサキを連れて来たのかの説明はここからやらなきゃ筋が通らないからさぁ」
「お茶の位置が分からなくなったんだけど。折角のお茶が冷める……」
「――――え、そっち!?」
我が孫ながら本当に図太い。なにをどう育てたらこうなるのか、興味深いような空恐ろしいような。
「はい、返すから。あとはもうお茶してていいよ。でも一応聞いておいてね、不備不足があったらちゃんと補足してね」
「……はぁい」
あ、これ期待できないな。
返した『めがね』をそそくさと装着して、いそいそとお茶に手を伸ばしたサキを見てさっくり諦めた。
サキの隣に座り直したアイガイオンは、色んな意味で遠い眼をしつつ独りで説明することになった。向き合う殿下は真っ直ぐにアイガイオンを見ている。サキでは話にならないと判じられたらしい。賢明な判断だが、複雑なものがある。
「えーと。儂が現在住んでるところの情報は大体把握されてますね?」
「はい。アドナイ領ケール村から森に少し入ったところ、ですね。南東のザウスト王国との国境線に連なる」
一度も訪れたことの無い地であるはずだが、さすがに自国内のこと、それも幼少より師事した魔術士の行方のことは承知していたらしい。
アイガイオンはひとつ頷いて、サキとの出会いを辿り始めた。
◆◆◆
大陸北東部を国土として占めるジルニトラ王国。中央に位置する王都より南東にある森は、続く山岳地帯への進入を阻むように広く深く、前人未踏の領域も多い。その森に少しだけ分け入ったところに、アイガイオンは小屋同然の住処を建てて隠棲している。
森を越えた先に連なる山は国境線、そして、その向こうに在る彼の国とジルニトラ王国は友好関係にない。完全に没交渉であれば問題も無いのだが、あちらとしては無関心ではいられないらしい。大規模な侵攻こそないものの時折、国境侵犯の噂を聞く関係だ。
二年前の春、夕暮れ時に、つい先日踏査したばかりの深度に人がいる、と精霊たちが報せて来たとき、アイガイオンは隣国の間者侵入を真っ先に疑ったのはそうした隣国との状況を知っていたからだ。
しかし精霊たちはその人物に害意は無いと言い、妙に好意的だった。
一線を退いたとはいえ、かつては国防の一翼も担う宮廷魔術士を率いていた身である。いくら精霊が好意的であろうと、確認は必要だろう。ましてや本当にただの遭難者だった場合に寝覚めが悪くなる。
不審な存在の正体を確認すべく転移魔術で出た先には、膝を抱えて蹲る、枯れた己より一回り小さいと思われる人物がいた。
既に暗くなっていた森の中、杖の先に灯した青白い光に照らし出された人物の周りにはしきりに小精霊たちが飛び交っているが、無視しているのか、気付いていないのか。アイガイオンをまっすぐに見詰める割に、目の前を横切る木の葉にはなんの反応も見せないことにまず違和感を覚えた。
宵闇に溶ける黒髪は辛うじて肩に付く程度、全身を丸めている状態で体型は判然としないが肩は細い。かなり独特な衣裳を纏っているようだとも思った。鮮やかな青の上下でズボンの裾から見える裸足の白さが、薄闇の中で妙に際立っていた。
しかし、それ以上に目を引いたのは目元を覆う謎の小物。光を向けた瞬間はふたつの楕円が反射して目元を隠したため仮面かと思ったが、向き合う今は透明な硝子を繊細な銀細工が縁取っているだけで、深い色の瞳が見開かれているのが確認できる。どうやら顔を隠す意図で装着している訳ではないらしい。
とりあえず、恐怖と驚愕に固まっているようだが、精霊の言うように悪意は感じられない。それでいて付き纏う違和感の正体はなにか。
差し迫っての危機はなさそうだと判断するも、逃がさないよう無詠唱で発動余波が出ない結界を構築しつつ人好きのする笑みを意識する。下がり気味の眉と愛嬌のある糸目を柔らかに駆使する笑顔は、性格を知らなければ人畜無害に見える、と畏れ多くも国王陛下からの太鼓判を賜った自慢の一品である。
「こんばんは?」
謎の人物は肩を震わせた。僅かに唇を開くが歯の根が合っていない。ガチガチと異音を交えながら、辛うじて声を絞り出す。
「……こん、ばわ……」
掠れてはいるが若い女と判明する。震えているために片言になっているが、訛りは無いように聞こえる。
「人がいるってことで来てみたんだけど、君はなにする人?」
「…………ま、いご……たぶん、迷子、です」
幾度か深い呼吸を繰り返して震えの抑えられた返事は滑らかで幼さもなく、やはり訛りの無い綺麗なジルニトラ語だったが――たぶん迷子、って。
笑顔は崩さないままに結界を閉じて、娘にそれとは知らせずに拘束した。娘と共に閉じ込められた格好の小精霊たちがぴとりと彼女に張り付いたことに、内心で大いに驚く。
「えーと、迷子さんね。で、お家がどこかは説明できる?」
「にほんのぼうせいれいしていとしの隅っこです」
「…………どこ?」
すんなり返ってきた答えは、しかし知を尊ぶ魔術士を試すかのように馴染みの無い音の羅列として耳に届いた。音は確かに聞き取れたのに、意味を解せない。
首を傾げて聞き返したアイガイオンに、女は自分を抱き締めたまま、窺うような視線を向けてきた。最初の恐怖と驚愕の波は収まったらしく、比較的落ち着いた態度になっている。顔立ちからすると十代半ばほどに見えるが、実際はもう少し年長なのかもしれない。
「……質問を返してもいいですか? ここはどこですか?」
「ジルニトラ王国アドナイ領ケール村の南東の森だよ」
端的に答えれば娘の顔が引き攣った。
彼女が次の言を紡ぐより先に、アイガイオンの耳に精霊たちのさざめきが届く。
〈このこ、からっぽ〉
〈このこ、いかいのこ〉
〈このこ、いごこちいい〉
木と土と、草と小石と水と風。周囲の自然物に宿る精霊たちの、赤子とも言うべき小精霊たちが娘を取り囲む。掌ほどの人形のような大きさの、輪郭の曖昧な幼い精霊たちは膝を抱える娘の真似をして座り込み、或いは彼女の手足によじ登り、挙句は頭の上に乗って踊るが、娘はそれら一切を気にする様子が無い。
――というより、完全に気付いてない? 見えてない??
沈黙を破り、娘が細い声をかけてきた。
「……そういえばお爺さん、どこから湧いて出ました?」
「え? えーと、方角的にはここから北の儂ン家から、転移魔術で直接来たよ?」
「ちなみに杖の先の光はどうやって点灯してます?」
「明かりの術くらい見たことあるでしょ!? え、ないの? うそん、お嬢ちゃんどんだけ僻地から――」
そこまで言って、違和感の正体と『からっぽ』の意味を理解した。
――魔力なしだ、この子!
大陸の生物は普く魔力を纏う。量の多少はあれど、魔力が生命の根源と言ってもいい。それはこの世界の常識。
――『いかいのこ』って、『異界の子』!? 界渡りって実在するんだ!?
アイガイオンが自らの経験によって築き上げてきた常識を覆す存在が、今、目の前で途方に暮れている。
――ごめん陛下、思いっきり不審者なんだけどしばらく儂に預けて! 一応報告はしますから! 一応ね!!
敬愛する国王陛下に内心でだけ詫びを入れて自分の手元に置くことに決定。娘を囲っていた結界をささっと解除して、精霊たちを軽く追い払うと彼女に近付く。びくりと震えた娘に再度笑顔を見せてから、転移魔術で強引に連れ帰った。
自らの呼び名を「おじいちゃん」とすることを許し、彼女の呼び名を「サキ」と定めるのはその翌日。
ごく短い時間の中で、アイガイオンは界を超えて迷子になった娘を、とても気に入っていた。
その後、幾らかの面倒な手続きを経て、最終的にアイガイオンは国王陛下からの許可をもぎ取ってサキを自身の許で生活させることに成功したのである。
※2015.07.15にも誤字修正かけてましたが、再度発見…。
読み返して気付くだけマシなのか、一回目で気付けとツッコむべきか…orz




