第4話:絡み合う糸をほどくときは丁寧に
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魔術師団に怒られたところで止まらないノアたちのお話
「あの、僕たちはただ——」
「帰れ。三度は言わん」
男が杖を地面に叩きつけた。
びりっ、と空気が震える。威嚇の魔力。わざと荒く放出された力。
目が見えない僕に「怖いだろう、引き下がれ」と言っている。
怖くはなかった。
この人の魔力は、触ればすぐ分かる。
綺麗に整えられた、教科書通りの魔力だ。
強くはある。十分に強い。
普通の魔物なら退けるだろうし、町ひとつくらいは守れるだろう。
でも、世界のルールそのものがほつれている場所では、教科書は役に立たない。
「——団長、またです! 東側の水脈が逆流を始めました!」
後方から慌てた声が飛んできた。
「馬鹿な! さっき封じたばかりだ! 全員、配置につけ! 詠唱第二陣、準備!」
男が振り返って怒鳴り、重い足音が僕たちから離れていった。
地面がまた揺れた。今度は大きい。
足元がぐにゃりと歪んで、僕は思わずシオンにしがみついた。
上と下がどっちか分からなくなる。
内臓が浮き上がって、一瞬だけ重力が完全に消えた。
——次の瞬間、土砂が空に向かって「落ちた」。
足元の地面がごそっと剥がれて、上に吸い込まれていったのだ。
シオンが素早く僕を引っ張って横に飛んだ。
着地の衝撃。僕の背中が木の根っこにぶつかる。痛い。
「いった……」
「怪我は?」
「大丈夫です、たぶん……」
周囲が騒然としている。
魔術師たちの怒鳴り声。詠唱の声。杖が空気を裂く音。
でも、どれもこれも空振りだった。空回り。
足掻けば足掻くほど糸がきつくなっていくのが、指先を通して分かる。
「あの人たち、引っ張りすぎです」
僕はぽつりと呟いた。
「糸が絡まってるとき、無理に引っ張ったら余計にきつくなるのに」
「もっとゆっくり、一本ずつほどかないと……」
「聞こえてるわよ」
シオンの声が、冷たく返った。
「じゃあ、どうするの」
当然そう来る。
反対していたくせに、最後は僕に選ばせてくれる。
彼女はいつもそうだ。
僕の覚悟を、僕自身の口から聞こうとする。
「……やります」
「最初からそう言いなさい」
シオンの手が、僕の肩をぽんと叩いた。それだけで、覚悟が決まる。
この人の手に触れると、不思議と怖いものがなくなる。
世界がどんなにめちゃくちゃになっていても、この手が傍にある限り、僕は大丈夫だ。
「ナビ、お願いしますね」
「言われなくても」
シオンの体温が、隣から消えた。
代わりに、僕の肩にふわりと軽いものが乗る。
柔らかい毛並み。小さな肉球。甘い獣の匂い。
猫だ。
シオンが人間の姿を解いて、小さな黒猫になっていた。
僕の肩の上に器用に座って、尻尾が首の後ろをくすぐる。
「——前方十二。水脈の主幹が逆転してる。支点は三つ。上から、七、四、二の位置」
声が変わっていた。
さっきまでの呆れ声でも小言でもない。短く、正確で、無駄のない戦場の声。この声を聞くと、僕の指先が自然と動き始める。
「七、四、二。……うん、分かりました」
僕は一歩、前に出た。
「——おい、そこの盲目! 危ないと言っているだろう!」
後ろから誰かが何かを叫んでいるのが聞こえる。
けれど、その意味までは届かない。
僕の意識のすべては、指先に触れている世界のほつれへと吸い込まれていた。
ここだ。
糸が、ぐちゃぐちゃに絡まっている。
重力の糸。水脈の糸。生命の糸。
本来は美しい三つ編みになっているはずのものが、めちゃくちゃに絡まって、太い結び目をいくつも作っている。
あの魔術師たちが力任せに引っ張った痕が、焼け焦げた跡みたいに残っていた。
無茶するなぁ、この人たち。
「右、三歩。水流の淀み」
シオンの声に従って、右に三歩。指先を伸ばす。ある。淀んでいる。
水の糸がぐるぐると渦を巻いて、出口を見失っている。
僕はその糸に、そっと触れた。
「大丈夫ですよ。ほどきますからね」
誰に言ったのか、自分でもよく分からない。糸に言ったのかもしれない。
一本目。ぷちん、と切って、正しい方向に繋ぎ直す。
音がした。きゅるん、と。糸が本来の流れを取り戻した小さな音。世界が、ほんの少しだけ正しくなった音。
「左、十歩。逆行の支点」
左に十歩。ここは重い。重力の糸が逆転している中心だ。
結び目がとんでもなくきつい。
誰だこれを作ったのは。
世界のルールに喧嘩でも売ったのだろうか。
「あんなに引っ張ったら、ますますほどけなくなっちゃうのに……」
思わず口に出た。
背後で、誰かが息を呑む気配がした。
「……おい、あのガキ、何をしている?」
「あ、団長。あの少年、触媒も使わずに特異点の中心に——」
「馬鹿な。あんな場所に素手で触れたら——」
騒がしい。でも、今は集中したい。
僕は、絡まった糸の端っこをそっと摘まんだ。
力は入れない。
力を入れたら千切れる。
千切れたら繕えない。
大事なのは、糸がどこから来て、どこへ行きたがっているかを、指先で感じ取ること。
この糸は——ああ、上に行きたいんだ。
でも隣の糸に引っかかって行けなくなっている。
隣の糸は横に行きたがっているのに、下の糸に絡まれている。
みんな行きたい方向があるのに、もつれあって動けなくなっている。
なんだか、可哀想だな。
僕はゆっくりと、一本ずつ、糸をほどき始めた。
上に行きたい糸を、そっと上に導く。
横に行きたい糸の邪魔をしている結び目を、指先の腹で撫でるように緩める。
急がない。焦らない。
糸が自分から解けたがるまで、辛抱強く待つ。
「——あ」
背後のどこかで、魔術師が声を上げた。
「水脈が……戻り始めた?」
「馬鹿な、我々の術式は全て弾かれたのに——」
「あの少年だ。あの少年が、何かしている——」
二本目。ぷちん。きゅるん。
空気が変わった。
さっきまで胃の底を掻き回していた重力の揺らぎが、ほんの少しだけ収まった。
まだ揺れているけど、波が穏やかになっている。
「——上方、最後の支点。二の位置。高い。ノア、手を伸ばして」
シオンの声。僕は手を伸ばした。届かない。
「もう少し。つま先」
つま先立ちになる。指先が、空中の一点に触れた。
ここだ。最後の結び目。一番きつくて、一番古い。
最初に絡まった場所。
ここさえほどければ、残りは勝手に解けていく。
僕は、その結び目に、両手の指を添えた。
糸に聞くんだ。お前はどこへ行きたいの?
……ああ、そう。下に行きたかったんだ。ずっと。でも誰かが間違えて、上に引っ張ってしまったんだね。
大丈夫。もう、大丈夫ですよ。
最後の一本を、解いた。
世界が、ふっと軽くなった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
絡まった糸って無理に引っ張ると余計絡まりますよね。
冷静に落ち着いて、とおもいつつ僕は引っ張って余計絡まるタイプです。




