01.喰えないお爺様と物臭な乙女
深閑とした森の淵に建てられた家の隙間からは、夜の深まりを知らせるように柔らかな燭台の灯りが漏れている。
「サキ~、ちょっといいかなぁ?」
「……はぁい、台所です」
小屋同然の建付けで質素だが手入れはされている住処の炊事場で洗い物をしていたサキは、のんびりした声に一拍置いて応じた。
「あ、まだ片付け中だった?」
「もう終わるよ。なに?」
食堂兼居間との出入り口から首を覗かせたのは、大半が白髪になった薄茶の髪を頭頂部に残したしわくちゃの老爺。自称「サキのおじいちゃん!」な保護者殿で、この家の主でもある。
「ん、食堂で待ってるね~」
そう言って老爺は引っ込んだ。どうやら立ち話では済まない用件らしい。
サキは最後の皿を洗い上げると、布巾を敷いた台に伏せて置く。木製の食器は防腐処理がされているとはいえ、濡れたままにしておくのは気が引ける。ざっと拭くところまで済ませてしまおうと乾いた布巾を手に取る――が、手元で風が舞って布巾を取り上げた。
「――乾かしてくれるの?」
滞空する布巾に驚くでもなく首を傾げて問いかけると、肯定するように布巾は濡れた食器の上に降り、もぞもぞと動き出す。
「ありがとう。じゃ、お願い。うっかり床に落とさないでね」
了解、とでも言いたいのか、布巾は一瞬ふわりと浮いて、再び食器の上へと舞い戻った。それを確認してから、サキは踵を返して台所を出た。
「あれ、早いね」
食卓で茶の支度をしていた老爺が細い目を開いて驚いた。茶器の傍には黒塗りに螺鈿細工のご立派な小箱。時々、老爺宛てに魔術で送られてくる文箱だと知れる。
サキは老爺が既に茶を蒸らしている状態だと見て取ると、特に手伝いもせずに席に着いた。
「多分風君たちですけど、拭くの代わってくれるって言うので」
「あはは、本当にサキは精霊たちに好かれるね」
「……なんででしょうねぇ」
先程、布巾を踊らせて食器の拭きあげをすると主張したのは恐らく風の精霊、赤ん坊のような、まだ存在を始めて間もない小さな者たちだ。
サキには精霊たちの姿は見えない。気配も感じない。魔術のほんの一端すら扱えない――以前に、まず魔力の持ち合わせがない。全くない。小さな精霊たちにはその『空っぽ』具合が却って居心地良いらしく、割と四六時中サキの周囲に漂っているらしい。
「ちなみに今も右肩辺りに木の葉がくっついてるけど」
「…………見えん…………」
木の葉、というのは木の精霊の幼体である。
自身の右肩を見遣ってから、かくりと項垂れたサキに笑って、老爺は茶を注ぎ分けた。
「で、話なんだけどね」
老爺が向かい側に座って一口茶を啜ってから、本題を切り出した。落としていた首の角度を戻したサキは、ずり下がった眼鏡の位置を直して老爺を見た。
「ちょっと儂ね、お呼ばれしちゃって」
「いってらっしゃいませ」
茶器を両手で握るように持った老爺が発した言葉に即答で見送りの意を告げる。が、老爺の笑みは崩れない。細い目を更に細めて、楽しげに言葉を続ける。
「うん、サキも一緒ね」
「意味が解らない」
「可愛い孫に森の中でひとりお留守番なんてさせられないよ!」
「できない年齢じゃないよ、じいさん」
「お爺様と呼んで、是非に!!」
「じじぃ」
「酷いね……どうしてこうも可愛げがないのかな」
「数秒前に『可愛い孫』と呼んだ舌の根も乾かんうちに見事な掌返し、天晴」
「それが儂の持ち味」
間髪入れない応酬が一段落したところで老爺が茶を啜る。
しばしの沈黙ののち、深い溜息を落としたサキは口を開いた。
「……どこに行くって言うの。わたしが居てもなんの役にも立たないことは、おじいちゃんが一番よく分かってんでしょうに」
「んーん、今回はサキだからこそ役に立つかな、って考えてるよ」
きっぱりと言い切った老爺に、冷めた視線を送る。磨いたレンズの向こう、細められた瞳に自分が映っているのかどうかは判然としない。
「意味が解らない」
「サキ。そう言って投げ出す前に、説明して、って言おうね」
「……面倒臭い」
「…………君が年頃の女の子だと思うと本気で心配になるよ、その物臭ぶり……」
「今更」
「そうだね。サキも儂のことは分かってるよね~。『今更』って言えるくらいには付き合いを重ねたもんね~」
サキはもう一度息を吐き出した。それはもう深々と。老爺は口が立つし頭の回転も速い。口数の多くはないサキの揚げ足を取るのも慣れたもので、こうなればどう足掻いても丸め込まれる未来は見えている。
ふと、眼鏡の弦に付けたストラップが揺れた。同時にふわりと頬を羽で撫でられたような感覚。既に馴染みとなった感触だ。
「……慰めてくれてる、かな? ありがとう」
魔力なしのサキには見えず感知できないはずの精霊の存在を、時々こうして第六感的に認識することがある。おそらくは『木の葉』が撫でてくれているのだろう。
僅かに表情を和らげて、ゆっくりと老爺に視線を戻した。
「行き先は?」
「お城だよ~」
「……………」
思わず目が据わるが、年輪を刻んだ老爺の表情が崩れることはない。にこにこと変わらぬ笑みでずっと食卓の脇に置かれていた文箱の蓋を開く。取り出した厚手の紙は綺麗に丸められていたが、既に読まれた証として封蝋の欠片が散っていた。
「先月にもお手紙来てたでしょ。あれ招待状のフリした召喚状だったんだけどね、用件が面倒臭いし儂ひとりじゃつまんないからヤダ、孫同伴なら考えてもいいよってお返事しておいたのね」
「…………」
「で、今日来たのがこれね」
老爺は言いながら丸まっていた紙をしゅるりと開き、サキの眼前に掲げる。
サキには装飾過多としか思えない文字の羅列に、義理として眼鏡越しに目を眇めてみるけれども。
「……読めないって」
「だよね~」
「…………」
「睨まないで、様式美でしょこういうの。えーっとね、初めは『お前に孫居ないだろ耄碌したか糞爺』を慇懃に言い換えた文句が書き連ねてあって、最終的に『連れてきたい奴がいるなら一緒でもいいからとにかく登城しろ』ってことで」
しばしの沈黙ののち。
「拒否」
「却下」
にべもない老爺の態度に、サキは逃げを選ぼうとした。口では勝てないのが寝て起きたら有耶無耶になっていないかと腰を浮かしかけ――しかし老爺の言葉の方が早く、かつ、サキの興味を引いてしまった。
「サキ。〈竜〉に会ってみたくなぁい?」
◆◆◆
向き合うのは壮麗な衣裳を纏う青年、年の頃はサキと変わらないだろうか。彼が座るソファのすぐ後ろに、冑こそ着けていないが中世の騎士よろしく鎧を纏い物騒な得物を手にした男性が二名。部屋の隅、扉の脇にメイドさんと思われるお揃いのエプロン姿の女性、二名。
森の家がすっぽり収まるんじゃないかと思うほど広い部屋は、その程度の人数が入ったくらいでは圧迫感は無い。
「……竜に釣られた自分のバカ……」
遠い目をしてぽつりと呟いたサキの肩を、隣に座る老爺が軽く叩く。慰めや励ましではなく、諦めろ、の意味だと察する。
「まさか王子様の呼び出しとか思わないよ、おじいちゃん……」
「儂、昔は王子さまたちの魔術指導やってたし」
「……なんであんな森の隅っこで隠者やってんの」
「狐と狸の化かし合いの王城で筆頭魔術士やってるのに飽きたから?」
「あ、っそう……」
老爺こそが喰えない笑顔で人を化かして回る狐狸妖怪の類のような気もしたが、余計な言葉は飲み込んだサキである。
王城行きを告げられた翌日の昼前に、老爺は「じゃ、行こっか」と言った。
森の端にある村にはサキも幾度となく訪れていたが、そこから先は知らない。年の割に健脚な老爺にうっかり撒かれないように、荷物は必要最低限と準備していたサキだが、あっさりと出鼻を挫かれた。
「あ、荷物は要らないから。着替えとかは全部向こうで用意してくれるから」
「……いや、それでも無茶があるでしょ。手ぶらで遠出って」
「大丈夫、すぐ着くから~」
渋々、鞄を自室として与えられている書庫に置いて家の外、草木を多少払って空間を確保している玄関前に出る。
「ほら、チビたちは司る場所に戻りなさいな。サキと儂はしばらく留守にするから時々家の掃除をしておいてくれると助かるな」
サキの肩辺りをぺしぺし叩きながらそんなことを言う。どうやらいつも通り小精霊たちがくっついていたらしい。くるりと自身の周囲を見回してみるが、やはり謎の存在を視認することはできない。ただ、若葉を付けた梢がさわさわと音を立てているので、風か木の精霊だったのだろうと思うだけだ。
「よっし。じゃ、サキこっち来て。で、めがね外しておこうか。動かないでね」
老爺がサキの眼鏡を無造作に引き剥がし、ストラップが垂れるのに任せて胸元に落とさせる。サキが抵抗する間もない早業で、かつ、掛け直すより早く手にした杖をひょいと振ってみせる。耳慣れない言葉の羅列は、呪文だ。
魔力なしの同居人に合わせて日常生活に於いては魔術をほぼ使わない老爺だが、元は非常に優秀な魔術士だった、とは聞いている。
サキが老爺に保護された当初には、老爺は幾つもの魔術を行使して見せた。それはサキも良く覚えている。そしてその中のひとつと、今、老爺が展開させている魔術とが被っているように思う。
「……え、まさか」
「――〈我、請うは地脈の開門、繋ぐは北西の懐かしき地〉――」
「まさかの転移魔術、――――っ!」
眩い光が足元から弾ける。
老爺共々光に呑まれて、咄嗟に老爺の服を掴んで目を閉じた。白く塗り潰された瞼の裏でにこにこと笑う老爺に暴言の限りを尽くしたが、一言も音に出来ないままに眩暈を覚えたサキは掴んだ服を更に手繰り寄せ、老爺の腕にしがみ付くようにして光が収まるのを待った。
老爺の「到着~」というのんびりした声を、まだチカチカする感覚が拭えないまま聞き、周囲を確認する余裕もなく掴んでいた腕を抜かれ、逆に老爺がサキの手を握って半ば引き摺る勢いでどこかへ連れ出し始める。
困惑する声、留めるような声、咎めるような声。あからさまな罵声を抑えた声音で告げる者もいて、かなりの人数が自分たちを取り囲んでいるようだと分かるが、いかんせん、眼鏡を外されたままなので蠢く色とりどりの塊が騒いでいるようにしか見えない。老爺に握られているのと反対の手で眼鏡を掛けてしまえばいいのだろうが、そもそもなぜ眼鏡を外せと老爺が言ったのか、理由が解らない以上は迂闊なことはできない。
そうして曖昧に霞む視界のまま、老爺の手だけを頼りに連れて来られたのはどこぞの応接室のようだった。促されるままに座って、眼鏡を掛けていいよとのお許しを得て検めた状況が、ローテーブルを挟んで座る青年との初対面だった。
紹介された名はプリシオス・ティタニア・ドゥグ・ジルニトリア、このジルニトラ王国の王太子殿下だという。
王太子殿下はとても整った容姿をしていた。明るく柔らかな金の髪は少し長めに整えられ、水色の瞳は優しげだが全体の造作は凛々しさが先に立つ。濃藍基調の膝丈の上着は引き締まった体躯をよりしなやかに魅せており、背はサキより頭ひとつ以上高いだろうか、深く腰掛けたソファから僅かに膝が浮くほど足が長いという。
ちなみにサキはソファの最奥に座ると踵どころか爪先が浮いたので、ちょいと浅めに座る羽目になっている。
その王太子殿下は、非常に訝しげな視線をサキに注いでいた。紹介時、老爺に「儂の孫のサキね! 異論苦情は一切受け付けないから!」と制されたため、思うところはあってもあまり突っ込んでサキの素性に触れられないのだろう。
それでも口を開く決心をしたらしく、視線を老爺に戻して美声を発する。王太子殿下は美形で美声の持ち主だった。無関係な傍観者としてなら存分に堪能させてもらうところだが、一応、今のサキは当事者側なので声より言葉の方に意識を向ける。
「師匠。その、ずいぶんと魔力の少ない者のようですが」
「うん、そうだね」
昔、老爺が魔術指導をしていたというだけあって、老爺への呼びかけは『師匠』なのか。妙な感心をするサキを薄青の瞳が一瞥して、再び老爺へと戻る。
「……その割に、ずいぶんと精霊たちが懐いているようなのですが」
「うん、そうだね」
おじいちゃん、説明する気ないね?
サキの突っ込みと同じ感想を殿下も得たのだろう。伸ばしていた背を丸め、膝に肘を乗せて頭を抱え込んで呻いた。
うん、ご愁傷様。




