第2話:見えなくても色々分かっちゃう
見つけてくださりありがとうございます。
ミルク×クッキーは最高です。
街道沿いの茶屋で、休憩を取った。
シオンが注文してくれた山羊乳のミルクは、ぬるくて、ほんのり甘くて、草原を撫でる風のような味がした。
味が風景になる。
目が見えなくなってから、そういうことが増えた。
「シオン、このミルク、草原の味がします」
「草原に味はないわ」
「ありますよぉ。ほら、こう、やわらかくて、遠くまで続いてる感じ」
「それはミルクの感想としてまったく役に立たないわね」
シオンがまたため息をついた。
でもミルクを一口飲んで、「……まあ、悪くないわね」と小さく呟いたのが聞こえた。
僕はミルクを飲みながら、ポケットからクッキーの袋を出した。
「まだ食べるの」
「最後の一枚です。シオンも食べます?」
「いらないわ。甘いものは好きじゃない」
「でも昨日、僕が寝てる間にクッキー二枚減ってましたよね?」
「…………」
「シオン?」
「風で飛んだのよ」
「袋の中から?」
「そう。器用な風だったわ」
器用な風だ。よほど手先の器用な風なんだろう。
最後の一枚を半分に割った。
手探りだから、ちょっと不均等になった。大きい方をシオンの方に差し出す。
「いらないって言ったでしょう」
「大きい方ですよ?」
「…………」
ぱくっ、と指先から消えた。
「……甘すぎ」
でも食べた。
僕はちょっと笑って、残りの小さい方を口に入れた。
リン、と鈴の音がした。
甘い。幸せな音。
半分だけど、なんだか丸ごと一枚食べたときより美味しい気がした。
茶屋を出て、また歩き始めた。
日が傾いてきたのが分かる。
さっきまで左頬に当たっていた陽の温かさが薄くなって、代わりに右耳の後ろ側から風が吹き始めた。
夕方の風は朝の風より少しだけ重い。一日分の匂いを含んでいるからだと思う。
「風も気持ちいいし、ちょっと散歩に行きましょうか」
シオンに連れられ街道を外れて、脇道に入った。
シオンが僕の手を引いて、段差を「三段」と教えてくれる。
一、二、三。足元が石畳から土に変わった。
森の入り口が近い。木の匂いがする。
湿った土と、苔と、腐りかけの落ち葉。
——と、不意に、指先に変な感触があった。
空気が、重い。
重いというか、歪んでいる。
糸が、絡まっている。
世界を構成しているはずの理の糸が、この先のどこかでぐちゃぐちゃに結ばれて、不快な振動を発している。
耳には聞こえない音。でも肌の表面がぴりぴりする。セーターの毛糸が絡まったときの、あのもどかしい感じに似ている。
目が見えなくなってからも、糸は感じ取れる。
「視る」ことはできなくなったけど、指先や肌で「触れる」ことはできる。
世界が正しく織られているかどうか。どこかにほつれやもつれがないかどうか。
それだけは、今でも分かる。
「ねぇ、シオン」
「何」
「さっきから、空気がちょっとだけ重くないですか? なんていうか……糸が絡まったセーターみたいな」
シオンの足が止まった。
腕を掴む力が、ほんの少しだけ変わる。
日常の力加減から、何かを見据えているときの力加減に。
「……感覚だけは一丁前ね」
声が冷たくなった。
いつもの小言の冷たさじゃない。
刃物みたいな、観察する声。
この声が出るときのシオンは、怖くて、頼もしい。
「蒼滝の樹海よ。理の糸がめちゃくちゃに絡まってる。誰かがヘタクソな編み直しをしたみたい」
「……シオン、危なそう、ですか?」
「ええ。最悪よ。重力の層が歪んで、上下がぐちゃぐちゃ。ノアみたいな不器用が行ったら、一歩目で空に向かって転びかねないわ。……ノア、あなたはここで待っていなさい。私だけで様子を見てくるから」
シオンの指先に、ぎゅっと、これまでにないほど強い力がこもった。
僕の腕を掴むその手は、冷たく強張っている。
僕を危険から遠ざけようとする、必死な抵抗。
「でも、僕が行かないと。あの糸たち、すごく苦しそうです。僕がほどいてあげないと、たぶん二度と元には戻りません」
「……わかっているわよ、そんなこと。でも、ノアは——」
「大丈夫ですよ、シオン。僕はそのために、今日まで歩いてきたんですから」
僕は彼女の手に、自分の手をそっと重ねた。
シオンの指先が、微かに震えているのが伝わってくる。
世界のために。自分を忘れたみんなのために。
そして、今こうして僕の隣にいてくれる、シオンのために。
絡まった糸があるなら、僕がほどかないといけない。
誰に命じられたわけでもないけれど、それは僕が僕であるための、たった一つの理由なんだと思う。
「……本当に、バカなんだから、ノアは」
シオンは絞り出すようにそう言うと、震える手で、より一層強く僕の腕を引いた。
「わかったわよ。その代わり、絶対に私のそばを離れないこと。いいわね?」
「はい。ありがとうございます、シオン」
シオンが僕を引いて、脇道の奥へ向かった。
足元の感触が土から草に変わる。
草が深くなって、ローブの裾を引っ張る。
空気の匂いも変わった。
湿っていて、少し甘くて、でもどこかが歪んでいる。
正しいものと正しくないものが混ざった、居心地の悪い匂い。
「あ、でもシオン」
「何」
「クッキー、もう食べちゃいましたね」
「だからどうしたの」
「帰りに別のお菓子を買いたいです。頑張るので」
「……先のことを考える前に、今の仕事をしなさい」
シオンの声が呆れているけど、もう怒ってはいなかった。
いつものことだから。
僕がこうやってどうでもいいことを言ったとき、シオンが本気で怒らないのは、たぶん、僕がどうでもいいことを言っていられるうちは大丈夫だと、知っているからだと思う。
風が吹いた。
湿った、甘い風。
その奥に、糸のほつれた世界が、静かに軋んでいる音がした。
行こう。
絡まった糸があるなら、ほどいてあげないと。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
糸を辿って絡まった世界を解いていく物語
のんびりも好きですが、戦闘シーンも好きなので書いていきます。
この作品が『おもしろかった』、『もっと旅の続きが見たい』と思ってくださった方はブックマーク登録や↓の『☆☆☆☆☆』を『★★★★★』に評価して下さると励みになります。




