ポムの弁当は食べない。これが俺の唯一の誓いだ
百二十六回目の朝。
石段で目覚めて最初に思ったのは——この段、いつもより沈む気がする——だった。
二番目に思ったのは——今日はポムが弁当を持ってくる日だ——だった。
どちらが本当に重大な問題か、今の俺には判断できない。
石段の三段目に両手をついて、上体を起こした。足を伸ばす。立ち上がる。
違和感があった。
足の裏から伝わる石の感触が、いつもと少し違う。石段の踏み面がわずかに——「沈む」感触だった。石が沈むはずがないのは分かっている。百二十六回もここで目覚めれば、この石段の硬さは自分の足裏に刷り込まれている。一段目の左端の微妙な凸凹。二段目の中央の横ひびの感触。三段目の少し広い踏み面の平坦さ。全部、俺の足裏が知っている。
でも今日の三段目は違った。心持ち柔らかい気がした。比喩ではなく、物理的な意味で。まるで石段の下に薄いスポンジが一枚敷かれたような、奇妙な弾性。
俺は屈んで石段の表面を手のひらで押した。固い石だ。当たり前だ。普通の石灰岩の、普通の硬さがある。指の腹で叩いてみる。「コツ」という確かな音がする。石は石だ。でも立って体重をかけると——右の踵から入れてみる、左の爪先で軽く押してみる——やはり、気のせいかもしれないが、少しだけ沈む感じがある。
「……ズレてる」
声に出した。誰も聞いていない。今日の夜明けの石段には、俺一人だけだ。
今まで石段そのものがズレたことはなかった。看板の文字が「館」から「舘」に変わったことはあった。雨染みの形が変わったことはあった。赤い花が黄色になっていたことがあった。窓の数が変わっていたことがあった。でも俺が毎朝目覚める石段——この場所が俺のセーブポイントだ——が変化しているのは、百二十六回のループで初めてのことだった。
これが何を意味するのか、今の俺には分からない。
世界線のズレが加速している。セーブポイントが揺れているということは、俺が「戻ってくる場所」が変化しているということだ。それが何を意味するのか——考え始めると嫌な想像の連鎖が始まる。揺れが大きくなったら? セーブポイントが完全に消えたら? ループそのものが——
「止めろ」と俺は自分に言い聞かせた。
今日はもう一つの問題がある。
ポムさんが三段重ねの弁当を持って来る日だ。いや、今日は三段プラスかもしれない。記憶の中で数えると——三十二回目で三段になった。五十一回目で追加の小袋がつき始めた。七十七回目に一時「四段」になったが次のループでは元の三段に戻っていた。ポムさんは毎回初対面だが、弁当の質は微妙に毎回違う。法則性は見つかっていない。
それだけに集中しろ。セーブポイントのことは、今日終わってから考えればいい。
――――――――――
「また来たのか」とベルさんが言った。
「また来ました」と俺は答えた。
今日のベルさんはいつも通りだった。入口の左に立って、腰の鍵束に片手を置いている。じゃらじゃらと金属が鳴る。白髪交じりの眉が動く。「頑張れよ」が来る——と分かっているのに、毎回少し身構えてしまう自分がいる。百二十六回、同じ言葉をもらっているのに。
「頑張ります」
「……今日は素直に受け取るんだな」とベルさんが言った。普段の俺はどんな顔をしているのだろう、と一瞬思った。
「毎日言ってくれているので」
「毎日?」とベルさんが少し首を傾けた。そのとき、鍵束が短く鳴った。「……そうか。まあ頑張れよ」
俺は試験館に入った。
廊下を歩きながら、三段目の感触をまだ考えていた。石の踏み面がわずかに沈む。その感触が足の裏に残っている。セーブポイントが揺れている——世界線のズレが段階を上げた。看板が「舘」になったのがおそらく二話分前のループ帯だとすれば、次はどこが変わる? 壁の石目地の数が変わる? 廊下の長さが変わる?
廊下の奥から朝の光が差し込んでいた。光の角度がいつもと少し違う気がしたが、今日はそこまで確認する余裕がなかった。
とにかく。今日はまずポムさんを乗り越える。
――――――――――
待合室に入ると、アシュがすでに壁際に立っていた。
いつも通りの位置。いつも通りの姿勢。銀色の長い髪が一本も乱れていない。白っぽい外衣の端が床からわずかに浮いている。目は正面を向いたまま、室内の全体を見ている。あれは「見ている」のではなく「監視している」に近い——と俺はある回から感じるようになった。
俺は軽く頷いた。アシュは返さなかった。
今日はセナさんがまだ来ていない。アシュの目の「感情の漏れ」が起きるのは、セナさんが入ってきた瞬間だ。一瞬だけ、それも右の瞳の奥の奥に、何かが生まれて消える。名前はつけられないが、俺はそれを七十四回目のループから観察している。
待合室のベンチは木製で、硬い。背もたれが少し斜めになっていて、長時間座ると腰が痛くなる。今日もその硬さを確かめながら、俺は扉の方向を向いた。
左の扉が先に開いた。
橙色が来た。
今日のポムさんは入口から既に声が来た。「あーっいたっすよ!!」扉を開けてから、大股で待合室に入ってくる。足音が石畳に当たって響く。その手に——
三段だった。
正確には「三段プラス追加の小袋」だった。風呂敷に包まれた三段の弁当箱の、側面に追加の布袋が括りつけられている。紫色の布袋だ。漬け物か。あるいは果物か。いずれにせよ、その弁当一式の総重量は目測で二キロを超える。
ポムさんが俺を見つけた瞬間、顔の全部が笑った。眉も頬も口角も全部が同時に動いて、それが橙色の外衣と合わさって、朝の待合室に不当なほど明るい光を作り出した。
「アズさん!!」
「いりません」
「まだ言ってないのに何をいりませんっすか!!」
「三段プラス追加の弁当を持ってくる人が走ってこちらに向かってくる場合」と俺は言った。「いりませんと言うのが適切な対応です」
「そんなに観察してたんっすか!?」
ポムさんが俺の隣の席に座った。弁当箱を膝の上に置く。風呂敷の端が床に落ちそうになって、ポムさんが慌てて直す。その間も目はずっと笑っている。
「今日はね、一段目が卵焼きっすよ!特製の! 出汁がね、うちの——」
「いりません」
「二段目が煮物で、大根と——」
「いりません」
「三段目が——」
「いりません」
「言わせてもらえないっすね!!」
「三段目がおはぎという記憶があります」
ポムさんが止まった。ちょうど三段目の話を言おうとして口を開けた状態で、一秒、完全に止まった。「……なんで知ってるっすか」
「記憶力がいいので」
「会ったことないっすよね? 今日が初めてっすよね?」
「今日が初めてです」
「なんで三段目がおはぎって分かるんっすか!!」
「……なんとなく」
「なんとなくでおはぎが分かるんっすか!!」
「好みで作る場合、おはぎになる確率が高いという統計的な——」
「そんな統計ないっすよ!!」
俺は「いりません」と言った。これで会話を終わらせようとした。
「じゃあ追加の小袋は?」とポムさんが布袋を外して持ち上げた。「漬け物っすよ!自家製の、お母さんのレシピの——」
「いりません」
「漬け物くらいいいじゃないっすか!!弁当じゃないっすよ!?漬け物っすよ!?」
「いりません」
「アレルギーっすか!?漬け物アレルギーとかあるんっすか!?」
「……卵焼きアレルギーがあります」
ポムさんが固まった。「……卵焼きアレルギー?」
「そうです」
「そんなアレルギーあるんっすか!?」
「あります。重篤に」
「卵アレルギーじゃなくて、卵焼きアレルギー? 生の卵は大丈夫で、焼いたやつだけ?」
「……そうです」
「絶対作り話っすよ!!」
「……否定はできません」
「否定してくださいよ!!」
――――――――――
「……何をやっているんですか」
廊下側の扉が開いて、ガルドさんが顔を出した。眼鏡の奥の目が微妙に細くなっている。試験官としての厳格さとわずかな困惑が混在した、独特の表情だ。白い詰め襟の左胸ポケットに書類がきちんと折りたたんで入っている。
「卵焼きアレルギーの話をしていました」とポムさんが言った。事実ではあった。
「そういう与太話をするなら外でやれ。試験前の待合室は静粛に」とガルドさんが言った。「規則第七条。待合室における受験者の行動は試験の尊厳を損なうものであってはならない」
「すみません」と俺は言った。
ガルドさんが俺の顔を一瞥した。眼鏡の奥の目が止まった。「……お前、また来たのか」
「毎回?」と俺は聞き返した。
ガルドさんが少し口を閉じた。何かを考えるように視線を動かした。それからまた俺を見た。「……なんでもない」と言って去った。扉が静かに閉まった。
ポムさんが小声で「ガルドさんも毎回って言いましたよ?」と言った。
「聞こえてました」と俺は言った。
(ガルドさんが「また来た」と感じているとしたら、記憶は持っていないはずなのに既視感がある——それともガルドさんは何か知っているのか。いや、ガルドさんは百二十六回分、同じように試験官をしてきた。その中で俺という存在が蓄積されていく感覚が、あるいはガルドさんの身体記憶に刷り込まれているのかもしれない)
考えすぎだ。今日はギャグの日だと決めた。
――――――――――
右の扉が開いた。
カバンが先に見えた。大きな布製の、中身が溢れそうなカバン——使い込んで少し色の褪せた栗色の布。その奥に、栗色のショートカットが一歩踏み込んで止まった。室内を見渡す。受験者の数を確認する。それから——
セナさんが動き始めた。
俺は横目でアシュを見た。
アシュの目が——一瞬、右の扉の方向を見た。セナさんが入ってくる瞬間に。その目の中に、また「何か」があった。今日もそれは一瞬だけで、すぐに消えた。湖面に石を投げ込んだ瞬間の波紋のように。水面はすぐに凪ぐが、石は底に沈んでいる。
セナさんがアシュの存在に気づいた様子はなかった。壁際のアシュをちらりと見たが、初対面の他の受験者として処理していた。アシュの側に感情の動きは、もう出ていない。
「あ、他の方もいたんですね」とセナさんが俺の方に向かって言った。「初めまして、ですよね」
「はじめまして」と俺は答えた。
「俺も初めましてっす!」とポムさんが言った。そして弁当箱を持ち上げた。「弁当食べますか? 三段あります! 一段目が卵焼き——」
「え? 三段?」
「一段目が卵焼き、二段目が煮物、三段目がおはぎっす!」
「わあ、すごい」とセナさんが言った。目が少し丸くなった。「食べてもいいですか?」
「もちろんっすよ!!」
ポムさんが三段の弁当箱を開け始めた。一段目の蓋が上がった。
卵焼きの匂いがした。
甘い出汁の匂いと、卵の焼けた香ばしさが混ざった匂いが、朝の待合室に広がった。腹が鳴りそうになった——と俺は感じたが、それを顔に出さなかった。黙って前を向いた。
(二十七回目でセナさんに弁当を食べさせた。その三時間後にセナさんは腹を壊して試験を棄権した。ポムさんの弁当の衛生状態は保証できない。卵焼きの半熟部分が問題だった可能性がある。あるいは煮物の保存状態か。とにかく二十七回目のセナさんは試験の直前に青ざめて走り去っていった。あの顔は見たくない)
「あ、おいしい」とセナさんが言った。
(……まあ今日は大丈夫そうだ。匂いに問題はない。卵焼きはちゃんと中まで火が入っているように見える)
「アズさんも食べればよかったっすよ!」とポムさんが言った。
「いりません」
「食べてみたらいいじゃないですか」とセナさんが無邪気に言った。口の両端を少し上げた笑い方だ。「死ぬわけじゃないし」
アズの頭の中で、八十八回目のループが一瞬よみがえった。
卵焼きの半熟な部分を一口食べた瞬間。喉を下りていく感触。三時間後の、胃が裏返しになるような痛み。床に倒れた感触。意識が遠くなる前の最後の思考——卵焼きで死んだら笑い話にもならない——が走馬灯のように流れた。
「……大丈夫です」と俺は言った。
「頑固ですね」とセナさんが言って、卵焼きをもう一切れ食べた。
「卵焼きアレルギーらしいっすよ」とポムさんが言った。
「そんなアレルギーがあるんですか!?」とセナさんが驚いた声を上げた。
「……眼を見て言えないですが、はい」
「眼を見て言えないってどういうことですか!?」
「……誠実に生きています」
「嘘をついている人の言い訳っすね、それ!!」とポムさんが言った。
「卵焼きアレルギーを疑われる人生だということです」
「当然だと思います!」とセナさんが言って、また笑った。口の両端がゆっくり上がる、音を立てない笑い方だ。
ポムさんも「そうっすよ!!」と言って、全身で笑った。
俺は少しだけ、笑った。
(死んだよ、八十八回目に。でもそれは言わない。言えない。言っても誰にも伝わらない。俺だけが知っている話だ)
――――――――――
弁当対策の歴史は長い。
一回目は食べてしまった。何も知らなかったから。ポムさんの笑顔が眩しすぎて、「どうぞ」と言われる前に受け取っていた。あの卵焼きは普通においしかった。
五回目は「今日は食欲がなくて」と断った。ポムさんに「食欲がない日こそ食べた方がいいっすよ!」と返されて、結局半分食べた。問題はなかった。
二十回目に卵焼きアレルギー作戦を思いついた。初めて使ったときのポムさんの顔——「卵焼きアレルギー?焼いたやつだけ?」という驚愕が——あまりに新鮮で、俺は少しだけ罪悪感を覚えた。
二十七回目でセナさんが腹を壊した。あの回から、俺は「ポムさんの弁当を他の人間に食べさせない」というルールを追加した。
四十二回目、ポムさんが「じゃあ見てるだけでもいいっすよ!」と言って弁当箱を開けて俺の前に置いた。押し付けではなく、共有の形を提案してきた。あの優しさの込め方に、俺は少し困った。
五十一回目に追加の小袋が初登場した。漬け物だった。「弁当じゃないから食べられるっすよ!」という論理だった。その日の卵焼きに問題はなかったが、念のため断った。
七十七回目、四段の弁当が来た。「今日は特別っすよ!」という声が来た。あの日の四段目は何だったのか、結局分からないまま断り続けた。
八十八回目。食中毒。その回を境に、俺の「ポムさんの弁当は食べない」という誓いが、誓いとして固まった。
そして百二十六回目。三段プラス追加の小袋。ポムさんは毎回初対面で、弁当の構成が少しずつ違う。それでも橙色の笑顔と「今日こそっすよ!」は変わらない。
俺だけが知っている弁当対策の歴史だ。
――――――――――
筆記試験を通過した。
廊下を歩きながら、俺は今日の状態を確認した。笑い合った後は緊張が薄れている。この「緊張の薄れ」は今まで欠点だと思っていたが、今日は少し違う感覚があった。緊張が薄れると、「合格するための行動」ではなく「見ること」に集中できる。
試験室への廊下。壁の石と石の目地。天井の低さ——二メートルも満たない天井が続く。壁灯の間隔——おそらく二メートルおきに一つ。光の輪が重なり合って、廊下を均一に照らしている。
今まで試験に集中していたせいで見ていなかったものが、今日はよく見える。
実技試験の中庭に出た。
今日の空は晴れていた。囲まれた中庭の四方が石の壁で、その上端から朝の光が入ってきている。光の角度から、おそらく午前九時前後だ。石畳の目地に光が当たって、地面の凸凹がよく見える。凸凹の影は西向きに伸びている。審査官が三名、それぞれのゾーンに座っている。木製のクリップボードを膝に置いて、ペンを構えている。
俺は動き始めた。
今日の俺は、いつもと少し視点を変えていた。「どこで止まるか」ではなく、「止まる場所の手前の構造」を見ようとしていた。
一つ目のゾーン。石畳の目地の角度と、自分の重心の位置を意識した。いつも通り通過した。審査官が何かを書く音がする。ペンの先が紙に当たる、乾いた音だ。
二つ目のゾーン。石畳の目地の一枚が少し浮いている——左から三番目の目地だ。いつも無意識にそこで足元が乱れていた気がする。今日は意識してその浮き石の手前で重心を右に移した。通過した。
三つ目のゾーン。ここで俺はいつも止まる。「問題あり」が来る場所だ。
でも今日は少し違う見方をした。止まることを前提に、止まる「直前」に何が起きているかを観察した。
足が何かに引っかかる感触があった。壁際から二メートル程度の位置で、体が前に動こうとする勢いに対して、何かが少し抵抗した。物理的な障害ではない——空気の中に、目には見えないが感触として分かる何かがある。膝の裏が少し緊張する感じ。足首の角度がわずかに変わる感じ。その直前に何かが——
「問題あり」
声が来た。いつも通りだ。
でも今日は「止まった場所」の手前の構造が少しだけ見えた。次のループで試せる何かが、見つかった。
それが何なのか、今日中に整理しておかなければならない。
――――――――――
外に出ると、ポムさんとセナさんが広場で待っていた。
「どうでしたか!?」とポムさんが言った。三段弁当はすでに空になっているようで、風呂敷だけが手に残っている。橙色の外衣が昼前の光の中で鮮やかに見えた。
「今日もダメでした」
「俺もっすよ!」とポムさんが言った。明るい声だ。落ち込んでいる様子が微塵もない。「まあ次こそっすよ!あと次は弁当、一週間分作ってくるっすよ!」
「絶対やめてあげてください」とセナさんが笑いながら言った。こちらに向かって笑っている。
俺も笑った。
一週間分の弁当を持ってくるポムさんを想像した。七段重ねの弁当箱。風呂敷に縛られた塔のような弁当。それを全力で断り続ける俺と、全力でツッコミ続けるセナさん。ガルドさんが廊下から顔を出して「何をやっているんですか」と言う。
笑えた。百二十六回分の疲労がある今日でも、笑えた。
「また来ますよね?」とセナさんが言った。
「来ます」と俺は答えた。
「私も来ます。またここで」
「俺ももちろんっすよ!!次こそっすよ!!あ、そうだ弁当箱返してっす」
「ここにはないです」とセナさんが言った。
「俺が持っていないってことは……あ、弁当箱を試験館に忘れてきたっす!!ちょっと待っててっすよ!!」
ポムさんが試験館に駆け戻っていった。大股で、足音が石畳に響いて、橙色が建物の入口に消えた。
「あの人、毎回あんな感じですか?」とセナさんが聞いた。
「毎回……そうですね」と俺は言った。
「元気ですね」とセナさんが笑った。「元気な人って、いいですよね」
「そうですね」
俺は広場に立って、屋台のにおいを嗅いだ。焼いた肉の香りと、野菜の煮える甘い匂いが混ざっている。馬が遠くで鳴いている。試験の日の広場の空気だ。百二十六回、同じ空気を嗅いできた。でも今日は少し違う感触がある——今日は二人が隣にいるからかもしれない。
ポムさんが「あったっすよ!!」と言って試験館から駆け出してきた。弁当箱の入った風呂敷を抱えて、全力疾走で広場に戻ってくる。
「じゃあまた!」とポムさんが言った。息を切らしながら笑っている。「来週もよろしくっすよ!あと弁当考えとくっすよ!」
「卵焼きは入れないでください」と俺は言った。
「えーっ、でも特製っすよ!?」
「卵焼きアレルギーですので」
「絶対嘘っすよ!!」
ポムさんが笑いながら大股で去っていった。橙色の服が通りの向こうに消えていく。
セナさんも「また来ます。気をつけて」と言って、カバンを肩にかけ直して帰っていった。栗色のショートカットが人込みに混じって見えなくなった。
俺は一人になって、広場から試験館の方向を振り返った。
石段が見えた。七段の石段。三段目が他の段より少し色が薄い。朝の光の角度が変わって、今は三段目の踏み面の凹凸が影に浮かんで見える。あの三段目が今日は沈む感触があった。百二十六回、同じ感触を信じて目覚めてきた場所が、今日は少しだけ違った。
笑える日もある。
でも、足元が揺れている。石段が変わるということは、俺がループで戻ってくる「場所」が変わるということだ。それが何を意味するのか——セーブポイントが揺れている。世界が、少しずつ壊れていく音が聞こえる気がした。
次のループでは、試験の構造を見る。受かるためじゃなく、なぜ受からないかを見る。実技試験の「三つ目のゾーンの手前」に何があるか。それを次のループで確かめる。
また、朝が来る。百二十七回目の朝が。
今日の死因:試験機構の入口で「追加書類が必要」と言われた。書類を取りに灰の袋小路まで戻って、走って試験館に戻ったら試験が終わっていた。帰り道、ぬかるんだ路地で転んで石に頭を打った。享年二十二歳、死因・転倒(石畳のぬかるみ)。百二十六回目にして、帰り道でポムさんの弁当の話を考えながら笑って死んだ最初の回だった。




