4-7 ヅラよ
次の日朱莉は、なるだけ目立つまいと早めに登校し、校舎の隅に隠れて聡子を待った。
(こういう時は朱莉ちゃん、バッチリ目が覚めるのね)
(うるさいなぁ。朝からバシッと一言言ってやらないと、今日一日モヤモヤして身が入らないでしょうが)
(へぇ、身がねぇ? いつもは――)
言いかけた鞠を無視して、校門をくぐってきた聡子を見つけるなり、彼女の腕をとり登校中の生徒の群れをかき分け、いつもの屋上の階段室の裏手に引っ張った。
息を荒げ、血相を変えた朱莉に突然連れてこられ目を白黒させながらも、聡子が朱莉の変化に気づかないわけがない。
「なによいきなり、朱莉ぃ? で、なんで、髪伸びてるのよ……エクステでもした?」と、戸惑いの言葉を漏らしながら手を振りほどく。
風に揺れる朱莉の髪型は、前髪ぱっつんの胸まである黒髪ストレートロングヘア。一日で髪が十センチも伸びるなど、薄毛治療薬も驚きの早さであるが、そうではない。
「ヅラよ」
とんでもない美容室を紹介してくれたものだと、聡子を恨めしげに睨みながら、左右に目をやり、人目がない事を確認した上で、そのロングのウィッグを持ち上げ、地毛の鮮やかな金色を見せてやる。
それを見た聡子は驚いたような顔を作ったのだが、零コンマ数秒後には、ヘブンスマイルで何があったのかを理解したようで、次の瞬間には身体をのけぞらせて大笑いを始めた。
「笑いごっちゃないわ! どーゆーことよ! あのシンディさん!」
「あっはは、ごめんごめん、シンディさんにね! あーあ、そうきたかぁ! もしかしてあの人に、お任せします、とか適当な指示出したでしょ?」
「軽い感じで……お任せします……とは、言ったけどさ……聡子が任せてれば上手くやってくれるからって!」
「アーティストだからねぇ。シンディさんは」腕を組み、ウンウンと頷いて納得している。「それでも、ま、朱莉には似合っているって事なんだよ、シンディさんにしてみれば、だけど」
「だから……って」
「軽くなったじゃん、イケてるよ!」
聡子に言われるまでもなく、朱莉もそうは思っていた。ただカラーを変えただけなのに、気分まで軽くなって、身体まで軽くなったような気がした。
鞠にも言われたが、似合っていると言われて悪い気はしない。しかしそれがこの色だ。
朱莉が自分で施したほどぶっきらぼうな金色ではないが、校則にはあきらかに引っかかるレベルの、ブロンドのトーンを落としたブロンドアッシュといったところで、シンディはチタニウムジンジャー、などと名前を付けて歓喜していた。イメージ通りの色が出たと。
「べ、別に気に入らないわけじゃないから、いいんだけど……」わざわざ隣町の笠鷺市まで行ってウィッグまで買うハメになり、何でもお見通しの母親からからかわれるわで、今朝起きて学校に着くまでは、聡子を一発殴ろうとまで思っていた。
確かに霊との付き合いを避けるには、金髪は都合良かったのだ。実際にその効果も確認できていたから。しかし、モロに校則に抵触する染髪バレバレのブロンドだ。紹介した本人に文句の一つくらいは言いたい。
「でも、だからって、ジョーシキから考えて、高校生にこりゃないでしょう。そういう人なんだったら、最初に言ってよ!」
「わるい、わるかったよ」聡子は言いながらも全然悪びれていなくて、胸の前で掌をひらひら振っておどけ「興味あったからさ」と言う。
「は? 興味?」
「うん、シンディさんって不思議な人でね、その人がその時に求めている気持ちを“読み取る”んだって。相手と話していれば、どうしてあげるべきかってのが解ってくるんだってさ。それが俗に言う“おりてくる”って奴なのかは知らないけど――――朱莉は、どうなるのかなって……」聡子はそこで初めて悪戯っぽい笑みを浮かべ、歯を見せちいさな声で、ごめん、と一言言った。
朱莉がシンディから聞いた通りだ。その人がなりたいと思っている姿が、色のイメージとして頭の中に浮かぶのだという。そしてそのシンディの特殊な能力こそが、あのヘブンズマイルの人気の秘密なのだと。
なりたいあなたになれる――HEAVENSMILE。
“天国までの道程”とも意訳出来る屋号は、加美谷のようなバイカーにありがちな、ロマンチシズムに縁取られたアイロニカルな独特な表現かと思っていたが、あれはシンディの願いが込められた言葉なのではないだろうか。
神の微笑みをあなたに。
アーティスト、作家、創作者、と呼ばれる人々に限らず、人は無意識的に霊感応力を使って霊的交信を行っている。それが聡子のいったような“閃き”である。“息を吹き込まれる”という語源を持つ、インスピレーションは、まさに人の思考に吹き込まれる、天使のささやきであろう。それをイメージやビジョン、またあるいは言葉や音として、具体的に受け取ることが出来る者は、現世では想像力が豊かだとされ、アーティスティックだと称賛されるのだ。
シンディもまた、一種の霊感応力者なのかもしれないと考えれば、合点がゆく。
あの地味眼鏡ッ娘だった聡子が潜在的に望んだのが、一見地毛とも思われそうな、茶をベースとしながらも、光に当たった時にだけシルバーに輝くような不思議な魅力を放つ髪色である。今回のことで、朱莉は密かに自分が聡子の髪色に惹かれていたことを気づかされた。
それは憧れや羨みではなく、意味があることなのだと。
自分を変えたい。今の自分をやめて変わりたい。
――つまんないんだ、この世界が。
いつも一人で、伏し目がちで、学校の中では不機嫌で、何も話さない。寝てばっかり。
――その苗字好きじゃないんだ。
時折見せる蛇のような冷たい視線。とにかく他人の事には関心がない。
――霊なんて見えない、そんなのいるわけない。
オカルトな話題を振ると、途端に機嫌が悪くなる。自分には妖狐が憑いてるくせに。
――あんたやっぱり面白いわ、バーカ、ばかばか!
学校帰りに商店街に寄って、主婦みたいに両手一杯の家の買い物をして帰る。
――朱莉はどうなのかなって、興味あったから。
外ではバカみたいに明るくて、自信家で努力家で。素直で。
あの子の家のことを思うとね、不憫でさ。
カラーリングの最中、シンディが冗談の合間に口を滑らせて漏らした言葉を、朱莉は聞き逃さなかった。
もしかして、シンディが読み取った彼女の望みは、あの妖狐と関係があるのではないか。そう考えるのが自然に思えた。あの妖狐が関わったせいで聡子は変化したのか、聡子の環境が変化して妖狐が憑くことになったのか、それは判らない。
だが朝日をはらんだ風に流れる、彼女の髪の銀色の輝きを見れば、改めて放っておくことなど出来ないと決意した。
「ま、髪が伸びるのは不自然だとしても、そのウィッグ被ってりゃ北坂も何も言わないだろうし、いいんじゃね? それにあと一ヶ月もすりゃあ夏休みじゃん!」
聡子は疑いようのない笑顔を浮かべると、くるりと舞を舞うように一回転し、朱莉に振り向く。「十七の夏は一度きりなんだよ、女子を楽しまなきゃな!」
予鈴が鳴り響く屋上で、太陽を背にした聡子の髪は、あの妖狐と同じように総銀髪に見えた。
校舎に駆け込んでゆく生徒達の影が彼女の背後でゆらゆらと揺れるたび、薄ぼんやりと九尾の尻尾が透けて見えた――――ような気がした。




